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調査・検証

連載小説 ・ 飛ぶボール疑惑

連載小説6回裏:調査委員会の結論の方向性は

6回裏  若きIT経営者

滝沢 隆一郎(たきざわ・りゅういちろう)

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 「おい、中島、生意気な連中だったな」

 専用車に戻ると、植田はそう言って相好を崩した。

 「そうですね。うちが球団を売却して、当然買えるものと決めつけている」

 「だが、面白いやつらだ」

 植田は本気で球団を売却しようとしているのだろうか。あの種の若手経営者と面識があって話をしているとは意外だった。

 「なあ、世の中を変えていくのは、いつだって、若くて、おかしな考えを持った連中だ。訳知り顔で社会常識を口にし、上司の顔色をうかがうような輩が、世の中をよくしたことなど一度もない」

 植田がひとりで話し始めた以上、中島も聞き役に回らざるを得ない。

 「今の社会や教育は、型にはまった同じロボット人間ばかり作り出している。個人的な欲求以外、自分でものを考えようともせず、会社から言われた業務を手っ取り早くこなす、効率のよさばかり考えるやつが多い。それで、枠からはみ出した人間には負け組だなどとレッテルを貼って排除して、自分の身を守っている。
 いいか、わしは他人が言わないことを真っ先に言い、他人と違うことばかりやってきたから、成功したと思っている。何でも他人と同じロボット人間なんて、くそくらえだ」

 中島の方を見ていた植田が正面に向き直り目を閉じた。

 「今のコンビニは、人に、社会に、夢を与えているか」

 改まって植田は何を言い出すのだろうと中島は思った。

 「いや、与えるという表現はごう慢だな。人は、社会は、今のコンビニに夢を抱いていると言えるか」

 「CEO、ええ、そう思いますよ」

 「ええ加減なこと抜かすな。以前だったら、近くにコンビニができて本当に便利になりましたとお客さんに喜ばれた。今はどうだ。24時間営業しているのは当たり前。新発売の商品が揃っているのは当たり前。コンサートの切符を売っておっても当たり前。夢なんかあらへん」

 植田は怒鳴っているわけではない。静かに本心を語っていることが中島にも伝わってくる。

 「中島、どうなんだ。スポライの社員は、いきいきと働いているか。店長たちの目は喜びに輝いているか。アルバイト店員は、働きがいを感じているのか」

 フランチャイズ契約の理不尽さと戦い、志半ばで倒れた福原社長のことを知っているだけに中島は反論できなかった。植田CEOは、そんなことまで考えるようになったのかと中島は思う。もし福原社長が生きていて、今の植田に直談判できたら、どういうことになっただろう。

 「何や知らんが世間でコンビニ王とか言われているわしは全人生をかけて、そないな会社を作りたかったのか」

 植田は瞑目した。今のコンビニは人に社会に夢を与えているか、植田の問いかけを中島は頭の中で何度も繰り返し自問した。

 その夜、中島は会社の部署に寄った後、5日ぶりに東京都町田市の自宅マンションに帰った。「出張ご苦労様でした」と妻のさゆりが出迎える。小学2年生の長女はもう寝ている時間だ。

 中島は神戸で玉原監督に会ったこと、調査委員会、生卵事件のことなどを妻に語った。つい木村亜矢子室長の有能な仕事ぶりも話しすぎてしまう。もちろん、会社の業務は妻にも言うべきでないことはわかっている。しかし、飛ぶボール疑惑の調査に行き詰まっている中島は、妻にも意見を求めてしまう。

 「ミツオ君、その久松という社長が絶対怪しいわよ」

 「どうして」

 「だって、球団が知らないところで、ボールの持ち運びなんてできるわけないでしょ」

 「それはそうなんだが、球団ぐるみでそこまでやっているようには見えないし、物証のボール自体が出て来ない」

 「きっと誰かが隠しちゃったのよ」

 「第一、ボールを取り替えて、球団に何の得があるっていうんだ」

 「そりゃ、成績が悪いより、いい方がいいに決まっているでしょ。お客さんの数だってそうだし、チームだってニュースになる機会も増えるし」

 「それはそうだけど、重大なルール違反までするものかな」

 「あら、名門の優良企業だって、法律に違反して損失を隠しつづけたりしてましたよね。それに最近、フランチャイズ店舗の値引き販売を妨害したって公正取引委員会から指摘されたのは、どこの有名企業でしたっけ。ご立派なコンプライアンスだこと」

 妻のさゆりは、厳しいことを明るく言ってのける。どちらかというと生真面目なタイプの中島は、問題点があると真剣に言ってしまう。明るく言うことで、多少なりとも言われた方の不快感は減るのかも知れない。妻の明るさを見習わねばと思う。

 コンプライアンスとは何だろうか。

 法令遵守と訳されているが、わざわざ英語のカタカナで言い換えねばならないことなのだろうか。そもそも企業は、法令を守りましょうと指導されないと、法令を守れないものなのか。

 最近、中島は不思議な体験をしていた。母親が10年以上前に有名デパートの展示会で買ったブランド品の指輪を、そのブランドの直営店舗に修理に持って行ったところ、自社の商品か不明であると修理を受け付けてもらえなかったのだ。母親の代理で中島が購入したデパートに問い合わせたところ、そのブランドの商品であることの保証書は再発行できないという回答であった。

 そこで、真正な品物だと保証できないのであれば、返品したいと申し出たところ、デパートから依頼を受けた顧問弁護士の回答に驚いた。

 「会社のコンプライアンス上、裁判所の正式な判断がない限り、返金には応じられません」

 コンプライアンスというのは、企業が法令を守るためにあるのではないのか。自分の店で売った商品が本物かどうか保証できないのに、法令遵守を理由に返金に応じないという理屈があるのか。これではコンプライアンスの悪用ではないか。中島にはまったく理解できなかった。

 中島の母親も納得しなかったが、70歳近くになって、わざわざ自分から裁判を起こしたいとも思わない。ただ、そのデパートでは、もう買い物はしないと決めたのは言うまでもなかった。顧問弁護士の助言は、長い目で見てそのデパートのプラスになるのだろうか。

 「ミツオ君だって、疑惑が真実でないことを望んでいるんじゃないの」

 そんな出来事を思い出していると、二人分のデカフェをいれて妻のさゆりが戻ってきた。最近では、カフェインレスのコーヒーも街場の店舗で手軽に買える。妻の勧めに従って、このところ中島はカフェインをなるべく取らないようにしている。そのせいかどうか因果関係はわからないが、体調はよくなったように感じる。以前は、眠気覚ましに毎日4、5杯はコーヒーを飲んでいたのだ。

 「それはそうだよ」

 「でも何だか疑惑が真実であってほしいって思って、探っているように見えるわ」

 「本当のことが知りたいだけなんだ」

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 次の週の月曜日、2回目の調査委員会が開催された。顔ぶれは前回と同じだ。球団社長の久松はメンバーではないので出席していない。最初に、ベイライツ球団顧問の岩丸鉄郎弁護士から調査報告があった。

 「私の方で、ブログの運営会社に対し、ブログ主の身元を明らかにしてほしいと連絡したところ、すでにブログ自体が閉鎖されていること、契約者の住所氏名も個人情報なので教えられないとの返答でした。
 これを明らかにせよとなると、裁判手続を起こすしかありませんが、裁判所の判断が出るまでには早くても1、2ヶ月はかかる可能性があります。どうしたらよいでしょうか」

 「裁判を起こせば必ず明らかになるのですか」

 委員長で新聞記者出身の鳥谷誠行が質問した。

 「それは何とも。と言うのは、さらにブログの運営会社に聞いたところ、無料ブログの場合、サイト申込みはメールアドレスの登録だけで足りてしまい、契約者の身元はそれ以上把握していないとの回答でした。
 そうなると、そのメールアドレスの契約者が誰かは別のプロバイダーに調査を行う必要があることになります。私はインターネットやパソコンには詳しくないので、こうなってくると、私の方もどこまで追いかけられるかなかなかわかりません」

 ブログ主が特定できないとなると、追いかけようがない。岩丸がつづけた。

 「それから、ブログの内容自体は、飛ぶボールの仕込みとホームランが出たということを一言ずつ書いてあるだけで、それがベイライツの試合だとは書いていませんし、自分はベイライツ球場のアルバイトであるとも書いていないのです。
 そうなると、記事がベイライツのことを書いてあると証明しないといけません。以前のブログ記事が残っているわけではないですし、正直簡単ではありません」

 そう言うと、岩丸は、お手上げだと言わんばかりに首を振った。鳥谷からも他の委員からも意見が出ない。

 「しかし、インターネットの記事が出て、実際に匿名掲示板の「サイバーちゃん」や個人のブログでいろいろ書かれましたから、うちが迷惑を受けているのは事実です」

 中島が質問した。

 「そこなんですわ。それらの記事や書き込みは、ブログ主によるものではないし、それじゃ、おかしな書き込みをした匿名の一人一人の身元を探しますか。そんなことできっこないし、彼らが真実を知っているわけでもありません」

 到底納得できないが、岩丸の言うことも間違ってはいない。

 「それでは、インターネット記事を書いた記者の方に、質問したらどうでしょうか」

 さらに、中島は質問した。記事が載っていたのは、独立系で芸能やスポーツの情報記事を載せているサイトである。

 「これは、ベイライツの木村さんが相手に問合せをしてくれたんですが、契約記者の一人で連絡があったことは伝えるが、連絡先は教えられないという返答だったそうです。
 私も、ネットで小田原とかいう記者の名前を検索してみましたが、ヒットしませんでした。もしかすると、架空の名前なのかも知れません」

 中島は、木村室長からそのような話は聞いていなかった。東京に戻っている間の話かも知れない。サイトの運営会社を名誉毀損で訴えるという方法がないわけではない。しかし、これも1年単位の時間がかかる上に、裁判のたびにいろいろな情報が出てくるとなると、その都度、マスコミで取り上げられ、必ずしもベイライツのプラスになる話ではない。

 それにしても、小田原という記者については、中島も疑問がある。あれだけの疑惑をスクープしたのだ。通常であれば、第2、第3の続報記事が出てよさそうなものだが、この1週間、何の動きもないばかりか、本人の身元も不明だという。継続的に活動している記者であれば、情報の発信と収集を兼ねて、自分のブログや「つぶやいたー」を開設している人がほとんどになっている。

 「他の委員の先生のご意見は」

 進行役の鳥谷が意見を求めた。

 「梨本です。私、1回目の会合のあと、ベイライツの何人かの親しい選手に聞いてみました。そうしたら、噂では聞いたことがあるが、実際にそういうボールを見たという選手はおりませんでした」

 「実際に、選手は噂を聞いていたのですか」

 中島は思わず質問する。

 「まあ、全員に聞いたわけではないのですが、6回の裏の逆転があまりに多いので、ボールでも変えてるんじゃないのかと何人かで冗談を言い合うような話のようでした。
 実際、統一球になってから、低反発ということばかり言われますが、ボールの縫い目の幅や高さも変わっていることは、前回、松野さんから説明がありました。もしボールの感触が違えば、相手の投手もわかるはずだと思うんです」

 「つまり、実際は、違うボールは使っていなかったとおっしゃりたいのですか」

 梨本の発言を鳥谷が引き継いだ。

 「私は、そう思いますね。そこは選手の言うことを信じてやりたいです」

 プロ野球OBで監督経験者の梨本らしい発言だった。

 「プラセボということですかね」

 理系の研究者である松野篤彦が口をはさんだ。

 「プラセボと言いますと」

 「プラセボというのは、偽薬のことです。本当は薬ではないのに、医師が患者さんに、よくきく薬ですよと言って与えると、何らかの改善効果が表れることが報告されています。
 今回の場合で考えますと、6回の裏に飛ぶボールが使われていると信じたために、打てる気がして実際によい結果が出たということです」

 梨本の疑問に松野が説明を加えた。

 「選手たち、特に打者は飛ぶボールが使われていると信じていたということですか。それなら、安田選手と飯谷選手は、われわれ委員会の調査に嘘をついたことになりませんか」

 「まあまあ、中島さん、選手の立場も理解してあげてください。球団の事情調査でいきなり自分の方からは話しにくかったのだと思います。野球選手と球団の間には、実は乗り越えられない深い溝があるものなんです」

 プロ野球OBである梨本が諭すように言った。

 「ということは、玉原監督ももちろん知っていたことになりますか」

 「あの人は、そういうことをよしとする人ではありません。このことは私が保証します。選手の話でも、ごく親しい選手からまことしやかな噂として聞いたということでしたから、チーム内で大っぴらに語られていたわけではないんだと思います。監督、コーチは知らない話でしょう」

 中島が梨本に食ってかかるような展開になってしまい、会議の雰囲気は険悪になった。引き取るように委員長の鳥谷が口を開いた。

 「委員の皆さん、どうでしょうか。これまでの調査では、飛ぶボールを裏付ける物的証拠は何も出てきませんでした。これでは、飛ぶボールの存在を認定することはできません。また、ブログ主や記事を書いた記者への接触もできていない状態です。
 今まで集まった情報を整理し、これこれの情報を前提にすればという留保つきで、次回あたりに委員会の結論を出すということにいたしませんか」

 「私もなるべく早く、この疑惑から選手を開放してあげたいと思います」

 「われわれは全知全能の神ではありませんから、すべての真実を必ず知ることができるわけではありません。強制的な捜査権限もありませんし、調査はある程度限定的なものとなるのも致し方ないでしょう」

 梨本と岩丸弁護士が鳥谷に同意した。これでは委員会の結論は方向が決まってしまったと言える。中島としても確たる根拠もなしに反論はできない。

 「しかし、われわれが結論を発表した後に、疑惑についてさらなる新事実が明らかになる可能性はありませんか。もしそうなったら、委員会が批判されるだけでは済まず、ベイライツにとっても致命傷となってしまうのではないでしょうか。それに、わずか2回で結論を急ぐというのもどうかと思います」

 「そうですね。中島さんの指摘ももっともなところです。悩ましいところですが、少し時間を取って報告書案を作成し、次回ご審議ご承認いただくことといたしましょうか。私としては、前回申し上げたとおり、ファンあってのプロ野球、ファンのためのプロ野球という視点から何とか収めたいと思っています」

 「賛成です」

 岩丸らが応じ、2週間後に次回日程を決めて、委員会は終了した。

 中島はスポライの人間ではあるが、この程度で本当によいのだろうかという思いが残る。結果として、自分一人が全体の方向性に抵抗するようなかたちとなってしまった。スポライ本社にいるときにも味わった感覚である。どうしていつもそうなってしまうのだろうと不思議に思える。

 「中島さん、お疲れ様でした。会議の結論が見えてきたので、ほっとしました」

 会議が終わると、隣の木村室長が話しかけてきた。あれだけ抵抗した中島に向かって、それはないだろうと思う。

 「木村室長、記事を書いた記者のこと、なぜ報告してくれなかったんですか」

 「え、中島さん、東京に戻っている時期だったので、メールで送っておきましたよ。届いていませんでしたか」

 今朝も話をできる機会はあったと思うが、若い人は何でもメールで済ませてよしとしてしまうのだろうか。メールは楽なツールだが、頼りすぎると思わぬミスが生じかねない。中島も電話1本かければ済むものを、会議の日にちを決めるためだけに、何度もメールのやりとりをすることは多い。相手からは、「電話だと聞き間違いが起きるけど、メールだと後日の証拠になりますから」と言われた。何のための証拠かと思うが、メールのやりとりだけだと、意見が異なった場合に、相手の顔や声がわからないために、感情的な非難に発展するのも見てきた。

 「先ほども言いましたが、結論を急いで、思わぬ新事実が出てくる可能性はないのだろうか、何だか心配です」

 「亜矢子ちゃん、ご苦労様。報告書のたたき台は、事務局の方で作っておいてもらえると助かるなあ」

 「岩丸先生、承知しました」

 「もう少しでふぐの季節になるから、慰労会に食べに行こか」

 「あら、嬉しいです。お伴します」

 岩丸弁護士が割って入ったため、それ以上、木村室長と話ができなかった。相手が初老であっても、彼女が他の男性と楽しそうに話すのを見るのは、あまり気持ちのよいものではない。これはまさか嫉妬だろうかと中島は思う。中島は2人から離れたが、岩丸弁護士に聞きそびれたことを思い出して、廊下を追いかけた。

 「岩丸先生、ブログ主が契約していたブログ会社は、何という会社ですか」

 「えーっとね、何だったけかな。歳を取ると、名前を覚えられなくなってね。カタカナで長い名前だったな。ちょっと記録を見ますね」

 岩丸は茶色の革鞄から資料ファイルを取り出すと、会社名を読み上げた。

 「なになに。ドゥンガ・ディメンション・デパーチャー株式会社。変わった名前だなあ」

次回につづく

 ▽この物語はフィクションであり、登場する人物や会社、組織などはすべて架空のもので、実在のものとは異なります。

滝沢 隆一郎(たきざわ・りゅういちろう)

 1966年生まれ。弁護士。東京大学法学部卒。架空の保険会社を舞台にした小説『内部告発者』(角川文庫)で2004年に第1回ダイヤモンド経済小説大賞(現・城山三郎経済小説大賞)を受賞。「滝沢隆一郎」はその際のペンネーム。本サイトにプロ野球とコンビニ経営企業を題材にした小説『ミラクルシックスの大飛球』を連載した。
 弁護士としては、商取引、営業秘密保護、リスクマネジメントなどに詳しい。また、脚本協力・法律監修で50作品を超えるテレビドラマ制作等に関与している。38年間にわたって日本ハム・ファイターズの熱烈なファンである。

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