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事件記者の目

警察・検察 vs.工藤会

暴力団がらみ未解決事件40件に検警ともに体制を転換

村山 治(むらやま・おさむ)

 福岡県北九州市に本拠を置く暴力団工藤会の関与を捜査当局が疑う殺人、放火などの未解決事件は、2013年に入ったころ、40件を超していた。特に、2012年に相次いだ暴力団排除の標章をめぐる切りつけ、放火事件の被害者の多くは、警察の要請に応じて工藤会排除に賛同した人たちだった。彼らを守り切れなかったことで、警察は存在意義を問われていた……。
 たかだか500人規模の暴力団工藤会に対し、警察、検察が2014年9月以来、総力を上げての「頂上」作戦を展開している。福岡県外から送り込んだ機動隊や捜査員は延べ数万人。トップを含む幹部組員を複数の殺傷や脱税の容疑で摘発し、市民もようやく安全を実感し始めたようだ。今も続行中の「作戦」の成果を検証し、今後の課題を連載で探る。第1回の本稿では、暴力団側の攻勢に追い詰められた捜査当局が反攻に転じた経緯を報告する。

 ■背水の陣―無法地帯解消のため警察大動員

拡大工藤会の事務所の前で組員らとにらみ合う機動隊員ら=2010年3月12日、北九州市小倉南区上貫3丁目
 治安に責任を持つ、警察、検察当局にとって、ことは北九州だけの問題ではなかった。日本最大の暴力団山口組(2015年8月末に山口組と神戸山口組に分裂)が、捜査機関と工藤会の戦いをじっと見守っていた。工藤会を摘発できなければ、工藤会の警察軽視の姿勢は山口組に伝播し、全国で同じようなことが起きる恐れがあると警察庁幹部は見た。そうなれば日本の治安は崩壊する――。

 福岡県警と福岡地検は、一連の未解決事件を、工藤会の組織犯罪とみていた。県警は2012年に80人、2013年には86人の構成員を摘発したが、逮捕した組員は上層部の関与を一切認めなかった。まれに実行役の末端組員が逮捕されても、工藤会トップの野村悟総裁やナンバー2の田上不美夫会長ら上層部を含めた組織犯罪の解明はまったくできなかった。

 文字どおり、組織の「鉄の結束」が捜査の壁となった。上層部の関与を供述すれば、自分や家族の命が危うくなると組員らは恐れていた。いくら実行犯を捕まえても「頭」が無傷では、組織の指揮命令系統は微動だに、しない

 それが組織の結束につながり、新たな市民攻撃を生む悪循環に陥っている。トップの身柄を押さえ、一生監獄から出さない、と強い決意を示すこと。それが浸透しないと、手足の組員は捜査に協力しない。

 多くの捜査関係者はそう考えていた。

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 工藤会トップを摘発するには、それにつながる事件情報の掘り起こしが必要だった。2013年当時、それはまったくといっていいほど、できていなかった。

 福岡県警の暴力団対策部の捜査員は約500人。工藤会組員は500人余。県内の他の暴力団組織を計算に入れても、捜査員500人というのは決して少ない人数ではない。

 元警察庁暴力団対策課長の安森智司九州管区警察局長は言う。

 暴力団の事件を摘発するには、先ず被害者とその家族等関係者の、更に捜査協力者の身の安全を確保しなければならない。これが絶対条件であり、手がかかるのです。その事情を知る暴力団は、次々と事件を起こす。例えば、10人の捜査員がいるとすると、7人まで協力者保護にかかわってしまい、純粋に捜査に使える人は3人だけという状態だった。物証を得るための家宅捜索にしても、例えば、10人出すと、組員20人に阻まれて物理的に十分な捜索ができなかった。いくら力のある福岡県警でも大変です。

 県警の工藤会捜査は「いたちごっこ」の様相を呈していた。目先の事件処理や被害者警護に手を奪われて、原因を根っこから断つ捜査ができていなかったというのだ。

 警察庁は、それまでも福岡県外から機動隊と捜査員を動員し福岡県警を支援してきた。2012年4月に福岡県警の元警部が銃撃され重傷を負った事件を機に機動隊員150人を投入した。同年8月から11月までの間に暴力団排除条例にもとづく「暴力団立入禁止」の標章を掲げたスナック経営者らが連続して襲撃された。これを受けて200人体制にした。

 不十分な戦力を小出しにすることでいたずらに戦力を消耗する下手な軍事作戦の代表である「戦力の逐次投入」に陥っていた。決断が必要だった。

 米田壮警察庁長官ら警察庁首脳は、こうした状況を抜本的に改めるため、工藤会を「凶悪テロ集団」と位置づけ、県外から福岡への機動隊の大量動員に踏み切った。戦力の逐次投入をやめ、集中投入に踏み切ったのである。機動隊は2013年2月20日、一挙に300人に増員された。

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拡大熊本県警の警察官らが福岡県に入り、通学路を巡回して警戒にあたった=2012年4月20日、北九州市小倉南区
 機動隊員らは約200カ所の警戒ポイントで、工藤会から狙われる可能性のある人物の自宅、勤務先を1~2時間に1回巡回して不審者をチェックするようにした。暴力団立入禁止標章制度の対象地域は徒歩で巡回し、工藤会組員を見付けると、牽制するため職務質問を行った。

 警視庁など県外の暴力団担当刑事も福岡県警に派遣した。2013年4月1日には20人。5月22日にはさらに約70人に増員した。

 効果は表れた。発砲事件は2011年には18件起きたが、12年は4件、13年は1件と大幅に減った。標章店襲撃は13年には起きなかった。福岡県警の刑事も本来の捜査で情報を掘り起こせるようになった。これらの応援派遣の必要経費は宿泊だけで年間約8億円かかった。

 この人海戦術で暴力団を抑え込んでいる間に、従来の捜査を抜本的に見直し、新たな捜査体制や捜査手法の構築が求められた。そのためには、法律のプロと会計のプロ、なかんずく、検察の全面的な協力が必要だった。検察庁側にも異論はなかった。検察首脳は工藤会壊滅に向けて警察庁首脳に全面協力を約束した。

 ■「工藤会退治」のミッション―検察も捜査のプロ投入

 天野和生検事(現公証人)が高松高検公安部長から福岡地検小倉支部長に着任したのは2013年4月。「君の使命は、工藤会退治だ」とのミッションを受けていた。

 天野検事は、大阪地検で山口組幹部の拳銃不法所持事件の公判を担当し、暴力団の共謀共同正犯理論を練り上げたチームの一員で、検察の中では屈指の暴力団事件の専門家だった。

 市民を食い物にするが、市民に手を出さないのがヤクザの建前。市民を平気で殺傷する工藤会は、普通のヤクザではなかった。しかも狙った相手の行動を確認し、ヒットマンが確実に仕留める。警察の裏をかき、捜査を混乱させるための無差別攻撃もあった。山口組の弘道会、後藤組も反権力だったが、これほどではなかった。

 天野検事は着任してすぐ、福岡県警との協力関係強化をはかり、捜査態勢の再構築に乗り出した。当時、県警には13もの重大未解決事件の捜査本部があった。かろうじて犯人につながる証拠があったのは、2013年1月に起きた看護師襲撃事件だけだった。

 13事件はそれぞれ警察の特捜班から検察に送致されることになる。受け手の検察側も、福岡地検本庁の検事と小倉支部の検事に分かれていた。典型的な縦割り・蛸壺体制だった。県警側は、班ごとの情報共有ができていなかったという。

 天野検事は次のように考えた。

 13事件とも、工藤会という組織の犯行なのだから、その指揮・命令系統は同じであり、全体で1件の事件と見るべき。

 主任検事を決めて、そこに情報を集中させる態勢に切り替えた。政財官界のかかわる贈収賄や大型経済事件を捜査する東京地検特捜部などと同じスタイルだ。主任は小倉支部の中堅検事と決めた。

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拡大工藤会対策で福岡県に応援派遣された群馬、山口、長崎、佐賀の4県の機動隊員たち=2014年9月13日午前、北九州市
 未解決事件の捜査とは別に、県警が逮捕した組員については、事件の大小にかかわらず全員起訴する方針をとった。それまで県警側は「事件を掘り起こしても、検察が食わず(起訴せず)不起訴にされるのではないか」と検察に不信感を抱いていた。

 実働部隊の組員を一人ずつ組織からもぎ取ることで、市民に安心感を与え、捜査に協力してもらうのが狙いだった。それを続けていけば、いずれ中枢幹部の情報も入ってくる、と考えたのだ。警察は積極的に事件を掘り起こした。検察と警察は2013年9月から毎月、捜査会議を開くようになった。

 成果は徐々に出始めた。13年10月、噓の申請で北九州市営住宅に住んだとして野村総裁直系の田中組若頭を逮捕した。形の上では、北九州市長が被害者だった。当初は被害届を出すのを渋っていたとされるが、検察、警察が粘り強く説得し、応じた。

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 かといって、工藤会がおとなしくなったわけではなかった。警察や検察が捜査しても有罪を取れないとみると、勢いづく。

 中間市の建設会社社長が2012年1月に待ち伏せした犯人に銃撃され重傷を負った殺人未遂事件で、福岡地裁小倉支部は2013年11月15日、、起訴された工藤会幹部に無罪判決を言い渡した。

 検察側は、役員の体内に残った弾丸と事件翌日に工藤会幹部宅のゴミから見つかった薬莢の種類や型が整合するなどと主張したが、裁判所は「弾丸と薬莢の結びつきの検証が不十分」などと退けた。

 この判決の1週間後の11月22日、小倉北区で建設会社社長がめった切りにされる事件が起きた。犯人は捕まっていない。県警は、社長がかつて工藤会とつながりがあったことから、工藤会の関与を疑っている。

 そして、2013年12月20日、北九州市漁業協同組合の上野忠義組合長が射殺された。この事件は、ほかの殺傷事件とは異質だった。(次回につづく

村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)。

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