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調査・検証

連載小説 ・ 飛ぶボール疑惑

連載小説3回表:顧問弁護士とともに監督・選手に事情聴取した結果は…

3回表 チャンプ

滝沢 隆一郎(たきざわ・りゅういちろう)

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 翌朝、中島は習慣どおり午前6時30分には目が覚めた。球団事務所に呼ばれているのは午前10時だったから、ずいぶんと時間があった。ホテル内で営業しているスポライのコンビニ店舗に行き、スポーツ新聞だけでなく一般紙も購入すると、朝食を摂る前にすべて目を通した。

 久松社長の根回しがきいたのか、どの新聞も飛ぶボール疑惑に触れてなかった。インターネットのニュース記事や「飛ばし」で知られる関スポ・レベルの疑惑段階では、紙面に載せられないという判断もあったのだろう。球団の方から騒ぎを大きくしたくないという久松社長の判断にも一理ある。

 久松への不快感はあるが、そのことは別にして、スポライやベイライツの利益を優先して考えるのは中島にとって自明の理だ。もちろん、木村亜矢子社長室長が、ひとまず社内で調査しながら、外部の有識者の意見を聞くという折衷的な調査方法を提案したことも了解した。中島は本社から単身乗り込んできて、情報も人脈も何もない。

 昨日は球団事務所を出て、隣接しているベイライツ・ホテルに行くと、木村室長が言っていたとおり、高層階の眺めのよい部屋に通された。すぐに中島は室内からスポライ本社の植田オーナーに一報を入れた。社長の久松は、飛ぶボール使用の事実を全面的に否定したが、真相はまだわからないこと、有識者による調査委員会という方法をとるべく人選を始めることを報告し、球団には調査予算がなく本社でも一部負担いただけないかとお願いをした。植田の答えは「金の心配はしないでよいが、まずは球団の経費で何とかせい」だった。社員に決して楽をさせてくれないのが植田流だ。

 気を取り直して、中島が持参したノートパソコンをインターネットにつなぐと、大手マスコミ以外の、いわゆる独立系のネットメディアの中には、昨日の関スポの記事をコピーしたような後追い記事がいくつか出ていた。また、匿名掲示板「サイバーちゃん」には前夜に引き続き引用記事や憶測コメントが多数書き込まれていたし、この話題を取り上げた個人ブログもいくつかアップされていた。火種はくすぶりつづけていて、いつか大火事になりうる状況であることに変わりはなかった。

 昨夜のことを思い出しながら、中島が10時に球団事務所に出ると、木村室長が「球団の顧問弁護士の岩丸鉄郎先生です」と言って、60前後の落ち着いた男性を紹介した。今日の彼女はグレー地にストライプの入ったビジネススーツの上下をぴしっと着ている。

 「岩丸先生は今までも何かと相談に乗ってくださっており、今回の件でも、どなたか検察官出身の先生をご紹介いただこうと連絡を差し上げたんです。ただ、今日からすぐ、関係者との面談があるということなので、同席していただけないかと思いまして、無理を言っておこしいただきました」

 「岩丸です。詳しい話は今お聞きしたところです。亜矢子ちゃん、いや失礼、木村さんに頼まれると断れなくてね。いやいや、よろしくお願いします」

 「スポライの中島です。私の方こそ、いろいろご指導いただきたいと思います」

 打合せであれば、早く来て同席を希望したのにと思いつつ、中島は友好的な笑顔で接した。会社で女性に対し、ちゃんづけとは、ずいぶんなれなれしいというか、時代錯誤的だが、見た感じ、岩丸は人当たりのよい雰囲気だ。そこは経験豊かそうな弁護士だけに、職務上での演出をしているとも考えられるが、小狡そうな印象は受けない。昨日、顧問弁護士は社内の立場に近いから調査には望ましくないという話もしたが、本人を前にしてはひとまず受け入れるほかない。

 木村室長から、今日は試合があるので、その前に玉原監督、ネットの記事で疑惑のホームランと書かれたあんまんこと安田満選手、飯谷裕三選手を呼んでいることの説明があった。

 「それじゃ、私はオブザーバーということで、中島さんの方で、中心的にお話をお聞きになってくださって結構ですよ」

 岩丸弁護士は、彼らを問いつめたり、積極的に関与する気はないように見える。中島の方も特に質問事項を準備してきたわけではないが、何とかなるだろうと思う。

 やがて、席を外していた木村室長がゆったりとした歩き方で戻ってきた。玉原監督の来訪を告げる。

 栄光の東京ジーニアス四番打者として三冠王2回。フリーエージェント宣言をして、メジャーリーグの四番を務めた日本野球界の至宝。玉原が四番を打つチームは幾たびも優勝してきたことから、チャンプと尊称されている。しかし、玉原一郎が尊敬されるのは、その数字や実績だけからではない。ともすると、スタープレーヤーは自分の成績だけを追い求めたり、金銭的な評価を要求しすぎる傾向がある。ところが、玉原はチームプレーに徹し、必要な場面では自らバントも試みたし、右方向へゴロを転がし二塁走者を進めることも厭わなかった。その上でのあの個人成績である。もちろん、少年時代の中島もチャンプの大ファンだった。

 その玉原一郎から、飛ぶボールの事情を聞かねばならないのだ。いやが上にも、中島は緊張した。

 ドアを開けて入室してきた玉原監督に中島は軽い衝撃を受けた。その人が入ってくるだけで、場の空気ががらっと変わる。それまでの沈滞した雰囲気が消え、そこが晴れ晴れとした祝いの席であるかのような錯覚に陥らせるオーラが出ている。

 背筋がぴっと伸びて、身体が左右にまったく揺れていない。下半身がしっかりして、重心がぶれていないからだ。口を固く閉ざし緊張感のある表情ながら、目元には温かみのある微笑を浮かべている。

 肚の据わり方が並の人間とは違うと中島は思った。重い責任感を背負って数々の修羅場を乗り越えてきた者だけが見せる風格とでも言うのだろうか。

 木村室長が中島と岩丸弁護士を紹介する。中島は握手した。がっしりとした力強い手だった。

 「玉原監督、早い時間におこしいただきまして、恐れ入ります。何しろ事情が事情なものですから、まず最初に玉原監督のお話をお聞きしておくべきかと思いました。よろしくご協力ください」

 「このたびは、大変ご心配をおかけして申し訳ありません」

 事情聴取と言っても、応接ソファで向き合うかたちにした。木村室長は退室し、中島と岩丸弁護士が並んで座っている。

 「監督、今回、一部のインターネット上の記事に、ベイライツが6回の裏の攻撃時だけ、飛ぶボールを使っているということを書かれました。大変恐縮ですが、ベンチで采配をお取りになっていて、それらしいことを感じたことはございますか」

 「そういうことを感じたことはありません。私にはまったく信じられません。あり得ないことだと思います」

 「と言いますと」

 「お二方がご存じかどうか、ピッチャーが新しく投げるボールは、主審が手元に持っている5、6個の中から、適当に渡します。6回の裏の攻撃のときだけ、都合よく飛ぶボールを取り出して使えるはずがないんです」

 「それは、私もそう思います」

 「もし飛ぶボールに取り替えても、うちの攻撃だけでなく、相手の攻撃でも、飛ぶボールが等しく使われることになるはずで、うちだけに有利ということはありえません」

 「やはり、そうですよね。話を少し変えますが、もし、飛ぶボールに変われば、打者は有利なのでしょうか」

 「それはどうでしょうか。仮定の話には答えにくいのですが、シーズンを通した本塁打数であればともかく、1イニングに限った話であれば、ほとんど変わりはないと思います。むしろ投手の調子の方が重要でしょう。一流の投手が相手であれば、飛ぶボールを使っても打てません。逆に、球に威力がない投手であれば、飛ばないボールでも十分点を取ることができます。打者出身の私が言うとおかしく思うかも知れませんが、野球は投手次第なのです」

 玉原監督の話は、素人目にも合理的で納得がいく。中島としても、現場の声として疑惑を全否定する話が聞けたことは収穫だ。落ち着いた話しぶりから、チャンプが嘘をついているとは到底思えない。

 「先週のジーニアス3連戦では、すべて6回の裏に逆転に成功しました。最終戦では、安田選手と飯谷選手にホームランが出ました。これらは、飛ぶボールが原因ではないとおっしゃりたいのですね」

 「もちろんです。私は選手たちの頑張りや日頃の努力を評価しています。もし、飛ぶボールに変わったからホームランを打てるようになったと言うのであれば、プロの選手なら全員ホームランを打てますよ」

 玉原監督は中島の目を見て断言した。疑っていると思われた中島の方が恥ずかしくなる気がした。岩丸弁護士にも質問がないか促したが、彼は何もないという返答だった。

 「玉原監督、試合前の貴重な時間に、気を煩わせて申し訳ありませんでした。何しろ事情を聞き始めたばかりですので、失礼はお許しください」

 「私でお役に立てることがあれば、何でも言ってください。私は球団の判断に全面的に従います」

 「実は、オーナーの植田から、何があっても玉原監督をお守りするようにと言われております」

 玉原の一点の曇りも感じさせない真摯な態度を見て、中島はどうしても伝えたくなってしまったのだ。

 「どうか私の立場は気にしないでください。それよりも選手たちのことを守ってやってください」

 事情聴取の終わりを告げるため、中島の方から立ち上がった。立ち上がった玉原は一礼した。見送った中島は室内に清々しい風が吹いたように感じた。

    2

 玉原監督の面談を終えたところで、昼どきとなり、木村室長がベイライツ・ドーム弁当を運んできた。残りの2人の選手は午後の時間に呼んであるとのことだった。

 弁当を食べながら、岩丸弁護士は、どうやら噂は真実ではない感じですねと意見を述べた。

 「そうだといいですね。まだ何ともわかりませんが」

 中島はあいまいに相づちを打った。岩丸弁護士は、とにかく食べるのが速い。おかずやご飯をぱくぱくっと口に入れている。出されたお茶は熱いはずだが、気にせず流し込んでいる。

 「先生、もっとよく噛んでゆっくり食べないとお体によくないですといつも申し上げているじゃありませんか」

 中島の感想と同じことを木村室長ははるかにやさしい言い方で指摘した。

 「いやあ、頭ではわかっちゃいるんだけどね。弁護士に必要なのは、早寝早起きではなく、早食い早ぐそ早歩きです。おっと、食事中にレディの前で失礼」

 岩丸弁護士があまり失礼に思っている風でもないところが逆に憎めない。岩丸が指摘したことは、せっかち、いらっちの植田力オーナーの後を走って追っかけるスポライ社員も一緒のことだ。

 午後1時になり、あんまんこと安田満が応接室に案内されてきた。チームの主砲、四番打者で、ホームラン王へ2位以下を大きく引き離している。もし飛ぶボールが事実であれば、もっとも恩恵を受けた選手ということになる。ネットの記事にも疑惑のホームランの実際例として上げられてしまっている。

 安田は上背も横幅も大型サイズだ。立場上スーツこそ着てきたが薄ピンクの派手なものだった。悪ガキ大将然とした顔を一層ぶすっとさせて不満を表明している。あいさつもそこそこに、一方的にまくし立てた。

 「どうして、自分が呼ばれなきゃいかんのですか。バッターは、ピッチャーが投げた球を打つだけですよ。ピッチャーが飛ぶボールを投げるのかどうかなんて、わかるわけないっしょ。自分で、飛ぶボールはこれですよとピッチャーに渡したとでも言うんですか」

 中島はだまって聞いていた。感情的になっている相手には、不満を吐き出させることも必要だし、話をつづけさせる方が、思わぬ情報を聞けるかも知れないと思う。相手の沈黙に耐えられる人は少ない。

 「あんた、ホームランの打ち方、知ってるの」

 「いや、知りません」

 「ボールの直径は?」

 「それも、知りません」

 「素人に、野球の何がわかると言うの。ここにボールがあるとするでしょ。真ん中の線、地球で言えば、赤道のあるところ、中心から一センチ下のところを、下から上に回転をかけるように打ち抜くんだよ。そうしたら、打球は高く舞い上がるから」

 中島の方から、ボールがよく飛ぶと感じたことはないか、あるいは、そういう噂を聞いたことがあるか、質問できる雰囲気ではない。安田が一方的に話しつづけた。

 「自分は、高校からプロの世界に入って、才能と勢いだけで野球をやってきたよ。それが30半ばに体力が落ちたのとケガが重なった末に戦力外通告さ。腐っていた自分に、ホームランの打ち方を教えてくれたのがチャンプ、玉原監督なわけよ。目から鱗が落ちるとはこのことさ。ホームランの打ち方なんて、それまで誰も教えてくれなかったからね。もちろん、恩義を感じているよ。チャンプを優勝させることができるなら、俺は喜んで、空飛ぶボールでも、何でも打つよ」

 最後は、守備専門の人、飯谷内野手だった。プロ入り後8年間、昨年まで本塁打ゼロだったが、今年はホームのベイライツ球場に限って5本もかっとばしている。ネット記事を確認すべく中島が過去の試合記録を調べてみたところ、すべてが負けているか同点の試合の6回裏の一発だった。

 飯谷は九州男児らしく、一本気な印象の青年だ。選手名鑑が頭に入っている中島は、26歳になる飯谷の年俸が一軍選手としては、いちばん低いランクの1200万円であること、去年は主に終盤の守備固めで90試合に出場しており、今年、故障がちなベテランと併用されるかたちで、初めて準レギュラー扱いを受けていることを知っている。

 疑惑が真実であれば、彼もまた、飛ぶボールの恩恵を大いに受けている選手だ。中島は安田のときのように気圧されてはいけないと気を引き締めた。相変わらず、岩丸弁護士は下を向いてメモを取っている。

 「飯谷選手、好調ですね。私はベイライツの大ファンで、飯谷選手が試合前にまじめに練習している姿を知っています」

 「それは、どうもっす」

 「ところで、今年、好調の原因について、ご自分ではどう思っていますか」

 「練習で鍛えてくださる監督、コーチのおかげだと思っています」

 真面目一徹で、うち解ける雰囲気がない飯谷に対し、中島は自分の主義にはまったく合わないが、あえて圧迫的な質問をしてみるしかないかと思った。圧迫質問は、相手が返答に困る質問をすることで、相手を感情的にさせたり、嫌な事柄への対応力を見ようという心理学的な面接手法と聞いている。

 「特にホームのベイライツ球場では、5本もホームランを打っているそうですね。他の球場とは何が違うんですか」

 「長打力のない自分にとって、ホームランは偶然の結果にすぎません。自分は不器用なところがあって、きちんと準備して試合に臨みたいタイプです。ビジター遠征では、どうしても集団行動に合わせて気疲れします。その点、ホームは自分のスタイルで試合に入ることができます」

 プロ野球の選手でも、そんなものなのかと思う。以前、妻との離婚調停が原因で、マウンドで集中できないと泣き言をもらした投手がいるというゴシップ記事を読んだことがある。世間的には高給取りたちの華やかな世界だが、所詮は同じ人間である。むしろ社会経験が少なく、うぶで純粋な選手も多い。しかし、飯谷の理路整然とした返答を聞きながら、かえって理路整然としすぎている不自然さを中島は感じた。

 「しかも、5本すべてが、6回の裏に出ているというのは偶然とは思えません」

 「そんなことは僕にはわかりません。投手は勝利投手の権利が得られる5回を投げるのが大変と言われますが、6回はそれを乗り切ってほっとするのと、疲れが出てくるというのはあると思います。中継ぎにしても、7回以降は勝ちパターンを持っているチームが多いですが、6回に出てきた投手の調子が悪いことだってあります」

 確かに、最近のプロ野球では、勝ち試合に起用する投手を固定している。最終回を抑えるクローザーの前に、8回を担当するセットアッパーが必要となり、ついには、もう一つ前の7回を投げる投手まで固定できるかが重要となっている。ベイライツでも、荒尾、小塚、馬場の通称AKBトリオが売り出し中だ。

 抑えトリオが安定していれば、先発は7回途中、少なくとも6回まで投げきればよいことになる。7回以降に逆転できる可能性が小さいとなると、6回終了までに試合をリードしておく必要がある。ミラクル・シックス、6回裏に逆転する意味は大きいのだった。

 「中島さん、一軍の試合に出つづけるために、どれだけつらい練習に耐えてきたか、わかりますか。期待されてプロに入った選手でも、芽が出ずに去っていく者がほとんどです。座っていれば、定年まで仕事が与えられるサラリーマンとは違うんです」

 それは違うと、中島は思う。しかし、そのことをこの若者に言っても、まだわからないと思って、だまっていた。

 「僕の5本のホームランが不正だと言うんですか。僕だって高校時代には甲子園に出ました。エースで四番です。この8年間、守備だけでなく、打撃も人一倍練習してきました。僕の5本は誰にも取り消させません」

 飯谷は一気に話した。飯谷の練習熱心さは、中島も知っている。やはり圧迫質問をするのは気持ちのよいものではないなと羞恥を覚えた。

 「何とか言ってくださいよ。早出の自主練習をしますので、もういいですか」

 「ご苦労様でした」

 中島の返答を聞くと、飯谷は一礼して退室した。

 「話を聞いて、選手たちは潔白だと僕は思いましたよ」

 それまでメモを取るだけで、質問をしなかった岩丸弁護士がにこやかに言った。中島だってその方がよいに決まっている。しかし、どうしてかはわからないが、このまま安易に疑惑を否定できそうな気にはなれなかった。(次回につづく

 ▽この物語はフィクションであり、登場する人物や会社、組織などはすべて架空のもので、実在のものとは異なります。

滝沢 隆一郎(たきざわ・りゅういちろう)

 1966年生まれ。弁護士。東京大学法学部卒。架空の保険会社を舞台にした小説『内部告発者』(角川文庫)で2004年に第1回ダイヤモンド経済小説大賞(現・城山三郎経済小説大賞)を受賞。「滝沢隆一郎」はその際のペンネーム。本サイトにプロ野球とコンビニ経営企業を題材にした小説『ミラクルシックスの大飛球』を連載した。
 弁護士としては、商取引、営業秘密保護、リスクマネジメントなどに詳しい。また、脚本協力・法律監修で50作品を超えるテレビドラマ制作等に関与している。38年間にわたって日本ハム・ファイターズの熱烈なファンである。

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