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深掘り

オピニオン

富士フイルムの米ゼロックス買収に仕掛けられた美しき罠

Stephen Givens(スティーブン・ギブンズ)

カール・アイカーンが富士フイルムに対して仕掛けた美しき罠

 

外国法事務弁護士・米NY州弁護士
スティーブン・ギブンズ(Stephen Givens)

拡大Stephen Givens(スティーブン・ギブンズ)
 外国法事務弁護士、米ニューヨーク州弁護士。ギブンズ外国法事務弁護士事務所(東京都港区赤坂)所属。
 東京育ちで、1987年以降は東京を拠点として活動している。京都大学法学部大学院留学後、ハーバード・ロースクール修了。
 日本企業に関わる国際間取引の組成や交渉に長年従事している。

 米国の著名な投資家、カール・アイカーンが億万長者であるのは、彼が、われわれ持たざる者よりもクレバーで気概があるからだ。今回、富士フイルムによる米ゼロックス買収において、アイカーンが古森重隆富士フイルムHD会長兼CEOを相手に仕掛けた罠は実に巧妙である。多くの日本人に見られる認識不足、すなわち、外国における法律とコーポレートガバナンスを取り巻く現実に対する日本人の無知さを最大限に利用して、その罠は仕掛けられている。私ならば古森会長に次のように助言する。ゼロックスの買収は撤回して、アイカーンの注文には「どうぞ他の買い手をお探しください」と快く応じたほうがいい――。

 かつての名門会社である米ゼロックス社の経営陣は、大株主であるアイカーンや他のヘッジファンド株主たちから圧力を受けて、死に体の複写機市場でもがき苦しむ現状から「なんとかして」価値を創造するために、ゼロックスのぎりぎり過半数(50.1%)の経営権を買ってほしいと富士フイルムに泣きついてようやく合意にこぎつけた。ただし、残りの株式49.9%は、アイカーンやヘッジファンド等の一般株主の手中に残ったままだ。

 これに対してアイカーンは、富士フイルムが提示した購入代金の金額について「足りない」と文句を言い、大いに騒ぎ立てて買収の妨害を企てている。アイカーンがゼロックス株式の表向きの価格の吊り上げに成功するか否かは、やがてわかる。だが実は、富士フイルムにゼロックスの50.1%を買わせることは、二部構成の舞台の第一幕に過ぎない。アイカーンにとっては第二幕こそがクライマックスである。第二幕では、「少数株主の権利」について訴訟あり、もっともらしい発言ありと、いろいろあるだろう。そして、残りの49.9%についていっそうの高い値を引き出そうとしてくるにちがいない。

 とかく優れた罠は、何の疑いも持たない獲物からは無害に見える。古森会長のように日本国内の規範に慣れている日本企業の重役たちの目には、第一幕のあとのゼロックスの株主構造――すなわち上場企業(ゼロックス)が別の上場企業(富士フイルム)により管理される一方で、少数派として一般の株主(アイカーンら)がいるという構図――に何の怪しさも感じないだろう。日本の上場企業(全3,000社)のうち、約300社がまさにこの所有構造をとっていて、一般的に「親子上場」と呼ばれている。親子上場は、日本の財閥、グループ系列、その他安定株主を擁しての「戦略的」な株式持合いといった同様の会社所有構造の一つの変形パターンにほかならない。

 しかし、アメリカではそうではない。アメリカには親子上場などほとんど存在しない。日本ではよく見受けられる、そうした構造が「子」の少数株主と「親」との間にきわめて厄介で、法的にも違法となり得る利益相反を生み、賢明なコーポレートガバナンスの原則に反するとアメリカで考えられていることが、アメリカに親子上場がほとんどない主な理由である。そのことを日本企業の重役らは知らない可能性がある。

 アイカーンは、富士フイルムとゼロックスの交渉が発表されて以来何通かの書簡を出しているが、その中ですでに第二幕を予告している。買収後は「兄」となった富士フイルムがゼロックスの50.1%を握る支配株主としての地位を悪用して大邸宅に住みロールスロイスを乗りまわすかたわら、弟は掘っ立て小屋に住んで古くて壊れそうなハッチバックに乗るという、おどろおどろしい絵を描いている。第二幕においてアイカーンは、日本の「兄」が支配株主の権限を悪用してゼロックスの資産とテクノロジーを搾り取ってアメリカの「弟」に不利益をもたらしているとして富士フイルムを訴えようと、すでに頭の中で訴状の下書きを進め、陪審員に向けての最終弁論の練習までしているのではないか。

 さらに皮肉なことに、富士フイルムがこの買収スキームを正当化する理由として、さまざまなコスト削減と富士フイルムとゼロックス両社の価値を高める「シナジー」につながると主張しているのに対し、アイカーンは、富士フイルムがゼロックスの資産、テクノロジー、顧客および社員を盗もうとしているとか、ゼロックスを過小評価しているなどと主張して、たえず訴訟をちらつかせている。このような状況下ではとうてい富士フイルムがえがく「シナジー」が実現できるはずもない。一つ一つの取引について「公正」か、「アームズレングス」な条件で行われるかといったことを証明しなければならないだろう。そんな心配をすることなく、両社が一つの会社のように共に考えて行動しないかぎりシナジーは生まれない。ゼロックスの親子上場の株主構造では、この取引の売り文句であるシナジーを実現できなくなる。

 アイカーンの考えているであろうフィナーレは、第二幕で少数株主の権利を声高に主張して、富士フイルムにゼロックスの残りの株式をさらに高値で買わせようとすることだ。そうと知りつつ、私は古森会長に次のように尋ねたい。「ゼロックスが素晴らしい会社だとおっしゃるならば、いっそ丸ごと買ってはいかがですか?」。これに対して本音──ゼロックスがもしかしたらそこまですごい会社でないかもしれない、そのリスクは少数株主にも共有してもらいたい──で古森会長が答えようものなら、まさにアイカーンの思う壺というわけだ。

 富士フイルムがゼロックスのぎりぎり過半数を取得する計画には、日本企業による海外M&Aについてしばしば論じられる懸念もはらんでいる。すなわち、価格が高すぎること、そして日本企業側に買収した外国の会社を経営する能力が足りないことである。その上、富士フイルムが馴染みのない外国の法的環境の中で「親子上場」の株主構造に隠された落とし穴を読み違えはしないかという点はそれら毎度の心配を増幅する。

Stephen Givens(スティーブン・ギブンズ)

 外国法事務弁護士、米ニューヨーク州弁護士。ギブンズ外国法事務弁護士事務所(東京都港区赤坂)所属。
 東京育ちで、1987年以降は東京を拠点として活動している。1976年から77年にかけて京都大学大学院に留学した後、1982年にハーバード大学ロースクール修了。現在、上智大学法学部教授。日本企業に関わる国際間取引の組成や交渉に長年従事している。国際間M&Aから、コーポレート・ガバナンス問題、民間・公的融資、戦略的提携、合弁事業などに経験を持つ。

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