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西村あさひのリーガル・アウトルック

供述調書作成過程の検証に録音録画が有効な理由

山本 憲光(やまもと・のりみつ)

 相次ぐ無罪事件や証拠隠滅などの不祥事。その多くは取調べに頼る捜査に原因があったとして、法務・検察当局は取調べの可視化に向け大きく舵を切った。元検事の山本憲光弁護士が、供述調書を重く見てきた日本の刑事司法の特殊性を解説し、被疑者、参考人の供述調書作成過程を検証するために取り調べの録音録画がいかに有用かを訴える。

 

取調べの可視化について

 

西村あさひ法律事務所
 弁護士 山本 憲光

山本弁護士拡大山本 憲光(やまもと・のりみつ)
 1991年、東京大学法学部卒。司法修習47期。1995年検事任官、東京地検、法務省民事局などを経て、2006年に退官、弁護士登録、西村あさひ法律事務所入所。専門は、一般企業法務、会社関係訴訟、公益法人法制、海事法、企業危機管理(コンプライアンス)、刑事事件等。

 ■はじめに

 足利事件や東電社員殺害事件等の冤罪再審事件、厚生労働省の村木元局長の無罪判決とこれに続く大阪地検特捜部での証拠改ざん、さらには小沢一郎氏の資金管理団体に関する政治資金規正法違反事件での虚偽捜査報告書問題などにより、我が国の刑事司法に対する国民の信頼が大きく揺らいでいる中、法務・検察では、取調べの可視化に関する検討が進められている。今回は、日本の刑事事件の捜査における最も重要な捜査手法とされる取調べと、その成果物ともいうべき供述調書が有する特殊性に着目して、可視化の問題について考えてみたい。

 ■取調べの「可視化」とは?

 取調べの「可視化」とは、これまでの取調べは、警察官、検察官等の捜査官(取調べの主体。検察事務官や補助警察官らの補助者を含む)と被疑者・参考人という取調べの対象者との密室において行われていたため、脅迫、誘導などの、不当な取調べが行われてもそれを事後的に検証することが困難であったことから、それが任意性を欠く自白を生む温床となり、冤罪の大きな原因となったのではないかとの反省に基づき、取調べの過程について、第三者(基本的には裁判官)による事後的な検証可能性を確保する措置を講ずることをいう。そして、そのような措置の内容として具体的に想定され、議論されているのは、取調べの状況を録音・録画することである。

 なお、一般の方は、「取調べ」というと、もっぱら被疑者(いわゆる「犯人」)を対象とするもののようなイメージがあると思われるが、「取調べ」の用語は、法律上は必ずしも被疑者を対象とするものに限定されているものではなく、目撃者等の参考人に対する「事情聴取」も法律的には「取調べ」である(刑事訴訟法197条1項、198条1項)。ただし、警察官や検察官が被疑者に対して取調べを行う場合には、必ず、あらかじめ黙秘権(自己の意思に反して供述をする必要がない旨)を告知して行わなければならない(刑事訴訟法198条2項)点が、その他の参考人に対する取調べと異なっている。逆にいえば、警察や検察庁に事情聴取ということで呼ばれて、もし黙秘権を告知されたならば、始まるのは被疑者としての取調べである、ということである。

 いずれにしても、単に「取調べの可視化」といった場合には、可視化の対象である取調べは、被疑者だけでなく、参考人も含むものであることは留意する必要がある。

 ■取調べの可視化の問題を考える上での出発点

 取調べの可視化の必要性は古くから学者や弁護士により叫ばれてきたが、当局がそれについて真剣に検討を始めたのは最近のことであり、現在のところ、法務省が2011年(平成23年)8月8日に公表した、「被疑者取調べの録音・録画に関する法務省勉強会取りまとめ」(以下「法務省勉強会取りまとめ」という)及びこれに付随して公表された国内・国外における取調べに関する各報告書が最近における最もまとまった成果である。

 ここでまず前提として指摘しなければならないのは、標題からも明らかなとおり、検討の対象が、被疑者の取調べに限定されていることである。これは、そもそも今回の可視化導入の検討の目的が、「公判で自白の任意性をめぐる争いが生じた場合に、その客観的な記録による的確な判断を可能とすること」とされている点が理由であると考えられる。確かに、被疑者・被告人が自ら犯行を行ったことを認めることが、犯罪立証に関して極めて大きな証拠価値を持つことはいうまでもなく、特に、被疑者・被告人が犯人であることを示す揺るがない客観的証拠がある場合でも、被疑者・被告人が犯行を否認している場合には、認めている(自白している)場合と比較して、裁判官はどうしてもより慎重に事実認定を行うことになりやすい。そのことからすれば、裁判官に自信をもって有罪認定をしてもらうためにも、捜査官が自白の獲得に熱心になることは自然であり、従って、無理な取調べが行われる危険性も高くなることは理解できる。しかしながら、被疑者・被告人が犯行を否認している場合に、決定的な証拠が目撃者など、参考人の供述であるという場合もあるのであり、そのような場合には、捜査官が参考人から有罪認定にとって有利な供述を得ようとする動機は、自白獲得の動機に劣らず強いであろう。また、被疑者・被告人であれば、取調べに先立って、弁護人のアドバイスを受けることができるはずであるが、単なる参考人の場合には、自ら弁護士を探して相談しない限り、取調べに関して留意すべき事項に関し、捜査機関以外の専門家からアドバイスを受けることはない。とすれば、少なくとも重要な参考人の取調べに関する可視化の必要性は、被疑者のそれと変わらないといえるのではないだろうか。もちろん、法務省勉強会取りまとめでも、「できる限り広い範囲を対象とした録音・録画制度を導入することが考えられる。」とされていることから、必ずしも、一律に参考人に対する取調べを可視化の対象から除外するという趣旨ではないと考えられる。

 いずれにしても、「任意性のない自白」による冤罪を防止することが極めて重要な課題であることは明らかであるが、取調べの可視化を検討する上での出発点をここに置くことは、問題を矮小化してしまう危険性があるように思う。

 ■取調べの目的~供述調書の作成

 ここで、取調べが何のために行われるかをもう一度確認しておく必要がある。いうまでもなく、取調べは、被疑者に対するものであれ、参考人に対するものであれ、証拠としてその供述を得る作業に他ならないが、問題は、取調べの場で被疑者や参考人から得られた供述をどのような形で証拠にするか、である。もし、取調べの場における被疑者や参考人のナマの供述そのものを証拠にするのであれば、取調べそのものを録音・録画し、その媒体を証拠として裁判所に提出するのが最も端的であろう。その場合には、録音・録画は、「可視化」のための措置というよりも、もはや捜査(採証)活動そのものである。しかし、実務的には、被疑者や参考人の供述の内容を立証するための証拠として録音・録画媒体が提出されることは稀であり、供述の内容を、警察官や検察官が書面化した上、被疑者、参考人に読み聞かせや閲読の方法により確認させ、署名を得て作成される、供述調書の形をとる場合がほとんどである。

 なぜ、供述の内容に関する証拠は供述調書の形をとるのであろうか。これについては、以下の理由が考えられる。

(1) 被疑者は犯行に至る経緯や犯行の状況(否認している場合にはアリバイその他の弁解)、参考人は目撃状況や事件に関して知っていること等を供述するが、そのためには相当な時間がかかり、公判の場で同じ時間をかけて裁判官が録音・録画の証拠調べを行うことは非現実的であるから、公判の効率性の観点から、供述内容を捜査官がまとめた供述調書が有用である(なお、現行の刑事訴訟法が制定されたのは昭和23年であり、当時は録音・録画装置は現代ほど発達していなかったから、供述の記録媒体として供述調書以外の形式は想定し難かったと思われる)。

(2) 取調べにおける被疑者や参考人のナマの供述は、必ずしもすべてが証拠として必要なものに限らず、中には雑談や事件に無関係な話もあり得るので、そのような事件に無関係な供述は落として証拠として必要な供述に限定した供述調書が有用である。

(3) 法律上、犯罪の成立要件は、構成要件該当性、違法性、有責性とされており、有罪であることを立証するためには、裁判官に対して、被疑者や参考人の供述に基づきこれらの要件が満たされていることを示す必要があるが、被疑者や参考人のナマの供述は、当然ながらそのような犯罪の成立要件を意識して話されるものではないため、捜査官において、被疑者や参考人の供述を、それらの成立要件、具体的には、起訴状の公訴事実におけるどの部分の立証を目的としているのかを意識した表現や構成として整理する必要がある。

(4) 日本の刑事裁判では、法律的な犯罪の成立要件が満たされているかどうかのみならず、犯行の動機、犯行後の状況、反省の有無、被害弁償の有無など、情状関係についても広く証拠を集め、それらを総合考慮して量刑判断がなされるため、適正な量刑を実現するためには(被疑者の有利、不利を問わず)広く情状関係についても供述を集め、まとめておく必要がある。そのためにも供述調書という形が有用である。

 日本の刑事裁判において、人の供述内容を証拠とする場合に供述調書が用いられる理由を整理すると、概ね以上の4点に集約されると思われるが、このうち最も重要な理由は、いうまでもなく、(3)である。そして、供述調書という証拠の形式が持つ最も大きな問題点も、この(3)にある。

 ■供述調書の問題点と可視化の必要性

 具体的にどのような点が問題か。指摘し得ることはいろいろとあるが、分かりやすい点として、殺人罪における「殺意」をどう供述調書に表現するかを考えてみよう。殺人罪(刑法199条)の構成要件は、殺意と(人の生命を奪う危険性のある)実行行為である。もし殺意がなくて人を死なせてしまえば、それは傷害致死罪(刑法205条)にとどまる。そして、「殺意」とは、被疑者が実行行為を行う時点において、その行為により、被害者が死に至ることを認識・認容していることである。ところが、用意周到に計画された犯行であればよいが、そうではなく、例えば酒席での喧嘩から発展したような、激情型の犯行の場合、犯行の態様が、包丁で胸部を一突きにしたような、極めて危険な態様のものであっても、取調べの場で被疑者にその当時の気持ちを聞くと、「怒りに我を忘れて無我夢中でした。」とか、「頭が真っ白で何も考えておらず、気が付くと、被害者が胸から血を流して倒れていました。」というような話をする場合が多い。しかし、だからといって包丁で胸部を一突きにする行為により実際に被害者を殺害している以上、それが傷害致死罪に留まるとすると、非常に不合理なものを感じざるを得ないし、被害者の遺族も到底納得しないであろう。そこで、捜査官と被疑者の間で、次のようなやり取りがされる。

捜査官: 「君はさっきから犯行当時頭が真っ白だったと言ってるんだけど、包丁で人の胸を刺せば人は死んでしまうことくらい知っているよね。」

被疑者: 「もちろん知っています。」

捜査官: 「この事件のときだって、いくら頭に来ていたからといっても、そんな子供でも分かるようなことも理解できなくなっていたわけではないよね。」

被疑者: 「そうですね。」

捜査官: 「それに、解剖結果によると、被害者の傷は心臓を貫いて背部に達している。つまり全く手加減せずに力任せに刺している。この状況からすると、君は頭が真っ白だったというが、少なくとも相手が死んでも構わないと思っていたとしか考えられないが、どうだろう。」

被疑者: 「そうですね。おっしゃることはそのとおりだと思います。それについては弁解の余地はありません。死なせてしまったのは事実ですし。本当に被害者の方には申し訳ないです。」

 こういったやり取りの結果、この被疑者の供述調書では、殺意に関する部分について、「私は、酒席の上とはいえ、○○さんが他のお客さんもいる前で、余りに挑発的で私を馬鹿にするような言動をとり続けたことにとうとう堪忍袋の尾が切れてしまいました。そしてちょうどそのとき、目の前のカウンターの上に店の調理人が置きっぱなしにしていた包丁が目に入り、思わずそれを右手で逆手に掴んで振り上げ、○○さんの胸をめがけて振り下ろしました。そのときの私の気持ちとしては、本当に怒りで頭が真っ白になっていたのですが、○○さんが死んでしまっても構わないと思っていました。」という記述がなされたとしよう。

 この調書を、捜査官が読み聞かせ、被疑者も閲読して、間違いないということで署名指印したとすれば、上記の殺意に関する供述部分が、少なくとも任意性のない供述であると評価を受けることはないであろう。他方で、もし、この被疑者が、「自分はあくまで頭が真っ白になっていたのであって、相手を『殺そう』とか、『死んでも構わない』とか思っていたわけではない。」と言い張り、調書の内容も上記の「○○さんが死んでしまっても構わないと思っていました。」という部分が含まれなかったとしたらどうであろうか。結論からいえば、上記の事案であれば、仮に後者のような調書の内容であっても、それを理由に殺意がなかったとして裁判官が傷害致死罪の認定をすることは考えにくい。というのも、殺人罪における殺意の認定は、単に被疑者の供述(自白)のみならず、犯行の動機や犯行態様(特に実行行為の危険性)などの要素を踏まえて総合的になされるのが通常であり、上記のように何ら手加減せずに包丁で胸部を一突きにするような余りに危険な犯行態様であれば、他に特段のマイナスの要因がない限り、殺意が認定されるのが通常だからである。

 しかし、もし、犯行態様が相対的に危険性の低いものであったとしたらどうであろうか。例えば、上記の例で、凶器が包丁よりも刃渡りの短い果物ナイフであったり、あるいは、凶器は包丁ではあるが、刺した箇所が胸部でなく大腿部であった(が不幸にして被害者が出血多量で死亡してしまった)らどうであろうか。こうなると、供述調書に「死んでも構わないと思っていました。」という記述があるかないかの重みは大きく変わってくるように思われる。そして、その場合、その記述が、被疑者の自発的な供述を単純に録取したものであるのか、それとも、上記のような捜査官とのやり取りの結果であるのかは、裁判官の心証形成に大きな影響を与えることは明らかである。しかし、同じ行為をしていながら、取調べにおいて捜査官から、「この状況からすると、君は頭が真っ白だったというが、少なくとも相手が死んでも構わないと思っていたとしか考えられないがどうだろう。」と言われたとして、「そうですね。おっしゃることはそのとおりだと思います。それについては弁解の余地はありません。」などと答えた素直な性格の被疑者Aが殺人罪とされ、「あくまで頭が真っ白で、殺そうとか、死んでも構わないとか考えたことはない。」と言い張った被疑者Bが傷害致死罪に留まるのは、それも非常に不合理ではないだろうか。また、Aのような被疑者であっても、公判段階になって、「自分は、捜査官から自分がやったことについて反省することが大事だと言われていましたし、本当に被害者に申し訳なく思っていたので、そういう反省の気持ちを分かってもらうために『死んでしまっても構わないと思っていました』という調書の内容に異議を唱えませんでした。でも、弁護人と相談したら、これがあると殺意を認めたことになり、この言葉があるとないとでは罪が変わってくると説明を受けました。私は、あくまで反省している気持ちを分かってもらいたかったのであり、殺意を認めるというつもりでこの調書の内容に異議を唱えなかったわけではありません。」という弁解をすることは全く珍しいことではない。

 この場合、「死んでしまっても構わないと思っていました」という供述調書の文言が、本当に被疑者が殺意を有していたことを意味しているのかどうかを判断するためには、取調べにおける供述調書の作成過程を検証するほかない。もちろん、そのために取調べ捜査官の証人尋問という方法は従前から行われている。しかし、取調べにおける詳細な言葉のやり取りが、記憶だけで正確に再現できるかどうかは疑問である。また、取調べ捜査官や補助の捜査官が取調べの状況をメモに残していたとしても、その記録の正確性を検証する術はない。

 このように、法的に重要な意義を有する供述調書の内容の信用性や正確性を判断するためには、供述調書の作成過程を可視化すること、つまり録音・録画することが不可欠である。

 ■諸外国との比較

 法務省勉強会取りまとめでは、国内における取調べの状況に関する調査結果も記載されている(その調査報告書本体も公表されている)が、これによると、「我が国における身柄事件の被疑者の取調べは、平均でも20時間余りをかけて行われているところ、法定刑が重い重大事件や、一般に証拠関係が複雑な事件、否認事件などでは、更に取調べが長くなる傾向があるといえる。」とされている。一方で、法務省勉強会取りまとめでは、諸外国(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、オーストラリア、韓国)における取調べに関する調査結果も記載されており(国内のものと同様、調査報告書本体も公表されている)、これによると、韓国以外の諸外国で、身柄拘束状態の被疑者の取調べに費やされる時間は、せいぜい数時間ということのようである。取調べ時間に関するこのような大きな差異は、国によって、刑事裁判において被疑者の供述(つまり取調べ)が果たす役割の違いにも起因しており、法務省勉強会取りまとめでは、特に欧米諸国において、おとり捜査、有罪答弁、司法取引、DNA型データベースなどの、日本では存在しないか、余り用いられていない捜査手法や刑事司法手続が存在していることが指摘されている。

 もちろん、このような違いは無視できないものであり、日本においても新たな捜査手法や刑事司法手続の導入は真剣に検討すべきであるが、筆者は、このような取調べ時間の違いの最も大きな原因は、日本の取調べが詳細な供述調書を作成するために行われている点にあり、より突っ込んでいえば、その供述調書が、単に被疑者や参考人の「言ったまま」を録取するのではなく、犯罪の成立要件を意識した表現と構成で、被疑者や参考人のナマの供述を整理したものとして作成される点にあると考えている。

 日本の捜査官も、そして裁判官も、供述調書の内容に信用性があるかどうかを判断する場合(供述内容がその他の客観的な証拠との食い違いがないことが大前提であるが)、最終的に重要なのは、供述調書に記載されている言葉そのものが、被疑者や参考人の口から出たかどうかというよりも、被疑者や参考人がその内容に「納得しているか」、「同意しているか」だと考えている。実際に取調べにおいては、調書の表現、記述内容について、捜査官と被疑者、参考人との間で長時間の議論がなされ、場合によっては激しい言葉のやり取りがなされることは全く珍しいことではない。そして最終的に、被疑者、参考人が納得できると考える表現で、署名がなされる。その意味で、敢えて単純化していえば、供述調書は、捜査官と被疑者、参考人との合意で作成される文書なのである。その意味で、供述調書の内容の信用性を判断するポイントは(もちろん客観的に存在する他の事実や証拠に矛盾していないということが大前提であるが)、被疑者・参考人が供述調書の内容に同意するプロセスが適切であったかどうか、という点にある。

 ■取調べの可視化を検討する上での不可欠な視点

 そもそも、刑事司法手続や犯罪立証の在り方は、各国民の法意識の違いや各国の治安状況等に応じて様々なものがあってよいのであり、上記のような性質の文書である供述調書によって犯罪を立証するというシステム自体が不適切であるという訳ではもちろんない。むしろ、ナマの供述をすべて公判に出し、あとは裁判官にお任せというやり方の方が、時間がかかってしまったり、場合によっては混乱するということもあり得る。従って、日本流の供述調書による立証方法も長所はいろいろとあるであろう。

 しかし、これまでの日本の刑事司法手続の運用を考えると、供述調書の内容の信用性という、犯罪立証にとって最も重要な要素を確保する制度が非常に「なおざり」にされていたといわざるを得ない。そもそも、契約書のように、独立対等の当事者間で交わされる文書であれば、双方の署名がなされ、実印が押捺されていることをもって、有効な合意が成立していることを認定して全く問題ない。

 しかし、犯罪捜査における取調べは、強制的な犯罪捜査権限を有し、かつ、少なくとも刑事司法手続に関する限り、法的知識も豊富に有する捜査官と、一般人である被疑者・参考人という、構造的に非対称性を有する関係の当事者間で行われる。このような、構造的に非対称的な当事者間における合意が適正なものかどうかを判断する場合に、通常考えられる手段は、弱い立場の者に法律専門家、つまり弁護士のアドバイスを受ける機会を保障することであるが、それが現実的でないとすれば、せめて、供述調書の内容への同意の形成プロセスを記録・保存し、事後的に検証可能な状態にしておくこと以外にないであろう。

 法務省勉強会取りまとめでは、先に挙げた諸外国における取調べの録音・録画の実施状況をも紹介しているが、そもそも、(韓国を除き、)日本流の詳細な供述調書による犯罪立証という手法が用いられていない諸外国と、供述調書が犯罪立証において中心的な役割を果たしている日本とでは、可視化を導入する必要性が質的に異なっている。そして、上記のような非対称的な関係にある捜査機関が作成した供述調書の内容に同意するに際して、その同意のプロセスを保存する手段が法的に何ら手当てされていないという状態が、「正義に反する」と感じる国民の数は、従前と比べて圧倒的に増えていると思われる。

 というのも、筆者が普段の弁護士業務の中心的な分野としている企業法務では、既に内部統制システムという考え方は常識のレベルになっているが、内部統制システムでは、万一業務の過程において何らかの問題が生じた場合、その原因を事後的に検証することが可能となる手段を講じておくことは基本中の基本であると考えられている。最も単純な例で言えば、メーカーで欠陥商品が製造されてしまった場合、その欠陥がどの過程で生じたのか、なぜ生じてしまったのか事後的に検証可能でなければ、メーカーとしての内部統制には重大な欠陥があるということであり、企業としての信用は地に落ちてしまうであろう。

 このような内部統制システムの考え方が常識となっている国民、少なくとも企業人の眼から見れば、捜査機関の職務において最も重要なプロダクトというべき供述調書について、その作成過程の適正を事後的に検証する過程が法的に何ら保障されていないことは、極めて奇異に映るし、まして、数々の不祥事が明るみに出てしまった現在、捜査機関に対する信頼の基盤をどこに求めればよいのか、分からなくなってしまうのではないだろうか。

 ■可視化の弊害と対応策

 他方、法務省勉強会取りまとめでは、取調べの可視化がもたらし得る弊害として、以下の点が指摘されている。

(1) 特に組織的犯罪において、報復などをおそれて組織関係者や上位者に関する供述を得ることが困難となるのではないか

(2) 供述が直ちに記録化されるため、自分の不利益な真実を供述することのハードルが高くなるのではないか

(3) 取調べの過程では、被害者その他事件関係者のプライバシーに関する真偽ないまぜの供述がなされたり、捜査機関が収集した公になっていない証拠に関する取調べがされたりすることも多く、被害者その他事件関係者の名誉・プライバシーが害されることにならないか

(4) 供述調書の作成を前提としない供述による捜査情報の獲得が実際の捜査において重要な役割を果たしているところ、録音・録画により、このような捜査手法をとることが困難とならないか

(5) 取調官としては、録音・録画を意識して萎縮し、これまで用いてきたような取調べ手法が用い難くなるのではないか

 これらを検討すると、(5)の点は、考慮する理由は乏しいと思われるが、その他はいずれも無視できない重要な指摘である。ただ、(1)から(5)までに共通しているのは、いずれも、被疑者から何らかの供述を獲得する過程の問題点であるということであり、被疑者(や参考人)が、一定の供述をしている場合に、それに基づき供述調書を作成する過程の問題点ではないということである。もちろん、実際の取調べにおいては、供述獲得過程と供述調書作成過程とが渾然一体となっている場合も多く、常に両者の段階が截然と区別できるわけではないが、それでも、取調べの可視化を検討する上で、両者の段階ないし側面を区別して考えることは、供述調書が犯罪立証において極めて重要な役割を果たしている日本においては、非常に有益かつ重要である。

 そして、上記のような弊害を防止しつつ、可視化によって適正な取調べを実現していくためには、最低限、供述調書を作成する取調べ(正確には、得られた供述の一部でも供述調書に記載する目的をもって行われた取調べ及び供述調書の作成過程である取調べ。参考人に対するものを含む)については一律に録音・録画を義務付けるだ

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山本 憲光(やまもと・のりみつ)

 1991年、東京大学法学部卒。司法修習47期。1995年検事任官、東京地検、法務省民事局などを経て、2006年に退官、弁護士登録、西村あさひ法律事務所入所。
 専門は、一般企業法務、会社関係訴訟、公益法人法制、海事法、企業危機管理(コンプライアンス)、刑事事件等。

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