メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

事件記者の目

オウム真理教事件の教訓

殺人予備罪での逮捕では検警が対立「証拠と理屈はあとからついてくる」

村山 治(むらやま・おさむ)

 元オウム真理教幹部13人に死刑が執行された。元代表の松本智津夫(麻原彰晃)は、地下鉄サリン事件など13の事件で計27人に対する殺人罪などで死刑が確定しており、ほかの12人はいずれかの事件でその共犯とされた。日本の治安に責任を持つ検察、警察にとって鼎の軽重を問われたのがオウム真理教事件だった。筆者は、同事件の捜査に深く関わった元検察幹部が11年後の2006年に捜査を総括した覚書「テロ事件捜査の観点から振り返るオウム関連事件捜査」を入手した。それをもとに、オウム捜査を検証し、優秀な若者らがなぜカルト教団に吸引され一線を踏み越えてしまったのか、再発防止策は十分か、も含めオウム真理教事件について連載で考える。その第2回の本稿は、地下鉄サリン事件の後、松本を逮捕するまでの捜査について検証する。(敬称略)

 ●地下鉄サリンの衝撃

拡大神谷町駅ホームで手当てを受ける乗客=1995年3月20日
 地下鉄サリン事件は、1995年3月20日朝、出勤のサラリーマンや学生で混み合う地下鉄車内で起きた。サリンが撒かれた日比谷線、千代田線、丸ノ内線の計5車両は、いずれも午前8時すぎに検察庁や警察庁、警視庁がある霞ヶ関駅に到着する列車だった。

 2日後の3月22日に警視庁など警察はオウム真理教の拠点を一斉に捜索する予定だった。オウム側が、捜査が肉薄していることに気づき、捜査かく乱のために起こした無差別テロだった。この覚書を書いた元検察幹部も、出勤途中に電車が止まり、タクシーで役所に駆け付けたが、少し早く出勤していれば、被害に遭うところだった。元検察幹部らは「オウムに先手を打たれた」と直感した。

 ③足並みの乱れと大阪府警の先走り

 ・3.19の強制捜査

 ・第7Sでのサリンプラント設置、稼働実態までは不知

拡大覚書の3ページ目
 地下鉄サリン事件前日の3月19日、大阪府警が、オウムの信者脱会トラブルの被害届を受けて大阪の教団支部を捜索し、関係者を逮捕していた。覚書は、これを「足並みの乱れと大阪府警の先走り」と批判的に記しているが、確定判決によれば、3月18日にオウム幹部らによる地下鉄サリン事件の共謀があったとされており、大阪府警の捜査でオウム側が跳ね上がったとは考えにくい。

 2500人の捜査員に動員がかかれば、どんなに保秘を徹底しても、情報は洩れる。教団には、現職警察官の信者もいた。オウム側が警察の教団への一斉捜索を予測するのは難しくあるまい。どこから情報が漏れても不思議ではなかった。

 覚書の中で「S」とあるのは、「サティアン」を指し、オウム真理教の施設にある建物のこと。オウム真理教は上九一色村にある自分たちの建物をぞれぞれ「第7サティアン」とか「第9サティアン」とかと呼んでいた。

 ともあれ、「戦争」の火ぶたは切られた。

 (2)単純な犯罪捜査でなく、軍事的に組織された犯罪集団との戦いとの視点へ

 ①H7.3.20地下鉄サリンの衝撃

 ・自然界に存在しないサリンの出現に驚愕

 ~自衛隊以外に、国内にこれを製造、保管、使用する組織、設備、人力、情報力、機動力を持つ団体の出現

 ~科警研、科捜研に鑑識・鑑定能力なく、自衛隊化学兵器研究所の協力

 地下鉄車内で液体から気化し13人を殺し6千人以上に傷害を負わせた化学物質について、証拠物の科学的鑑識・検査を行う警察庁の科学警察研究所、警視庁の科学捜査研究所とも、それが何なのか特定する能力はなかった。警察当局は、自衛隊化学兵器研究所の協力をあおぎ、同兵器研究所の鑑定の結果、毒物はサリンと判明した。

 検察、警察側は、松本サリン事件で、教団がサリンを使って大量殺人を行ったのではないかと疑ってはいたが、現実に、大都市の公共交通機関で無差別にサリンが使用された衝撃は大きかった。同じサリン事件でも、地域限定の松本事件とは規模、質とも違った。

 防衛庁内局でサリン事件に対応した元防衛省幹部によると、警視庁の要請で、自衛隊の化学部隊がサリンで汚染された車両からサリンの検体を回収し、車両などを除染したうえで、捜査員が現場検証などを行ったという。当時の自衛隊化学部隊の装備や技術は世界有数で、事件後、イスラエルから防護服を買いたいとの引き合いがあったという。

 覚書の「自衛隊以外に」の表現は、日本で化学兵器の製造、保管する潜在能力があるのは自衛隊だけなのに、という意味で記述したと思われる。自衛隊がサリンを製造、保管していたわけではない。

 まさに、軍に匹敵する攻撃力を持った組織の出現だった。検察、警察は「単純な犯罪捜査でなく、軍事的に組織された犯罪集団との戦い」だと腹をくくる。

 ●教団一斉捜索―目的外押収

 ②H7.3.22 第1次一斉捜索の衝撃

 都内16か所、都外16か所、上九施設に3000人投入

 ・2500名の出家信者を無数のSに省庁別に配置し、寝床、厨房、修行、生産、印刷、車両、武器製造、通信、諜報などと独立王国の様相を示す実態

 ~人定の何作業(ホーリーネームによる呼称)

拡大防護服に身を固め、カナリアの入った鳥かごを手にオウム真理教施設へ捜索に向かう捜査員ら=1995年3月22日午前7時すぎ、山梨県上九一色村で
 警視庁は3月22日、予定通り、教団に対し一斉に強制捜査に入る。上九一色村の施設の捜索では、サリンガスを警戒し、警察官たちは防護服をまとい、毒ガスに敏感なカナリアも持参した。捜索で、捜査側は教団の出家信者の修行や生活の実態をはじめてつぶさに知ることになる。

 「人定の何作業」とあるのは、オウムの信者の本名や本籍を特定するのが困難だった、つまり、「難作業」だったということを言っているのだろう。

 捜索は仮谷事件の捜索令状にもとづき行われた。

 ・本来目的はV仮谷の救出と拉致監禁の証拠収集~別紙2「差し押さえるべき物」参照

 覚書によれば、令状が許可した捜索の本来の目的は、「仮谷の救出と拉致監禁の証拠収集」だったが、検察、警察の真の狙いは、テロに使われる恐れのあるサリンや、サリン原料のフッ化ナトリウムなどの化学薬品、不動産であるサリンプラントの差し押さえにあった。

 令状の「別紙の差し押さえるべき物」には、「本件に関係ある、被害者の着衣、眼鏡、財布やカード、定期券」などのほか「犯行に係ると思料される高速道路通行領収書、犯行計画メモ、オウム真理教の信者一覧表、お布施・寄進に関する資料」「被害者を監禁する際に使用したと思料される寝具類、粘着テープ、クロロホルム等の薬物」などと記載されているだけで、サリン関係についてはまったく記載されていない。

 ・現行法の枠を超える強制捜査

 証拠と理屈はあとからついてくる。剛胆に進めよ。

 警察の度胸と責任による「はみ出し押収」

 ~ドラム缶入りのフッ化ナトリューム等の化学薬品、不動産であるサリンプラント

 検察の知恵による二重押収

 覚書は「現行法の枠を超える強制捜査」と明記している。とにかく、地下鉄サリン事件の解明とサリンテロの下手人を押さえ、再度のテロを防ぐことが優先された。

 捜索で、サリン自体は見つからなかったが、三塩化リン、イソプロピルアルコール、フッ化ナトリウムなどサリン生成に必要な原料が見つかった。生成に使われたとみられる高度な実験設備もあった。

 サリン原料などを押収するため、第7サティアン内のサリン製造設備や原料に対する被疑者不詳の殺人予備罪で改めて捜索令状をとった。

 覚書によれば、これは「検察の知恵による二重押収」だった。「テロ集団との戦争だ。(適正手続きによる)事実構成が何だと、言っている場合じゃない。俺たちは腹をくくった」と「二重押収」の知恵を出した元検察幹部は振り返る。

 ●「証拠と理屈はあとからついてくる。剛胆に進めよ」

 検事たちをリードしたのは、東京地検次席検事の甲斐中辰夫だった。東京地検次席検事は、検察首脳への昇格が約束されている有力ポスト。大手メディアが加盟する東京の司法記者クラブの記者たちを相手に連日記者会見する東京地検のスポークスマンだが、捜査実務も取り仕切る要のポストでもある。

 ★甲斐中次席検事の大胆な発言

 覚書は、当時のある検察幹部の実名を挙げ、もし仮にその人物がそのとき検察のある枢要ポストにいたら「事件はできなかった」と指摘している。

 「甲斐中がいたから、一連のオウム事件の捜査はできたと、いってもいい。(法律家としての)知恵ではない。腹、なんだ。結果はあとからついてくる。目先の証拠にこだわって手続きをすすめる上司がいたら、事件はできていなかった」と元検察幹部はいう。

 甲斐中は、筋金入りの公安検事だった。連合赤軍による「浅間山荘事件」(1972年)、「北海道庁爆破事件」(76年)など、今なら「テロ」と呼ぶであろう多くの公安事件の捜査や公判にかかわってきた。捜査と犯罪が同時進行で進むなどの点で、オウム事件は公安事件とよく似ていた。

 覚書が記す「証拠と理屈はあとからついてくる。剛胆に進めよ」の指令は、甲斐中が発したものだろう。オウム事件で警視庁とともに捜査を進めている部下の東京地検刑事部の幹部らは奮い立った。

 最高裁判事を経て弁護士になった甲斐中は、これらの事実関係について「僕から申し上げることは特にない」という。

 ●異例づくめの捜査と、サリン事件のキーマン逮捕

 教団では、信者は本名でなく、ホーリーネーム(宗教名)で呼び合っており、捜査側は関係者の人定に苦労した。そもそも、マインドコントロール下にある信者は捜索に協力的ではなかった。異例づくめの捜査となった。

 ③捜索を妨害する者に対する現逮(現行犯逮捕)による排除

 ・各Sに修行疲れ、薬物漬けで疲弊した信者が発見する都度、それを見張っているとの外観を有する者を監禁の実行者として現逮

拡大覚書の3ページ目
 4月26日の第4次捜索の際、サティアンの地下に信者数人が隠れていた。その中に重要人物がいるかもしれない、との報告を受けた元検察幹部は、犯人隠匿の現行犯で逮捕させた。その中に、サリン製造と散布の実行役でもある土谷正実(死刑執行)がいた。

 「何からかわからないが、彼らは捜査から逃げた。一緒に逃げたということは仲間を匿ったということだ、と解釈した。無理筋なのはわかっていた。結局、この犯人蔵匿事件は無罪になったが、土谷の身柄を押さえたことで、捜査はサリン製造の解明に向かうことになった」(元検察幹部)という。

 ・警視庁の域外執行と身柄の引致問題

 ④令状執行の異常性

 ・1通の捜索押収令状で数か月の継続執行

 捜索令状は、当初の仮谷拉致事件に続き殺人予備でもとった。捜索令状の有効期限は1週間だが、覚書は「1通の捜索押収令状で数か月の継続執行」を行った、とする。普通の刑事事件なら、違法な捜索として問題になるところだ。

 ・不動産であるサティ(ア)ンを押収して機動隊による看守

 ・監禁に供した動産であるコンテナを押収して、その場での領置、保管

 ・捜索押収に必要な処分に名を借りた、重機使用によるSの壁、天井、地下室の破壊

 これらも、令状の範囲の逸脱と評価されかねない法執行だった。しかし、多くのマスコミは、オウムのサリン事件捜査では、検察、警察の「オーバーラン」に目をつぶった。

 ●オウム?の反撃

 捜査を受けたオウム側は、反撃の「ゲリラ戦」を展開した。

 3戦争モードによる本格的捜査の展開

 (1) 捜査の展開をあざ笑うように次々と新たな犯罪を敢行

 ① 凶悪事件の連続的敢行

 ・公安捜査の目的の「新たなテロ行為の抑止」という観点からは警察の敗北

 ・国松長官狙撃事件、村井秀夫殺害事件、新宿駅青酸ガス事件、都知事宛時限爆弾郵送破裂殺人未遂事件等

 オウム側のゲリラ戦はある程度、想定されたことだった。

 国松長官狙撃事件は、地下鉄サリン事件の10日後の1995年3月30日、教団に対する捜査を指揮していた警察庁長官の国松孝次が、東京都荒川区の自宅マンション前で何者かに銃撃され、一時重体となった事件。

 逮捕された教団元幹部が「警視庁巡査長の関与」を示唆する供述をしたことから、警視庁公安部が96年5月、教団の信徒だった元警視庁巡査長を取り調べたところ、「自分が撃った」と供述。身内の「自白」に大きな衝撃を受けた公安部は、警察庁に報告せず、専従の捜査員を張りつけ都内のウイークリーマンションで長期間、巡査長を”軟禁”。オウム信者のマインドコントロールを解いた経験のある学者のカウンセリングを受けさせながら取り調べた。

 同年10月、巡査長の「自白」が報道で明らかになり、警視庁は「自白」に基づき都内の神田川などで凶器の拳銃を捜索したが、発見できなかった。警視庁公安部長が更迭され、警視総監が辞任する事態になった。

 警視庁は2004年7月に元巡査長と教団元幹部ら4人を殺人未遂などの疑いで逮捕したが、供述があいまいで東京地検は全員を不起訴とした。10年3月、時効が成立。警視庁は時効成立時の会見で「オウム真理教のグループが組織的・計画的に敢行したテロだった」と説明した。この会見をめぐって教団の後継団体が起こした訴訟で、警視庁側は敗訴し、東京都は賠償を命じられた。狙撃の実行犯は依然、不明のままだ。

 ●捜査かく乱に苦しむ

 一方、95年4月23日、教団ナンバー2といわれた村井秀夫が、記者らが詰めかけた教団の東京総本部前で元暴力団関係者に刺殺された。刺殺した元暴力団関係者は懲役12年の刑が確定したが、「殺害を指示した」として殺人罪で起訴された別の元暴力団幹部は無罪が確定。東京地裁は元幹部への判決で「事件は何らかの背後関係があると強く疑われる」としつつ、実行犯の供述の信用性には疑問があると述べた。

 村井は松本の側近で、教団による重大事件ではいずれも、中心的役割を果たしていた。特に、地下鉄サリン事件では松本から直接指示を受け、事件全体の総指揮を担ったとされる。「殺害は口封じだった」との見方もあるが、こちらも真相は不明だ。

 新宿駅青酸ガス事件と都知事宛時限爆弾郵送破裂殺人未遂事件は、教団元幹部の井上嘉浩(死刑執行)らが松本の意を受けて起こしたものだった。

 オウム側の捜査かく乱策は、捜査側を苦しめた。

 ② 捜査攪乱戦術

 ・見えない敵、知らない組織、犯行声明のない犯行

 ・東京ドーム内での毒ガス噴霧話、駅構内での異臭騒ぎ、水道水への毒物投入風説

 ・井上嘉浩らによる建造物侵入、損壊、窃盗事件の繰り返し

 ③ 過去捜査側が経験したことのない犯人側の対応と攻撃

 ・これから起きるであろう犯罪の防止のための捜査~刑事部捜査に公安的発想をオン

 オウム側のゲリラ的攻撃に捜査側が振り回される様子がうかがえる。3月22日に始まった第一次捜索時の失敗もあった。

 (2)組織を上げての徹底した逃走、証拠隠滅、犯人隠避・蔵匿

 ① 第1次捜索時の失敗・汚点

 ・大蔵省●●●●の管理する現金8000万円を確認しながら未押収~逃走資金となる

 ~仮谷令状で押収できたか?後付けでどんな理由説明が可能か?

 オウムの大蔵大臣の女性信者=犯人隠避などで3年8か月の実刑判決を受け服役=は松本側近で、教団の経理を担当していた。捜索で確認しながら、押収を控えた現金8000万円は、地下鉄サリン事件の実行犯らの逃走資金になった、というのだ。

 発見時に8000万円を押収していれば、地下鉄サリンの実行犯らはもっと早く捕まり、井上らの攪乱行為も制約されていた可能性がある。しかし、法律上は押収できないカネだった。そのとき、捜査側が持っていた捜索令状は、仮谷の拉致・監禁関係の令状だった。押収していれば、問題になっただろう。

 一方、徐々に警察の組織力が威力を発揮する。

 ② 公安当局との連携協力によるオウム狩り

 ・公安のお家芸である「オウム車両の洗い出し、アジト探しとローラー作戦、協力者工作」

 ・●●●●●(静岡;サリン原料調達役)、●●●●(東京;信徒ポワ)を確保

 一方、検察は、法務省を通じて松本ら教団幹部の国外脱出阻止を図る。司法共助協定のない外国に逃亡すると、捜査に支障が出る恐れがあった。覚書は当時の緊張した状況を振り返る。

 ③ 麻原ら幹部の国外脱出阻止

 ・外務省、入管、税関、空港会社との協力体制確立

 ~仮に、発見した場合、何罪で逮捕勾留するか、起訴できたか?今思うと寒気がする。

 この時点で、松本の容疑は、地下鉄サリンや松本サリン、坂本弁護士一家殺害はもちろん、拉致・監禁などの微罪の容疑も固まっていなかった。出国を阻止し、身柄を拘束するのは難しかった。警察官が捜査対象ともみ合った際に適用する公務執行妨害ぐらいしか「使える」罪はなかった。さらに、ロシアなどには、戦闘的なオウム信者が多数いた。彼らが松本を匿ったら、身柄確保は容易ではなかっただろう。

 ●警察の焦りと検察の筋論

 4月になっても、地下鉄サリン事件の捜査にかくたる進展はなかった。首謀者と見ていた教祖の松本、サリン実行犯らの所在はつかめなかった。また、オウムのテロがあるのではないか、との市民の不安は深まった。そこで、それまで二人三脚で進んできた検察と警察が捜査の進め方をめぐって衝突する。

 検察に対し、警察側は、テロの再発防止のため、サリン施設に出入りしたオウム関係者を殺人予備罪で一斉拘束したい、と言い出したのである。

 (3)4月下旬、オウム関係者の予防検束を巡る検警の熾烈な対立

 ①警察の苦悩~捜査に名を借りた警備への傾斜

 ・地下鉄サリン事件発生1か月を経過するも、犯人一切見えず、重要関係者は地下に潜る。

 ・大型連休を控え、公の場(東京ドーム)での毒ガス噴霧、水道への毒物混入風説で、国民の不安高まる。

 ・約束に反し、二重差し押さえの苦肉の策であった殺人予備の適用を切望

 検察、警察は、令状を逸脱した捜索を行い、微罪でどんどんオウム関係者を逮捕していた。それは数百人に及んだが、起訴したのは半分程度。残りは事実上の「予防検束」だったと覚書は振り返る。「予防検束」に対する抵抗は薄かったと思われる。そうした中で、検察と警察がなぜ「熾烈な対立」になったのか。

 警察が検察に提案してきたのは、オウム施設からサリン原料の薬品などを押収する際に使った殺人予備罪の適用だった。

 殺人予備罪での捜索というアイデアは、検察がサリンの原料やプラントを差し押さえるための「苦肉の策」でひねり出したものだった。検察と警察の間では、殺人予備罪は、物的証拠を捜索差し押さえで収集する「ブツ」捜査にだけ使い、「人」を逮捕して取り調べたり起訴したりするのには使わない、との約束があった。

 殺人予備罪ならば、実行犯を特定できなくても、サリン施設に出入りしただけで適用できると考えられたが、最高刑が殺人罪に比べて軽く、また、いったん殺人予備罪で起訴してしまうと、後になって同じ一連の行為で殺人罪に問うのが難しいという問題があった。検察側は早い段階から地下鉄サリン事件は殺人罪を適用する方針で、警察側に実行犯の特定を急ぐよう求めてきた経緯があった。

 ●検察は筋を通した―サティアンに潜伏の松本逮捕

 「ゴールデンウイークに、東京ドームや浄水場にサリンが撒かれたら、警視総監だけでなく首相の首も飛ぶ」と警察側は強硬だった。これに対し、検察幹部は真っ向から反対した。深刻な対立だった。しわ寄せは現場にくる。

 ②検察の現場の苦しみ

 ・内閣の責任課題、総監の首を賭けた問題との様相を呈し、高度な政治判断から、一網打尽の指示あることを想定。

 ・一網打尽は、サリン製造プラントである第7サティアン担当者に対する「殺人予備」しかあり得ず、それに向かって検事による血の滲む物読み作業開始。

 「最後は、検事総長、警視総監にも出席を求め、「御前会議」が開かれた」(元検察幹部)。検察側は警視庁側に「捜査の問題」と「警備の問題」を峻別するよう求めた。当時の検事総長は、ロッキード事件やリクルート事件の捜査を指揮し、「捜査の神様」と呼ばれていた吉永祐介(故人)だった。

 ・トップ交渉で、検事正の至言「警備は警備でやるのが筋道」、警察納得。

 当時の検事正は、飛田清弘(故人)。法務官僚畑が長かったが、吉永とはツーカーの仲だった。結局、警察

この記事の続きをお読みいただくためには、法と経済のジャーナルのご購読手続きが必要です。

朝日新聞デジタル購読者(フルプラン)の方なら手続き不要

法と経済のジャーナル Asahi Judiciaryは朝日新聞デジタルの一部です。
有料(フルプラン)購読中の方は、ログインするだけでお読みいただけます。

朝日新聞デジタルのお申し込みはこちら

村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)。

Facebookでコメントする

ご感想・ご意見などをお待ちしています。