メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

深掘り

震災法廷

七十七銀行員の津波被災、控訴審も賠償請求棄却で遺族が上告

加藤 裕則(かとう・ひろのり)

 東日本大震災の津波で犠牲となった七十七銀行(しちじゅうしち)女川支店(宮城県女川町)の行員の遺族が同銀行を相手取って安全配慮義務違反を理由に損害賠償を請求した訴訟の控訴審判決が4月22日、仙台高裁であった。中山顕裕裁判長は、請求を退けた一審・仙台地裁判決を支持し、遺族の控訴を棄却した。避難計画の策定から地震後の情報収集、実際の避難まで、企業の防災責任をめぐって争点は多岐にわたった。遺族は5月1日、最高裁に上告した。

▽筆者:加藤裕則、桑原紀彦

▽この記事は4月23日の朝日新聞の社会面や宮城版に掲載された原稿を一つにまとめ、加筆・再構成したものです。

▽関連資料:2014年2月25日に仙台地裁で言い渡された一審判決の全文を掲載した裁判所ウェブサイトへのリンク

▽関連資料:2015年4月22日の仙台高裁で言い渡された控訴審判決の全文

 

 ■12人が犠牲

拡大
 支店は2階建てで屋上の高さは10メートル。13人が屋上の電気室の上(高さ13メートル)まで逃げたが、高さ約20メートルの津波に襲われ、12人が死亡したり行方不明になったりした。
 このうち3遺族が「高台に逃げれば助かった。理想的な高台があるのになになぜ支店屋上に逃げたのか」として、2012年9月に計2億3千万円の賠償を求めて提訴した。仙台地裁は昨年2月、「屋上を超す津波の予想は困難」と請求を棄却し、遺族が控訴した。控訴審で高裁は和解案を示したが、銀行の責任を巡って双方とも譲らなかった。

 ■遺族の主な主張

 控訴審で遺族が強く訴えたのは、「なぜ支店を避難場所に追加指定したのか」という点だ。
 女川支店では従来、避難場所として260メートル先で病院もある堀切山を避難場所に指定していたが、銀行が2009年に災害対応プランを見直し、その中で女川支店では支店屋上を避難場所に追加した。結果的に東日本大震災発生直後、支店長は屋上を避難先に選んだ。
 遺族は「追加指定が誤った判断を導いた」と批判した。遺族は、国の津波避難ビルに関する指針をもとに、「避難場所にビルを指定するのは、背後に避難に適さない地形がある場合」と指摘した。そのうえで「追加指定は行員の安全確保にとってマイナスだった」と主張し、「人命よりも資産や業務を優先したのでは」と疑問を投げかけ、「支店長の誤った判断を導いた」として銀行の安全配慮義務違反と主張した。
 事前の予見可能性については、津波の具体的な高さが問題ではなく、津波が襲来して行員や支店に被害が及ぶことが予想されれば成り立つと主張した。

 ■銀行の主な主張

 これに対し、銀行側は宮城県の津波予想の最高水位が5.9メートルで、「金融機関は災害の専門家ではない」として予想が不可能だったと強調した。そのうえで、「すぐに津波が来るかもしれない。地震でけがをするかもしれない」など様々な状況に対応するには追加指定は「正しい対応」と主張した。また、「地震直後は時間的にも緊迫していた」とし、屋上へ避難した判断も間違いではなかったとする。

 ■控訴審の判断

拡大津波で犠牲となった家族の写真を持って仙台高裁に入る(左から)丹野礼子さん、高松康雄さん、田村弘美さん=4月22日午後、仙台市青葉区、矢木隆晴撮影
 控訴審判決は

この記事の続きをお読みいただくためには、法と経済のジャーナルのご購読手続きが必要です。

朝日新聞デジタル購読者(フルプラン)の方なら手続き不要

法と経済のジャーナル Asahi Judiciaryは朝日新聞デジタルの一部です。
有料(フルプラン)購読中の方は、ログインするだけでお読みいただけます。

朝日新聞デジタルのお申し込みはこちら

加藤 裕則(かとう・ひろのり)

 1965年10月、秋田県生まれ。岩手大人文社会科学部卒業。89年4月に朝日新聞社入社。静岡支局や浦和支局(現さいたま総局)などに赴任した後、99年東京本社経済部員。その後、名古屋本社経済部員、青森総局次長、大阪本社経済部員。2011年4月から14年9月まで2度目の東京本社経済部員で、金融情報面(株式面)や社会保障取材班を担当した。
 経済記者としては、これまで通産省(現・経産省)、鉄鋼業界、トヨタ自動車(名古屋)、関西空港などを取材してきた。通産省クラブ時代から、コーポレート・ガバナンスや会計監査について自主的に取材を重ね、朝日新聞のオピニオン面に掲載される記者有論などで論じてきた。2014年9月から石巻支局員で宮城県を中心に東日本大震災からの復興の様子を取材している。

Facebookでコメントする

ご感想・ご意見などをお待ちしています。