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事件記者の目

事件記者の目

官邸の注文で覆った法務事務次官人事  「検事総長人事」に影響も

検察独立の「結界」は破れたか 政治と検察の関係を考える

村山 治(むらやま・おさむ)

 検察と政治の関係に変化が見える。それを象徴する出来事があった。今年9月に発令された法務・検察の幹部人事で、法務省が作成した法務事務次官の人事原案が官邸によってひっくり返され、それと連動して検事長の人事も変更されたのだ。1970年代以降半世紀にわたり、時の政権は、検察を抱える法務省の人事については、口をはさむことはなかったとされる。「政治からの独立」という検察の「結界」はついに破れたのか。

 ■官邸の注文で原案を撤回

拡大仙台高検検事長に就任した稲田伸夫氏=仙台市青葉区
 今年9月5日付の法務省人事は、大野恒太郎検事総長(64歳、司法修習28期)が2017年3月末の定年まで半年を残して退任し、後任に西川克行東京高検検事長(62歳、31期)を充てたほか、稲田伸夫法務事務次官(60歳、33期)を仙台高検検事長に転出させ、稲田氏の後任に黒川弘務官房長(59歳、35期)を充てるなど体制を一新する大型人事だった。

 複数の法務・検察幹部らによると、この人事の法務省原案では、稲田氏の後任の法務事務次官は林真琴刑事局長(59歳、35期)を昇格させ、黒川氏は地方の高検検事長に転出させることになっていた。ところが、7月中旬、稲田氏が官邸に了承を取りに出向いたところ、官邸側が黒川氏を法務事務次官に昇任させるよう要請したという。

 これを受けて稲田氏や大野氏ら法務・検察の首脳が対応を協議した結果、黒川氏を法務事務次官に起用し林氏を刑事局長に留任させる人事案に切り替え、内閣の承認を得て8月15日に公表した。法務・検察首脳らは、官邸側で黒川氏の次官起用の人事を求めた最終決定者は菅義偉官房長官だった、と受けとめている。

 法務省内では、人事原案の変更について「官邸側の要請がお願いベースだったため、法務省として断り切れなかった」と説明されているが、官邸に近い筋は「官邸側の意思は硬く、稲田氏の説得が受け入れられる状況ではなかった。稲田氏は真っ青になって帰った」といっている。

 従来、官邸への法務省人事原案根回しは黒川氏が行ってきた。今回は、黒川氏自身が異動対象になるため、稲田氏が根回しに動いた。稲田氏が官邸に出向いたとき、黒川氏は海外出張中だった。「黒川氏が根回ししていたら、こうはならなかったかもしれない」という検察首脳もいた。

 法務事務次官は、法務大臣を補佐する事務方トップで、法務・検察の序列では、天皇の認証官である検事総長、東京、大阪など8高検の検事長、次長検事に次ぐポスト。検事総長への登竜門とされ、最近では、大阪地検の不祥事対応で急遽登板した笠間治雄氏を除く8人中7人が法務事務次官から東京高検検事長を経て検事総長に就任している。

 ■法務省の竜虎

拡大黒川弘務・法務事務次官
 法務事務次官のポストを争った黒川、林両氏は、粒ぞろいとされる検察の司法修習35期の中でも傑出した存在で、検事任官約10年後から2人とも、将来の検察首脳候補として法務省の行政畑で重用されてきた。

 黒川氏は政官界へのロビーイング・調整能力を買われ、司法制度改革の設計段階から法務省側の中枢的な役割を担った。改革実現後は、秘書課長、官房審議官、官房長と政界や他省庁との折衝を担当。官房長在任は5年の長期に及んだ。

拡大林真琴・法務省刑事局長
 一方の林氏は、制度改革で黒川氏を支える一方、2002年に発覚した名古屋刑務所の虐待事件を機に矯正局総務課長に就任。警察人脈をフル活用し、百年に一度の改革といわれた監獄法改正をなしとげた。その後は、人事課長として大阪地検、東京地検の不祥事処理を陣頭指揮し、最高検総務部長から刑事局長の道を歩んできた。

 法務・検察部内での両氏の評価に甲乙はないが、林氏が監獄法改正で矯正局総務課長を3年務めたため、エリート検事が歴任する刑事局総務課長ポストは黒川氏が先任し、林氏に引き継いだ。2人をよく知る元検察首脳は「人事案をひっくり返されたのは衝撃だったが、これまでの経歴を見れば、順当な人事だったともいえなくもない」と言っている。

 ■「次の次の検事総長」を見据えた検察の人事構想

 法務・検察首脳が、同期のトップを走ってきた黒川氏を本流から外し、林氏を法務事務次官にしようとしたのは、次の次の検事総長人事を睨んでのことだった。法務・検察首脳は人事原案作成時には、西川氏の次の検事総長に稲田氏を充て、稲田氏の次の総長には林氏を据える方針で合意していた模様だ。その時点で黒川氏は検事総長候補から外れていた。人事原案は、法務・検察として、次の次の検事総長候補は林氏だと内外に周知する狙いもあったとみられる。

 なぜ、法務・検察首脳が、黒川氏を検事総長候補から外したのか。

 黒川氏が務めてきた官房長は、法務省の予算や法案を国会で通すとともに、政権の危機管理の一翼を担い、また、検察の捜査や人事で政治の側の「介入」をはばむ、という難しいポストだ。特に、特捜検察が政治家のからむ事件に切り込むと、官邸や国会議員から法務省に対し陰に陽に様々な注文がつく。その際、官房長は、検察が政治の側から直接圧力を受けないよう、防波堤の役割を担う。

 黒川氏の官房長在任中は、政権が民主党から自公に交代し、政治との距離感がとりづらい時代だった。また検察で不祥事が続発し、法務・検察への逆風も吹き荒れた。黒川氏は、小沢一郎元民主党代表の資金管理団体を舞台にした政治資金規正法違反事件では、同党議員から自公政権に有利な捜査を主導する「黒幕」と非難され、直近では甘利明元経済再生担当相があっせん利得処罰法違反で告発された事件でも「政権与党側に立って捜査に口をはさんだ」とネットメディアで批判を受けた。

 法務・検察首脳は「黒川氏が恣意的に動いたことはない」とそれらの批判を一蹴するが、一方で「検事総長は検察の象徴であり、政治と近いとのイメージを持たれただけでふさわしくないとの見方があった」とも語る。

 ■本当の理由

 ただ、それは表面的な理由だ。法務・検察首脳にとって黒川氏を検事総長候補にしにくい最大の理由は、黒川氏を次の次の検事総長候補にすると、西川検事総長、次の検事総長と目される稲田氏の検事総長在任期間の調整が難しいことにあったとみられる。

 検事総長の定年は65歳。これに対し、検事長以下は63歳が定年だ。そのため、検事総長のポストは、期にして2期、年齢は2歳違いで交代していくのが、法務・検察の人事権者にとって最もスムーズなのだ。

 実際、歴代検事総長の任期は、大阪地検の不祥事(2010年発覚)のため在任半年で途中降板した大林宏氏(在任約6カ月)、そのピンチヒッターとして登板した笠間治雄氏(同1年7カ月)、次期検事総長の東京高検検事長が女性スキャンダルで引責辞任(1999年)したため、それぞれ約3年間在任した北島敬介、原田明夫両氏を除くと、1990年代半ば以降は、だいたい2年前後務めてきている。

 今回総長に就任した西川氏は1954年2月20日生まれ。次の検事総長が確実視されている稲田氏は1956年8月14日生まれ。黒川氏は稲田氏とはわずか半年違いの1957年2月8日生まれ。黒川氏を検事総長にするには、黒川氏が満63歳の誕生日を迎える2020年2月8日までに稲田氏が辞めなければならない。3年半の間で西川、稲田の2人が総長を務めるという窮屈なことになる。

 これに対し、林氏は1957年7月30日生まれ。稲田氏とは約1年違う。西川、稲田両氏が2年ずつ検事総長を務めても、十分時間的余裕があるのだ。

 ■官邸の思惑

 官邸側は、黒川氏の危機管理、調整能力を高く評価していた。黒川次官にこだわったのは、長期にわたって政権を支えた「恩」に報いる「処遇」の意味もあったとみられるが、政権を安定的に維持するため、今後も黒川氏をこれまで同様に使いたいとの考えもあった。

 安倍政権は、沖縄の辺野古移設訴訟、「国際公約」とされる「共謀罪」法案を抱え、従来にも増して野党や弁護士会などへの法務省のロビーイングを必要としていた。特に、共謀罪法案は野党や弁護士会などの強い反対でこれまでに3度廃案になっており、政権幹部の一人は朝日新聞の取材に対し「共謀罪をやるためにここまで黒川氏を官房長として引っ張ってきた」とも話した。

 黒川氏が検事長になってしまうと、検察の独立の面から捜査、公判以外の仕事はできなくなる。法務事務次官ならば、官房長の上司であり、官房長同様、各方面への根回しの仕事を期待できるとの思惑があったとみられる。

 一方、法務省は、臨時国会での法案提出に備え、対象となる組織の定義を暴力団やテロ組織などに限定し、さらに犯罪構成要件についても過去の審議で「争点」となった問題点をクリアするための手当を人事原案作成時点で終えていたという。法務省としては、仮に黒川氏がいなくなっても、国会審議を乗り切って法案を通すため、できるだけの準備をしていた訳だ。そうした点については当然、政権側も承知していたと思われる。だとすると、政権は、法案成立もさることながら、法務・検察をグリップするため、あえて人事に口出ししたのではないか、との見方が出てきてもおかしくない。

 結局、共謀罪法案は、TPP法案などの成立を優先するため、として政府は臨時国会にかけるのを見送った。

 ■政治主導の官僚人事

 中央省庁の幹部人事は、従来、各省庁が人事案を固めた後、官房長官主宰の人事検討会議に諮って決めてきた。民主党政権時代も含め、省庁案が官邸でひっくり返ることはほとんどなかったとされる。

 ところが、2012年暮れの総選挙で誕生した第2次安倍政権は、政治主導を強調し、慣例にとらわれない人事を目指した。13年7月には厚労事務次官人事で、本命視されていなかった村木厚子厚労省社会・援護局長を抜てきした。旧運輸省事務系キャリアの「指定席」とされていた海上保安庁長官に初めて現場生え抜きの海上保安官の佐藤雄二氏を充てた。村木さんは大阪地検が摘発した郵便不正事件で起訴されたが、無罪となり、「検察暴走の犠牲者」と受けとめられていた。

 また、同年8月には、内閣法制局長官人事で、昇格確実とみられていた法制次長でなく、外務省の小松一郎駐仏大使を起用した。集団的自衛権をめぐる憲法解釈を変えたいとの意向があったとみられる。さらに、中央省庁人事ではないが、同年3月には、デフレ脱却に向けた金融政策への変更を図るため金融緩和派の黒田東彦アジア開発銀行総裁を日銀総裁に起用した。

 14年5月末には、中央省庁の幹部候補600人の人事を官房長官のもとで一元管理する内閣人事局を設置した。内閣人事局が、閣僚が推薦した各省庁の公務員が幹部にふさわしいかを審査して幹部候補者名簿を作成し、首相や各大臣が協議して決定することになった。14年7月の人事では、法務省初の女性局長として人権擁護局長に岡村和美・最高検察庁検事(現消費者庁長官)が充てられた。中央省庁の幹部らは、これらの省庁の幹部人事は、首相の意を汲んだ菅官房長官がリードしたとみている。

 そういう省庁人事をめぐる改革はあっても、安倍政権は従来、法務・検察の人事については、岡村氏の人事を含め法務省側の原案を尊重し、くつがえすことはなかったとみられる。

 ■検察独立の「結界」

拡大最高検、東京高検、東京地検が入る合同庁舎。右隣は法務省が入る合同庁舎で、各階はつながっている=東京・霞が関
 検察は明治以来、政治とカネの不正を摘発する機関として国民の期待を担ってきた。その期待に応えるには、検察が検察権行使や人事で政治から独立していなければならない。

 しかし、検察の権限や責任などを定める検察庁法15条は「検事総長、次長検事及び各検事長の任免は内閣が行い、天皇が認証する」と規定している。制度上、検察幹部の人事権は内閣(政治家)の専権事項なのだ。検事正以下の検事ら検察職員、法務省職員の人事権は法務大臣が持つ。安倍政権になってからは法務省を含む各省庁の局長以上の人事は内閣の閣議決定が必要となっている。

 そうした中、「検察の政治からの独立」は、政治腐敗を許さない世論を頼みとしてかろうじて成立してきた歴史がある。戦後のどさくさの時期、検察が大事件を摘発すると概ね、世論は検察を支持した。1954年の造船疑獄で法相が指揮権を発動して与党幹部の逮捕にストップをかけたが、政権は次の総選挙で敗北した。以来、世論を背景に野党やマスコミは政治の側が捜査や公判に介入しないよう厳しく監視し、同様に、政権側が法務・検察人事に口出しできない雰囲気を作ってきた。

 それでも1960年代半ばまでの検察は、戦前からの公安検察と経済検察(特捜検察)の内部対立を引きずっており、それに乗じて政界が検察幹部の人事に介入しようとしたこともあったといわれる。

 今にいたる政治と検察の緊張関係を決定づけたのは、政界最大の実力者だった田中角栄元首相を逮捕した1976年のロッキード事件だった。10数年にわたる公判闘争で元首相は一貫して無罪を主張。検察に圧力をかけるため、検察の捜査、公判にかかわる指揮権を持ち、検察人事を握る法相に親田中の国会議員を次々送り込んだ。マスコミは、法相が検事総長に対し、元首相に対する論告の放棄や公訴取り消しなどを命ずるため指揮権を発動するのではないか、と危惧し、機会あるごとに法相に「指揮権行使の意思」を問い、行使しないよう厳しく牽制してきた。

 法務省はこうした世論を背景に、法務・検察幹部の人事で波風が立たないよう周到な根回しをし、時の政権は概ね、法務・検察の人事や仕事に対する介入については謙抑的な姿勢を貫いてきた。そのバランスがついに壊れた形だ。

 ■ミスマッチの背景

 今回の異例の人事劇は、法務・検察側の人事構想と官邸の官僚起用の思惑のミスマッチが生んだようにみえる。ただ、その背後ではより深刻な変化が

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村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)。

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