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深掘り

金丸事件:特捜部長と金庫番が語る20年目の真実

「政界のドン」金丸元自民党副総裁逮捕の翌朝、特捜部長は目を潤ませた

(10) 電撃作戦で金丸氏を逮捕し国民の信頼を回復

村山 治(むらやま・おさむ)

 戦後の自民党一党支配に幕を引き、今にいたる政界流動化のきっかけともなった金丸信・元自民党副総裁の5億円ヤミ献金事件。1992年に発覚したが、公判に付されず20万円の罰金で処理されたため、捜査資料が法廷で開示されず多くの謎が残されている。この連載「金丸事件:特捜部長と金庫番が語る20年目の真実」では、ヤミ献金事件とそれに続く脱税事件の捜査を東京地検特捜部長として指揮した五十嵐紀男弁護士、金丸氏の秘書で金庫番とも言える存在だった生原正久氏の証言で真相に迫る。五十嵐特捜部は、世論の批判を浴びたヤミ献金事件処理から約半年後の93年3月6日、金丸、生原両氏を脱税容疑で逮捕する。極秘の電撃作戦だった。不意を衝かれたメディアと国民は仰天し、検察は、国民の信頼を回復する。最終回の10回目は、政界のドン逮捕の一日を追う。

  ▽筆者:村山治

  ▽この記事は2012年9月20日に出版された単行本「小沢一郎vs.特捜検察 20年戦争」(村山治著、朝日新聞出版)に収載された原稿の一部を取り出し、それに加筆したものです。

  ▽注:本文中の敬称は原則、略しています。

  ▽この連載   「金丸事件:特捜部長と金庫番が語る20年目の真実」の記事一覧

 

 ■合同捜査

 1993年3月6日午前10時、東京・霞が関の検察庁舎10階の東京地検特捜部特捜資料課の大部屋は、地検と東京国税局の職員でごった返していた。

 特捜部と東京国税局は、自民党元副総裁の金丸信と金庫番の元秘書、生原正久の脱税容疑が濃厚になったとしてこの日、関係先の家宅捜索を合同で行うことを決め、捜索要員の約150人を一同に集めたのだ。

 特捜部長の五十嵐自身が、緊張した面持ちで、捜索の要領をレクチャーした。すでに、東京地検の取り調べ室では、金丸信の金庫番だった元秘書の生原正久の聴取が始まっていた。金丸本人は午後から聴取する予定だった。

 問題は、捜索着手のタイミングだった。この日は、93年度予算案が衆議院で可決される予定だった。国会審議の邪魔にならないよう、捜索着手は、予算案の衆院通過が確実になるのを待って行うことになっていた。

 捜索令状は、検察、国税側がそれぞれ別にとることになっていた。五十嵐は、令状を早く請求すると、裁判所で情報が漏れる恐れがあると考え、ぎりぎりまで令状請求をしない方針だった。国税側もそれに従った。

 検察側の令状は、着手時間に制限がないが、国税側の令状は、国税の強制調査のルールを定めた国税犯則取締法で日没になると着手できない。この日の日没は午後5時40分前後。それまでに予算案議決にならないと国税側の捜索はできないこともあり得た。国税側はじりじりしながら、ゴーサインを待つことになった。

 ――さて、金丸さん逮捕当日の3月6日です。捜索で、何としても、金丸さんの脱税の証拠となる割引金融債券を発見し、押収しなければならない。捜索には、いつにもまして気合が入ったのではありませんか。

五十嵐 紀男(いがらし・のりお)拡大五十嵐 紀男(いがらし・のりお)
 1940年生まれ。北海道大学在学中に司法試験合格。64年4月、司法修習生。66年4月、検事任官。東京地検特捜部副部長(財政・経済担当)、公安調査庁総務課長、東京地検総務部長を経て91年1月から2年半、東京地検特捜部長。共和汚職、東京佐川急便事件、金丸ヤミ献金事件、金丸脱税事件などを手がけた。大分、宇都宮、千葉、横浜の各地検の検事正を歴任し99年12月退官。公証人を経て2010年5月に弁護士登録した。


 五十嵐:どんな事件でも、着手のときは緊張するものです。しかし、気負いはありませんでした。


 ――しかし、国税との合同での捜索。お互い顔を知らない人もいるわけですね。予行演習なしの合同捜索となると、現場が混乱する心配はありませんでしたか。


 五十嵐:それがあるので、捜索要員全員に集まってもらい、僕から段取りを伝えたのです。要員の識別のため、例えば、男性の場合は、背広の上着の胸のポケットにカラークリップをつけるわけです。検察庁の人間は赤、国税は白とかね・・・。クリップをしてないのは部外者とわかるわけです。捜索現場には、金丸さん側の人もいる、あるいはマスコミ関係者が紛れ込んでくるかもしれないですからね。そういう人たちは排除して捜索し、目的の証拠を押収しなければいけなかった。


 ――捜索要員に、容疑内容は伝えたのですか。


 五十嵐:令状の請求内容を話した。生原さんと金丸さんの脱税の容疑で、ヤミで受けた献金を日本債券信用銀行の金融商品である割引金融債(ワリシン)を購入して隠していた、と。掻い摘んで言えばこういうことだと。だから、みなさん、頭を働かせて関係あると思うものを押収してきてくださいと。その程度ですよ。それで押収場所ごとに班を編成し、半円を組んでメンバー確認をしてもらい、班の主任に押収すべきものを読みあげてもらった。そして何か疑問があったら各捜索場所の主任に聞きなさい、と言いました。


 ――大半の検事と事務官、国税の人たちは、初めて聞く話なんですね。


 五十嵐:そう。大半が事件そのものの存在を知らなかった。検察側はもちろん、金丸さんの脱税捜査が行われていることを知っていたマルサの人たちの多くも「もう強制捜査するところまで来ていたのか」と驚いていましたね。もちろん、主任クラスもその時、初めて捜索対象と容疑を聞くわけですが、みんなベテランだから、だいたい概要を聞いたらやるべきことはわかった、という感じでしたね。

 

 ■電撃作戦

 金丸、生原とも日本債券信用銀行が発行する割引金融債を購入し、金丸の分の購入手続きも生原が行っていた。特捜部はまず午前中に生原の取り調べを敢行した。生原が割引債による蓄財容疑を認めれば、金丸が否認しても逮捕する方針だった。「生原さんの取り調べが勝負だった」と五十嵐は振り返る。

 その重責を任されたのは特捜部の吉田統宏検事(2012年11月横浜地検検事正で退官、現公証人)だった。

 ――さて、被疑者である金丸さんと生原さんの取り調べです。検察側の取り調べ作戦はどういうものだったのですか。


 五十嵐:キーマンは金丸さんの秘書の生原さんでした。生原さんから、割引金融債が金丸さんと生原さん個人のものであること、脱税したカネで購入したと認めさせるのが肝心でした。まず、生原さんを朝から検察庁に呼び出し、基本的なところを認めさせたところで、午後に呼び出してある金丸さんに同じ容疑事実を確認して逮捕する作戦でした。

 生原供述が決め手だと思っていました。金丸さんの方は、熊崎君がきちんと調べれば、金丸さんはああいう性格だから、生原に任せた、と言うに決まっていた。吉田君に自分の運命を預けたようなものでしたね。

 

 3月6日午前8時半、生原は呼び出された定刻に東京地検に現れた。

 吉田は、雑談から入った。外堀を埋めるため、秘書の業務の実態を聞き、「仮定の話だが」と断って、こういう場合は、カネは誰に帰属するのか、と聞いた。そのあと、「こういうのがあるとすると、どうなりますか」と割引金融債のことを当てた。「無記名の金融債がある。先の説明だと、金丸さんのものになるんでしょうな」と。

 生原の顔色が変わった。生原は否認した。吉田は五十嵐部長に「すんません、割れません」と報告した。

 ――生原さんが脱税容疑を認めるかどうか、が最大の関門だったのですね。生原さんは簡単に容疑を認めたのですか?


 五十嵐:いや、最初の1時間ぐらいは否認ですよ。1時間ぐらいたって、途中報告では「否認です」という話だった。


 ――吉田検事は、生原さんの取り調べで相当のプレッシャ―を感じていたようです。否認の報告に来た吉田検事に「割れなかったら、(事件を)やめればいいんだから、やるだけやれよ」と声をかけたのではありませんか。吉田検事は、それで楽になったんだ、という話を検察関係者から聞きました。


 五十嵐:覚えていないなあ。


 ――着手数日前に、吉田検事をスナックに誘った記憶はありませんか。吉田検事は「命かけてやりますから」と言い、その際、五十嵐さんは「命かける必要なんかない。ちゃんと捜査すればいいんだ」と諭されたのでは。


 五十嵐:スナックで一緒に飲んだ記憶はありますね。まあ、肩の力を抜いて、淡々とやればいい、ということは言ったかもしれない。

 

 五十嵐への報告後、仕切り直しの取り調べ。吉田の口調が変わった。

 「日債銀でワリシン取引しているでしょ。わかっているんですよ」

 検察関係者によると、吉田が、「生原が割れる」との感触を得たのは、生原が「金丸先生を逮捕するんですか」と聞いた時だったという。

 「そうなるでしょうね」

 それから生原は考え込み、覚悟を決めた。ワリシンはどこにあるのかとの質問に、「自分の分は親戚に預けた。先生の分は先生しかご存じない」と供述したという。

 ――結局、生原さんは午前中に容疑を認めたのですか。


 五十嵐:多数のゼネコンから毎年盆暮れにカネをもらっていた。そのカネでワリシンを買っていましたと。最初は銀行に申し込んでいたけれども、大変なので銀行員を事務所に呼んで、乗り換えていましたと。6億円いくらは自分のものです、とその程度のことだったと思います。

 生原さんはゼネコンなどから金丸さんに献金があるとき、ゼネコンから金丸さんの分の1割ぐらいのカネをもらっていた。その一部でワリシンを買っていた。生原さんは選挙に出るわけではない。ワリシンでの蓄財は即、個人に帰属すると認定できる。同じときに買っている金丸さんのワリシンも、個人に帰属する性格が強い、といえるのではないか、ということにはなったわけです。


 ――生原さんが「落ちる」というのは、織り込み済みだったのですか?


 五十嵐:そうですね。とにかく、こちらは銀行捜査で、取引の事実を把握している。銀行員の供述とワリシンの設定状況から弁明のしようがないんじゃないかと思っていた。仮に、政界再編のための資金と弁解したとしても、ワリシンのブツさえ金丸さんの個人資産を管理している場所で押さえれば問題ないと思っていました。だから、否認しても、事件としては大丈夫だろうとは思っていましたね。

 でもまあ供述してくれるに越したことはないわけで、主任検事の熊崎君には「吉田にはちゃんと、生原さんをしゃべらせろよ」と指示はしていた。吉田君はよく喋らせたと思います。生原さんは、ゼネコン献金の一部で割引金融債を買っていたことを認め、金丸さんの分と自分の分があると認めた。そして、供述通り、生原さんの親戚の家から生原さんの分の金融債を差し押さえることができた。これで、金丸さんが否認しても、事件は立つと確信しました。

 

 ■生原氏が語る、その日の取り調べ

 生原が吉田の取り調べを振り返る。

 5億円ヤミ献金事件で、僕の取調べを担当した池上政幸検事(現名古屋高検検事長)から出頭要請の電話があったのは、3月6日の数日前だった。6日の土曜はゴルフが入っているので別の日になりませんか、と言ったら、うちも(4月に)人事があるので、どうしてもその日でないとだめだ、よろしく、と。仕方がないので了解した。

 吉田検事は10分ぐらい時間つぶしの話をしてから、「生原さん、ワリシンお持ちですよね」「金丸先生の分もありますよね」と聞いてきた。

 えー、これは話が違うぞ、と思った。お昼ごろまでは「知らない」としらを切った。吉田検事は「みんな、知らない、というんですよ。早く認めれば10日で調べは終わりますよ」と動じなかった。

 容疑を認めるきっかけは、親父(金丸信)が取調べを受けるため、キャピタル東急ホテルに入った、と吉田検事に言われたからだ。うそかほんとかわからないが、吉田検事は「先生はいさぎよく認められた」と。僕自身、親父の性格を知っているから「きっと認めるだろうな」と思った。

 「生原さん、あなたの分もあるでしょう、先生、そのことを知らないよね。(あなたには、先生に)隠したという気持ちがあって認められないんでしょうが、退職金でそのぐらいあってもいいでしょ。僕らも応援してあげるよ」

 そのぐらいのことを、その時、吉田検事に言われたと記憶している。

 日本債券信用銀行のことじゃしょうがないな、と観念した。金丸事務所に献金する人が、「これは生原さんの分」として持ってきたカネで日債銀が発行するワリシンを購入した事実はある。その税務申告はしていない。それを脱税だ、と言われたら、そうかもしれない、と思った。それで認めた。

 92年10月に金丸事務所を辞めることになって、日債銀の金丸事務所担当者に「購入したワリシン28億円のうち6億円は別の扱いになっているからね」と電話していた。吉田検事はそれを指摘した。ワリシンの購入は記録が残っている。担当者もしゃべっている。そうなっては、事実関係をありのまま説明するしかない。供述調書で検察に注文をつけたのは、「金丸先生のおこぼれ」でなく、「おすそわけ」にしてくれ、というぐらいだった。

 

 ■不意をつかれた金丸氏

 一方、金丸はこの日午後0時半に、キャピタル東急ホテルに呼び出された。金丸も、特捜部の狙いをまったく予想していなかった。

 金丸の待つホテルの部屋に入る前に、特捜部副部長の熊崎勝彦は深呼吸した。

 熊崎が地検の庁舎を出る前には、まだ生原は、「割れ」て、いなかった。熊崎は、時間稼ぎで金丸と雑談を交わす。五十嵐から「生原の心証がクロになった。筋的に間違いなさそうだ」と連絡が入ったのは午後2時半すぎ。熊崎は切り込んだ。

 「先生、ままごとあそびいつまでもやっているわけにはいかない。調べはついてますよ」

 金丸の体がぐらりと揺れた。

 「先生もいままで日本を引っ張ってきた政治家でしょ、他の議員だって嘘はつきませんよ」

 「わかった、弁護士に相談させてくれ」

 ヤミ献金事件の弁護人だった安部昌博弁護士が隣室に待機していた。相談後、金丸はおおよその事実関係を認めた。五十嵐は、2人を脱税で立件できるめどが立ったとして、午後3時に検察首脳会議を開いてもらった。首脳会議は2人の逮捕を了承した。特捜部は、生原を午後5時24分、金丸を同6時3分、逮捕した。

 ――金丸さんは容疑をすんなり認めたのですか。


 五十嵐:熊崎君が、生原さんの供述状況を見て、本件に切り込む作戦でした。ところが、安部昌博弁護士がついてきて、調べに注文をつけた。熊崎君から「誰か安部先生の相手をする者をよこしてくれ」とSOSが入った。それで、別の副部長に、その旨を話し、ホテルに行くよう指示した。そのうち、生原供述が固まり、これでいける、ということで検察首脳会議を招集してもらい、金丸さん逮捕の最終承認を得ることになった。そんなことはあったが、熊崎君が金丸さんに大筋で容疑を認めさせ、夕方、検察庁に連行し、生原さんともども逮捕状を執行した。


 ――2回目の検察首脳会議も、金丸さんの連行も、誰にも気づかれなかったのですね。


 五十嵐:でもなんか、土曜日の午後なのに、記者が何人かウロチョロしていたみたいで、検事総長が、庁舎に入るのに神経使った、と言っていましたね。記者クラブの中で、事件の気配ぐらいは嗅いでいた社があったかも。

 

 一方、予算案は、午後3時32分に衆院予算委員会を通過。本会議は4時2分開始と同時に議場閉鎖となった(午後5時38分散会)。特捜部と国税当局は議場が閉鎖されればもう大丈夫だろうと、それから捜索令状を請求し、午後4時半に金丸らの関係先の捜索に着手した。

 午後8時50分、高橋武生東京地検次席検事が金丸ら2人の逮捕を発表。金丸らの摘発は大きく報道され、前年「強い者に弱い」と国民の批判を浴びた検察は一気に威信を回復することになった。

 ■綱渡りの割引金融債の押収

 隠れたドラマがあった。この日の捜索で五十嵐が最も緊張したのは、パレロワイヤル永田町1101号室の金丸事務所にあると見込んでいた金庫が消えていたことだった。特捜部は、その金庫の中に脱税の「たまり」(脱税で作った資産)となる割引金融債券が収められているとみていた。ところが、金丸の次男は2月25日、その金庫を、知人の弁護士名義で借りたパレロワイヤルの405号室に移動していたのだった。

 特捜部は、その事実を知らなかった。五十嵐は青ざめ、捜索班の検事らに「発見するまで帰ってくるな」と発破をかけた。次男が北島孝久検事の説得に応じて405号室に案内し、ようやく検察は「最大の証拠」を入手した。金融債を収めた金庫を差し押さえたのは逮捕発表の後だった。

 この時、金丸事務所から金融債を発見できず、金丸側があとで自民党に持ち込んで、将来の政治活動に備えた政治資金とでも説明していれば、脱税での立件はできなかった。

 特捜部は、金丸個人用の金庫から資料にあった20数億円分を含む30数億円分の割引金融債券を押収。生原も親戚宅に預けてあった債券を押収された。

 ――検察は、午後9時前に、金丸逮捕の「電撃会見」を行い、大騒ぎになるわけですね。しかし、その時、検察はまだ、肝心の金丸さんの割引金融債を差し押さえていなかったのですね。


 五十嵐:そうなんです。金丸さんらを逮捕したのに、容疑を裏付ける割引金融債が見つからなかったんです。あの時は焦りましたね。押収できなくて、翌日、金丸さん側がこそっと自民党の金庫に入れて、「党の資金としていざという時に備えて保管していた」とでも言われたら、政治資金の性格が強くなって、脱税と言えなくなってしまう。金丸事務所の政治資金とは別の金丸さん個人用の金庫に保管してあった、という事実が大事だったのです。そこから見つからなかったら僕らはクビだった。岡村検事総長、土肥次長検事、石川さんらの進退についても重大な影響を及ぼしたと思います。


 ――きわどかったのですね。


 五十嵐:パレロワイヤルの金丸事務所をくまなく捜索したが、金融債は見つからない。しかも、生原供述では、金融債を収めてあるはずの金庫そのものがなかった。吉田一彦検事がパレロワイヤル捜索班の班長でした。特捜資料課長のところに捜索状況を随時、入れさせていたが、なかなか金庫を発見できない。特捜資料課長のデスクまで出向いて「吉田を呼び出せ」と言ったら、彼がどこにいったのか姿が見当たらないという。電話に出ているのは誰だ、と聞いたら、かつて一緒に仕事をした特捜資料課の事務官だった。気心の知れた仲だったこともあって「お前事件つぶすつもりか!見つけてくるまで帰ってくるな、とカズヒコに言っておけ!」と怒鳴った。

 応援で特捜部に来ていたマルサの幹部がそれを聞いていて「あの温厚な五十嵐さんが声を荒げた」とビックリしていました。らちがあかないので、金丸さんの次男を本庁で調べていた北島孝久検事を現場に行かせたんです。次男は、生原さんが事務所をやめたあと、事務所の事実上の責任者でした。北島君が現場に次男を同行して説得したら、金融債の入った金庫が出てきたんです。


 ――北島検事はマンション近くの国会議事堂の回りを2周し、ずっと次男を説得し続けた。そうしたら、ちょっと目を離したすきに次男の姿が目に見えなくなり、しばらくしたら、台車に金庫を積んで現れた、という話でしたね。


 五十嵐:あれは…。公式には、そうなっているんだけど、実際は、北島君は次男とずっと一緒にいて、金庫のある部屋まで案内してもらっていた。次男との約束で、そういう報告をしたようだ。つい最近、初めて北島君から「告白」を受けました。


 ――次男は、捜索の10日ほど前に、横浜の弁護士からパレロワイヤルの別の部屋を借りて、そこに金庫を移動していました。やはり情報が漏れていたのではないですか。


 五十嵐:次男は明確には言わないが、何か嫌らしい感じがしたから、移したというんです。だから、どこかから漏れていたという可能性はあるんです。情報に対する金丸さん側の対応が甘かったということだったのかもしれません。北島君は、次男から何か聞いていると思うが、金庫を移動した理由については言わないんだよね。

 それはともかく、次男が金庫を出してきて、この中に入っている、というわけだ。ところが鍵がない。鍵があれば、そこで開けて金融債だけ押収すればいいんだが、次男を本庁で取り調べた時に任意提出させてこっち(本庁)に置いてあった。それでもう金庫ごと任意提出させ、本庁まで運ばせた。開けてみたらあった。しかも金融債の総額が見込よりも2、3億円多かった。現金はなかったですね。


 ――そのとき、金丸さんが北朝鮮からもらったのではないか、と大騒ぎになった金の延べ板も見つかったのですね。


 五十嵐:延べ板というのは金庫の中に入っていたわけではないんです。部屋の金庫の横に置いてあった。ビロードみたいな布袋に一つ一つ包んであった。調べたが、北朝鮮のものではなかったですね。

 

 生原はいう。

 押収されたのは親父の奥さんの金庫。一緒に押収された金の延べ板は奥さんのものだった。奥さんは岡三証券をひいきにし、同証券で割引金融債を大量に購入していた。その岡三の担当者が奥さんに対するサービスで無印の金の延べ板を探してきたのがあれ。親父が、北朝鮮に対する土下座外交で金日成主席からからもらったのではないか、との噂が流れたが、まったく違う。

 金庫は、もともと11階の事務所別室にあった。親父が麻雀に使っていた部屋だ。金庫は大きくて重い。押収するとき、地検や国税の係官が大勢でやっと運んだのではないか。それを、私の後、金丸事務所を取り仕切っていた親父の次男が、新たに借りた4階の別室まで1人でずずっと移していた。廊下に筋が残っていた。火事場の馬鹿力というやつだ。

 

 ■金融債購入のきっかけは1万円札の新旧切り替え

 金丸が政界の実力者になってからゼネコンなどから毎年10億円を超す献金があった、とその後、検察は判断する。

 「無記名の割引金融債を買っておくと、節税対策になる」と福島交通社長の小針暦二が金丸側にアドバイスしたのは1982、3年ごろ。それが金丸側と日債銀との割引債取引のきっかけだった。小針は日債銀と深い関係があった。

 生原がいう。

 当時のカネは古い1万円札。聖徳太子だ。新札(福沢諭吉)への切り替えが決まっていた。うちにとっては、そこがポイントだった。

 手元にあるカネを新札に換えなければいけなかった。あまり古い札を持っていると、「銀行に預けられない」いわくつきのタンス預金とみられて使えない。そのために、割引金融債を購入し、1年後に解約すると新札のカネになる。それが一番の目的だった。

 最初に日債銀でワリシンを購入するときは、小針社長にカネを預けた。社長が小針事務所の職員に日債銀の窓口に持って行かせたのだろう。日債銀側は内部の顧客管理資料で大口顧客にあだ名をつけていた。その小針事務所の職員につけたあだ名が「カマキリ紳士」だった。それが、僕ではないか、と報道され、不愉快な思いをした。

 その後、余分の現金が手元にあると割引金融債を追加購入し、乗り換え(買い替え)ていった。利息分はその都度、上乗せしたため、総額が膨らんだ。

 

 ■10億円現金化の理由

 金丸は、割引債の一部10億円分を92年6月20日、現金化。しばらく自宅で保管していたが、逮捕時は石川県の親

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村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)。

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