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アンダーソン・毛利・友常法律事務所 企業法務の窓辺

ニューヨークと台北に見る国際M&A(企業買収)交渉の東西比較考

鼎 博之(かなえ・ひろゆき)

国際M&A交渉の東西比較考

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 鼎 博之

 1 はじめに

拡大鼎 博之(かなえ・ひろゆき)
 1976年3月、早稲田大学法学部卒業。1979年3月、司法修習(31期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)。1987年6月、イリノイ大学アーバナ・シャンぺーン校ロースクール修了(M.C.L.)。1988年7月、ニューヨーク州弁護士登録。2007年9月、ビンガム・マカッチェン・ムラセ外国法事務弁護士事務所、坂井・三村・相澤法律事務所(外国法共同事業)にパートナーとして参加。2015年4月、統合により当事務所に参画。
 私は1985年から約3年間米国に滞在し、前半は留学、後半はニューヨーク・マンハッタンのグランドセントラル駅に隣接するPan Amビル(当時航空会社として世界中に航空ルートを持っていたパンアメリカン航空の名前を冠したビル、現MetLifeビル)にオフィスを当時構えていた法律事務所でアソシエイトとして働いた。当時は、日本のバブル景気の真っ只中であり、ティファニー本店ビル、Exxonビル、果てはロックフェラーセンタービルに至るまで、5番街、6番街の大通りに面したビルの多くを日本の会社が買収し、その結果、日の丸ビルがマンハッタンを支配する様相を呈していた。

 その後、日本に帰国し、渉外事務所に所属して、シリコンバレーのIT系企業の日本進出などのインバウンド投資を多く経験し、同時に、日本企業による海外企業の買収案件を手がけ、最近はタイや台湾の企業買収案件を扱うようになった。

 このような経験を踏まえて、北米、欧州という先進国におけるM&Aとアジア新興国におけるそれに一定の相違があるのではないかと感じるようになった。そこで、私なりに国際交渉における東西文化比較考をまとめてみたいと思った次第である。

 2 欧米における経済合理性の追求

拡大冬のセントラルパークサウス(撮影は筆者)
 1985年9月22日、マンハッタンのプラザホテルで、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議が開催され、為替レートに関するいわゆるプラザ合意が成立した。これは、当時の米国の対日・対独貿易の巨大赤字を解消することが目的の一つであり、為替レートを円高ドル安に誘導する内容となっていた。合意発表翌日の1日だけでもドル円レートは1ドル235円から約20円下落し、1年後にはドルの価値はほぼ半減した。円高不況などへの対応策として日本は大幅な金融緩和政策をとり、日銀が大量の円を市場に放出したことにより、バブル景気を招くことになり、地価・株価の高騰を引き起こした。その結果、東京23区の土地価格と米国全土の土地の価格がほぼ同じであるともいわれる奇妙な現象が起こった。

 そのような経済状況下で、ニューヨークの名だたる高層ビルが次々と日本の投資家に売却されていった。私が法律事務所のアソシエイトとして関与した案件は、ある日本の生命保険会社が依頼者で、マディソン街に面した80階を超える高層ビルのオーナー会社に対して発行済み株式の過半数の株式に転換可能なモーゲージローンを設定する事案であった。来る日も来る日も、私を含めたアソシエイトの5人くらいが投資対象会社の会議室に集合し、朝から晩まで、テナントとの賃貸借契約書、各種サービス契約書を点検してデューデリジェンスレポートにまとめるという作業に従事した。

拡大ロックフェラーセンタービル(撮影は筆者)
 そのような作業の中で感じたのは、米国のビルのオーナーは、海外のどこの投資家であろうと、米国の銀行や投資家の経済上の条件より日本の投資家の条件が有利であれば交渉に応じ、契約条件が契約書に明瞭に記載され、自らの法的権利が守られていれば数百億円規模の投資にも応じるという経済合理性と自由主義の考え方に基づいて行動するという事実であった。そうであるからこそ、ニューヨーク・マンハッタンのランドマークとも言えるロックフェラーセンタービルの所有会社の株式を三菱地所に売却するという判断もあり得るし、オードリー・ヘップバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」の舞台となったティファニービルを日本の不動産会社に売却するという案件も可能だったのである。オーナーが東洋の外国企業であろうと、そのビルの営業と名称は不変であり、オーナーが何らかの事情で損害を出して別のオーナーに転売しようと、営業には何ら影響しないという経済合理性に基づく実利主義が社会を支配しているといえよう。その証拠に、何年か後に、ロックフェラーセンタービルもティファニービルも日本のオーナーから別のオーナーに譲渡されたが、相変わらず両方のビルはオーナーチェンジの変化をおくびにも出さず、今日も燦然とニューヨークの街にそびえ立っている。

 3 台湾台北のM&A(ホテル売却)案件にみる義理と人情の世界

 ごく最近、民進党の代表に蓮舫氏が選出された。報道された情報によれば、蓮舫氏の祖母は、1910年に日本統治時代 (1895-1945) の台湾で出生した。台湾は、日清戦争の結果、1895年4月に調印された日清講和条約で清国から日本に割譲された領土である。日本の領土であるから、日本統治時代に台湾に出生した者は日本国籍を有していた。蓮舫氏の祖母は、1926年に台北女子職業学校を卒業後、東京銀座の服飾学校に入学し、1935年に卒業後、台湾に帰って1935年にファッションデザイナーとして洋服店を開業し、上海にも進出して貿易業で繁盛したという経歴を有するとのことである。このように蓮舫氏の祖母と同様に50年にわたる日本統治時代に日本本土に留学したり、起業をしたりした人々も数多く存在する。

拡大蒋介石総統を顕彰する台北の中正紀念堂(撮影は筆者)
 今年の3月まで、3年以上に亘り、私が従事した台北所在の観光ホテルの売却案件は、上記の蓮舫氏の祖母の軌跡とほぼ同様な背景を有する人の事案であった。主人公を仮にA氏と呼ぼう。A氏は、1920年代に台湾の風光明媚な地方に出生し、成人した後、上京した。戦前戦後にかけて苦労をして消費財の販売で財をなし、1960年代に当時台北には珍しい8階建ての観光ホテルを建設した。このホテルの所有会社の株式は、A氏とその妻が80%を所有し、台北の総経理(仮にB氏と呼ぶ)が20%を所有していた。時を経て、A氏とその妻及びB氏も亡くなり、現在では、日本在住の董事長A氏の子孫3名と、台北在住の総経理B氏の子孫9名が相続していた。ホテルも老朽化し、建て替えには莫大な費用がかかるので、売却して子孫で分配するという案が80%の株式の所有者A氏の子孫から提案され、売買交渉の代理人として私が委任を受けた。会社法上の多数決の論理からは、議決権の多数を所有する株主の意向が通るはずである。ところが、B氏の子孫は、今まで先代の総経理と自分がいかに苦労してホテルの経営に取り組んできたかについて切々と自説を展開しホテル売却に反対した。いわく、50年に亘って経営してきたホテルを売却するということは、自分たちの経営手腕が十分でなかったかのごとき印象を世間に知らしめることになる。したがって、自分の知り合いに売却する以外は売却には一切協力しないというのである。結局、公平性を期するために、公開入札をすることとなったが、入札に応じてきた者は20社を超え、購入金額も購入条件もまちまちであり、交渉の末、現れては消え、現れては消えを繰り返して、交渉は暗礁に乗り上げた。

 最終的に我々が選定した相手との交渉がまとまったものの、売買契約調印の前日に、B氏の子孫は最後の交渉の途中で席を蹴って行方不明となった。後で、事情を聞いてみると、交渉相手がホテル同業者であるため、この買い手に売却することは自分の面子が立たないため、故意に姿をくらませたことが分かった。

 万事休すと思ったところ、2015年11月に至り、2016年1月に総統選挙を控えた与党国民党政権は、2016年1月1日以降の株取引には、譲渡所得(キャピタルゲインインカム)に対する課税をゼロにするとの人気取り政策を発表した。これを知った台北の総経理B氏の子孫9名は、A氏の子孫に対して、株式の買い取りを要求するという戦略に変更してきた。そこで、A氏の子孫は、まず、台北の総経理B氏の子孫9名から株式を購入し、その後、ホテルを売却するという方法に切り替えた。2016年1月に入り、無事にA氏の子孫はB氏の子孫から株式を購入し、その後、会社の機関決定として会社所有のホテルを売却することに成功したが、終始、現地の総経理の面子に振り回された取引であった。

 4 終わりに

 上記ニューヨークにおけるビルの案件と台湾のホテル売却案件は、時代状況も経済規模も全く異なるが、社会的文化的な背景事情が見事なコントラストを描いている。勿論、生保のような機関投資家か小規模経営者かという違いはあるが、中国、台湾、韓国においては歴史的背景や文化的な違いが契約交渉において大きく作用するという側面がより色濃く出てくる。

 つまり、欧米においては、人と人との関係性より経済合理性がより重視され、条件が他と比べて経済的に有利か、交渉相手はルールを遵守するかという点が重要視されるが、上記台湾の事案にみられたように、売買金額より面子に重きを置き、人と人との関係性が重視され、交渉の途中で気に入らなければテーブルを蹴ってでも出て行くパフォーマンスを実行するということが理解できた。概して、このような人と人との関係が重視されるという特徴は、アジア、特に中国、台湾、韓国においては、共通の要素と思われる。つまり、交渉相手は誰とどのような関係にあるか、どの人の顔を立てるべきかという人間関係の尺度が他の要素よりは大きいという気がする。

 国際交渉においては、合理性の観点から条件交渉するのか、あるいは、面子を重視し、人と人との人的関係を優先するのか、このような社会的文化的相違を考慮に入れながら交渉する必要があると感じた次第である。

鼎 博之(かなえ・ひろゆき)

 1976年3月、早稲田大学法学部卒業。1979年3月、司法修習(31期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)。1987年6月、イリノイ大学アーバナ・シャンぺーン校ロースクール修了(M.C.L.)。1987年9月、ニューヨークでクデールブラザーズ法律事務所勤務。1988年7月、ニューヨーク州弁護士登録。1988年9月から西・田中・高橋法律事務所勤務。2007年9月、ビンガム・マカッチェン・ムラセ外国法事務弁護士事務所、坂井・三村・相澤法律事務所(外国法共同事業)にパートナーとして参加。2015年4月、統合により当事務所に参画。
 著書・論文に「M&A実務の基礎」(商事法務 2015年5月)(共著)、「企業経営を育てるコーポレートガバナンス 監査役の機能強化」(THE LAWYERS 2015年2月)、"The Law and Practice of Dispute Resolution Clauses"(AIJA National Report 2012年8月)などがある。

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