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アンダーソン・毛利・友常法律事務所 企業法務の窓辺

南米のすすめ やらない後悔よりもやる後悔を

岩崎 大(いわさき・だい)

南米のすすめ
やらない後悔よりもやる後悔を

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
岩崎 大

拡大岩崎 大(いわさき・だい)
 2003年3月、慶應義塾大学法学部卒。2006年3月、慶應義塾大学法科大学院 (法務博士 (専門職))修了。2007年12月、司法修習(60期)を経て弁護士登録(第一東京弁護士会)。2008年1月、当事務所入所。14年5月、米国University of California, Los Angeles School of Law (LL.M.)修了。15年6月、ニューヨーク州弁護士登録。16年11月、当事務所復帰。
 2013年7月上旬より、2年間の米国カリフォルニア州ロサンゼルス市での留学及び同市内法律事務所での実務研修、2015年8月より1ヶ月間のコロンビアの法律事務所での短期実務研修及び1年間のブラジルの法律事務所での実務研修を経て、2016年10月下旬に日本に帰国した。このうち、短期実務研修を除き、妻と幼い息子、娘と共にロサンゼルス市及びブラジル・サンパウロ市で暮らした。

 1.出国前

 そもそも留学準備段階当初、妻は渡米に反対だった。妻は都内のとある企業に勤務し、当時産後休暇中であった。家族帯同の渡米は妻のキャリアに大きく影響する。

 「今まで一度も海外に住んだことがない貴方より海外経験が豊富な弁護士やビジネスマンが既に山のようにいる中、今さら海外に数年住んで何になるの。よく考えてみて」

 よく考えてみた。よく考えてみたが、妻に対し満足のいく回答は出来なかった。海外で一度も暮らしたことのない自分にとって未知の世界。「知らない世界を知りたい」と、子供を抱える身にもかかわらず子供のような答えしか持ち合わせない私に対し、妻は「やらない後悔よりもやる後悔だね」と最終的に折れてくれた。

 その後、米国での留学及び研修が終わる半年ほど前に南米での研修の提案があり、これに承諾の返事をしたものの、よもや3年目に南米に連れていかれることなど予期していなかった妻との間で、前記同様の議論が比較的長期間行われたことは言うまでもない。

 2.コロンビア・ボゴタ

 初めての2年間少々の海外生活を乗り越え、海外生活への自信が僅かながらも生まれていた。だが、これはボゴタにたどり着いた初日に砕けていった。

 (1)単身生活と自信喪失

 標高2500メートル超と富士山五合目よりも高いところにあるコロンビアの首都ボゴタ。アパートに着いただけで何だか息切れがする(ような気がする)。ボゴタ初日、不安を抱えながら小走りで牛乳を求めて訪れたスーパーは、真っ暗だった。「閉店か」と思いつつも、店員に確認すると「停電だ」とのことで、数分で店内に灯りがついた。牛の絵が描いてあるパックを買ったが、帰宅後、牛乳ではなくて飲むヨーグルトであったことに気が付き、「牛乳を買う能力もない」とショックであった。英語を話せる者は街中にほとんどおらず、アジア人の外見の者も少ない。短期滞在のため、家族を一時日本に帰国させており、孤独感と不安感が単身の自分を包んでいくのが感じられた。

 (2)未知との遭遇

 日本人弁護士の1ヶ月程の期間の受け入れは、研修先にとって初めてとのことだった。

 「貴方(筆者)は何やっているの?何が出来るの?」「貴方たち(研修先法律事務所)は日本企業やその他クライアントにどんなリーガルサービスをどのようにやっているの?」お互いに未知との遭遇だ。コロンビアの研修先法律事務所の各専門分野のチームとランチやミーティングをし、コロンビア法の概要・近年の問題点を共有しつつ、M&Aの案件に実際に関与させてもらう。こちらも、日本文化や日本法や日本法弁護士について事務所全体に説明するセミナーを所内で開催させてもらい相互の理解に努めた。

拡大観光の名所でもあるコロンビアの最高裁判所
 コロンビアで弁護士になるためには、高校相当の学校卒業後、原則ロースクールを卒業しなければならない。卒業試験は一筋縄ではいかないが、卒業さえすればあとは簡単な書類手続で弁護士になれるとのことだった。研修先法律事務所には二十歳に近い若いインターン生が多く、組織の若々しさが印象的であった。

 なお、滞在中、心配していた治安の悪さによるトラブルは、実際には一度もなかった。週末には、ボゴタ市内を観光したり、また、ボゴタから飛行機で90分程のカルタヘナを訪れ、旧市街の歴史ある町並みや新市街のショッピングモールやビーチを楽しんだり、コロンビアの文化や歴史を楽しむことが出来た。

 3.ブラジル・サンパウロ

 ようやく親しく話せる同僚も出来るなか孤独感や不安感が晴れそうになったところで、スペイン語圏のボゴタより、ポルトガル語圏のブラジル一の経済都市サンパウロへ直行することになった。

 (1)当たり前が通じないことは悪いことばかりではない

 サンパウロで感じたのは言葉の壁だけではなかった。

 「Bureaucracy(お役所仕事)」と揶揄される煩雑な事務手続が勤務開始を阻む。納税者番号CPF (Cadastro de Pessoas Físicas)の登録、銀行口座の開設、外国人登録証RNE(Registro Nacional de Estrangeiros)の取得や外国人労働者登録などが必要だ。入国のタイミングで、銀行や労務関連の監督官庁がストライキ中であったためか、研修先法律事務所の協力を得て急いでも、勤務開始までに2週間程かかった。単身生活ではなく、家族での生活ということで、セットアップには更に時間がかかった。

拡大パウリスタ大通りでのデモの様子(治安等の不安は感じなかったが、週末このようなデモは日常茶飯事であった)
 大規模なデモも初めての経験だった。当時サンパウロでは政権への反対デモが日常茶飯事で、特に2016年3月の週末にサンパウロ市内で行われたデモは非常に大規模で、140万人が参加したとも言われた。外出中にこれに遭遇し、左手に折りたたんだベビーカー、右手に幼子を抱きかかえ、帰宅は大変困難だったが、周囲の多くのブラジル人たちの助けにより無事に帰宅できた。

 時間感覚の違いといった文化の違いも忘れられない。誕生日パーティーの開始時間が午後6時からと言われ、定刻に着いたら主催者のほか誰もおらず、全員が揃ったのは午後8時過ぎだったことも今となっては笑い話のようだ。また、研修先法律事務所の年末のパーティーでは、午後8時から朝6時ころまで老若男女が踊り続けるブラジルパワーに圧倒された。

 ブラジル人の優しさに涙が出そうになったことが何度もある。サンパウロ初日、市内の地図を探していると本屋等に共に足を運び探してくれた人。ショッピングマーケットでポルトガル語に困っていた時、英語で助けてくれた人。子連れで電車に乗ると、優先席に限らずどの席に座っている人も進んで席を譲ってくれ、子連れの時に困ったことは一度もなかった。時間にルーズというよりも、心にゆとりがあるんだとブラジル人への認識が改まった。異国で家族と共に人の優しさに触れられた感動はなかなか忘れることが出来ない。

 (2)弁護士100万人超の国の法律事務

 サンパウロでの研修では、専ら日本企業又は現地日本企業の企業法務関連のサポートを中心に担当した。ブラジルでは訴訟数が多く、また(担当案件のたまたまの特徴なのかもしれないが)M&Aの買収対象企業が個人オーナーである案件が多く、当該企業への調査も買収後の手続も一筋縄ではいかなかった。また、日系企業が採用した現地従業員による不正に対する調査(コンプライアンス対応)にも携わらせてもらった。

 ブラジルで弁護士になるためには、コロンビアと同様ロースクール卒業が原則必要だが、コロンビアと異なり弁護士になるための別個の試験を受けなければならない(なお、検察官や裁判官になるための試験とも別個の試験である)。この試験の合格率は10%~20%程度とのことだが、ブラジル法弁護士の人数が(1970年時点で3万8千人程度であったが)2016年12月時点で100万人を超え、現在も増加傾向だというのだから驚きだ(注1)。女性比率も非常に高い。特に研修先のアソシエイト弁護士においては男性より女性が多いのだからこれも驚いた(注2)

 (3)リオ五輪 - お祭り好きなブラジル人

拡大パラリンピック期間中のリオ市内のコパカバーナビーチ
 ブラジルでの研修期間中に、リオ五輪が開催されたのは、研修中の思い出のハイライトのひとつだ。

 五輪期間中は子供たちの学校があったこともあり、リオまで出かけることはなかったが、サンパウロ開催の五輪・男子サッカー準決勝とリオのマラカナン競技場にて開催されたパラリンピックの閉会式と楽しむことが出来た。お祭り好きなブラジル人に負けないよう、2020年の東京オリンピックも何かしらの形で関与できればと思う。

 4.帰国して

 帰国後はや2ヶ月ほどが経った。キスとハグだった挨拶が会釈になり、人との間に物理的精神的距離を感じることがある。それは「奥ゆかしさ」といった日本文化の良さの一つといえよう。しかし、コロンビア・ブラジルの人々のラテン系ならではの陽気さに加えその温かさや優しさを知った一個人として、(キスやハグによる挨拶は難しいと思うが)これらの国の文化を少しでも伝えていきたい。

 また、企業法務の場面における法的アドバイスでは、特にビジネスサイドからすると後ろ向きなアドバイスをせざるを得ない時もある。でも、私は最大限(法律のみならず常識が許す限り)クライアントのやりたいようにアドバイスして背中を押してあげたいし、そのための道を共に模索したい。不確実性の多い世の中ではあるが、だからこそやってみなければわからない世界があり、やらない後悔よりもやる後悔なのだから。

 最後になったが、家族と共に無事に海外生活を終えて帰国できたこと、そして日本、アメリカ、コロンビア、ブラジル、その他旅先も含め米州で知り合った全ての人との出会いに心から感謝の意を示し、乱筆乱文ではあるものの、ここで筆をおかせていただく。

 ▽注1:日本法弁護士の人数は、1970年時点で8500人程度、2016年3月時点でも3万8千人弱に過ぎない。にもかかわらず、弁護士人口増員のペースが急激との議論が出ており、2012年には日本弁護士連合会より司法試験の年間合格者を1500人までに減員すべきと提言された。
 ▽注2:2016年3月時点の日本法弁護士の女性比率は20%弱である。

岩崎 大(いわさき・だい)

 2003年3月、慶應義塾大学法学部卒。2006年3月、慶應義塾大学法科大学院 (法務博士 (専門職))修了。2007年12月、司法修習(60期)を経て弁護士登録(第一東京弁護士会)。2008年1月、当事務所入所。2014年5月、米国University of California, Los Angeles School of Law (LL.M.)(Specialization in Business Law - Business Law Track)修了。2014年8月~2015年7月、米国ロサンゼルスのReed Smith法律事務所勤務。2015年6月、ニューヨーク州弁護士登録。2015年8~9月、コロンビア共和国のBrigard & Urrutia法律事務所勤務。2015年10月~2016年10月、ブラジルのMattos Filho法律事務所勤務。2016年11月、当事務所復帰。
 論文に『普通預金の払戻請求に対し、金融機関が期限の利益を喪失させずに行った払戻拒絶措置について不法行為における違法性がないと判示した事例』(民事研修No. 643、2010年11月号)(共著)、「公開買付けを行わずに種類株式を買い付けた行為は旧証取法に違反しないとされた事例」(ビジネス法務 2011年2月号)がある。

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