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事件記者の目

事件記者の目

元ハイローラーが語るカジノ法強行成立の愚

村山 治(むらやま・おさむ)

 刑法が禁じる賭博を一部合法化し、民設・民営のカジノを認める統合型リゾート(IR)実施法が7月20日、成立した。報道機関の世論調査で導入反対の声が多数を占め、野党も強く反対する中、自民・公明の政権与党と維新の会が強行採決した。野放図な賭け事を禁じることが、この国の治安政策の要だった。2016年に成立したIR推進法と併せ、この法律はそのタブーを破った。日本の公序良俗を根こそぎスポイルする歴史的な失策となるかもしれない。IR実施法成立を機に、カジノで30億円散財したという元ハイローラー(高額賭博者)に、カジノとハイローラーの実態や日本にカジノを導入することの是非について話を聞いた。

 ●カジノとハイローラーの取材

拡大参院本会議で、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案の採決に抗議する(右から)自由党の森裕子氏と同党の山本太郎氏、糸数慶子氏=2018年7月20日午後9時25分、岩下毅撮影
 筆者は、「カジノのメッカ」といわれたころのラスベガスのカジノを1990年秋と翌91年5月の2回、取材している。、東京の英語学校の経営者が学校のカネを横領してラスベガスのカジノにつぎ込んだ、という横領の疑いで91年5月9日に東京地検特捜部に逮捕された事件に関連した取材のためだった。

 カジノホテルが林立し、不夜城の趣もあったラスベガスには、当時、土地、株バブルで長者となった日本人が多数出入りし、カネを湯水のように使っていた。

 賭博で高額のカネを張る彼らは「ハイローラー」と呼ばれた。学校経営者もその一人で、たびたびラスベガスに出かけ、一晩で億単位の金をバカラ賭博につぎ込み10億円を超える負債があった、と検察は見ていた。

 カジノ取材は初めてだった。土地勘もなかった。自らもハイローラーでもあった都内の不動産会社社長に頼み込み、大手カジノホテルの副社長を紹介してもらった。副社長は、ラスベガスで日本人ハイローラー受け入れ窓口の一人で、日本語がペラペラの韓国人だった。

 カジノの仕組みやルールを丁寧に説明してくれ、いかさま賭博を監視する当時最新の電子セキュリティルームまで案内してくれた。営業担当社員も紹介してもらい、学校経営者ら日本人ハイローラーの豪快な遊びぶりの一端を聞くことができた。

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 ハイローラーが熱中するバカラ賭博も、不動産会社社長がVIPルームで実際にゲームするのを見学させてもらった。バカラは、トランプカードを使ったカジノの代表的なゲーム。プレイヤー(客役)とバンカー(胴元)が、2~3枚ずつのカード合計点を競う。下1桁の合計が9点に近い方が勝つ。

 客は、プレイヤーとバンカー、2人の勝負を予想し、どちらが勝つかに金を賭ける。勝負が速く、カジノと客、あるいは客同士のチップの取った、取られた、がはっきりし、のめり込む人が多いとされる。

 大王製紙の井川意高元会長がマカオのカジノで100億円を超す借金をつくったのも、バカラだったとされる。井川氏は、この借金を、自身が代表取締役を兼務していた連結子会社7社の資金で返済するため計55億3千万円を流用し7社に損害を与えた特別背任容疑で2011年11月、東京地検特捜部に逮捕され、13年6月、懲役4年の実刑判決が確定、服役した。

 賭博に興味のない筆者には、何がおもしろいのか、さっぱりわからなかったが、カジノに出入りする男女の異常なテンションの高さ、息苦しいほどのカネに対する執念がその場の空気を満たしているのは肌で感じた。

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 英語学校の経営者は一審で有罪判決を受けたが、97年2月の控訴審判決は「個人的な目的で学校の資金を流用したとは認められない」として無罪を言い渡し、確定した。検察の勇み足だった。

 ちなみに、筆者が1つの事件で2回、ラスベガスを取材することになったのは、筆者が91年2月に毎日新聞から朝日新聞に転職したためだ。毎日新聞時代の90年秋のラスベガス取材で得た情報を朝日新聞で記事にするわけにはいかなかった。経営者の逮捕にあわせて記事化するため、朝日新聞記者として再度、現地に出向き、取材しなおしたわけだ。

 ●元ハイローラーが語る「我がカジノ人生」

拡大参院内閣委で、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案の採決があり、野党の議員が委員長席に詰め寄った=2018年7月19日午後4時41分、岩下毅撮影
 IR実施法成立を機に、27年前にカジノホテルの取材に協力してもらった元ハイローラーの不動産会社社長に、日本にカジノを導入することの是非を含め、カジノとハイローラーの実態について話を聞いた。

 A氏としておこう。現在70代半ば。1980年代に土地の地上げ事件の取材で知り合い、これまでも、経済事件の取材で何度か協力してもらった。バブル崩壊後、カジノ通いから足を洗ったが、「約20年間で総額数百億円を賭け、トータルで約30億円の負け」という。

 日本人では、カジノとハイローラーの表裏の事情に最も通じている一人といってよい。

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 A氏がバカラ賭博に目覚めたのは、1970年代の初め。30歳か31歳のころだった。破綻した関東のゴルフ場の整理にかかわり、ゴルフ場の経営者からいたく感謝された。

 「お礼をしたいが、カネがない。韓国でなら、チップでお礼ができる」と、当時、A氏に整理資金を出資した山梨の金融業者とともに韓国のカジノに誘われた。

 A氏も山梨の業者もカジノは初めての経験だった。それぞれゴルフ場経営者からもらった500万円のチップをもとにバカラ賭博を行った。同じバカラでも、韓国のカジノは、ラスベガスとはルールが違っていた。

 ラスベガスでは、プレイヤー、バンカーの両方に賭け金が張られなくても、カジノが勝負を受けたが、当時の韓国のカジノは手持ち資金が少ないため、例えば、客がバンカーに1千万円張ったら、別の客がプレイヤーに最低でも900万円張らないとゲームが成立しない仕組みだった。胴元のカジノは賭け金の1割しかリスクを取らなかったのだ。

 「負けると自分のチップが気に食わない客のところに行く。すると、熱くなる。この野郎と、いくらでも張ってしまう」

 A氏は、学生時代にマージャンをした程度で賭け事に興味はなかったが、これでカジノにはまった。それから、毎週のように、韓国のカジノに通ったという。

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 山梨の金融業者は、A氏以上にバカラにとりつかれた。その後、90年にオーストラリアのカジノで、バカラ賭博史上最高とされる29億円を稼ぎ、米国のカジノでも9億円を稼いだと報道されたが、92年1月、自宅で何者かに殺害された。金銭トラブルのあった暴力団組員らが逮捕されたが、証拠不十分で不起訴となり、事件は迷宮入りとなった。

 関係者によると、殺される前、金融業者は、欧州のカジノで、大きな勝負をした。カジノを安心させるため、日本の銀行に20億円を預けていたが、負けたのにカネを払わず、トラブルになっていたという。

 「刃物で首を切られ即死だったらしい。殺しのプロ中のプロの仕業。日本の暴力団ではない。カジノ側が見せしめで殺したのではないか」とA氏は推測する。

 ●億のカネが行ったり来たり

 1980年代半ばから、日本は土地、株バブルが膨らみ、不動産や株の取引で巨額の利益を得たバブル長者が輩出した。A氏もゴルフ場の売買で大金をつかみ、ラスベガスに出入りするようになる。そこは、カネ、カネ、カネの世界。「金持ちは王様。最高のサービスで何でもわがままが効く。それが楽しかった」

 当時のラスベガスのカジノでは、ハイローラーは、最高1回5万ドルまで賭けられた。A氏もそうだった。カジノホテルに口座を持ち、一定の証拠金を送金しておく仕組みだった。

 その中で、特別にホテルと契約して1回30万ドルまで賭けられた日本人ハイローラーがいた。1991年に5万人を超す会員から1千億円を超すカネを集め、92年に7億4000万円の詐欺と57億円の脱税で特捜部に摘発され実刑判決を受け服役したゴルフ場経営者だ。A氏は、このゴルフ場経営者とも顔見知りだった。

 「経営が傾いたラスベガスのカジノホテルの経営者が、そのゴルフ場経営者と1回30万ドルまで賭けられる契約をしてバカラ賭博をさせ、半年で経営を建て直した。ロス(アンジェルス)の新聞が、ゴブル場経営者が日本円で180億円負けた、と大々的に報じていた」

 ジョージ・クルーニーやブラッド・ピットらが演じる犯罪のプロが、カジノ経営者を騙してカジノの売上金を盗む米映画「オーシャンズ」シリーズに登場する、やり手の強欲なカジノ経営者を彷彿とさせる話だ。

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 A氏も1回で300万ドルくらい勝つことはあった。91年ごろは1ドル130円前後。4億円近い金だ。ラスベガスのカジノホテルでは、チップを清算して現金をほしいと言えば、スーツケースを用意してくれた。カジノホテルは、自分の運営するカジノで勝ったカネだという証明書を発行し、さらに、賭博が認められていない日本に入るときのため、ホテル側が「客」に借りた金を返した、との証明書まで書いた。それで日本の税関はすんなり通った、という。

 負けた場合は、カジノホテル側が日本まで集金に来る。

 「円でもドルでも大丈夫だった。金額はその日のレートで決め、1回で全額払うと1割引きになった。俺は、億単位の円を現金で払った。担当のホテルの副社長は、大きなスーツケースを2つか3つ持ってくる。副社長は1週間ほど日本で集金に回り、ラスベガスに帰る。そのころになると、また、カジノに行きたくなって、副社長と同じ飛行機でラスベガスに向かったこともあった」。

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 往復の航空運賃や現地でのリムジン代、ホテル代は、ホテル持ちだった。A氏はいつも、JALのファーストクラスで往復し、最高級のスイートに泊まった。

 A氏は、1回の賭博旅行で最高で300万ドル負けた。それが、A氏にたいするホテル側のサービスのランクを決めた。

 「ホテルは売上の5%を交際費に充てる。300万ドルだと、15万ドル(1ドル130円換算で1950万円)。当時のファーストクラスの東京・ロサンゼルスの往復運賃が70万円。ロスからラスベガスまでのプライベートジェットのチャーター代やリムジン代は驚くほど安かったから、5人連れて行っても、ホテル側の腹は痛まなかった」

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 カジノのゲームは、必ず胴元が儲かるよう設計されている。ハイローラーが集まれば集まるほど、カジノホテルは儲かる仕組だった。経営が苦しくなるのは、ハイローラーを別のカジノホテルに奪われ、閑古鳥が鳴くようになったときだ。

 80年代半ば、ラスベガスのカジノホテル「アラジンホテル」が経営破綻した。A氏は、ホテルを競売で買い取り、自分でカジノを経営しようと考え、2度、競売入札に参加した。

 「カジノ経営の実態を知りたかった。胴元になれば、損はしないという計算もあったが、米国で仕事をする気はなかったから、途中で売るつもりだったが、競売に応募しているうちに、日本の事業で資金繰りが苦しくなってやめた」。

 同ホテルを落札したのは、東京で不動産会社を経営する安田銀治氏だった。安田氏は東京・原宿のオフィスビルの売却益の一部約77億で、「アラジンホテル」を買収し、経営に乗り出した。しかし、その後、ビルの売却益を日本で税務申告していなかったことが大きく報道されたことなどで評判が落ちて経営に失敗。失意のうちに米国で病死した。

 ●日韓カジノ「地下銀行」

 一方、韓国のカジノでの日本人ハイローラーの決済の一部は、事実上の地下銀行で行われた。都内で不動産・リゾート開発会社を経営する在日韓国人のB氏が、その役割を担っていた。B氏は、A氏の賭博仲間であり、A氏の企業整理や不動産開発事業などに資金を融資する関係だった。

 B氏は、戦後のどさくさ時代に闇物資を扱って財をなし、都心のビルやゴルフ場を経営。朴正煕大統領の側近ら日韓の政界や地下人脈に太いパイプがあり、韓国で最初に許可の下りたカジノにも出資していたという。

 韓国のカジノの勝ち負けの清算は、米国のカジノと同じく、カジノ側が来日して、勝った日本人客にはカネを払い、負けた客からカネを取り立てる。取り立てたカネで支払うと、トータルではトントンかプラスになった。

 ただ、負けた客はすぐカネを払わず、一方で勝った客がすぐ支払いを求めることがある。カジノ側は手元にカネがないため支払えない。そうしたとき、韓国カジノのために立て替え払いをしたのがB氏だった。日本人ハイローラーを収益の柱としていた韓国カジノにとって、B氏のような存在は欠かせなかった。

 B氏の周辺関係者は「立て替え払いの手数料のほか、韓国のカジノホテルに日本の客を紹介し、その客がカジノで負けた額の1割をカジノから手数料としてもらっていた。それで溜まったカネが20億円はあった」という。

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 その20億円のカネの存在を東京国税局が突き止めたのは95年。特捜部が摘発した東京協和、安全の2つの信用組合を舞台にした背任事件に関連した税務調査だった。

 B氏は、カネの一部3億円をA氏の名義で東京協和信組に預金していた。いきなり、国税職員がA氏の事務所に乗り込んできて、そのカネのこと、B氏のことを聴いた。A氏には心当たりがなかった。トイレに行くふりをしてB氏に連絡した。

 「出ちゃったか。ばれたらしようがない」。B氏はあっけらかんとしていた。B氏は、国税当局に対し、20億円を自分の所得と認め、納税した。

 筆者は、A氏を知る前の80年代初めからB氏を知っていた。警視庁のベテラン捜査員から紹介され、経済事件の取材で何回か協力してもらっていた。もっともB氏は、この件で税務調査を受けるまで、自分がカジノに関わっていることについては、筆者に話さなかった。

 ちなみに、2信組事件で東京協和信組理事長として背任の罪に問われたリゾート開発のEIEグループ代表の高橋治則氏は、グループが経営難に陥ったあと、B氏につなぎ資金を借りていた。B氏は「ノリちゃん」と呼んで可愛がった。筆者もB氏のオフィスで高橋氏と顔を合わせたことがあった。同信組に預けてあったB氏の3億円は、高橋氏に頼まれての協力預金だった可能性もある。

 「周りは賭博好きばかりだったが、高橋氏は仕事一筋で、一切、賭博はしなかった」とA氏は振り返る。高橋氏は一、二審で実刑判決を受け、上告中の2005年に死去した。B氏もその少し前に亡くなった。

 ●カジノ法の経緯とこれから

 日本でもカジノを、と言い出したのは、1999年に東京都知事に当選した石原慎太郎氏だった。都の財政再建のため「お台場カジノ構想」を打ち出した。それを受けて、石原氏に近い国会議員がカジノ開設に向けた運動を展開したが、「刑法の賭博罪」が壁となって、いったん、立ち消えとなった。刑法は原則として賭博を禁じ、競馬や競輪といった国や地方自治体が関わる公営ギャンブルのみ特別法で認めてきた。

    ※ ※ ※

 カジノ構想が具体化するのは、2012年12月の第2次安倍政権成立後だ。カジノを自治体の財政再建ではなく、観光拡大など経済成長戦略の一環として日本経済再建の目玉にする案が浮上。13年12月、自民党や当時の日本維新の会がカジノと宿泊施設、会議場など統合型リゾートの整備を政府に促すIR推進法案を、議員立法として国会に共同提出した。

 創価学会を選挙母体とする与党の公明党は、ギャンブル依存症の増加などを懸念して法案には慎重姿勢だった。法案は衆院で審議入りしたが、14年11月の衆院解散で廃案となり、15年4月に再提出されたが、今度は同年の安全保障関連法の審議、翌16年の参院選への影響を考慮し、審議されなかった。

 この間、法案成立について尋ねた報道機関の世論調査では、成立不要とする回答が60~70%を占めた。

 そうした中、安倍政権は16年秋の臨時国会で法案の成立を急ぎ、同年12月15日、賛成多数で可決した。公明党は自主投票を選択した。次期通常国会まで審議が続けば、17年夏の東京都議選に影響が及ぶのを危惧したため、との見方もあるが、なぜ急いだかの真相は不明だ。

 これを受けて安倍政権は、観光や地域経済の振興に寄与するとの「公益性」があるなどとして、例外的に民営カジノを合法化するIR実施法案を策定。今年5月、ギャンブル依存症対策法を成立させたのに続き、7月20日、IR実施法を成立させた。

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 事業者のカジノ収入の30%は納付金として国と立地自治体の収入となり、観光や地域経済の振興などに充てることになった。

 一方、ギャンブル依存症やマネーロンダリング対策として、日本人客はマイナンバーカードで本人確認した上で、入場回数を7日間で3回、28日間で10回までに制限することになった。日本人客からは入場料として1回6000円を徴収。20歳未満や暴力団員の入場を禁じた。

 政府は、19年の夏から秋ごろに、監督機関であるカジノ管理委員会を設置。IR設置箇所を選ぶ際の基準となる基本方針を策定し、事業者の中に反社会勢力が入り込んでいないか厳格に審査する。手続きが順調に進んだ場合、日本初となるカジノの開業時期は早ければ20年代半ばになる見通しだ。

 ●「ハイローラーがカジノ経営のカギ」

拡大カジノを含む統合型リゾート実施法案を審議する参院内閣委で答弁する安倍晋三首相(左)。右は石井啓一国交相=2018年7月17日午前10時15分、飯塚晋一撮影
 政権与党と日本維新の会は「外人観光客が増える、カジノに落ちた金で観光、地域振興、雇用が生まれ、経済がよくなる。少子高齢化対策にもなる」と風呂敷を広げるが、A氏は「カジノの成功のカギを握るのは、高額のカネを賭ける「ハイローラー」が集まるかどうか、だ」という。

 いま、シンガポール、マカオなどアジアのカジノの繁盛をもたらしているのは、中国人ハイローラーだとされる。経済成長著しい中国の富裕層がカジノで大金を張り、それがカジノの収入の大半を占めるとの指摘もある。

 「ラスベガスやマカオは、カジノホテルが林立している。ハイローラーはそういうところに集まる。例えば、90年前後にラスベガスに出入りした日本人ハイローラーは、3~4つのカジノホテルに口座を持っていた。ひとつのカジノホテルで上限まで負けても、さらに別のホテルでカネを借り、思う存分、遊ぶことができた。ひとつの特区に1軒では、そういう遊び方ができない。だから、ハイローラーは、来ないのではないか」と、A氏は、ハイローラー心理を分析する。

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 一方で、中国では外貨管理規制強化で海外へカネの持ち出しは厳しく制限されているという。それでも、中国人ハイローラーがマカオに集まるのはなぜか

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村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)。

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