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深掘り

検証・医療事故

レーシック手術集団感染事件で銀座眼科医師に実刑判決

出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)

 いまからちょうど10年前の2003年12月、坂口力・厚生労働大臣が「医療事故対策緊急アピール」を出した。「医療事故の頻発は医療本来の役割に対する国民の期待や信頼を大きく傷つけるもの。最近の状況を考えると、このような状況が続けば国民の医療に対する信頼が大きく揺らぎ、取り返しのつかぬ事態に陥るのではないかと危惧する」。大学病院などで深刻な医療事故が相次ぐ中で出された異例の大臣談話は、当時の緊迫した状況をいまに伝えている。
 それから10年、医療機関における医療安全の取り組みは格段に進んだようにみえる。医療事故に関する報道もかつてに比べ極端に減っている。
 しかし、事故そのものがなくなったわけではない。過去に起きた事故の教訓が生かされず、同種の事故が時と場所を変えて起きる場合もある。医師の基本的知識の欠如を原因とする医療事故や、金儲け優先の病院経営を背景にした悪質な医療事件も発生し、医療者の教育研修のあり方や「医の倫理」が問われている。
 この連載では、過去数年間に明るみに出た重大な医療事故を中心に検証し、医療事故を減らすために何が必要かを考えてみたい。
 連載第2回の本稿では、院内感染防止を怠ったとして医師が実刑判決を受けた銀座眼科事件を取り上げる。

 実刑判決

 2011年9月28日、業務上過失傷害罪で起訴された医師に対する判決が東京地裁刑事16部で言い渡された。その医師は、視力回復のための屈折矯正手術である「レーシック手術」を東京・銀座の診療所「銀座眼科」で手がけていた溝口朝雄医師(判決当時、49歳)である。溝口医師は、手術時に必要とされる細菌感染防止のための措置を怠ったとされ、銀座眼科で手術を受けた患者約70人が細菌性角膜炎などを発症した。溝口医師は、この集団感染事故の被害者のうち7人に関して業務上過失傷害罪に問われた。

 東京地裁の近藤宏子裁判官は溝口医師に「禁錮2年」の実刑判決を言い渡した。医療事故をめぐり医師や歯科医師の刑事責任が追及されること自体それほど多くはない。たとえ起訴されても、実刑判決を受けることは極めてまれである。溝口医師が引き起こした集団感染事故がいかに特異なものであったかが、量刑からもうかがえる。

 量刑の理由について判決は次のように述べている。下線部は筆者による(以下、同じ)。

 本件過失の内容は、レーシック手術や眼の洗浄手術を行うにあたり、使用する手術器具の滅菌、手術器具で使用する取替式の刃等の手術ごとの交換、被告人自身が手術に先立ち手洗いをし、手袋を装着して手術を行うこと、点眼薬用の容器について滅菌されたものを使用することなど、患者の眼部への細菌感染を防止するための各措置を採らなかったというものであるところ、これらは、眼科医師であれば当然に行うべき最も基本的な注意義務を怠ったというものであって、過失の程度は大きい。被告人は角膜実質がデリケートな部位であって衛生管理上特に気を付けなければいけないとは知らず、少しぐらい菌が付いても大丈夫だと思っていたなどとも述べているのであって、患者の衛生管理に関する基本的な知識すら欠いていたという点においても、過失の程度は甚だしい

 本件各犯行に及んだ経緯を見ると、被告人は多額の負債を抱える中で、経済的利益を優先させ、施術数を増やしたいなどといった考えから、手術器具について、オゾン水による殺菌はしたものの、時間がかかる丁寧な洗浄や滅菌を怠るようになり、また、経費を惜しむ余り、本来使い捨て用の取替式の刃等を複数の患者に使い回すようになり、点眼薬についてもボトルで購入した点眼薬を容器に小分けして使用し、その容器を滅菌せずに使い回すなどしていたのであり、さらには、本来、手袋を装着して行うべき手術であるにもかかわらず、角膜の硬さを素手で感じ取りたいという気持ちと共に、単に面倒臭いなどといった理由から、手術に先立ち手洗いをすることすら怠り、手袋を装着せずに手術をしていたのであって、これらの経緯に酌量の余地のないことは明らかである。(略)加えて、被告人は、手術を受けた患者の中に角膜炎を発症する者が出たにもかかわらず、当初は、患者自身の術後管理が悪いものと安易に決めつけ、細菌感染防止の措置を採ることなく手術を続け、その後、ようやく被告人自身も院内感染を疑うようになったというのに、滅菌等の対策を講じようとせず、十分な根拠もないまま、生理食塩水の使い回しが原因であろうなどと考え、この点の改善をしたのみで手術を続けるなどし、結果として、約3カ月半もの期間にわたって、被害者が増え続けたのであり、被害拡大に関する被告人の責任も重い。

 (略)各被害者は、被告人の医師という肩書きを信頼し、視力が良くなることを期待して各手術を受けたにもかかわらず、その信頼は裏切られ、いずれも全治までに約1年間かそれ以上の期間を要する細菌性角膜炎の傷害を負い、それぞれに耐え難い激痛に苦しめられ、長期間にわたる困難な治療を余儀なくされ、失明してしまうかもしれないといった恐怖等にもさいなまれ、被害者の中には、仕事を辞めざるを得なくなった者や、あるいは、大学院の卒業が遅れ、予定していた就職先も変更せざるを得なくなった者があり、そのほかの者も、それまでの日常生活が続けられなくなるなど、各被害者は、人生設計を狂わされ、あるいは、生活を一変させられたのである。さらに、全員が不正乱視、角膜混濁の後遺症を負っており、今なお、生活上、仕事上、深刻な影響を受けているのであって、その結果は重大である。

 各被害者が、被害者参加人として、当公判廷において、被告人に対し、厳しい処罰感情を表明しているのも、当然のことである。

 以上を総合すると、本件各犯行は、医学的な知識も不十分で、手を洗うことすら面倒臭いなどという被告人が、経済的利益を優先させ、手術の際に細菌感染防止の措置を採るという医師として最も基本的な注意義務に違反して衛生管理の杜撰な手術を長期間にわたって繰り返す中で引き起こしたものであり、各被害者に生じた結果の重大性に照らしても、その刑事責任は誠に重い。

 (略)将来、各被害者に対し、一定の範囲で損害賠償がなされる見込みがあること、被告人が自ら過失を認め、反省の弁を述べていること、被告人がこれまでに一定の社会的制裁を受けていること(略)など、被告人にとって有利に斟酌すべき事情も認められるが、これらの諸事情を十分に考慮しても、なお、被告人に対しては実刑をもって臨むべきであり、主文のとおり、禁錮2年の刑に処するのが相当である。

 激痛と失明の恐怖

 溝口医師は禁錮2年という刑が重すぎるとして控訴することになるが、そのことは後述するとして、東京地裁の判決にある「耐え難い激痛に苦しめられ、長期間にわたる困難な治療を余儀なくされ、失明してしまうかもしれないといった恐怖等にもさいなまれ」た感染被害者の体験を紹介しようと思う。

 一人目は、溝口医師が刑事責任を追及された7件の感染被害の当事者の一人で、被害者として溝口医師の刑事裁判に参加し、溝口医師に尋問もした東京都世田谷区の漫画家堀道広さん(38)である。

 1975年に富山県で生まれた堀さんは地元の短期大学で工芸を学んだ後、24歳まで石川県輪島市で輪島塗の修行をした。その後上京し、10年間ほど漆器製作の職人として働いたが、趣味が高じて漫画家となった。

 視力は子供のころから低く、中学2年生の時からめがねを使用するようになった。視力はずっと下がり続け、両眼とも0.04になった。20歳ころからコンタクトレンズを使うようになった。

 レーシック手術の存在は、プロゴルファーのタイガー・ウッズ選手が受けたことをニュースで聞いて知っていた。しかし、コンタクトレンズの生活に特に不自由はなく、どうしても受けたいとは思わなかった。「有名プロスポーツ選手が受けるような高額な治療」と考えていた。

 その堀さんがなぜ手術を受けようと思ったのか。

 それは2008年10月に結婚した妻の同級生の女性が銀座眼科でレーシック手術を受け、視力が回復した、と聞いたことがきっかけだった。約半年前に手術を受けたというその女性は堀さんに「安いし、何ともなかった。視力は両方とも1.5になった」と話した。両眼の治療費が10万円と聞き、「手頃な値段で受けられるようになったんだな」と思った。女性から聞いた銀座眼科のホームページを自分でも見て、料金などを確認した。しかし、再手術が必要になったりめがねやコンタクトレンズが必要になったりするなど、手術にはリスクが伴うこともわかった。正直「怖い」と思った。積極的に受けたいとまでは思わなかった。最終的に背中を押したのは、銀座眼科が患者獲得のために行っていた「キャッシュバック」のシステムだった。

 妻とその同級生の郷里は鹿児島だったが、妻の同級生の女性は当時、病気の父親を見舞うために時々帰郷していた。女性が堀さんを銀座眼科に紹介すれば、3万円が女性に戻ってくると堀さんは女性から聞いた。「帰郷のための交通費の足しになれば」と、堀さんは手術を受ける決断をした。結婚式を約1ヵ月後に控えた2008年9月中旬、堀さんは銀座眼科に予約の電話を入れた。

 堀さんの記憶によれば、電話に出たのは溝口医師本人だった。「手術ができる状態であれば、受診した日に手術します。これから1週間はコンタクトレンズをしないで」と言われた。受診日は9月28日の土曜日と決まった。

 当日、午前中に一人で銀座6丁目のビルの6階にあった銀座眼科を訪ねた。待合室では付き添いの人も含め数人がソファに座っていた。床にはじゅうたんが敷かれていた。堀さんには、医療施設という雰囲気は感じられなかった。

 受付の後、治療の手順に関する簡単な説明を受けたと堀さんは記憶している。溝口医師の第一印象を堀さんは「怖い」と感じた。受け答えが機械的で無愛想だった。いくつか質問をしたが、「それは、いろいろな方がいますから」としか答えてくれなかった。医師の第一印象が良くなかったので不安を覚えたが、身近な人が実際に手術を受け、視力が回復していることを聞いていたから、「どんなに運が悪くても失明することはないだろう」と自分に言い聞かせた。

 堀さんが署名をした「エキシマレーザーによる屈折矯正手術(LASIK)に関する承諾書」には「エキシマレーザーを用いた屈折矯正手術は、既に150万眼を超える症例が行われ、現在、屈折矯正方法としての効果が高く評価されております」とあり、その下に、14項目の「問題点や合併症」が列記されていた。そこには、手術後に左右の視力に差が出る場合があることや、再び近視になる可能性もあることが記載されていた。10番目に「感染等により重度の視力低下になる場合がございます。状態に応じては大学病院等紹介させていただきます。その費用は自己負担になります」とあった。

 堀さんが心配したのは、視力が回復するかどうかだけだった。手術に伴う感染のリスクはほとんど考えなかった。後に細菌性角膜炎の治療を大学病院で受けることになるとは想像すらしなかった。

 説明の後、視力検査などいくつかの検査を受け、その日のうちに手術を受けることになった。帽子のようなものを被せられ、手術室へ誘導された。

 ここで、日本眼科学会のホームページに掲載されている「屈折矯正手術」に関する説明文などに基づき、レーシック手術について簡単に触れておこう。

 近視、遠視、乱視は、目の屈折が正視よりずれることで起こる。屈折矯正手術は眼鏡やコンタクトレンズを使わず、手術によって近視や乱視を矯正する治療法だ。当初はメスを使用する方法が用いられていたが、最近は特殊なレーザー(エキシマレーザー)を使って角膜の屈折力を調整して視力を回復するレーザー屈折矯正手術が開発された。

 エキシマレーザーとは、フッ素・アルゴン・クリプトンといった混合ガスを用いて、目に見えない非常に波長の短い紫外線のレーザー光を出力するもので、半導体製造など精巧な加工が必要な分野でも用いられている。屈折矯正手術では、角膜にレーザー光を照射し、角膜の組織を削り取って人為的に角膜の屈折力を変える。エキシマレーザーを用いた屈折矯正手術には複数の方法があり、レーシック手術はその一つである。

 レーシック手術では、まず、目薬で麻酔をかけた後、マイクロケラトームという電動カンナのような器具を用いて角膜表面近くを薄く切って蓋状の「フラップ」を作る。フラップは完全に角膜から剝がさず、一部を蝶番のようにして残しておく。次に、フラップを開けて、角膜の中にある「実質」と呼ばれる部分にレーザーを照射し、照射後はフラップを元の位置に戻す。戻されたフラップは角膜の持つ陰圧のために吸いつくようにくっつく。角膜の傷はフラップを作る時のみなので、手術時とその後の痛みが少ない。現在、屈折矯正手術の9割以上がレーシックによって行われている。

 堀さんはこのレーシック手術を両方の目に受けた。手術は初診日の午前中で終わった。

 手術直後の痛みは思った以上に強烈だった。

 銀座から地下鉄に乗って帰宅したが、目はほとんど開けられない状態だった。あまりに激しい痛みに、途中で電車を降り、銀座眼科で渡された痛み止めの点眼薬をつけた。自宅近くの京王線の駅で電車を降りた後は、電柱につかまりながら、ようやく家にたどり着いた。

 手術の翌日、銀座眼科で検査を受けると、左が2.0、右が1.0だった。溝口医師は「視力は変わりますから」と言って、痛み止めの点眼薬を処方し、15分おきに使うよう指示した。

 痛みは数日で引いていった。コンタクトレンズをしなくても見えるようになり、堀さんは「すごいな。左右の視力が違うが、よかったな」と喜んだ。一週間後の検査で、低いほうの右の視力も1.2になっていた。溝口医師から「だいぶいいから、もう来なくていい」と言われた。

 ところが、しばらくして左目の痛みを感じるようになった。最初は「ごみが入ったのかな」と思っていたが、だんだん激しさを増していき、やがて我慢できないほどの痛みとなった。左目から見るものはすりガラスを通しているように映った。「白く濁って、霧の中にいるような見え方だった」と堀さんは振り返る。痛みでほとんど目は開けられず、立っていられないほどだった。

 堀さんの記憶によれば、手術から約2週間経過した10月13日の朝9時すぎに銀座眼科に電話した。溝口医師本人が出て、「すぐ来て」と言われた。溝口医師はレーシック手術でつくられたフラップをはがして洗浄した。それが終わると、溝口医師は「感染症の疑いがあります。原因はわかりません」と言った。びっくりした堀さんが「そういう人は他にもいるんですか?」と尋ねると、溝口医師は「ほとんどいません」と答えた。その後、点滴注射を受けたが、それが何を目的にしたものか説明はなかったという。

 その後数日間、毎日銀座眼科に通院した。堀さんは10月20日に妻の実家のある鹿児島で行われる結婚式に出席することになっていた。鹿児島に何日か滞在する予定だったので、堀さんは、鹿児島滞在中に現地の病院を受診できるよう紹介状を書いてほしいと思った。ところが、その希望を伝えると、溝口医師は表情も変えずに、「結婚式に出るのはあきらめてください。キャンセルしてくだい」と言った。あんまりあっさり言われたので、堀さんは「人間味がない。なんてことを言うのか」と内心思った。

 そんなやり取りの翌日か翌々日だった。溝口医師は「だいぶよくなっているから、行っても大丈夫」と、結婚式への出席を了解した。鹿児島に発つ直前に受診した時は「お幸せに」と言われた。それまで、「結婚式をキャンセルして」と言われたり、スタッフを叱る言葉を聞いたりしていたので、堀さんは「初めて人間らしい言葉を聞いた」と思った。

 鹿児島には3日間滞在した。しかし、結婚式の最中も痛みは続き、涙が止まらなかった。周囲には「感動して泣いている」と誤解されたかもしれなかったが、心配をかけたくなかったのと、自分でも快復に向かっていると思いたくて、目が痛いことは話さなかった。

 鹿児島から戻ってからも3日に1回くらいのペースで銀座眼科に通ったが、いっこうに快復しない。それどころか、再び痛みが増してきた。溝口医師は痛みが出た直後と同じように、再びフラップをはがして洗浄した。堀さんは言いようのない不安を感じて、「他にこういう人はいるんですか?」と尋ねた。溝口医師は「こういう方は初めてです」と答えた。そして、「感染性角膜炎の疑いがあります。うちでは面倒見きれないので、他の医師を紹介します。たぶん入院することになると思う」と言って、慶応義塾大学病院への紹介状を書いて堀さんに渡した。

 堀さんは翌朝、新宿区信濃町の慶応義塾大学病院の眼科外来を受診した。3、4人の医師が堀さんの目を見て、「これはひどい」と声を上げた。医師の説明によれば、細菌が角膜を溶かして、もう少しで失明する状態、とのことだった。ベッドが空いていなかったため、薬をもらい、通院で治療を受けることになった。最初は毎日、その後、3日に1回というように、徐々に通院の間隔があいていったが、最終的に治療が終了するまでほぼ1年かかった。幸い、治療が奏功し、堀さんは後遺障害がほとんど残らず、快復することができた。現在の視力は右が1.5、左が0.7だ。

 しかし、その間の治療はとても辛いものだった。病院に着いてから治療を受けるまで4~5時間待ちはざらで、治療自体も痛みを伴った。予定されていた個展はキャンセルせざるを得ず、約2カ月分の仕事を断った。病院に通院する以外は部屋を真っ暗にして寝ていた。

 慶応病院に通うようになってから4カ月近く経った2009年2月の中旬、突然、銀座眼科から手紙が届いた。「平成21年2月13日」という日付が入った手紙には次のように書かれていた。

 当院で手術された方で角膜感染症になられた患者様が出ています。
 現時点で手術器具の滅菌消毒の不具合ではないかと当院では考えています。
 角膜感染症になられたら、初期には眼痛、ぼやけがでます。
 後で 角膜混濁 視力低下が起こります。
 上記でご心配、お困りの方 善処いたしますのでご連絡お待ちしております。
 患者様に大変ご心配をおかけすることをお詫び申し上げます。

 堀さんはこの手紙を読んでびっくりした。それまで感染症になった原因が手術であるとは思いもしなかったからだ。堀さんは漫画家のほかに、焼き鳥を串に刺すアルバイトをしていた。その仕事でごくたまに雑排水を濾過する水槽の清掃を行うことがあった。堀さんは清掃の時に蒸気などで目に雑菌でも入ったのが原因ではないかと考えていた。

 すぐに銀座眼科に電話した。説明を求めたが、溝口医師は「申し訳ありませんでした」「善処します」と繰り返すだけだった。

 堀さんが溝口医師とそんなやり取りをしていた頃、銀座眼科を所管する中央区保健所が調査に乗り出していた。銀座眼科でレーシック手術を受けて角膜炎を発症した患者の治療に当たっていた医療機関から情報が入っていたからである。中央区の調査については後述することにして、もう一人の被害者の証言を聞いてみよう。

 匿名を条件に取材に応じてくれたのは東京都内在住の40歳代の男性である。以下、この男性をAさんと呼ぶことにする。

 Aさんも子供のときから近視で、中学2年生からめがね、高校1年生の時からコンタクトレンズを使用してきた。レーシック手術のことは聞いてはいたが、自分から積極的に受けようと考えたことはなかった。たまたま職場の同僚が銀座眼科で手術を受け、視力を回復したと聞いた。インターネットで調べると料金も割安とわかった。料金の安さにも惹かれたが、何より自分の身近な人が実際に治療を受けて近視が治ったという事実が大きかった。「『こんなによくなった』と聞かされ、自分もやってみようと、いま思えば軽い気持ちで手術を受けることにした」とAさんは振り返る。

 Aさんが銀座眼科で手術を受けたのは2009年1月16、17日の両日。右目、左目の順番だった。左目の手術を翌日に回す理由について、溝口医師から「角膜の表面にしわができていて切ることができない」と言われた。

 手術から約2週間後、Aさんは右目にゴロゴロとした違和感を覚え、銀座眼科を受診した。その時、溝口医師から「点眼のみでよい」と言われ、目薬を1種類処方された。

 その翌日の1月31日、Aさんは右目に経験したことのない激痛を感じた。あまりの痛さに起き上がることもできなかった。やがて、右目が曇った窓ガラスのようにぼやけ始めた。Aさんはすぐに銀座眼科に電話したが、「折り返し連絡する」と言われたきり、何の連絡もなかったので、とりあえず近所の眼科を受診した。そこで、「大至急、銀座眼科を受診するよう」言われたので、再び銀座眼科に電話して症状を話し、受診したいと伝えたが、スタッフから「翌日に」と言われた。溝口医師が電話に出ることはなかった。

 その夜、横になっているAさんの枕元に中学2年生の次女が来た。Aさんは次女の手を握った。「もう両目で子供たちを見ることができないかもしれない」。そう思うと、涙があふれて止まらなくなった。

 翌日、Aさんは銀座眼科を受診したが、溝口医師は点眼薬による治療をするだけだった。Aさんは銀座眼科への通院と並行して近所の眼科にも行った。そして銀座眼科で受けている治療について説明し、医師に相談すると、その医師は溝口医師に渡すようにと言って、手紙を書いてくれた。右目に激痛を感じてから1週間後の2月6日、銀座眼科を受診し、近所の医師が書いてくれた手紙を渡した。Aさんは手紙の内容を知らないが、手紙を読んだ溝口医師の態度が急に変わったことを記憶している。それまでの1週間、Aさんがどんなに苦痛を訴えても点眼治療だけだったが、溝口医師は突然、「フラップを開けて、目を洗浄します」と言い出した。

 さらにフラップを開けての洗浄治療を数回受けた後のことだった。Aさんは溝口医師から1枚の紙を渡された。そこには、銀座眼科で角膜感染症の患者が出ていること、手術器具の滅菌消毒の不具合が原因と考えられること、などが書かれていた。

 レーシック手術を受けた後、Aさんは手で目を触ったりしないよう細心の注意を払っていたから、手術が原因の感染症と言われて、「やっぱり」と思った。数回の治療を経て、最初のような激痛は収まってきたが、これ以上溝口医師の下で治療を受けることに不安を感じた。Aさんは溝口医師に「紹介状を書いてほしい」と求め、中央区内の別の病院に通院することにした。

 それから約2カ月間、Aさんはほぼ毎日その病院に通った。その病院で受けた治療は、目の白い部分に直接注射を刺すというものだった。薬が注入される時、激痛が走った。非常な痛みを伴う治療と失明の恐怖に苛まれたAさんの右目の曇りがとれたのは、ゴールデンウイークになったころだった。

 Aさんは病院の医師の配慮で朝早い時間帯に治療を受けることができた。午前8時ころ病院に行くと、眼科の外来で下を向いて苦しそうにしている患者がたいてい数人はいた。声をかけると、銀座眼科でレーシック手術を受けた人たちだった。

 「自分と同じ苦痛を味わった人たちと語り合ったり、慰め合ったりすることがなかったら、苦痛と恐怖で気持ちが折れてしまったと思う。自分の目はなかなかよくならなかったが、そのうち同じ通院仲間の中で快復する人が出てきたので、希望を持てるようになりました」とAさんは振り返る。

 通院期間中は勤務先の上司の配慮で午前中は休み、午後から出勤した。例年、1月から4月にかけては商談のため毎週のように全国に出張していたが、この年は一度も出張に行くことができなかった。

 レーシック手術を受けた直後、左右の目とも視力は1.0となったが、いまは両目とも0.6まで落ちた。角膜炎になった右目は、時々鈍い痛みを感じ、曇りガラスが入ったようになることもある。パソコンに長く向かっていると、右目が重くなるように感じる。

 Aさんは、「最悪の場合、将来的に失明することもありえると覚悟している」と言う。

 集団感染の発覚

 次に、筆者の情報公開請求に対して中央区が開示した文書などに基づき、中央区による実態把握の経緯を振り返ってみよう。

 溝口医師が、数寄屋橋交差点に近い銀座6丁目にある11階建てのビルの6階に眼科診療所を開設する届けを中央区に提出したのは、集団感染事故を起こす2年前の2006年8月1日。以前も別の眼科診療所があった場所であり、溝口医師は前の経営者から「居抜き」で購入した。

 開設届けを受けて中央区が行った調査の復命書に添付されている「診療所チェックリスト」によれば、「設備構造」のうち手術室に関する「採光・換気・清潔保持」「不浸透性の材質、適当な暖房・照明」「清潔な手洗い設備」はいずれも「適」に丸がついている。

 中央区保健所に「一報」が入ったのは、2009年2月5日午後3時ころ。千葉県内の病院の眼科医師からの電話だった。

 「中央区内の診療所でレーシック手術を受けた患者4名が感染性角膜炎を発症し、当院に通院している。また、他院にも通院している患者がいる」

 同保健所は事実確認の方法や立ち入り検査の方法、検査の手法などについて東京都に助言を求めながら検討したうえで、2月12日に銀座眼科に連絡をとった。すると、溝口医師は感染者を多数出したことを認めたうえで、「すでに施設の改善は済み、以後新たな発生はない」と答えた。

 2月18日午後3時、中央区内にある病院の職員が保健所を訪れた。中央区から開示された文書によれば、その病院の職員は「銀座眼科でレーシック手術を受けた患者が眼に感染性の炎症を起こし、治療を受けている。2月17日に11人(内1人は入院)、2月18日に5人の患者が紹介状をもって治療を受けに来た。同様の患者がこれだけ同時期に大量に出るのはおかしいので、保健所に報告することにした」とある。開示文書に病院名はないが、この病院は聖路加国際病院だった。

 聖路加国際病院から報告があった2月18日の午後4時半、中央区保健所は健康推進課長ら4人の職員による銀座眼科への立ち入り調査を実施する。開示された「調査復命書」によると、溝口医師は以下のような説明をした。

 2008年9月23日に初めて角膜感染症になった患者が出た。初めのうちは自分のところが原因であるという認識はなかったが、11月ころからたくさんの患者さんが出るようになり認識し始めた。2008年9月23日から2009年1月17日までの間に約500件のレーシック手術を行っていて、そのうち65人が感染し、そのほとんどが手術後1~2週間後に発症している。感染者が多くなってきてからは、他の病院への紹介状を書いた。紹介先の病院で検査をした患者さんから非定型抗酸菌が検出されたとの報告を病院からの手紙で受けた。新たに発生した患者さんには非定型抗酸菌に対応する点眼薬を処方している。最後に感染した患者の手術日は2009年1月17日であり、この日以降に手術した患者さんで感染が確認されていない。

 溝口医師は感染者が多数出てからどのような対策をとったかについても保健所に説明しているが、銀座眼科の感染予防対策の内容については、後に刑事裁判で詳細が明らかにされているので、後述することにする。

 保健所による聞き取り調査に対して溝口医師は、手術をする時に手袋の着用をしないこともあった、と説明した。

 中央区保健所は2日後の2月20日にも正午から立ち入り調査を行った。開示文書によれば、この時は院内感染対策チェックリストを用いながら調査を行っている。

 その時に用いられたと思われるチェックリストによれば、「手洗い」に関するチェック項目のうち、「同一患者に次の処置を行う前や他の患者の処置に移る前に、必ず手洗いをしているか」という項目には「×」がつけられている。その備考欄には「最初だけは手を洗う。その後は手袋交換のみ」「奥の洗面所で洗い、ぬれたままスタッフにOpe室のドアを開けてもらい、Ope室中の滅菌タオルで拭いて手袋をする」と記載されている。「奥の洗面所」と書かれた箇所から引かれた矢印(→)の先には「そうじのぞうきんを洗うところと同じ」との記載がある。

 院内感染防止のためには、血液、体液、分泌物、排泄物などで汚染された器材類を洗う時など、血液などが飛散する可能性がある場合には、マスクやフェイスシールド、ガウンなどの「バリア」を適切に使用することが必要とされる。開示された文書によれば、銀座眼科は、「使用したバリアは、他の患者や環境を汚染しないように使用後直ちに処理しているか」「飛沫感染が想定される場合は、処置する者の粘膜等を保護する目的でフェイスシールドなどを使用しているか」「ガウンを着用して処置をした後、同室の非感染者の処置をするときは、ガウンの着脱又は交換をしているか」「ガウンは、適切な時期に交換されているか」「患者の血液・体液で汚染されたガウンは、直ちに交換又は廃棄しているか」などのチェックポイントで「×」がつけられた。

 このほかにも、クリニック内の清掃や、清潔区域とそれ以外の区域の区分け、感染性廃棄物処理に関する院内規定、手洗い設備、感染制御体制など多くの項目で不備が指摘された。感染症対策マニュアルの作成、スタッフへの周知、見直しなどに関してはすべての項目に「×」がつけられた。

 2月20日午後9時半、溝口医師が中央区保健所を訪れた。開示された文書によれば、「患者が増えてきた時、どのような対応をしたのか?」との質問に対し、「原因を考えて対策をとり、大丈夫だと自己判断し手術を続行した結果、感染者がさらに発生してしまった」と説明している。

 2月25日、中央区保健所は銀座眼科における集団感染の発生を公表する。

 当日の報道発表資料には「医療行為における衛生管理の不徹底が原因と疑われる感染性角膜炎等の集団発生がありました。(略)施設の全面的な使用の制限をするとともに、健康被害の状況の確認と原因究明を行っています」とある。この資料によれば、公表時点において、銀座眼科でレーシック手術を受けた患者639人のうち67人が感染被害を受けたことが確認された。中央区保健所が溝口医師にレーシック手術の休止を指導し、それ以外の診療についても当分の間休止するよう指導したことも記載されていた。

 中央区は銀座眼科でレーシック手術を受けた患者を対象とした相談窓口を設けた。

 中央区保健所は3月9日、医療法第25条に基づく立ち入り検査を実施した。この検査は、医療機関の人員配置や構造設備などを定めた医療法に適合しているか否か、適正な管理が行われているかどうかなどを点検するためのものだ。中央区保健所はこの立ち入り検査の結果を、3月13日付の文書で銀座眼科の溝口医師に伝えた。筆者に開示された文書によると、中央区保健所は「医療の安全確保のための体制確保」や「院内感染対策のための体制確保」など9項目について計18の指導を行った。指導内容の一部を以下に列挙してみよう。

  •  医療に係る安全管理のための指針を整備すること。
  •  医療に係る安全管理のための職員研修を実施すること。
  •  院内感染対策のための指針を策定すること。
  •  従事者に対し院内感染対策のための研修を実施すること。

 厚生労働省は2007年4月施行の改正医療法で、あらゆる医療機関に対し、医療安全管理や院内感染対策、医薬品・医療機器の安全管理に関する指針の策定や、職員研修などを義務づけた。中央区保健所の改善指導内容を見ると、銀座眼科には医療安全のための法改正の趣旨がほとんど伝わっていなかったことがわかる。

 中央区保健所は4月10日、被害者が計75人に増えたことなど、それまでの調査で判明した事実を公表した。

 開示された発表資料によれば、レーシック手術に際しての不適切な衛生管理として次の点を指摘した。

 1、 清潔区域と不潔区域のゾーニングが徹底されていない。

  • 患者に使用した器具等と清潔な器具等を区分せず置いていた。
  • 手術器具の洗浄・消毒・滅菌を、専用の場所で実施していない。
  • 手術前の医師の手洗い場から手術室までに待合室を通らなければならない。

 2、手術器具の洗浄・消毒・滅菌を、手術の合間に医師一人で行っている。

 3、 点眼等の消毒薬の希釈が不適切である。

 4、 院内感染対策マニュアル等が未整備である。

 提訴と刑事告訴

 中央区がレーシック手術による集団感染を公表してから5ヵ月後の2009年7月30日、患者50人(18歳~58歳の男女)が溝口医師と同医師が医師賠償責任保険契約を結んだ損害保険会社を相手取り、約1億3000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。患者のうち12人は同日、溝口医師を傷害容疑で警視庁築地署に告訴した。

 民事訴訟に関しては後に2010年2月26日に5人の患者が第2次訴訟を起こした。被害を受けた原告の症状がほぼ固定し、後遺症が残った人について民事賠償の基準に従って損害額を評価し、請求を拡張する手続きをとった結果、請求額は約4億3000万円になった。

 刑事告訴に関しては2009年12月に業務上過失傷害容疑に変更する。「傷害」であれば、「わざと」もしくは「故意」に他人を傷つけることを意味するが、「過失傷害」では「うっかり」他人を傷つけたということになる。告訴容疑の変更は、警察に確実に立件してもらうためであった。

 告訴から約1年4ヵ月後の2010年12月7日、警視庁は溝口医師を業務上過失傷害容疑で逮捕した。東京地検はこの年の12月27日、同医師を業務上過失傷害罪で東京地裁に起訴した。

 初公判は2011年2月25日に開かれた。

 検察側は冒頭陳述で、溝口医師が2006年8月に銀座眼科を開業してから集団感染を起こすまでの経緯を詳細に明らかにした。

 それによると、溝口医師は開業するまでレーシック手術の経験がなかったことから、銀座眼科と同じ場所で眼科診療所を営んでいた前の経営者の医師から約2ヵ月間にわたってレーシック手術の技法や使用する医療機器・器具の洗浄方法などについて指導を受けた。溝口医師が指導を受けた医療器具の洗浄、滅菌方法は次の通りであった。

  1.  マイクロケラトーム(角膜表面近くを薄く切って蓋状の「フラップ」を作る際に使う電動カンナのような器具)などの医療器具を一つ一つ分解し、ピュアウォーターに洗剤を一定量入れた容器で付着した患者の油脂を洗い落とす。
  2.  水道水の流水で一つ一つの器具をブラシですり洗いし、手術で付着した組織片や細胞を取り除く。
  3.  水道水のカルキをピュアウォーターですすぎ落とし、水気を飛ばした上、オートクレーブ(高圧蒸気滅菌器)で滅菌する。
  4.  マイクロケラトームに装着した取り替え式の刃(ブレード)については、手術ごとに交換する。

 しかし、溝口医師はこの指導内容をきちんと守っていなかった。

 冒頭陳述は、7つの時期に分けて銀座眼科での医療器具の洗浄や手術時の取り扱いの変遷を詳しく述べているので、それを以下に引用する。

 (1) 2006年8月~2008年2月ころまでの間

 従業員が手術ごとにオゾン水で洗浄消毒していた。オートクレーブで無菌状態にする滅菌は、従業員が溝口医師の指示ではなく自主的に1日1回、業務終了後に行うのみだった。溝口医師は2006年11月ころ以降、手術ごとに使い捨てにすべきブレードを経費節減のため、複数の患者の手術で使い回しするようになった。
 溝口医師は手術を行うにあたり、手袋や手術帽をほぼ装着せず、時には、素手で患者の眼球に触れるなどしていた。

 (2) 2008年2月ころから同年9月下旬ころまでの間

 上記(1)のほか、従業員が自主的に、始業前にもオートクレーブによる滅菌を行っていた。2008年7月ころから、灌流液として使っていた生理食塩水の容器を手術ごとに使い捨てにせず、手術で使い終わった後にさらにその容器に生理食塩水を継ぎ足すなどして引き続き次の患者の手術に利用していた。

 (3) 2008年9月下旬ころから同年11月上旬ころまでの間

 溝口医師は、2008年9月下旬ころ、従業員が器具の洗浄を行うのが遅いとして、従業員と口論となった。溝口医師は従業員に対し、「お前たちは洗浄しなくていい」などと述べて、自ら機器の洗浄などを行うことになった。これ以後、従業員は手術器具の洗浄などをしなくなり、溝口医師が自ら手術器具をオゾン水で洗浄消毒するようになったが、必ずしも手術ごとに器具の洗浄をせず、また洗浄した場合でもオゾン水を器具が入ったタッパーに入れ、そのタッパーを左右に揺らすのみで、十分な洗浄ではなかった。さらに、それまで従業員が自主的に行っていたオートクレーブによる滅菌については、溝口医師が「オゾン水で洗浄、殺菌していれば必要ない」と判断し、実施しなかった。
 9月下旬ころから、術後の検診などの際に、目の痛みや炎症など、角膜炎の症状を訴える患者が続出したものの、溝口医師は、患者側の事後ケアが悪かったことが原因と考え、特段対策をとることはなかった。

 (4) 2008年11月上旬ころから同月末ころまでの間

 11月上旬ころには、角膜炎の症状を訴える患者が5~10人程度になったため、溝口医師は、患者側ではなく、銀座眼科側に原因があるのではないかと考えるに至った。そこで、溝口医師は生理食塩水の容器の使い回しに原因があると考え、容器の使い回しをやめたが、それ以上の措置をとることはなく、手術を続けた。

 (5) 2008年11月末ころから同年12月下旬ころまでの間

 生理食塩水の容器の使い回しをやめた後も手術を行った患者が角膜炎の症状を訴えたため、溝口医師は11月末ころになって角膜炎発症の原因が手術器具にあるのではないかと考えるに至った。そこで、溝口医師はブレード以外の手術器具をオートクレーブで滅菌することにした。しかし、マイクロケラトームに付ける取り替え式の刃であるブレードについては、プラスチック部分があることから、オートクレーブによる高温高圧の滅菌には耐えられないと考え、滅菌の対象から外し、オゾン水で洗浄するにとどまった。ブレードは、本来、手術ごとに使い捨てすべき器具であるが、コストがかかることから、溝口医師は手術ごとに使い捨てにすることはせず、複数の患者に使い回しをし、手術を継続していた。

 (6) 2008年12月下旬ころから2009年1月中旬ころまでの間

 オートクレーブによる滅菌を行うようになった後も角膜炎の症状を訴える患者が出てきたため、溝口医師は12月下旬ころ、原因がブレードにあるのではないかと考えるに至った。そこで、溝口医師は超音波洗浄機を購入し、イソジン、ヒビテンなどの消毒液を使用して超音波洗浄機でブレードの洗浄を行ったうえ、ブレードをガス滅菌器で滅菌するようにした。溝口医師はブレード以外の手術器具についてはオートクレーブによる滅菌を続けていたが、角膜炎発症の原因がブレードにあると考えていたため、ブレード以外の手術器具の滅菌についてはしばしば怠っていた。

 (7) 2009年1月18日以降

 超音波洗浄器によるブレードの洗浄などを行っても角膜炎の症状を訴える患者が出てきたため、2009年1月18日ころ、ブレードをオートクレーブによって滅菌することにした。それ以降に手術を行った患者の中から角膜炎が発症することはなかった。

 溝口医師の刑事裁判では、刑事訴訟法の改正によって2008年12月から運用が始まった「被害者参加」が実現した。この制度の導入によって、裁判への参加が認められた被害者は刑事記録(検察官が証拠請求予定の証拠)の閲覧ができるようになった。また、法廷で証人や被告人本人に直接質問をしたり、求刑に関して意見を述べたりすることもできるようになった。

 溝口医師の裁判では、起訴された事件の被害者7人全員が裁判に参加した。この中には、前述した堀道広さんも含まれていた。

 溝口医師は初公判で起訴事実を認め、「後遺症に苦しんでいる患者もいる。すみませんでした」と述べた。

〈h2〉 開業繰り返し、借金膨らむ〈/h2〉

 溝口医師はなぜこのようなずさんなやり方で手術を行っていたのか。

 その理由の詳細は、2011年9月1日に行われた第4回公判での被告人質問で溝口医師本人の口から語られることになる。まず、溝口医師の弁護人とのやり取りの一部を再現してみよう。

 弁護人: 経歴を見ると、7つの病院を開業し、閉院しているということの記載がありますけれども、そのために借金が増えたということですか?

 溝口: はい、それがあります。

 弁護人: 閉院した理由は?

 溝口: 経営不振と名義のドクターが辞めてしまったっていうこと、大きく分けてこの2つになります。

 弁護人: 7つの病院の開業、閉院を繰り返していることは、通常に比べて少し多いと思うんですけれども、何か特別な原因があるんですか?

 溝口: 自分としては、ちょっとお恥ずかしいんですが、飽きっぽい性格がありまして、そういうことです。

 弁護人: 本件の銀座眼科は居抜きで購入したということですね。

 溝口: はい

 弁護人: 幾らで?

 溝口: 眼科本体のほうは5000万円、あと保証金が2000万円で、合わせて7000万円、銀行の借り入れをいたしました。

 弁護人: 銀座眼科を運営していた時は月々どれくらいの債務を払っていましたか?

 溝口: 債務は、それもはっきりした数字は出せませんが、500万円ぐらい払っていました。それで、例えば宣伝費とか、その他の経費も含めて500万円程度だと思います。

 弁護人: 銀座眼科の資金繰りというのはいかがでしたか?

 溝口: お恥ずかしながら、なかなか経営のほうがうまくいきませんで、自転車操業のような形だと思います。また、その時に千葉の成東で眼科を開業しましたので、それも経営が悪くなる要因の一つだったと思います。

 弁護人: 銀座眼科を始めた動機は?

 溝口: レーシックをしてみたかったからです。

 弁護人: 銀座眼科で得た収入を個人的な趣味等で費やしたということはありますか?

 溝口: いや、趣味は特にありませんので、特に仕事が趣味のような、休みもとらないこともありましたので、個人的にお金を使ったっていうことはありません。

 弁護人はこの後、起訴状に書かれた過失内容が事実か否か、集団感染の原因をどう考えるかなどを尋ねた。溝口医師は過失を認めたうえで、従業員が行っていた手術器具の洗浄を自分がやるようになった理由について、「患者さんが増えてきて、洗浄に時間がかかる、と従業員と口げんかをした。その時から一人でやるようになった」と説明した。反省すべき点としては、「だらだらと原因が分からないままレーシック手術を続けていたことが最大なる僕の間違いで、すぐに手術を中止するべきでした」と話した。

 溝口医師は次に検察官から質問を受けた。レーシック手術を手がけた動機、感染防止を怠った理由などを中心に、その一部を以下に再現する。

 検察官: レーシック手術がはやってきたということで、もうかるんじゃないかという ことはありましたか?

 溝口: ありました。

 検察官: レーシック手術の以前に行っていた手術においては手袋や帽子の着用はしていたのですか?

 溝口: はい。

 検察官: そうすると、今回のレーシック手術の以降やらなくなってしまったということになるんでしょうか?

 溝口: はい。

 検察官: それはなぜなんですか?

 溝口: ずさんな性格ということです。

 検察官: それは簡単に言うと、だんだん面倒臭くなってしまったというようなところがあるんですか?

 溝口: 否定できません。

 検察官: あなたは当然医学部を出ているわけですよね。

 溝口: はい。

 検察官: そういった大学の授業、あるいはその後の何らかの研修でもいいんですけれども、衛生管理について何か学ぶことというのは、機会としてはないんですか?

 溝口: 衛生管理を学ぶ機会はありますが、まず学生のうちは全体を理解していませんし、教科書等を使った総論の授業はありますが、なかなか各論的なもの、または実習みたいな、そういう滅菌の方法のことは医者になってからみんな先輩から習うもので、医学部の時にはそういうものは習っていません。

 検察官: 皮膚と違って、例えば角膜実質ならふだん外気に触れないというのはやはり非常にデリケートなので、衛生管理は特に気をつけなければいけないということではないんでしょうか?

 溝口: 角膜実質は免疫学的に弱いところで、菌がいったんそこに付くと、なかなか治りにくい場所があるということを知ったのは、実はこの事故が起きてからです。

 検察官: あなたは眼科医として十分長くやっていたわけですよね。

 溝口: はい。

 検察官: その間、角膜をめくった後、実質が出た時に、そこにちょっとぐらい菌が付いても大丈夫だと思っていたということですか?

 溝口: 僕は思ってました。

 検察官: あなたとしては、医療器具をオゾン水で洗浄すれば足りると思っていたようなんだけれども、その理由は何なんですか?

 溝口: 思い込みです。

〈h2〉「悪魔の心が芽生えた」〈/h2〉

 被害者として刑事裁判に参加した堀さんたちもずさんな手術を続行した動機などについて溝口医師に質した。堀さんは初期の感染者だった。もし堀さんが症状を訴えた時点で原因を調べ、すみやかに対策をとっていれば大量感染は防ぐことができた。

 堀: 私が感染した時に、あなたが原因を究明せず、その後に多くの方が感染してしまった。私たちの悔しい気持ち、わかりますか?

 溝口: ……わかると言ったら、噓になります。

 堀: あなたは私たち患者に対して、手洗いせず、帽子、マスク、手術着をつけないでレーシック手術をしたり、素手で眼球を触ったと調書にありますが、間違いありませんか?

 溝口 間違いありません。

 堀: 何でそのようなことをしたんですか。自分の手とか髪は手袋や帽子と同じように清潔という自信があったからですか?

 溝口: いいえ、不潔だと思っております。

 堀: いま、レーシック手術をするうえで一番重要なことは何だと思いますか?

 溝口: 滅菌に心がけて、事故を起こさないということだと思います。

 堀: あなたは手術器具の滅菌もしない医者のレーシック手術を受けたいですか?

 溝口: すいません。受けたくないです。

 堀: 先ほどの検察官の質問に対して「レーシックはもうかると思った」と答えましたよね。

 溝口: はい。

 堀: あなたは人の目を良くすることよりも、もうけることだけを考えてレーシック手術を始めたんではないですか?

 溝口: いや、患者さんの目を良くすることを考えて手術を始めましたが、途中でうまくすればもうかるなっていう気持ちも芽生えてきました。残念ながらですが。

 堀: 本当に人の目を良くするという気はなかったっていうことですか?

 溝口: いや、基本は患者さんの目を良くすることのためにレーシックをやっていましたし、患者さんが喜んだ顔を見るとうれしかったです。

 堀: そういう気持ちがあったのに、なぜ、たくさんの人の目が悪くなった結果になったと思いますか?

 溝口: ……。

 堀: 答えられないんですか? もう1回。

 溝口: 患者さんを治したい気持ちは十分ありました。また、悪魔の心も自分の中に芽生えてきました。途中から。

 堀: 悪魔のような心というのはどういう意味ですか?

 溝口: 手袋もつけないで、素手で滅菌もせず手術する悪い医者の心です。

 堀: 現在、どういう気持ちですか?

 溝口: 視力を奪ってしまって、誠に申し訳ないと思っております。

 堀: 今はそう思っているかもしれないですけど、当時は患者に対して恫喝的というか、威圧的というか、患者本位でないような独善的な印象があるんですけど、そういう態度が今の結果につながったとは考えられないですか?

 溝口: 考えられます。

 堀さん以外の被害者の質問と、それに対する溝口医師の答えも一部紹介してみよう。この被害者を仮にBさんと呼ぶことにする。

 Bさんは銀座眼科で診察を待っている時に溝口医師が従業員を怒鳴っている声を聞いたことがあった。被告人質問で「治療をまかせている医者の怒鳴り声が患者をどれだけ不安にするか、考えたことはありますか?」と溝口医師に問いかけた。溝口医師は「ありません」と答えた。それを聞いたBさんが、「痛みや視界の混濁で大きな不満を抱えている患者を前にして、そういう対応をしたというのは、患者のことをよく理解していなかったということではないですか?」と尋ねた。溝口医師は「恥ずかしながら、そう思います」と述べた。

 Bさんは、レーシック手術を受けた患者から角膜炎を発症する人が続出した後も十分な感染対策をとろうとしなかったことについて溝口医師を追及した。

 B: 原因の究明や具体的にどういったところが問題であるかを自分では調べずに患者のせいだと思い込んでいたと、初めのうちはそういうことですか?

 溝口: 患者さんの自己管理のせいかもしれないと思っていました。

 B: 途中から、手術のせいかもしれないと思って消毒の方法などを試したとおっしゃっていましたが、そのように試行錯誤しながら、感染症患者が減るか試すのは患者の目を使った人体実験のようであると思いませんか?

 溝口: 思います。

 冒頭で述べたように、東京地裁は2011年9月28日、溝口医師に禁錮2年の実刑判決を言い渡す。溝口医師はこの判決が重すぎて「不当」だとして控訴した。堀さんは2012年2月21日に行われた控訴審の第1回公判で「なぜ控訴したのか?」と溝口医師に質問した。溝口医師の答えは「自分のしたことは大きな間違いだったが、拘置所に入って大変な日々が始まり、もう少し軽い罪にならないかと、もう一度審理してもらうため控訴した」というものだった。東京高裁は同年3月9日、溝口医師の控訴を棄却する判決を出した。

 裁判所はその理由について「細菌感染を防止するため、医師であれば当然に行うべき基本的な注意義務に違反したというものであって、その過失の程度は大きいといえる。被告人は多額の負債を抱える中で施術数を増やすために時間のかかる洗浄や滅菌を怠ったり、経費を惜しんで本来は使い捨てとすべきものを使い回したりするなどしており、医師としてあるまじき診療態度といえ、経緯に酌量の余地はまったくない」と述べた。この結果、禁錮2年の実刑判決が確定した。

 それから4ヵ月後の2012年7月20日、被害者が約4億3000万円の損害賠償を求めていた民事訴訟の和解が成立した。裁判外で交渉していた被害者も含め計60人に溝口医師側が約2億6000万円を支払い、謝罪するという内容であった。溝口医師に支払い能力がないため、保険金の上限額での和解となった。弁護団が被害者と認定した患者の数は68人にのぼる。

 この事件は、被害規模の大きさと溝口医師のあまりにずさんな診療内容が明らかになったことから新聞、テレビで大きく取り上げられ、社会の関心を集めた。

 溝口医師も会員であった日本眼科医会は溝口医師の起訴後、次のような見解を発表した。

 本事件は、医師の信用を失墜する重大な事件であり、まことに遺憾であります。この元院長は、当会の会員であり、被害者の方々をはじめ、関係機関、関連学会、日本医師会など関係者に深く陳謝申し上げます。

 今回の感染事故は、医師として基本的なルールを遵守していれば生じないような事故であり、レーシック手術以前の問題であると考えられます。今後、二度とこのような不祥事が起きないように、当会としても対策に取り組んでいるところでございます。

 日本眼科医会はこの事件を受け、滅菌・消毒など日常業務の再点検、精度管理および医療現場での感染防止の徹底、器具の管理・保守点検などの確実な励行を会員に周知した。溝口医師の実刑判決確定から約半年後の2012年9月1日、同会は「レーシック手術後の角膜感染症多発事件に関する日本眼科医会の対応」を公表した。その中で、「卑しくも安価な手術費用や手術時間の短さを競うがごとき宣伝は行うべきではなく、医療の現場では常に安全が優先されなければならないことを再確認いたしました」と述べた。

 また、日本眼科学会は2000年にエキシマレーザー屈折矯正手術ガイドラインを策定後、複数回の改訂を行ってきたが、そのガイドラインには「術野の消毒を厳格に行う」ことなど、清潔な環境下での手術の実施の必要性が盛り込まれていた。厚生労働省は銀座眼科での集団感染が明るみに出た2009年の10月に都道府県などに通知を出し、日本眼科学会のガイドラインを医療機関に周知徹底するよう依頼した。

〈h2〉医師免許の取り消し〈/h2〉

 銀座眼科の被害者の会と弁護団は溝口医師の医師免許の取り消しを繰り返し求めた。

 厚生労働省に最初に要望書を出したのは、民事訴訟の提訴と刑事告訴をしたのと同じ2009年7月30日のことだった。その後、溝口医師が業務上過失傷害罪で起訴された2010年12月27日▽東京地裁が同医師に実刑判決を言い渡した2011年9月28日▽東京高裁が溝口医師の控訴を棄却した2012年3月9日▽東京地裁で和解が成立した2012年7月20日と、節目で厚生労働省に要望書を提出し、溝口医師の医師免許取り消しを強く求めた。

 医療事故を繰り返す「リピーター医師」問題を取り上げた連載第1回でも触れたように、 厚生労働省の医道審議会医道分科会は2002年12月、医師、歯科医師の行政処分について新しい考え方を打ち出した。それまでは、医療事故を起こした医師、歯科医師が行政処分の対象となるのは、業務上過失致死傷罪に問われ、有罪判決が確定した場合にほぼ限られていたが、刑事事件とならなかった医療過誤についても、「医療を提供する体制や行為時点における医療の水準などに照らして、明白な注意義務違反が認められる場合」については、行政処分の対象とすることにしたのである。この方針決定を受けて厚生労働省は、患者側からの処分申し立ての受け付けを開始した。

 銀座眼科の被害者の会と弁護団は刑事裁判で明らかになった事実や、法廷での溝口医師の供述内容などを添付し、「刑事公判を通じて、医師として不適格であることが誰の目にも明らかになった」と指摘した。

 溝口医師の件で厚生労働省の腰は重く、刑事裁判の進行中はもとより、2012年3月に判決が確定した後もただちに動かなかったが、2013年9月18日に開いた医道審議会医道分科会に溝口医師の処分について諮問し、溝口医師の医師免許取り消しが決まった。

〈h2〉治療費の保険請求めぐる誤った解釈〈/h2〉

 銀座眼科でレーシック手術を受けて角膜炎などになった被害者は失明の恐怖や耐え難い痛みに長期間さらされ、後遺症が残った人も少なくないが、被害者が被った苦痛は身体的なものだけではなかった。仕事を辞めざるを得なかった人がいたことは冒頭で紹介した東京地裁判決も指摘する通りだが、それだけでなく、角膜炎の治療を行った医療機関の一部が治療費を被害者が加入する公的医療保険に請求せず、全額自費で支払うよう求めたからである。

 前述したAさんも治療を受けた病院で10割負担を求められた患者の一人であった。Aさんの治療期間は2009年1月から同年12月までの約1年に及び、治療回数は83回。ほとんどは中央区内の病院だったが、その病院からは全額自費負担を求められ、治療費の合計は約46万円にのぼった。Aさんが後に銀座眼科を相手取った民事訴訟の和解の結果受け取った賠償金は約120万円だった。

 Aさんのように全額自費を求められた患者は少なくなかった。その理由は、「自由診療であるレーシック手術に起因した治療については健康保険の適用が受けられない」というものだった。しかし、これは誤った解釈だった。

 筆者が厚生労働省保険局保険課に尋ねたところ、担当者は「保険請求できないというのは医療機関の勘違い。保険請求できないと思い込んで、(患者に全額支払わせて)自分たちの収入を確保しようとしたのではないか」と話した。

 「犯罪被害や自動車事故等による傷病の保険給付の取扱いについて」(2011年8月9日付)という通知には、「犯罪や自動車事故等の被害を受けたことにより生じた傷病は、医療保険各法において、一般の保険事故と同様に、医療保険の給付の対象とされています」と記載されている。自由診療における医療事故で治療が必要になった場合は保険が利かないとは一言も書かれていない。

 この通知は、公的医療保険を運営する保険者(健康保険組合など)に対し、医療保険の給付の原因となった傷病が(犯罪や自動車事故など)第三者の行為によって生じたものであるときは、加害者に適正な求償を行うよう求めており、被害を受けた被保険者に被害を受けた事実を届けてもらうよう促している。

 犯罪による被害では、加害者が特定できなかったり、結果的に保険者が加害者に求償することが難しかったりする場合もありえるが、この通知は「偶発的に発生する予測不能な傷病に備え、被保険者等の保護を図るという医療保険制度の目的に照らし、医療保険の保険者は、求償する相手先がないことや結果的に求償が困難であること等を理由として医療保険の給付を行わないということはできません」と明記している。

 保険者が自らの保険に加入する被保険者の犯罪被害を知る前に、治療を行う医療機関の無理解で、「保険が利かない」と言われた被害者が通常3割の窓口負担に比べ大幅に負担が大きい全額自費の治療をためらい、適切な治療を受けられないといったケースが出てこないとも限らない。

 銀座眼科被害対策弁護団は2009年4月28日、東京都眼科医会に対し要望書を提出した。「自由診療であるレーシック手術に起因した治療については健康保険の適用ができないとの理由で、医療機関から治療費の全額自己負担を要求されております。なかには、全額自己負担ができないために、必要な治療が受けられず、失明の不安にさらされている方もいらっしゃいます」としたうえで、「健康保険は適用される」との厚生労働省の解釈に合わせて対応を変更するよう求めた。

 弁護団長を務めた石川順子弁護士は、銀座眼科事件の被害に関連した医療機関の対応について次のように語る。

 「被害の初期段階で被害者が複数受診した医療機関がもっと早く保健所に通報してくれれば、感染被害の拡大を抑えることもできた。医療事故を起こしたのが自由診療を行う医療機関か否かにかかわらず治療費は保険給付されるというルールを医療機関に周知徹底するとともに、医療被害に関する情報を行政が迅速に把握できる仕組みをつくる必要がある」

〈h2〉繰り返される院内感染事故〈/h2〉

 銀座眼科の集団感染は、冒頭で引用した溝口医師に対する東京地裁判決が「医学的な知識も不十分で、手を洗うことすら面倒臭いなどという被告人が、経済的利益を優先させ、手術の際に細菌感染防止の措置を採るという医師として最も基本的な注意義務に違反して衛生管理の杜撰な手術を長期間にわたって繰り返す中で引き起こしたもの」と指摘するように、極めて特異な事件であったと言える。しかし、この事件を「例外」と片付けることはできない。医療機関の衛生管理のずさんさが原因で死者が出る集団感染事故が繰り返されているからである。その中でも特に重大な2つの事故について述べておきたい。

 第一は、2002年1月に東京都世田谷区の伊藤脳神経外科病院で起きたセラチア菌による集団感染である。世田谷区が同年5月に公表した報告書によれば、セラチア菌感染が確定したのは12人(うち死者6人)、感染の疑いのある患者が12人(うち死者1人)であった。この集団感染は、血が固まるのを防ぐための「ヘパリン生理食塩水」を院内で作り置きし、それを数日間にわたって患者への点滴に用いていたことや、ヘパリン生理食塩水の調合作業を衛生状態の悪いナースステーションで行っていた看護師が手洗いを適切に行っていなかったことなどが原因とされる。当時の院長は2004年4月、業務上過失致死傷罪で略式起訴され、罰金50万円の略式命令を受けた。そして、翌2005年8月、厚生労働省から医業停止1年の行政処分を受けた。

 この集団感染事故が起きる前から医療機関での院内感染が相次いでいたため、厚生労働省は2002年7月、院内感染対策有識者会議を発足させた。同会議がまとめた報告書は、医療機関、自治体、国、関係団体・学会がそれぞれの立場で取り組むべき事項を挙げた。「医療機関の院内感染対策の将来像」として挙げられたのは次の5点である。

1  日常的な院内感染対策が適切かつ迅速にまた継続的に実施されている。

  1.   国内の学会等の策定した諸種ガイドライン、米国疾病管理対策センター(米国CDC)の標準予防策・感染経路別予防策等のガイドライン、その他施設面を含めた諸種ガイドラインなどを参考とした科学的根拠に基づいた予防策が確実に実施されている。
  2.   院内感染の危険因子となる処置・行為に着目した対策と院内感染のリスクが高い集中治療室、新生児集中治療室、移植病棟等の各部門の特性に応じた対策が実施されている。
  3.   患者や診療科の特性、施設規模・機能に応じたサーベイランスが実施され、その結果が院内感染対策に活かされている。
  4.   抗菌薬及び消毒薬の適切な使用等、科学的根拠に基づいた適切な診療が実施されている。

2   重大な院内感染等の発生に際し適切な対応がなされている。

3   上記の実施に必要なマンパワー及び院内体制が確保されている。

  1.   院内の各部門の責任者等から構成され、院内感染対策の方針を検討する院内感染対策委員会が活用されている。
  2.   病院長の下、院内感染対策の実務を専門に担当する者(医師、看護師、薬剤師、臨床検査技師等)からなる院内感染対策部門(ICT等)が活用されている。特に高度な医療を提供する大規模な医療機関(特定機能病院)及び重篤な感染症を担当する各地域の基幹的な医療機関等においては、専任の院内感染対策担当者が配置され、これらの担当者は医療機関内で一定の権限と責任を与えられ組織横断的な活動を行うとともに、地域の院内感染地域支援ネットワーク(仮称)に協力している。
  3.   医療機関は、感染制御等に詳しい地域の医師や看護師等の専門家からなる院内感染地域支援ネットワーク(仮称)体制を活用し、必要な助言・支援等を受けている。
  4.   医療機関が自らの院内感染対策を客観的に把握し、質の向上に役立てるため、外部評価が積極的に活用されている。

4   患者及び家族に対して院内感染について十分な説明が行われ正しい知識の啓発がなされている。

5   医療従事者等を対象とした院内感染対策の充実が図られている。

 伊藤脳神経外科病院の院内感染事件は大きく報道され、厚生労働省の会議が医療機関の取り組むべき課題を具体的に示す報告書をまとめたにもかかわらず、伊藤脳神経外科病院の院内感染からわずか6年後の2008年、三重県伊賀市の診療所、谷本整形外科でセラチア菌の院内感染が起きてしまう。谷本整形外科でも点滴が作り置きされており、多数の死者が出た院内感染事件の教訓はまったく生かされていなかった。

 谷本整形外科でのセラチア菌の集団感染が明るみに出たのは2008年6月のことだった。同年7月4日付で三重県の特別調査班がまとめた調査報告書に基づき、発生からの経緯をたどってみる。

 2008年6月9日午後3時、伊賀市立上野総合市民病院の医師から「谷本整形受診後、4名の患者が発熱、吐き気などの症状を訴え、緊急搬送されてきた」と伊賀保健所に通報があった。同月10日には谷本整形を受診していた患者のうちの1人が自宅で死亡していたことが確認された。伊賀保健所が同年5月9日から6月9日までの1ヵ月間に谷本整形で点滴を受けた患者386人に対し電話で安否等を確認すると、64人が「異常あり」と回答した。64人のうち29人が入院治療などを必要とする被害者であった。死亡したのは1人だった。伊賀保健所が特に多くの被害者が出た6月9日に絞って調査をした結果、谷本整形で点滴を受けた複数の患者の血液のほか、6月9日に患者に点滴された生理食塩水容器の残液、点滴室で使用されていた消毒綿容器からセラチア菌の仲間であるセラチア・リクファシエンスが分離された。分離された菌の遺伝子解析の結果、遺伝子のDNAパターンが一致したことから、伊賀保健所は、谷本整形で調合された点滴液を原因とするセラチア菌による院内感染症であると特定した。

 伊賀保健所が谷本整形に勤務している4人の看護師から聞き取りをした結果、点滴液は10本単

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出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)

 朝日新聞記者。1960年生まれ。92年朝日新聞社入社。社会部などで医療、介護問題を担当。2002~2013年、編集委員。2013~2016年、青森総局長。医療事故や薬害エイズ事件のほか、有料老人ホームや臨床試験について取材。著書「ルポ 医療事故」(朝日新聞出版)で「科学ジャーナリスト賞2009」受賞。近刊の著書に「混合診療」(医薬経済社)、「ルポ 医療犯罪」(朝日新聞出版)など。

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