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調査・検証

連載小説 ・ 飛ぶボール疑惑

連載小説5回裏:プレスリリースに記者から苦情

5回裏 コンビニ店長

滝沢 隆一郎(たきざわ・りゅういちろう)

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 中島がスポライ本社に戻ると、1階入口のロビーが騒々しい。近づいてみると、4、5人の男たちに囲まれて、短躯の久松優球団社長が何やら興奮気味に応答していた。

 「社長、どうされたんですか」

 「おう、中島か。こちらは、熱心な記者さんたちや。午後に調査委員会のプレスリリースを出したんだが、そのことで文句を言われてるんや。調査はあんたの発案なんやから、対応してや」

 取り囲んでいた男たちが一斉に中島の方を向いた。その中の一人が前に出て、「神戸中央新聞社会部の黒木です」と名乗り、A4の紙をつきつける。

 「調査委員の名前を公表できないというのは、どういうことですか」

 午前中に確認したプレスリリース案には、もちろん調査委員の名前を記載している。中島は驚いて久松の方を見たが、彼は渋い顔をして横を向いてしまった。仕方なく出されたA4の紙を受け取り、急いで目を通す。

 ネット上の記事を発端として噂になっているベイライツの「飛ぶボール」疑惑に関し、球団は疑惑を否定していることがまず記載されている。その上で、中立公正な調査委員会を立ち上げ、真相を究明するとあるのは、中島が見た原案どおりである。しかし、具体的な調査委員の名前は、記載されていない。その部分は削除され、末尾に説明があった。

 「報道機関の個別取材が行われますこと等により調査に支障を来すおそれがございますので、調査が終了し報告書を提出するまで、調査委員の氏名の公表は差し控えさせていただきます。平穏かつ迅速な調査のため何とぞご理解ください」

 球団の考えも一理あるが、これでは新聞記者たちが憤るのも無理がないと中島は思った。もともとジャーナリストの鳥谷誠行やOBの梨本信三元監督らをメンバーにしたのは、調査が公正に行われていることを世間に信頼してもらうためでもある。調査委員の氏名が非公表では、中島の意図が伝わらない。このタイミングで新聞社を敵に回すことは得策ではない。

 しかし、中島もスポライという組織の一員であり、ベイライツを守るべき立場である。久松と内輪もめしている場合ではない。

 「私は調査委員会の事務局を務めております中島と申します。第1回の調査委員会は昨日すでに開催されました。何しろ急を要する案件でございますので、委員の先生方に氏名公表の確認と同意をいただいておりません。氏名を公表できるかも含め、引きつづきご報告いたしますので、記者の皆様、今日のところは、どうかお引き取りください」

 「弁慶の勧進帳読上げ」といわれればそれまでだが、中島はとっさに思いついた理由を話した。

 「そんなことで球団を信用できると思っていますか」

 「紙切れ1枚ではなく、正式な記者会見を開いてください」

 記者たちが口々に言う。

 「玉原監督はなんだと言っていますか」

 「監督や選手が調査を受けたという話は本当ですか」

 もう伝わったのかと中島は思った。人の口に戸は立てられない。いくら箝口令をしいても、その手の話はもれていく。中島も必死に応じる。

 「今は調査中ですので、何も申し上げられません。真相はわかっておりません」

 「球団ぐるみではないんですか。どうなんですか」

 「もし疑惑が真実だった場合、どう責任を取るんですか」

 久松社長と一緒にエレベーターの扉まで移動しながら、記者との間で押し問答がつづく。久松は何を聞かれても無言だ。

 守衛や1階にいた職員も現場にかけつけてきた。彼らが両手を広げて間に入ったため、記者たちはエレベーターの中には同乗してこなかった。

 「余計なことするから、やっぱり騒ぎになったやないか」

 「どうして、調査委員を非公表にしたんですか。私が確認したプレスリリースには、名前が記載されていたはずです」

 久松の非難に答えず、中島は質問した。

 「そんなことはどうでもええやろ。責任はあんたに取ってもらうで」

 エレベーターを降りた久松は、そう言い捨てると、中島の顔の前に右の手のひらを広げ、ついてくるなと制した。

 久松がずかずかと廊下を歩いていき、社長室へと消えたのを見届け、中島は、一般職員用の事務所のドアを開けた。気のせいだろうか、3人いる職員たちは中島の方を見たあと、だまって顔を伏せて、手元の仕事を再開したようだ。中島は室内に用意された自分のデスクに戻った。

 中島が球団ホームページで「調査委員会設置のご報告」と題された短い記事を確認していると、携帯電話が鳴った。番号を教えられ登録しておいた木村亜矢子からの着信だった。

 「中島さん、木村です。お疲れ様です。久松社長から連絡を受けたのですが、大変でしたね」

 いつもの丁寧な言い方であったが、今朝の冷たい感じではなかった。そういえば、木村は外出すると言っていた。

 「木村室長、プレスリリースの件ですが、今朝見せてもらった原案から変更されていました。何かご存じですか」

 「申し訳ございません。わたくしも外出しており、社長の方で手を入れて、事務的にリリースしたようです。ただ、マスコミには手を回して、ニュースとして取り扱わないか、せいぜい4、5行の小さな記事で済む見通しです」

 果たして、そんなことができるのだろうか。「どういうことですか」と中島は質問した。

 「大きな声では言えませんが、スポライはCM量が多いでしょ。広告代理店の担当の方が気を利かせて連絡してくれたそうです。それと、記者会見の映像がないため、テレビのニュースでは流さないだろうという話です」

 「そうですか。それはよかった」

 中島は相づちでお茶を濁した。今日押しかけてきた現場の社会部記者たちがそれで収まるとも思えないし、企業の不祥事や有名人のプライバシーを取り上げることで販売部数を伸ばそうとする老舗週刊誌だってある。

 疑惑は事実無根で球団は潔白だというなら、調査委員を堂々と公表すればよい。久松社長の姑息な対応に、中島はいらだちを覚えた。それとも、何の確証もつかめていないが、隠しておかねばらない秘密がやはり存在するのだろうか。

 どうすればよいのか。このままチームを、選手たちを、監督を見つづけるしかない、おかしなことがあれば、必ず何か見えてくるはずだと中島は思った。

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 この日の夜もベイライツは負けて、ホームでドラゴンズに3連敗した。ネット記事で飛ぶボール疑惑を書かれて以来、6回裏の逆転、ミラクル・シックスは起きなかった。

 そのことがさらに憶測を呼び、大手匿名掲示板「サイバーちゃん」の書き込みをまとめたサイトだけでなく、ピクシーズなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)内のファンサイトでも、チームを感情的に非難するファンの声が増え始めていた。

 インターネットの世界では、根拠も検証されることなく、疑惑や噂が何度も書き続けられると、いつしか虚偽だと否定できない方がおかしい、どうやら噂は事実らしいという風向きになることがあるから恐ろしい。

 翌日、広島に乗り込んだベイライツも最悪だった。中島もチームの遠征に帯同していた。選手たちとの間には垣根があるままだが、中島が顔を見せることで、何かおかしな動きがあれば、真相解明の取っ掛かりになるだろうとの考えからだ。

 試合は3回裏までは左の先発高野が持ちこたえ、4回表に1対1に追いついたが、その裏、高野は突然、制球を乱し、3連続四球で満塁にした後、2点タイムリーに3ランホームランで、あっと言う間に1対6。

 その後は出てくる中継ぎ投手が次々と打ち込まれ、合計12失点。一方、打線は5回以降、散発3安打で、2塁も踏めない状態だった。ホーム球場ではないのでミラクル・シックスもない。実際、6回表も7回表も何も起きなかった。

 大量失点の試合終盤から、広島まで遠征してきたコアなファンたちが「飛ぶボールに変えないと打てないのか」、「インチキしないと勝てないのか、この野郎」などと騒ぎ出していた。

 試合終了後も、ファンや応援団の一部が球場出口を取り囲んで、なかなか帰ろうとしない。中島は、球場内の関係者控え室で、外の騒ぎ声を聞いていた。

 「玉原、出て来い。辞めちまえ」

 「玉原解任、解任!」

 怒りの矛先は代表して玉原監督に向かっているようだ。チームのファンとは思えない聞くに耐えない罵声だった。

 確かに不甲斐ない試合をしたのは事実だ。しかし、金を出してチケットを買ったファンなら何を言ってもいいのか、選手だってわかっている、チームが苦しい今こそ、チームを勇気づける応援をしてほしいと思う。中島は居ても立ってもいられず、控え室を飛び出した。

 ちょうど玉原監督以下、選手たちがホテルへ帰るため、球場の建物から貸切バスに乗り込むところだった。すでに「辞めろ、辞めろ」という一定のリズムをもった大合唱となっている。

 選手たちは次々、前かがみになって足早でバスに乗り込む。ファンの罵声にさらされている姿を、警備員は手を後ろに組んで、立って見ているだけだ。中島は警備員に対し、もっとファンの方へ行って、騒ぎを制止するようにしてほしいと頼み込んだ。

 すると、若い警備員は大まじめな顔をして、こう言った。

 「自分の持ち場を離れるなと言われてますから」

 「ファンが騒いでいる、あそこが持ち場じゃないのか」

 中島はかっとなって言い返した。これでは玉原監督たちに危害が加えられても、横に立ったままだろう。金網フェンスを乗り越えようと叫んでいるファンの群れの方へと、中島はロープをくぐって走って行った。

 両手を開いて、「落ち着いてください」と大声で叫んだ。心臓の鼓動が速くなるのがわかる。その一方で、自分も落ち着いてないじゃないかと冷静に思う自分がいる不思議な感覚だった。いくらなだめても、騒ぎは鎮まる気配がない。怒鳴り声とともに、中島めがけてペットボトルの水が容赦なく浴びせられた。

 建物の出口に、玉原監督の姿が見えた。中島はあわてて近寄る。

 「監督、私が防ぎますから、急いでバスに乗ってください」

 玉原は大きく目をむいて驚いた表情をしたが、中島だとわかると「わかりました」と頭を下げ、通り過ぎた。

 玉原をかばって大きく手を広げた中島の背中に、ぐしゃりと異物が当たった感触があった。

 「やめてください」

 叫びながら中島が振り向いたところに、何かが頭に当たって割れた。中島が右手で頭髪を触ると、どろりとした感触だ。手のひらを街灯で照らしてみると、黄色く光っている。生卵だった。

 どうにか無事に玉原監督が乗り込んだバスは、到着した警官に守られるようにして車道へ出て走り去った。その間、玉原辞任を求める大合唱が止むことはなかった。

 選手たちと同じバスに乗るわけにはいかない中島はしばらく歩いてからタクシーをつかまえて、ホテルに戻った。試合に負けたボクサーのように打ちひしがれていたのだろう、夜勤のフロントが恐る恐る近寄って来たが、中島は「大丈夫です」と手で制した。どうして人は、大丈夫でないときでも大丈夫と言ってしまうのだろう。

 部屋に行き、スーツを脱ぎ捨てネクタイを外すと、汗のしみたシャツとパンツも脱ぐ。中島はユニットバスに行き、熱めのシャワーを頭から浴びた。頭髪にこびりついた汚れを洗い流す。熱い湯にあたりつづけると、身体の中の血液まで熱くなり感情が高ぶってくる。

 「ふざけんな」

 右のこぶしを左の手のひらに叩きつけた。シャワーから出て、備え付けのバスローブに着替える。遠征に同行しなかった木村亜矢子室長には報告しておく必要がある。というよりも、木村亜矢子の声が聞きたかった。中島は携帯電話の着信履歴をリダイヤルしようとして、しかし、やめておいた。

 「大変でしたわね」と慰めてもらいたいのか。泣き言を言う男には、まだなりたくないと思い直したためだ。

 ベッドに倒れ込むようにそのまま寝付こうとした枕元で電話が鳴った。東京にいる妻のさゆりからだった。結婚して10年になる夫の中島を今もミツオ君と君づけで呼ぶ妻だった。

 「こんな時間に、どうした」

 「どうしたもこうしたも、ミツオ君、大丈夫なの。今スポーツニュースにあなたが映ってたわ。玉原辞めろってファンが騒いで、卵をぶつけられた姿が映っていたの」

 ああ、なんてことだ。

 「それは、相当男前だったろ」

 「冗談はやめてよ。玉原監督は大丈夫かしら。辞めなきゃいけないの。スポライはどうなってしまうの」

 「それは、俺にもわからん」

 「東京へのお戻りは、いつになりそうなの」

 「そうだな。明日は一旦本社に戻って、植田オーナーに報告する予定だから、家に帰れると思うよ」

 電話に、ほんの少し、沈黙があった。

 「どうした」

 「ミツオ君、何だか、楽しそうね」

 「あほか。生卵ぶつけられて、楽しいやつがおるか」

 「ごめん、そうよね。帰ってくるの、待ってるわ」

 「ああ。今夜はひどい目にあって、もう眠いから。お休み」

 中島は電話を切った。妻は不思議と勘が働くところがある。確かに自分は、木村亜矢子の声を聞きたいと思った。明らかに妻への裏切りだ。しかし、中島が妻を思う気持ちに変わりはない。それは男の身勝手だとも思う。

 今後、木村亜矢子への思いの方が強くならないという保証はあるだろうか。もしそうなったとき、自分は、妻に向かって何か言えることがあるのだろうか。考えまいとすればするほど、中島は目が覚めてしまい、その夜はなかなか寝付くことができなかった。(次回につづく

 ▽この物語はフィクションであり、登場する人物や会社、組織などはすべて架空のもので、実在のものとは異なります。

滝沢 隆一郎(たきざわ・りゅういちろう)

 1966年生まれ。弁護士。東京大学法学部卒。架空の保険会社を舞台にした小説『内部告発者』(角川文庫)で2004年に第1回ダイヤモンド経済小説大賞(現・城山三郎経済小説大賞)を受賞。「滝沢隆一郎」はその際のペンネーム。本サイトにプロ野球とコンビニ経営企業を題材にした小説『ミラクルシックスの大飛球』を連載した。
 弁護士としては、商取引、営業秘密保護、リスクマネジメントなどに詳しい。また、脚本協力・法律監修で50作品を超えるテレビドラマ制作等に関与している。38年間にわたって日本ハム・ファイターズの熱烈なファンである。

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