メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

深掘り

大野木克信・元長銀頭取と弁護人が語る長銀事件

長銀元頭取「日債銀の窪田元会長の無罪確定までは表に出る気になれなかった」

(1) 「経営責任」と「国策捜査」

村山 治(むらやま・おさむ)

 1998年に相次いで破綻し、ともに元頭取らが粉飾決算の罪に問われた日本長期信用銀行(現・新生銀行)と日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)。起訴された両行の全員の無罪が2011年秋までに確定した。東京地検特捜部の両行に対する一連の捜査は「国策捜査」と呼ばれ、その後の検察捜査のあり方が問われるきっかけの一つとなった。あの事件は何だったのか。長銀の大野木克信・元頭取と、大野木氏の弁護に当たった倉科直文弁護士に、長銀事件の歴史的意味や検察捜査などを聞く。1回目は、「経営責任」と「国策捜査」について語ってもらった。

  ▽聞き手・筆者:村山治

  ▽関連記事: 日債銀に関連する記事の一覧

拡大長銀元頭取の大野木克信さん=東京都港区、松本敏之撮影

 ■「無罪になっても、世間に顔向けできなかった」

 ――大野木さんは捜査、公判中はもちろん、最高裁で2008年に無罪判決を受けたあとも、公の場で事件について語ることがありませんでした。

 大野木元頭取:銀行経営者として会社を潰し、多くの方に迷惑をかけていますからね。投資家、取引先などのステークホルダーはもとより、部下を路頭に迷わせかねない事態を招いた。最高裁で無罪判決を受けても、勝ったぞ、どうだ、と胸を張る気分ではなかった。
 ただ、その一方で、我々が体験した長銀事件の歴史的意味はきちんと後世に伝えたいと思っていた。弁護団による長銀事件の裁判記録集が昨11年7月に完成し、一段落着いた。
 さらに同年8月末には、同じ時期に破綻処理され、我々と同じく粉飾決算などの罪に問われた日債銀の窪田弘元会長らに無罪判決が出て確定した。窪田さんらの事件は、我々の裁判が終わったあと最高裁で差し戻しになり、東京高裁で審理が続いていた。窪田さんのことを考えると、とても表に出て発言する気にはなれなかった。
 一応、懸案は片付いた。いまでも、本来は、蟄居中の身で、表に出るべきではないと考えているのですが、以前からおつきあいがあり、専門家向けの分野で仕事をされている村山さんにだけはやっとお話をできる心境になったわけです。

 ■刑事一、二審は有罪、最高裁で逆転無罪判決

 1998年10月、日本長期信用銀行が金融再生法適用第1号として一時国有化された。資産24兆円の大規模銀行の破綻は世界でも例がなかった。東京地検、警視庁、証券取引等監視委員会は、それぞれ長銀の不良債権にからむ不正の有無を捜査・調査する専従班を設置した。大野木氏ら3人は翌99年6月、特捜部に逮捕された。

 大野木氏らに対する起訴事実は、(1)長銀が破綻する直前の98年3月期決算で関連ノンバンクなどへの不良債権を処理せず、損失を約3130億円少なく記載した有価証券報告書を当局に提出したという証券取引法違反、(2)株主に配当できる利益がなかったのに約72億円を違法に配当したという商法違反――のふたつだった。

 裁判では、当時の「公正なる会計慣行」に照らして決算が適正といえるかどうかが争点となった。

 2002年9月の一審・東京地裁判決、2005年6月の二審・東京高裁判決は大野木氏らに有罪を宣告した。しかし、最高裁第二小法廷は08年7月18日、同じ時期に大手18行中14行も長銀同様の会計処理をしていたことを挙げ、「違法とはいえない」と結論づけ、「一、二審判決を破棄しなければ著しく正義に反する」として3人に無罪を言い渡し、確定した。

 

 ■紙切れになった長銀株券

 ――長銀は、金融再生法によって一時国有化されて外資に買収され、新生銀行に衣替えしました。長銀の破綻処理では、長銀の損失穴埋めのため公的資金3兆2350億円が贈与されました。それは戻りません。その過程で株主、投資家の持っていた株券は紙切れになりました。

 大野木元頭取:銀行のトップとして破綻を招いた事実に対する責任と後悔は一生担わなくてはならないでしょう。それはきついものがある。まず一番に考えたのは金融債を買ってくれた方々の問題でした。一般銀行の預金に匹敵するものです。これは政府が全額保障してくれた。その次は株主。株主に対する責任を果たすためには、会社を存続させることが必要でした。そのためには金融再生法37条の適用を受けるしかなかった。それだと、減資にはなりますが、リカバリーすれば、株券は紙切れにはならない。また、前年の北海道拓殖銀行のケースでもみられるように、大手行の破綻は取引先も含めて連鎖する影響が非常に大きいという恐怖感もありました。

 ――株主に対する責任は、最低限、会社を潰さないことにあるというお考えだったのですね。

 大野木元頭取:経営危機になり株価も下落して株主に迷惑をかけた点については、反省というか、それは物凄く忸怩たるものがありました。市場に追い込まれて段々着地点のレベルを下げながらも、会社を潰さないようがんばっていた。我々は、ぎりぎり長銀が債務超過には陥っていない、と考えていた。しかし、金融監督庁の検査で債務超過と判定され、再生法36条の破綻処理になってしまった。国策上必要があったことかもしれないが、最後に、残念なことになってしまった。

 ■金融再生法と長銀「破綻」処理

 金融再生法は1998年10月12日に成立した。長銀はこの直後、金融再生法適用第1号として一時国有化され、続いて日債銀も同じ道をたどった。

 金融再生法の特別公的管理には、債務超過の場合に公的資金を投入して破綻処理する「36条」と、債務超過と認定されない場合に生かしたまま公的資金を投入する「37条」が定められた。当時、政界へのロビーイングを担当していた長銀幹部は「37条が入ったことで野党側も長銀については37条を適用する腹づもりだと受け止めていた」と振り返る。

 ところが、7月から長銀の金融検査をしていた金融監督庁は10月19日、長銀が同年9月末時点で有価証券などを時価評価した場合、実質債務超過だとする検査結果を長銀に通知し、政府に36条の破綻処理を勧告した。これに対し、大蔵省は37条での処理を主張し監督庁と対立したが、結局、野中広務官房長官の決断で長銀は36条による破綻処理となった。

 

 ――立法当時、金融再生法は長銀処理のための法律といわれていました。従来は、「金融護送船団」の先頭に立って政界に根回しをしてきた大蔵省が、当時は、不良債権処理をめぐる金融失政や接待汚職への批判で腰を引いていた。その中で、長銀はチームを作って熱心に与野党を説得していました。野党も、最終的には破綻させずに処理する方針になった、といわれていました。

 大野木元頭取:37条は、長銀の処理を念頭に入れて最後に法律に入ったといわれていた。株主のために破綻処理せずに公的資金を入れる「よすが」だったのです。私はすでに退任していましたが、後任の頭取らは37条が入ったことで、同条項が適用されると確信していたと思います。36条で破綻処理になったという知らせを聞いたときは、僕だけでなく、長銀の幹部はみなショックで落ち込んだ。それから後は、もうベルトコンベアーみたいに、破綻処理、私たちの逮捕、起訴、となっていったわけです。

 ■「国策捜査はあってしかるべき」

 ――長銀事件での検察の捜査は「国策捜査」といわれました。

大野木 克信(おおのぎ・かつのぶ)拡大インタビューに答える大野木克信元長銀頭取

 大野木元頭取:僕は、国策捜査を、全面否定しているわけではありません。法律違反とされる事件が多数発生している中から具体的に案件を選択して制裁する、その際、国の政策を考慮して法執行機関が活動する。殺人や窃盗などの自然犯は別として、特に経済事件や対外関係のからむ事件について、それは必要なことです。どこの国でも、当然、行われていることでしょう。法は道義の表れであると同時に、常に権力の手段という側面を持っています。むしろ問題は、国策捜査というものを行う前提としての「国策」そのものが正しかったのかどうか、にあると思います。さらに、それを実際に行う仕組み、ソフトウエアのあり方は問われなくてはいけないと思っています。

 ――具体的にいいますと?

 大野木元頭取:戦前には、誤った国策に基づく、治安維持法のような法律による弾圧があったでしょう。あれも国策捜査です。ああいう国策捜査をいいとはいわない。前提としての国策そのものに問題があった。その国策を問う、あるいはそのやり方を問うということが、本筋の話なんだと思います。それを法廷で問うのか、メディアが言論で世論を形成し掣肘するべきなのか、それはよくわかりません。ただ問うべきポイントはそこじゃないかな、という気がしています。

 ■「セーフティネット不在」の時代

 ――検察の具体的な長銀捜査については、後で詳しくお聞きしますが、当時の「金融国策」、すなわち、旧大蔵省や日銀の金融政策の是非についてはどう考えられていますか。

 大野木元頭取:まずご理解いただきたいのは、銀行や一般企業の不良債権(不良資産)の増減は、経済情勢とパラレルの関係にあります。だから、銀行や貸付先の一般企業が、仮に、ある時点で、担保(資産)となる地価の評価をして処理したとしても、その後の経済政策や経済情勢によっては、更なる二次負担や新規に不良資産が積み重なってくる状況だった。結局、不良資産を解消する最終的な答えというのは、やはり、その時の経済、金融が健全化するということしかないのだろうと思います。そうした中、当時存在していたプルーデンス政策(金融当局の信用秩序維持政策)のもとでは、不良債権処理の方法は「護送船団・先送りスタイル」しかなかったのです。

 ――旧大蔵省は90年代初めから不良債権処理の先送り方針を採り、それ自体が傷口を拡げたと指摘されています。それはしょうがなかったと思われますか?

 大野木元頭取:ええ、思いますね。プルーデンス政策が十分でない中で、とり得る方法はそれしかなかった。例えば、大手銀行の破綻処理にともなうセーフティネットなどの安全装置が無かった。その中で長銀の不良債権問題が顕在化したのです。1998年の金融国会は、長銀を救済するのがいいか悪いか、という話でスタートしたが、情勢が金融国会のあいだにどんどん変わっていった。国会での議論がどんどん進んで、これはいち長銀の問題ではなくて、金融界全体を救わなくてはいけない、ということになった。
 そのためには、公的資金による救済という新しいプルーデンス政策が必要だった。それを実行するために、まず、本当にダメなものは潰すという発想の転換も必要だった。つまり「too big to fail(大きすぎて潰せない)」の思想を排除するということです。
 ただ、そういったオーソドックスな考え方より、当時は住専処理から起きた公的資金投入に対するタブー感を何としても払拭することが政治的に必要だった。そのためには、大手行の破綻が連鎖することへの恐怖心を実感させ、さらに、公的資金を投入するけじめとして、公的資金を投入して破綻処理した銀行の経営者の刑事責任を追及することが必要だろうと考えた。
 そういう思想のもとに、長銀を処理する金融再生法が成立し、同時に、破綻前の金融機関に広く大量の公的資金による資本注入を行う早期健全化法も制定された。さらに税効果会計も導入された。そうしてセーフティネットがまがりなりに準備でき、その第1号として長銀に制度が適用されたのです。

 ■「セーフティネット不全の中での選択。不可抗力だった」

 ――公的資金を投入して金融安定化をはかる新たなプルーデンス政策遂行のために、一種の世論形成の材料、「生け贄」として、長銀の破綻処理と経営陣の刑事責任追及が必要だった、とお考えになっているということでしょうか。

 大野木元頭取:それは、第三者の判断に委ねます。新たなプルーデンス政策が成熟するまでの過渡期の現象というか、ひとつの「国策」だったのかもしれない。あれがないと、金融政策の転換はできなかったという見方もあります。

 ――長銀はバブル時にEIEグループへの開発融資にのめり込み、巨額の不良債権を作りました。それが破綻原因の一つだったわけですよね。大野木さんより前の経営者の時の話です。その経営者らを特別背任容疑などで責任追及をするにはすでに時効が完成していました。彼らの責任を追及せず、大野木さんら最後の経営者の責任だけ問うのはおかしい、との声がありました。

 大野木元頭取:まあ、バブル時やそれ以前の経営者の乱脈融資が不良債権の原因になった、従ってその後の経営者に罪はない、というのは、日債銀はそうなのかもしれません。最後の局面でピンチヒッターで頭取に就任した窪田さんに乱脈融資の責任はない。だけど、我々はそうはいえないと思っています。EIE問題には僕は直接の関与はしていないが、長銀幹部として経営にかかわった。主戦投手ではなかったかもしれないが、長年にわたってチームのレギュラーメンバーだった。ショートであり、センターでありね。その問題も含め、我々は最後にピンチヒッターで登場したわけではない。前のトップがどうのこうのというが、前のトップのデシジョンメイキングには、ボトムアップで我々も関与しているんです。その事実は消えない。そういうことへの贖罪も含めて、この裁判に費やした10年という時間はしょうがなかった、と思っています。

 ■破綻処理しない方向への転換は政策の成熟か

 ――長銀、日債銀の破綻処理から4年後に、りそな銀行が不良債権を抱えて経営難に陥り、政府は、公的資金を投入しましたが、破綻処理はせず、りそなはその後、生き延びています。長銀もそういう選択があった、とは思うことはありせんか。

 大野木元頭取:そうですね。ただまあ…。長銀を破たん処理しなければ随分、処理の道筋も違っていたのではないかと思いますが、それは当事者だった私がいうべきことではない。ただ、りそな銀行を破綻処理せず、公的資金を投入して助けたのは正解だったと思います。国民の負担は小さくて済んだ。そういうことが粛々と行われるようになった。そういうところまで日本のプルーデンス政策は成熟した。長銀のケースとりそなのケース、それから2008年のサブプライムローン問題の後のプルーデンス政策のありようというものを、比較すると、いろいろ教訓にすべきものがありますね。

 ――米国はサブプライム事件で金融機関の不良債権処理に巨額の公的資金を投入しましたが、刑事処罰を受けたのは、こ

この記事の続きをお読みいただくためには、法と経済のジャーナルのご購読手続きが必要です。

朝日新聞デジタル購読者(フルプラン)の方なら手続き不要

法と経済のジャーナル Asahi Judiciaryは朝日新聞デジタルの一部です。
有料(フルプラン)購読中の方は、ログインするだけでお読みいただけます。

朝日新聞デジタルのお申し込みはこちら

村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)。

Facebookでコメントする

ご感想・ご意見などをお待ちしています。