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深掘り

震災法廷

県と市の事前の備えのなさを批判した石巻市立大川小惨事2審判決

加藤 裕則(かとう・ひろのり)

 東日本大震災の津波で74人の児童と10人の教職員が死亡したり行方不明になったりした宮城県石巻市の大川小学校の惨事に絡み、23人の児童の遺族が起こした訴訟で仙台高裁は4月26日、多くの争点で遺族側の言い分を認め、県と市に対して14億3617万円の損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡した。賠償金額は1審の仙台地裁の判決とほぼ同じだが、その理由はまったく違う内容だった。1審では地震発生後の過失、2審では地震発生前の防災対策の不備が認定された。特にこの2審の判決の意味合いは大きく、全国の教育委員会や学校の防災対策に大きな影響を与えそうだ。宮城県と石巻市は上告した。

拡大裏山から撮影した旧大川小の全景
 「要は避難場所を決めていなかったことがダメだったということ。その通りだよ。でもその当たり前のことを認めてもらうために7年もかかったんだ」と「勝訴」した遺族が興奮気味に話した。

 2016年10月に言い渡された1審判決では、「地震発生後」が焦点となった。仙台地裁は、津波が来る7分ほど前に市の広報車が津波の襲来を呼びかけながら学校の脇を通ったことを重視。この時点で現場にいた教職員に津波の予見可能性が生じたと認定した。そのうえで、河川堤防近くの「三角地帯」と呼ばれる空き地に避難しようとしたことについて、「三角地帯は不適切。裏山に逃げるべきだった」として約14億3千万円の支払いを命じた。

 高裁では、震災前の学校の防災体制に絞った審理が展開された。遺族側の吉岡和弘弁護士によると、17年3月にあった第1回目の口頭弁論直後の進行協議で、裁判長から「本件は義務教育ですよね。教育委員会が決めた学校に通うわけです。このことが学校保健安全法29条で危機管理マニュアルをつくれと言っていることと、どう影響するのか」との問いかけがあったという。さらに「津波が来てからどうのこうのという話ではない」とも言い切ったという。吉岡弁護士は「実は私たちはこのような主張をしたかった。でも勝てないのでは、との思いがあって、1審では津波襲来後の過失に重きを置いてきたんです」と語っている。

 審理は実際、その通りに進んだ。まず、教育委員会と学校の教職員はどこまで児童の安全に責任を持つか、という根本的な議論から始まった。遺族側は「児童は教員の指揮命令下にあり、高度な注意義務が課せられる」と先生たちにはより大きな責任があると訴えた。これに対し、県と市は「児童は常に教師の支配・服従のもとにあるのではなく、自主的に判断し危険を回避する能力を獲得していく存在なのである。そのため、教師の負う安全確保義務は、児童の自主的な能力の獲得を前提とする相対的なものとみるべきである」と限定的な面もあることを強調した。

 高裁の判決では、校長、教頭、教務主任の3人について、「校長や教頭は児童の生命・身体の安全を確保すべき義務を負っていた」と指摘。校長について「大川小の実情にあった危機管理マニュアルの作成する責任者」とし、教員への周知や訓練の実施をする義務があったとした。また、教育委員会についても、「大川小の実情に応じて教職員が執るべき措置の具体的内容及び手順を定めた危機管理マニュアルを作成すべきことを指導し、地域の実情や児童の実態を踏まえた内容となっているかを確認し、内容に不備があるときにはその是正を指示・指導すべき義務があった」と判決文に明記した。

 この背景には、学校保健安全法と、想定宮城県沖地震があった。

 学校保健安全法は、阪神大震災や大阪教育大付属池田小学校での児童・教員殺傷事件を踏まえて大幅改正されて2009年に施行された。同法により、教育委員会と校長に対する「根源的義務」が明確化され、教育委員会には危機管理マニュアルの作成を含む安全面で管理が求められるようになったという。

 想定宮城県沖地震は、当時発生確率が30年以内に99%とされていた震度5強程度の大地震で、宮城県や沿岸の自治体は津波対策もとっていた。仙台高裁の判決文を読むと、この法律とこの想定された地震によって、学校側の責任が格段に重くなっているという認識が読み取れる。これを前提に具体的な過失責任を検証していった。

 最大の争点となったのが、大川小を襲う津波を予見できたのかどうかだ。市側は、想定された宮城県沖地震などのシミュレーションでは大川小の手前まで津波が押し寄せるが、結果的に学校には及ばないことを重視し、校長らが津波の襲来を予見できなかったと主張した。だが、高裁は「津波浸水域予測についても、相当の誤差があることを前提として利用しなければなかったといえる」と、より詳細な検討が必要という判断を示した。市がつくったハザードマップでも学校は浸水予想域から外れてはいるが、「浸水の着色のない地域でも、状況によって浸水するおそれがあります」などの注意書きがあったことを指摘した。そして、東北最大の河川、北上川の河口から3.7キロの位置にあり、勾配が緩やかで広大な水面を持ち、地震の揺れで堤防が破損する可能性もあり、津波襲来の予見は可能だったと判断した。

拡大旧大川小校舎を訪れ、視察する裁判官。遺族や市側の弁護士らが説明にあたった=2017年10月4日、宮城県石巻市釜谷
 高裁はこれまでにない踏み込んだ見解も示した。大川小が市指定の避難場所だったことで、市側が「校長らは津波の襲来を予見できなかった」と主張したことについて、高裁は「詳細な検討が必要だったにもかかわらず、これをしなかった結果、被災の可能性のある大川小が避難場所として記載されることになった」と指定そのものが間違いだったとした。そのうえで、「教師は、児童の安全を確保するために、当該学校の設置者から提供される情報等についても、独自の立場からこれを批判的に検討することが要請される場合もあるのであって、本件ハザードマップについては、これが児童の安全に直接かかわるものであるから、独自の立場からその信頼性等について検討することが要請されていたというべきである」とまで言い切った。

 また、津波が来る前、区長(自治会長)が教頭に対し、「ここは津波がこないから大丈夫」と言ったことについて、「住民の多くがまさか津波が襲来するとは思っていなかったというものであったことが推認される」と指摘しながらも、「校長等の津波に対する認識の内容が、地区の平均的な地域住民のそれと同様のレベルで足りるということができない」と一段高い意識と知見を求めた。そして、「津波は来ないという地区の住民の認識が根拠を欠くものであることを伝え、説得し、その認識を改めさせた上で、児童の避難行動と地区住民の避難行動が整合的なものとなるよう認識を図るべき義務があったというべきである」と事前に地域と学校が調整を済ませておくべきだと指摘した。

 そして、予見可能性があったという前提で、大川小のマニュアルについて検討。校長らは避難場所や避難経路を決める必要があったにもかかわらず、これを怠ったと断じた。大川小のマニュアルは「近隣の空き地・公園等」と漠然としていた。これを批判した形だ。また、児童を引き渡す際に用いられる防災用児童カードも作成されておらず、引き渡し訓練も行われていなかった。これらによって、震災が起きた後、避難行動が遅れ、児童が津波に巻き込まれたと結論づけた。

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 ただ、今回の判決で、遺族の思いや考えと違った面もあった。多くの遺族は、「椎茸栽培などで裏山に日常的にのぼっていた。裏山に逃げるべきだった」と口をそろえた。1審判決でもそれが支持された。しかし、高裁判決はこの裏山について、否定的な見解を出した。付近が県の急傾斜地崩壊危険区域に指定されていることを挙げ、「崩壊の危険のある裏山を選定することは不適当と言わざるを得ない」とした。そして有力な候補として、700メートル離れた「バットの森」と呼ばれる地区を示し、バットの森を最終的な避難場所に指定していれば、今回の津波に対しても、「回避できたはず」と断言した。バットの森とは、東北楽天ゴールデンイーグルスを支援しようと県が主導し、県内各地にバットの材料となる木を植えた場所のことで、大川小の子どもたちも活動していた。実は昨年10月の裁判長らの現地視察の際、ここにも足を伸ばした。遺族の一人は「例えばということで、避難場所の一つに挙げたが、深い意味はない。裁判長があそこまでいくとは」と不思議そうに話していた。実際に私も裁判長らの後を追って歩いてみると、三角地帯を経由し、少し下るが、自動車整備工場の脇から山に向かって幅が数メートルの道ができていて、数十人が一斉に登れるようになっていた。三角地帯を通ることは河川に近づくことで、バットの森を最終的な避難場所とした高裁の判断を疑問視する遺族もいるが、要は、適地かどうかということよりも、あらかじめ避難場所を決めておくことの大切さを高裁が指摘したと受け止められている。

拡大現地視察で旧大川小の校庭を出て、「バットの森」に向かう裁判官や遺族、市側の弁護士ら=2017年10月4日、宮城県石巻市釜谷
 新聞各紙の報道を見ると、高裁判決について、大学の研究者らから「学校現場に厳しい判決」との指摘も出ている。石巻市教委は、校長会などの場を使ってマニュアルの点検・更新を重ねて求めていたが、点検まではしていなかった。ある石巻市教委幹部は「市内に小学校だけで30校以上ある。教育内容の確認だけで手いっぱいで、当時は危機管理マニュアルの内容にまで手が回らなかった」と言っていた。東日本大震災後は体制を整えて市教委としても点検していると言うが、当時はそこまで手が回らなかったという。確かに学校のある場所によって危険度は異なり、1校ずつ丁寧に見ていくとなると、市教委にかなりの負担増になることは否めない。

 ただ、高裁の証人尋問で裁判官は市教委の元担当課長に二つのことを重ねて聞いていた。一つは、何のために危機管理マニュアルを市教委に提出させるのか。あと一つは、海岸沿いの集落から通う子どもたちの対応は考えなかったのか。元担当課長はいずれにも答えに窮し、提出については「学校から相談があれば対応してきた」と言い、海岸沿いの児童については「今思えば、(危機管理マニュアルでの対応を)すべきだった」と答えるのがやっとだった。「津波とは無縁の学校ではありませんね」という裁判官の質問が私の頭に残っている。

 これに対し、石巻市の亀山紘市長は上告の議案を8日の臨時市議会に提案。市長はその理由として、①防災の専門家でもない校長らが堤防の損壊を考え、学校が浸水するのを予見することは不可能、②「津波は来ない」という地域住民に「合理的な根拠がない」と説得するのは困難、③バットの森は避難場所としては適さない――などの点を挙げた。さらに、堤防の損壊を前提にハザードマップの浸水予想域よりも広めに津波防災を検討することなどについて、「市全体の防災計画やまちづくりの根底にかかわる」と上告理由を述べた。臨時市議会では、賛成16人に対し、反対が12人と賛成多数で可決された。

 一方で、亀山市長は事前の防災対策が焦点となったことを評価し、「示された責務については真摯に受け止め、学校防災に生かしていきたい」と語った。過失責任をめぐる論争の舞台は最高裁に移るが、震災の伝承と教訓については市も遺族も、共に手を携えて進めてほしいと私は思う。

加藤 裕則(かとう・ひろのり)

 1965年10月、秋田県生まれ。岩手大人文社会科学部卒業。89年4月に朝日新聞社入社。静岡支局や浦和支局(現さいたま総局)などに赴任した後、99年東京本社経済部員。その後、名古屋本社経済部員、青森総局次長、大阪本社経済部員。2011年4月から14年9月まで2度目の東京本社経済部員で、金融情報面(株式面)や社会保障取材班を担当した。
 経済記者としては、これまで通産省(現・経産省)、鉄鋼業界、トヨタ自動車(名古屋)、関西空港などを取材してきた。通産省クラブ時代から、コーポレート・ガバナンスや会計監査について自主的に取材を重ね、朝日新聞のオピニオン面に掲載される記者有論などで論じてきた。2014年9月から石巻支局員として東日本大震災からの復興の過程を取材。2018年4月から東京本社の経済部員として財界などを取材している。

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