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事件記者の目

事件記者の目

42年目の司法取引導入 ロッキード事件と刑事免責

村山 治(むらやま・おさむ)

42年目の司法取引導入

 

 日本にはなかった司法取引と刑事免責制度が6月1日から導入された。低迷する検察にとって強力な捜査の武器になると期待される一方、冤罪の温床になる危険を指摘する声も少なくない。実は、この司法取引、42年前、日本に導入されてもおかしくない状況があった。裁判所などの抵抗で見送られたが、そのとき採用していれば、その後の日本の犯罪捜査シーンはまったく違ったものになっていたかもしれない。

 ●42年前の司法取引

拡大自宅から連行され、手をあげて東京地検に入る田中角栄元首相。このあと逮捕された=1976年7月27日、東京都千代田区霞が関の東京地方検察庁前
 1976年に東京地検特捜部が摘発したロッキード事件である。

 米国の議会でロッキード社が航空機売り込みにからんで日本の政府高官に賄賂を贈っていたことが発覚。特捜部は、米国の捜査当局から提供された資料をもとにロッキード社の代理店である商社の丸紅や売り込み先の全日空など国内関係者の供述を固め、ロ社から5億円を受け取った外国為替管理法違反の疑いで田中角栄元首相を逮捕し、全日空の機種選定への口利きの依頼があったとして、受託収賄の罪も加えて元首相を起訴した。

 贈賄の主犯はロ社幹部だった。元首相逮捕前にロ社幹部から元首相への贈賄の趣旨を認める供述を得る必要があったが、米国に住むロ社幹部には日本の司法権が及ばない。そのため、検察は日本の裁判所を通じ、米国の裁判所で米国の検事による嘱託尋問でロ社幹部の供述を得ることにした。

 ロ社幹部は自身が刑事訴追を受ける恐れがあるとして供述を拒んだ。そのため、検察は、米国にあって日本にはない「刑事免責」をロ社幹部に与えて証言を得ることとした。刑事免責は、証人に自らの犯罪を証言してもその証人の訴追のための証拠に使わないことを約束し、証言を強いる制度だ。

 ロ社側は日本に刑事免責制度がないことなどから、罪を認める証言をすると、日本で訴追される恐れがあると受け止めた。そのため検事総長と東京地検検事正がロ社幹部については起訴しないことを約束する「不起訴宣明」を出し、供述を得たが、ロ社幹部はさらに日本で刑事訴追されない保証を日本の裁判所に求めた。

 最高裁はそれを受け入れ、最高裁が検察の約束を保証する宣明書を出し、やっと検察は嘱託尋問調書の引き渡しを受けた。

 検察がロッキード事件でロ社側と行った取引は、「被疑者・被告人が他人の犯罪を供述し、見返りに刑事訴追を免れたり、軽い求刑にしたりしてもらう」という今回導入された司法取引にぴたりとはまるものだった。

 ●裁判所の豹変

 田中元首相側は、裁判で起訴事実を全面的に争った。嘱託尋問調書についても、違法収集証拠だとして証拠から排除するよう求めた。しかし、裁判所は、その主張を退け、元首相の収賄事件の一、二審の判決では、その尋問調書を有罪の有力証拠として採用し、元首相に懲役4年、追徴金5億円の実刑を言い渡した。

 本来なら、それを皮切りに、日本でも「司法取引」が導入されていておかしくなかった。しかし、裁判所は、嘱託尋問調書を巡る取引を、ロッキード事件という二国間にまたがる特殊な事件の事実解明のための超法規的、緊急避難的例外措置として扱った。

 その後、日本の犯罪捜査や刑事裁判で司法取引が使われることはなかった。あげく、元首相が上告審の途中で死去した後の1995年、贈賄側の丸紅元会長の上告を棄却した判決で、最高裁は、元首相に対する贈賄は、国内関係者の供述で有罪を認定できるとする一方、一、二審判決の証拠判断を覆し、ロ社幹部の嘱託尋問調書を証拠から排除した。

 司法取引による証拠収集は違法だと宣言した形だった。田中元首相の主任弁護人の弁護士は「一審、二審で違法収集だと判断されれば違った結論になったはず。(田中元首相らは)無罪という確信は強い」と悔しがった。

 ●日本ではタブーだった司法取引

 当時の裁判所が司法取引に積極的でなかったのは、刑事裁判で「職権主義」が重きをなしてきたからだと思われる。職権主義とは、「裁判官が事件の真相解明を目指して審理を進めるべき」とする考え方で、戦前から長い伝統がある。

 戦後、米国の占領政策の一環で、「裁判官は検察と被告側の主張のどちらに合理性があるか判定する審判役に徹すべきだ」とする、米国流の「当事者主義」を採用したが、実際の運用は職権主義に傾きがちだった。

 職権主義による刑事裁判を、司法取引との関係で説明すると、被疑者、被告人となった市民は、裁判所や検察という「お上」に対し、正直に罪を認めて真相を供述すべきであり、国家と対等の立場に立って情報や証拠で取引するのはおかしい――ということだ。職権主義の裁判官からは、司法取引という発想は出てこない。

 それでも、最高裁が、元首相摘発当時、ロ社幹部に検察の「不起訴約束」を保証する一筆を与えたのは、「巨悪追及」「真相解明」を強く求める世論を前に、なりふり構っていられなかったからだろう。

 特捜部の若手検事として丸紅幹部から元首相への5億円贈賄供述を引き出した松尾邦弘弁護士(その後検事総長)は、ロ事件の捜査前、米国を視察し、ある連邦検事から米国の政官界捜査の実態を聞いた。

 その検事は米・ニューアーク市長を収賄で摘発し、その際、50人の関係者に対して「(司法取引で)刑事免責を与え供述を引き出した」と語った。松尾氏が「日本には刑事免責などの制度はない」というと、「君たちは、ほんとに悪いやつをつかまえたくないのか。リーニエンシー(自首犯人の処罰を減免する制度)的なものを入れないと(贈賄などの証拠を得るのは)無理だ」といわれた。

 ロッキード事件を摘発したあと、松尾氏は、判事になっていたその元検事に「(司法取引や)刑事免責はないけれど、首相を逮捕できました」と手紙を書いた。ちょっと自慢したい気持ちもあったようだ。

 ただ、松尾氏は「ロッキード事件捜査の時も、刑事免責(や司法取引)があれば、もっと簡単に事件を解明できたはずと感じた。その思いはずっと続いてきた」と検事総長退官前後に筆者に語った。

 ●米国の司法取引

拡大
 米国では、司法取引は自然発生的に行われていたようだ。米国の司法制度に詳しい宇川春彦・函館地検検事正が法律専門誌「判例時報」に連載した論文「司法取引を考える」によると、1966年の連邦最高裁のミランダ判決などデュープロセス革命が、陪審裁判の事前手続きに精緻で複雑な手続きを要求することになり、それが司法取引を助長した。さらに、その後の犯罪の多発とそれを抑止するための量刑の厳格化が司法取引に拍車をかけたという。

 検察は、膨大な事件数を安いコストで合理的に処理するため、司法取引に頼ったのだ。 米国の学会からは「無実の者が寛大処分で有罪につり込まれる」「重大事件の犯人が寛大処分で許される」などの批判が出たが、連邦最高裁は70年のブレイディ判決で司法取引の適法性を認め、75年には、連邦刑事手続き規則が改正され、司法取引の手続きの可視化、適正化のルールを定めた。

 ロッキード事件は、米国が司法取引を制度化し終わったころに発覚した。共和党のニクソン政権のホワイトハウスの指示を受けた工作員が民主党の事務所を盗聴しようと事務所に忍び入った事件を米司法省が捜査する過程で、航空機メーカーからニクソン氏の再選委員会への不正献金があることを突き止めた。上院委員会が追及に乗り出し、芋づる式に航空機メーカーの外国政府高官に対する支払いを暴いた。ロッキード社もその1社だった。

 その後、米司法省は、カルテル摘発にリーニエンシー制度を導入、司法取引と組み合わせて日本企業を含む国際カルテルを次々に摘発。経営破綻したエンロンの不正経理事件では、社員らと司法取引を重ねて経営トップの訴追にこぎつけた。

 「米司法省は、内外の企業社会に睨みをきかす存在となった。その最大の武器のひとつが司法取引だ」と米国に留学経験のある元検事の弁護士は言う。

 ●司法取引を不要とした捜査モデル

 職権主義の問題とは別に、日本の裁判所と検察が司法取引導入に消極的だったのは、検察と裁判所のコラボレーションのもと、司法取引に頼らずに証拠を得られる強力な武器があったからだ。

 密室での検事による取り調べで供述調書を作成し、一定の裏付け証拠があれば、裁判所はほぼ有罪判決を言い渡してくれた。裁判所、検察庁は、戦前はともに司法省の傘下にあった官僚法曹(法曹資格を持つ公務員)だ。その仲間内での信頼が、「最強」といわれた検察の捜査モデルを支えた。ロッキード事件の摘発は、その捜査モデルの金字塔でもあった。

 検察では、ロ事件捜査の「成功体験」で、供述をとるためには手段を選ばない、供述調書至上主義ともいうべき捜査モデルが定着する。

 こうした検察の捜査モデルを結果的に壊すことになるのは、1990年代に始まった構造改革の一環として法務省が主導した司法制度改革、なかんずく、2004年に成立し09年から施行された裁判員制度の導入だった。

 職権主義から当事者主義へと徐々にスタンスを変えてきた裁判所は、国民から選ばれた裁判員と一緒に事件を審理することになったのを機に、当事者主義的訴訟指揮を強める。弁護側の主張に熱心に耳を傾け、検察の供述調書を疑いの目で見始めたのだ。

 しかし、検察は相変わらず、誘導・恫喝で検察のストーリーに沿った調書を作成した。その行き着いた先が2010年に発覚した大阪地検特捜部の証拠改ざん事件だった。実行犯の検事だけでなく特捜部長らも逮捕された。検察に対する国民の信頼は吹き飛び、供述調書に頼る検察の捜査モデルは完全に壊れた。

 ●検察のシュリンク

 そこから、法務・検察は、組織を挙げて捜査手続きの改革=新たな捜査モデルの構築に向けて動き出した。司法取引が「目玉」だった。検察にとっても、被疑者や被告人にとっても、冤罪リスクが小さく、しかも効率的に証拠や情報を得られる手法と位置付けた。

 16年5月、日弁連などが主張してきた録音録画を先行して受け入れる代わりに、検察に対して他人の犯罪を供述する代わりに、刑事責任の追及を免れたり、裁判で通常より軽い求刑を受けられたりする司法取引を柱とする刑事司法改革関連法が成立した。

 殺人や性犯罪など、被害者の心身に危害が及ぶ犯罪は、取引対象から外された。被害者感情などを考慮したものだ。適用されるのは、贈収賄や脱税、談合などの経済犯罪のほか特殊詐欺や銃器・薬物犯罪などとなった。

 一方、大阪地検の不祥事を機に、特捜検察は逮捕した被疑者の取り調べについては、先行して録音録画の下での取り調べを受け入れざるを得なかった。かつてのような誘導、恫喝の取り調べはできなくなった。結果、検察捜査は委縮した。

 カモ(被疑者)がネギ(証拠)を背負って自首でもしてこない限り、構造的で複雑な事件の立件は難しくなった。政界事件や大企業の背任、粉飾決算など構造的な犯罪摘発は姿を消した。

 証券取引等監視委員会、公正取引委員会、国税当局が金融商品取引法、税法、独禁法違反での告発を求めても受理に消極的となった。「どうしても起訴してほしいなら、割って(供述させて)持ってきてよ」といわれた、という話も一時流れた。

 ●もし40年前に導入されていたら

 たら、れば、の話で恐縮だが、もし、ロッキード事件のときに、司法取引が導入されていたら、どうなっていたか。

 ロッキード事件以後に摘発された大事件、例えば、ダグラス・グラマン事件(79年)、リクルート事件(89年)、ゼネコン汚職事件(93~94年)、証券・銀行による総会屋への利益供与事件(97年)、KSD事件(2000年)などは、いずれも企業がからむ「組織犯罪」だった。

 それぞれ、摘発した事件の背後にさらに大きな闇がある、といわれたが、事件のキーマンが、会社や上司をかばって頑強に供述を拒んだり、自殺したりして、事件がそれ以上発展せずに終わった。司法取引制度があれば、キーマンの供述を獲得でき、さらに構造的な腐敗追及ができていたかもしれない。

 一方で、そういう事件では、必ずといっていいほど、供述調書の信用性、信ぴょう性が公判の争点になり紛糾することが多かった。ゼネコン汚職事件の捜査の最中に筆者は、中堅の検事から深夜、電話で相談を受けたことがある。上司から示唆されたストーリーに沿ってゼネコン関係者を根掘り葉掘り問いつめたが、検察側のストーリーと違う心証を得た。上司に伝えると、「君の調べ方がまずい。相手の手をとって母印を取るつもりで調べろ」といわれた。

 事実に反する話を調書には取れない。さりとて検察に対する忠誠心もある。板挟みになった検事は「私は検事を辞めるべきなの

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村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)。

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