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深掘り

検証・医療事故

「患者無視」を懸念する医師会に県は「知事が責任をとる」

山本病院事件(1) 1997~1999年

出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)

 いまからちょうど10年前の2003年12月、坂口力・厚生労働大臣が「医療事故対策緊急アピール」を出した。「医療事故の頻発は医療本来の役割に対する国民の期待や信頼を大きく傷つけるもの。最近の状況を考えると、このような状況が続けば国民の医療に対する信頼が大きく揺らぎ、取り返しのつかぬ事態に陥るのではないかと危惧する」。大学病院などで深刻な医療事故が相次ぐ中で出された異例の大臣談話は、当時の緊迫した状況をいまに伝えている。
 それから10年、医療機関における医療安全の取り組みは格段に進んだようにみえる。医療事故に関する報道もかつてに比べ極端に減っている。
 しかし、事故そのものがなくなったわけではない。過去に起きた事故の教訓が生かされず、同種の事故が時と場所を変えて起きる場合もある。医師の基本的知識の欠如を原因とする医療事故や、金儲け優先の病院経営を背景にした悪質な医療事件も発生し、医療者の教育研修のあり方や「医の倫理」が問われている。
 この連載では、過去数年間に明るみに出た重大な医療事故を中心に検証し、医療事故を減らすために何が必要かを考えてみたい。

 本稿を含む連載第3回以降では、山本病院事件を取り上げる。

拡大事件の舞台となった山本病院=2011年1月9日、奈良県大和郡山市長安寺町
 実際にはやっていない治療を実施したと偽って、生活保護を受けている患者の医療費を不正に請求する。がんでない患者をがんと誤診して、執刀経験のない肝臓の切除手術に踏みきり患者を死亡させる――。「医療犯罪」と形容するしかない事件が奈良県の民間病院で起きた。診療報酬の不正請求に関しては詐欺罪、患者死亡事故については業務上過失致死罪で起訴された元院長は、それぞれの事件でいずれも実刑判決を受け、厚生労働省から医師免許取り消しの行政処分を受けた。社会的に弱い立場にある生活保護受給者を主たるターゲットに、公費で賄われる医療費を病院経営のために食い物にするという、医療機関を舞台にした犯罪としては史上まれに見る悪質な事件であった。病院を経営していた元院長が大阪大学医学部卒の「エリート医師」であったことから、社会的にも注目された。入院してくる生活保護受給者に片っ端から心臓カテーテル検査やカテーテル治療を実施するこの元院長の過剰診療やでたらめな医療を告発する匿名の情報は、実は病院開設当初から奈良県に寄せられていた。しかし、「医師の裁量権」の壁に阻まれた県は不正を摘発することができず、最後は、実態の解明と責任の追及に警察の力を借りるしかなかった。事件は、医療行政にも大きな課題を残した。医療の名の下に行われた数々の不正行為はなぜ長期間にわたって放置されたのだろうか。

 医師会の懸念

拡大任意同行に応じ、奈良県警郡山署に着いた山本文夫医師=2010年2月6日午前8時34分、奈良県大和郡山市、成川彩撮影
 事件の舞台となった病院は、奈良県大和郡山市にあった「山本病院」である。病院を開設した山本文夫医師(詐欺事件で実刑判決が確定後、医師免許を取り消されているが、この記事では便宜上、「山本医師」と呼ぶことにする)は大阪大学医学部を卒業後、1983年6月に医師免許を取得した。

 山本医師は大阪警察病院、国立療養所愛媛病院、国立呉病院などでの勤務を経て、1999年7月に山本病院を開設した。病院の土地・建物は、診療報酬の不正請求で保険医療機関の指定取り消し処分を受け、閉院した大和脳神経外科病院が使っていたものを山本医師が購入した。当初は山本医師が個人病院として開設し、2007年7月に医療法人「雄山会」を設立して法人経営に移行させ、山本医師自身は理事長となった。

 筆者は2012年春、奈良県情報公開条例に基づき、山本病院に関する文書の開示を奈良県に求めた。その結果、病院開設時の申請書類や医療法に基づく立入検査などに関する文書(以下、開示文書)が一部黒塗りで開示された。開示文書の記載にしたがって、まずは開設までの経緯をたどってみることにする。

 山本医師が奈良県に提出した事前協議書によると、建物の構造は鉄筋コンクリート4階建て。病床数は80床で、診療科目としては外科、整形外科、脳神経外科、内科を標榜することになっていた。事前協議書に付けられた別紙1「開設趣旨」には「臨床経験の豊富な医師、優秀なスタッフの配置と、先進の高度医療機器の導入を図り、急性及び慢性疾患の治療について高度で良質な医療の提供を目指し、初期救急から、より高次の救急にも応じられるよう近隣の病院及び診療所との連携を密にして総合的な医療を目指したいと思います」とある。

 同じく別紙2「診療方針」には、「特に心疾患(急性心筋梗塞、洞機能不全症候群、慢性心不全)の患者に対し、心検査(心エコー、血管造影、心臓カテーテル、ホルター心電図、等)をもって精査し、PTCA(※筆者注=心臓に血液を送る冠動脈が狭くなったり閉塞したりした患者の冠動脈を広げる治療法一般を指す言葉として用いられたり、カテーテルの先につけた風船を膨らませることで冠動脈の狭窄部を広げる治療法を指す言葉として用いられたが、現在ではほとんど使われない。広い意味で冠動脈を広げる治療法を指す言葉としては現在「PCI」が用いられている)、PTCR(※筆者注=冠動脈を閉塞させている血栓に対し血栓溶解剤を注入する治療法)、ペースメーカー等施術を開設予定者山本文夫を中心に今迄の経験(それぞれ数百例)を生かし、又一般外科手術の経験も豊富である事から出来得る限りの救急対応をし、外科的、内科的両者の面から救急救命処置をとりたいと思います」と記載されている。「(仮称)山本病院開設にあたって 平成10年3月2日 山本文夫」と題する文書には「会得した医療技術は勿論、自分の良心に基づいた医療を地域医療の場で、社会に還元することが、私に課せられた使命であるとの信念をもって、病院周辺の地域において、3大疾病である癌、心筋梗塞、脳卒中による死亡をできるだけ減らし、患者の皆様に有意義な人生、生活を営んでもらえるような病院をめざす決意でおりますので、宜しくご審議頂きたくお願い致します」との決意表明がつづられていた。

 医師としての使命感の強さを強調する文章が並ぶ一方で、事前協議書には山本医師の奇妙とも言える経歴-1996年3月から大阪市内で眼科診療所を営んでいること-が記されていた。事前協議書の別紙4「現開設診療所の現況」によると、その診療所の名前は「山本眼科クリニック」といい、大阪市中央区難波4丁目のビルの3階にあった。山本医師はこの文書に、「私は本来心臓外科医ですので長年外科手術に携わって来ましたところですが、■■■■(黒塗りのため判読不能)である関係で、以前より眼科治療に関心を持っており、現在地に眼科診療所を開設するに至った次第であります。現在同診療所は新患も殆どとらず職員も最小数にし、(仮称)山本病院開設の目処がたち次第廃止したいと考えております」と記載していた。

 この連載の第1回で触れたように、日本では医師は麻酔科以外の診療科を自由に標榜することができる。心臓外科医であった医師が眼科診療を行うこと自体は違法とはされていないが、極めて異例であることは間違いない。しかも、山本眼科クリニックが行っていたのは、公的医療保険の利かない、レーザーを用いた近視矯正手術であった。

 この経歴に奈良県医師会が危惧の念を抱いた。

 病院の開設は県の医療審議会の意見を聞いたうえで最終的に県知事が許可するが、審議会の開催前に県は、山本医師から提出された事前協議書の内容を県医師会に伝え、「地域医療推進に関する打ち合わせ」という名目の情報交換を複数回行っている。開示文書によれば、1998年4月9日に奈良県橿原市の県医師会館で最初の打ち合わせが行われた。

 山本医師が奈良県に提出した文書によれば、土地建物の取得、医療機器の調達、運転資金などの事業費は計9億5千万円。資金計画では、このうち1億5千万円を自己資金で賄い、借入金が7億円、医療機器のリース代が1億円であった。

 前述したように、山本病院の土地建物は診療報酬の不正請求で保険医療機関の指定を取り消された大和脳神経外科病院がかつて使用していたものだった。

 大和脳神経外科病院のように無理な資金計画を立て、診療報酬の不正請求事件が繰り返されることはないか?

 心臓外科医でありながら自由診療の近視矯正手術に手を出すというのは利益優先の姿勢があるからではないのか?

 

 県医師会はそんな懸念を抱いた。

 医師会の指摘を受けた奈良県は1998年4月から5月にかけて職員を大阪に派遣し、大阪市中央保健所や大阪市南医師会で山本眼科クリニックに関する調査を行った。開示文書の一つである同年4月17日付医務課長あて「復命書」によると、山本医師は山本眼科クリニックを1996年2月に開設し、「奈良で病院開設のため」、1998年3月31日で廃止していた。大阪市中央保健所は奈良県の職員に対し、「地元医師会には所属していなかったが、特に大きなトラブルは聞いていない。急な廃止であったのか患者からの問い合わせが2件あった」などと説明している。

 同年6月19日、橿原市の奈良県医師会館で県医師会、郡山市医師会と県医務課との打ち合わせが開かれた。医務課の職員が作成した文書によると、医師会側はこの会議でも、山本病院の資金計画や、山本医師が眼科クリニックでレーザー治療を行った履歴について「適正な医療の提供よりも利益を追求するのではないかという医師としてのモラルの面で疑問視している」と指摘した。これに対し県側は、大阪での調査で得た情報について説明した。その後、両者の間で以下のようなやり取りがあった(下線は筆者による。以下、同じ)。

 医師会 「行政上書類、手続きに問題なければ許可せざるを得ないことは理解する。しかし、自浄作用を求められる医師会としては特に開設者である山本Drへの疑念(倫理面等)が解けない。後日禍根を残さないためにも、山本Drと面談の機会を設けたい」

   「行政としては、同席することはできないが、開設者に趣旨を説明し、県医師会事務局に連絡を取るよう伝える」

 医師会 「面談して、履歴に書いてある内容、実力のあるDrか、また何故眼科をしたのか、トラブルは無かったのか、あった場合の処理方法等を確認する。地域医療の連携方法についても確認して、必要であれば確約書等の提出を願いたいと考えている」

 「大和郡山市で大和脳神経外科の様なことがあると、医師会が批判にさらされる。かといって細部に立ち入り時間をかけすぎても営業妨害ととられる。しかし、現在の厳しい医療環境の中無理をすれば、患者無視、利益優先、診療報酬の不正請求といった悪循環に陥る

   「行政として、保険サイドと連携をとりながら指導していきたい

 「保険サイドと連携をとりながら指導」と県が言っているのは、病院の開設許可を担当する医務課が、診療報酬の請求がルールに則って行われているかチェックする部署と協力しながら、適正な医療が行われるよう監視していくという方針を示したものといえる。しかし実際には、奈良県は山本医師の不正を摘発することができず、病院開設から8年後、奈良県警に捜査を依頼することになる。この文書に示されている医師会の懸念が結果的に的中したことになる。

 大和郡山市内で眼科診療所を営む大澤英一・奈良県医師会副会長は1998年当時、県医師会の地域医療担当理事として、山本医師と面談している。筆者のインタビューに対し、大澤医師は次のように振り返った。

 「県の文書には、山本眼科クリニックでの近視矯正手術をめぐる患者とのトラブルは全く記載されていなかったが、私たちは大阪府の医師会を通じて、山本医師に関する別の情報を得ていたから、奈良県での病院開設には反対だった。面談で心臓外科医が近視矯正手術をした理由を尋ねたが、のらりくらりとした返事しかしなかった。そもそも近視は病気とは言えず、メガネを使うという方法もあるのに、眼科医としてのトレーニングを受けていない医師が自由診療のレーザー治療に手を出すのは、完全に営利目的としか思えない。県としては、出された書類に不備がなければ許可せざるを得ないのだろうが、今回の事件でわかったように、いったん開設を許可すれば不正の証拠をつかむのは難しい。病院の新規開設を認めるか否かを判断する権限は行政にあり、医師会は意見書しか出せないが、医師会の意見を真摯に受け止めて県がしっかりした調査をしたうえで、開設の可否を判断してほしかった。ところが、事なかれ主義の行政は積極的に情報収集を行わず、安易に開設を認めた。その結果、多額の医療費が無駄に使われたうえに、無謀とも言える手術で患者さんの命までが奪われてしまった。開設前、『何かあったときに、だれが責任を取るのか』と県の担当者に聞いたら、『最終的に知事が責任を取ります』と答えた。その言葉を思い出してほしい」

 匿名の告発、病院開設直後から

 1998年11月30日、奈良県は山本病院の開設を県医療審議会に諮り、了承された。それを受け山本医師は、翌1999年2月26日、山本病院の開設を県に申請した。県は同年6月21日、山本病院の開設を許可した。

 「良心に基づいた医療を地域医療の場で、社会に還元することが、私に課せられた使命」との言葉とは裏腹に、山本医師の過剰診療は病院開設直後から始まったとみられる。病院がオープンして5カ月後の1999年12月3日、早くも病院関係者からと思われる情報が県にもたらされているからである。

 開示文書によると、この日、「大和郡山市に7月1日に開院した病院に勤務中の看護婦」を名乗る匿名の電話が県の医務課にかかってきた。電話の主は「院長は患者に3回1クール(週1回)の心臓カテーテルを実施」「患者は、生活保護の人ばかり」「患者が拒否すれば退院してもらうと院長は脅す」と語った。

 奈良県警が山本病院への強制捜査に踏みきり、事件が明るみに出た後に県が行った調査については後で詳しく述べるが、県の調査によって、同病院が生活保護受給の患者の大多数に対し、「狭心症」などの疾患があるとして、心臓カテーテル検査や、心臓に血液を送る冠動脈を広げるためのステント留置術を行っていたことが判明する。あとから振り返ってみれば、匿名とはいえ、病院の診療実態をほぼ正確に伝える情報が早くから行政のもとに届けられていたことがわかる。

 最初の電話から13日後の1999年12月16日、再び医務課に匿名の電話がかかってきた。

 「山本病院の医療内容が無茶苦茶で患者がかわいそうである。患者の9割は県外で、生活保護を受けている。院長は彼らに心カテを行う。患者がいやがっても退院をほのめかして強制する」

 電話の主はそう告げた。(次回につづく

出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)

 朝日新聞記者。1960年生まれ。92年朝日新聞社入社。社会部などで医療、介護問題を担当。2002~2013年、編集委員。2013~2016年、青森総局長。医療事故や薬害エイズ事件のほか、有料老人ホームや臨床試験について取材。著書「ルポ 医療事故」(朝日新聞出版)で「科学ジャーナリスト賞2009」受賞。近刊の著書に「混合診療」(医薬経済社)、「ルポ 医療犯罪」(朝日新聞出版)など。

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