メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

深掘り

オピニオン

70年前の死刑合憲判決で裁判官らが前提とした日本は変わったか

六車 明(ろくしゃ・あきら)

「死刑合憲判決」から70年
 ―裁判官たちが前提とした日本はかわったか

弁護士 六 車  明

 1 1948年(昭和23年)の最高裁判所大法廷判決

拡大六車 明(ろくしゃ・あきら)
 1952年東京まれ。1975年慶應義塾大学法学部卒。同年司法試験合格。2年の司法修習(東京)の後、1978年裁判官。東京地裁、高松家裁、法務省刑事局付検事(労働刑法)、東京地裁、仙台地裁、東京高裁、公害等調整委員会審査官。1999年退職。同年慶應義塾大学環境法専任教員。法学部、法科大学院、LL.Mをへて2018年65歳で定年退職。同年4月慶應義塾大学名誉教授。同大学非常勤講師。2014年1月、弁護士登録。
 いまから70年あまり前の1948年(昭和23年)3月12日、最高裁大法廷は、前年上告された尊属殺、殺人、死体遺棄事件(原審・広島高等裁判所)につき、11名の裁判官全員一致で、死刑は合憲であるとして、原審の死刑判決に対する上告を棄却する判決をした(最高裁判所HPの裁判例情報 http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=56385)。

 この事件で弁護人は、「死刑は憲法36条が絶対に禁ずる残虐な刑罰にあたるから、裁判所は刑法199条、200条における死刑の規定を適用して被告人に死刑を言渡すことはできない」と主張した。
 最高裁大法廷は、11名の裁判官全員一致でこの主張は採用できないと判断した。つまり、死刑は憲法が禁じている残虐な刑罰にはあたらない、という憲法解釈を示したのである。この判決には、4名の裁判官の補充意見、1名の裁判官の意見が付されている。

 日本の裁判所は以後、この最高裁大法廷判決にしたがい、死刑を言い渡してきたと思われる。

 この最高裁大法廷判決は、70年を経た今日でも維持できるものなのか。

 2 大法廷判決の法律論

 憲法36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と定めているが、刑法の規定する死刑が憲法の言う「残虐な刑罰」にあたるか否か。これがこの判決の論点である。
 裁判官たちは、憲法13条「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」の「生命」「公共の福祉」、憲法31条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科されない」の「その生命」「奪われ」について議論した。
 いずれの裁判官も、死刑は、憲法13条と31条に照らすと憲法36条の残虐な刑罰にはあたらないという結論になっている。

 3 大法廷判決の将来に向けたメッセージ

 大法廷判決を読んでみると、裁判官たちの将来へ向けたメッセージを読み取れるところがある。

 裁判官全員一致の意見

 憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によって一般予防をなし、死刑の執行によって特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもって社会を防衛せんとしたものであり、また個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性を承認したものと解せられるのである、

 島裁判官が書いた4名の裁判官の補充意見

 憲法は、その制定当時における国民感情を反映して右のような規定を設けたにとどまり、死刑を永久に是認したものとは考えられない。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる問題である。而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである。したがって、国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。

 井上裁判官の意見

 現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思われぬことその他実質的の理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云っても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」と云った様な思想乃至感情が多分に支配していると私は推察する、この感情に於て私も決して人後に落ちるとは思わない、しかし憲法は絶対に死刑を許さぬ趣旨ではないと云う丈で固より死刑の存置を命じて居るものではないことは勿論だから若し死刑を必要としない、若しくは国民全体の感情が死刑を忍び得ないと云う様な時が来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文が残って居ても事実上裁判官が死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはないのが実状だから。

 4 「死刑合憲判決」の時代

 井上裁判官は、「最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に『何と云っても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい』と云った様な思想乃至感情が多分に支配していると私は推察する」と書いている。
 当時は、「こんなものを必要と」する時代である、という認識があったのだろう。

 それでは、どのような時代であったのか。

 日本国憲法の施行は、この判決の前年の1947年(昭和22年)5月3日、裁判所法の施行も同日である。最高裁判所裁判官15名の任命は同年8月4日にされた。判決のわずか7か月前である。

 裁判官たちが議論をしたのは、当時の東京地方裁判所庁舎であり、日比谷公園に面していた。現在は、法務省と検察庁の新庁舎が建っている。最高裁が、戦災から復旧した旧大審院の赤れんが庁舎の使用を始めたのは、1949年(昭和24年)10月である(裁判所HP「写真でみる最高裁判所の50年」)。その後最高裁は、皇居に面する千代田区隼町に移り、今日にいたっている。

 最高裁発足直後の1947年(昭和22年)10月11日、山口良忠判事が、配給食糧による生活を守り、栄養失調で死亡した(中村政則・森武麿編「年表昭和・平成史1926-2011、岩波ブックレットNo.844)。
 裁判官たちが議論していた1948年(昭和23年)1月26日、帝銀事件が発生し、行員12人が毒殺される(同書)。この事件は、死刑確定事件であるが、今日にいたっても本質的なところが解明されておらず、その解明には戦時中から占領下の日本についての歴史的文書の精査など、なお、長い時間の経過を必要とすることが予想される。
 判決の後になるが、同年11月12日、極東国際軍事裁判所は、戦犯25被告に有罪判決を下し、同年12月23日、7名の絞首刑を執行した(同書)。
 裁判官たちが議論していたのは、こうした時代であった。

 5 時代は変わったか 70年を経て

 井上裁判官は、「一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」と述べた。それから70年たった今の日本は、どのような時代になったのか。

 裁判官全員一致の意見中には、「憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを肯認した」とある。

 判決文に根拠が示されておらず、私も当時の資料にあたっていないが、おそらく、裁判官たちはなんらかの客観的な資料を参照したのではないか。そして、ここ20年ほどの傾向としては、死刑を存置する国は減ってきている。1998年時点で死刑を廃止している国は70か国であったのに対し、2017年末の時点で死刑を廃止している国は106か国というデータがある(アムネスティインターナショナルのHP)。EU加盟国はすべて死刑を廃止し、死刑廃止はEU加盟の条件であって、2002年5月以降は、全加盟国が、戦時中を含むすべての状況における死刑の完全廃止を規定した欧州人権条約の第13議定書の署名国となっている(衆議院調査局法務調査室「死刑制度に関する資料」2008年6月)。

 4名の裁判官の補充意見は、「国民感情は、時代とともに変遷することを免れないから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうる」という。
 国民感情の点についても判決文に根拠が示されておらず、推測になるが、少なくとも、裁判官たちは、国民が死刑を否定しない感情をもっているという認識をもっていたであろう。この点についても、最近約20年のことではあるが、内閣府(1999年までは総理府)の世論調査結果によれば、「場合によっては死刑もやむを得ない」と回答した人の割合は、1994年73.8%、1999年79.3%、2004年81.4%、2009年85.6%、2014年80.3%となっている。

 「死刑合憲判決」から70年を経て、「現代多数の文化国家が死刑を存置している」という当時の状況はかわっていると思える一方で、国民感情はかわっていないように思える。

 6 補充意見で4裁判官が示した指摘

 4名の裁判官は補充意見のなかで、「したがって、国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない」と述べた。
 この指摘にしたがえば、今日の日本ではなお、国民が死刑を廃止すべきではないと感じている背景には、つぎの事情がかかわっていることになるだろう。

  • 国家の文化が高度に発達していない
  • 正義と秩序を基調とする平和社会が実現していない
  • 公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達していない

 70年を経ても4名の裁判官の補充意見の指摘する事情はかわっていないのだろうか。

 「死刑合憲判決」の1948年(昭和23年)は、占領下、戦後復興が始まるころである。その後、高度経済成長、公害、バブル、その崩壊、長期不況、大震災と原発事故といった出来事があり、今日においても、製造業の信頼失墜、女性差別、障がいをもつ人たちへの不適切な対応、非正規労働者の急増、外国人実習生への対応、地球温暖化対策の遅れなどがおきている。

 歴史を振り返ってみると、日本は、4人の裁判官の補充意見が指摘した事情を解消できていないのではないか。そこには、さまざまな理由があるだろうが、日本の社会が経済優先を本質とする社会であったということもあげられるだろう。

 7 その後の裁判所

 1948年の大法廷判決以降、今に至るまで、死刑の合憲性・違憲性について、裁判所から新たな判断は示されていない。

 その例外としては、大野正男裁判官(第3小法廷)が、1993年(平成5年)9月21日判決の補足意見で、この最高裁大法廷判決から45年をへていることをふまえ、死刑が合憲か否かを検討している。その結果、大野裁判官は、「今日の時点において」死刑は違憲とはいえないと判断した(最高裁判所HPの裁判例情報http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58467、大野正男『弁護士から裁判官へ』(岩波書店・2000年)167頁-177頁所収)。

 アメリカ連邦最高裁判所においては、1972年(昭和47年)6月29日、死刑を違憲としたことがあるが、1976年(昭和51年)7月2日、これを変更し、死刑は合憲であると判断している。

 8 最近の動き

 2015年(平成27年)9月、国連はニューヨークで開催した総会において、「持続可能な開発のためのアジェンダ2030(SDGs)」を全会一致で決定した。2030年までに達成する世界共通の目標として17のゴールと169のターゲットが挙げられている。地球規模からみて自然、経済はともに持続可能でなければならず、それを実現するためには、公正な社会でなければならない。
 最近、日本は、政府、官界、経済界、学界などにおいて、この国連の基準であるSDGsの実現に向けた動きが急になってきている。

 日本の社会の本質が、経済優先から、人間や地球優先、さらに将来の人間や将来の地球に配慮するという方向に変えるため、社会のあらゆるところにいる人が、みずから考え、できるところから行動に移そうとしているのではないか。

 SDGsをめぐる最近の動きは、わたしには、70年前の「死刑合憲判決」を書いた裁判官のメッセージを受け止めるもののようにも思える。日本の社会の本質がかわるのであれば、国民の気持ちもかわるということもあるのではないか。

六車 明(ろくしゃ・あきら)

 1952年東京まれ。1975年慶應義塾大学法学部卒。同年司法試験合格。2年の司法修習(東京)の後、1978年4月裁判官。東京地裁(刑事1年・民事3年、この時、日本化学工業クロム労働災害損害賠償事件を主任裁判官として担当)、高松家裁(家事と少年を3年)、法務省刑事局付検事(労働刑法4年、労働者派遣法の施行、労働基準法改正作業、昭和49年4月11日に実施された日教組スト事件の2件の無罪判決への対応、ジュネーブのILOの会議などを担当)、東京地裁(刑事2年)、仙台地裁(民事4年、東北電力女川原子力発電所民事差止訴訟の合議体構成員として担当)、東京高裁(民事3年)、総理府(当時。現在は総務省。)公害等調整委員会事務局審査官(1年、豊島(てしま)産業廃棄物不法投棄事件を担当)。1999年裁判官退職。同年慶應義塾大学環境法専任教員。法学部助教授3年、教授2年、新設の法科大学院教授13年、法科大学院内に新設の、使用言語英語、留学生と日本人対象の1年生修士課程グローバル法務専攻LL.M教授(1年)をへて、2018年3月65歳で定年退職。同年4月慶應義塾大学名誉教授。同大学法科大学院非常勤講師。2014年1月に第二東京弁護士会に登録をして刑事弁護、民事弁護、環境保全委員会の活動を開始。
 2016年6月、黒田電気株式会社の株主総会で補欠社外取締役に選任される。環境法政策学会理事、日米法学会評議員。公益財団法人世界自然保護基金ジャパン(WWFジャパン)顧問。著書に「環境法の考えかたⅠ―「人」という視点から」、「環境法の考えかたⅡー企業と人とのあいだから」(慶應義塾大学出版、2017年3月刊)がある。趣味は高校時代からのフルート演奏。

Facebookでコメントする

ご感想・ご意見などをお待ちしています。