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アンダーソン・毛利・友常法律事務所 企業法務の窓辺

英文契約と和文契約の違いと日本法、契約実務の文言重視

白根 信人(しらね・のぶと)

英文契約と日本法

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
白根 信人

拡大白根 信人(しらね・のぶと)
 2000年に早稲田大学法学部を卒業。NECソフト株式会社勤務を経て2009年東京大学法科大学院(法務博士 (専門職))卒業。2010年、司法修習を経て第二東京弁護士会に登録。2011年アンダーソン・毛利・友常法律事務所に入所。2016~2017年コロンビア・ロー・スクール。2017~2018年Barnes & Thornburg法律事務所勤務。2019年1月、ニューヨーク州弁護士登録。2020年1月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー就任。
 大手の法律事務所では避けて通れないと思われるものに、英文契約がある。
 私自身の日常の業務を振り返ると、和文の契約よりも英文の契約を扱うほうが割合として多いように思う。海外の相手方との契約であれば、英文契約が最初に候補に挙がると思うし、また、日本の当事者間の契約であっても、英文契約にしている例も複数存じている。クライアントに直接その理由をお伺いしたことはなく、想像であるが、グローバルに事業を展開する企業にとっては、たまたま相手方が日本の会社であったというだけであって、契約管理上も、社内外のステークホルダーとの関係でも、英文の方が便利ということかもしれない。

 英文契約が契約実務のかなりの割合を占めるのは、日本の企業が海外でも幅広く事業を展開している以上、当然だろうと思う。他方、大学の法学部や法科大学院、司法研修所などで英文契約について学ぶ機会は、ほとんどないのではないか(少なくとも私にはなかった。)。私は、6年ほど企業で働いた後、法科大学院で法律を学んだ(学び直した)のだが、企業に勤務していたときは外国のお客さんとビジネスをするのが当たり前だったので、法科大学院で、外国人の学生もいないし、授業も全部日本語で、ほぼ日本法しか取り扱わないのをみて、ひどくビジネスと法曹教育のギャップを感じた思い出がある。

 そんなこともあり、弁護士になりたての頃は、言語の問題もさることながら、英文契約は長いし、概念も慣れ親しんだ日本法のコンセプトとは異なってわかりづらいなどと、苦手に思っていた。ところが、最近では、すっかり慣れたのか、英文契約のほうが明確に、かつ詳細に様々な事項が規定されていて扱いやすいというような感想を持つようになっており、完全に英文契約にかぶれてしまっている気がする。

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 さて、契約書の文言として、英語を選択するということは、単に言語を選択するだけの問題ではないことが多い。英語の契約にするということは、多くの場合で、英文契約風(≒米国風)のスタイルの契約とすることを選択することを必然的に意味している。表明保証があり、実行の前提条件があり、誓約事項があり、補償規定があり、一般条項には完全合意条項があり、といった具合である。時折、日本語から翻訳した体の、和文契約風の英文契約を取り扱うこともあるのだが、日本語だと違和感がないのに、同じ内容が英語になるとなんだか違和感があるように感じることも多いから不思議である。したがって、私も、私の周りの弁護士も、英文契約を一からドラフトするときには、日本語のものをベースに翻訳して適宜改変するというようなことはせず、英文契約として自然になるように、頭を切り替えて、「英文契約として」最初からドラフトしていくことが多いように思う。

 他方、和文の契約であっても英文契約のスタイルに準じた契約とすることは広く行われており、ある程度の規模の取引についての契約については、英文契約のスタイルとすることが支配的であるように思う。例えば、株式売買契約のようなものについては、和文であっても英文契約のスタイルにならったものになっていることがほとんどのように感じる。この意味では、日本の契約実務が、英文契約やその基となっている英米法に蚕食されているように思える。

 なお、英語の契約でも、英文契約=米国スタイルではなく、英国スタイルというのもあるように思うのだが、私自身が英国の契約スタイルについてよく知らないこともあり、ここでは無神経にも英国は無視して、英文契約のスタイル=米国スタイルと単純化してしまいたい。

 そして、日本の企業でも米国スタイルの契約を受け入れているということは、それが広く国際取引で受け入れられているという取引の慣習もあるだろうが、交渉にあたる企業のご担当者の方や日本の弁護士にとって、それだけではなく、米国スタイルの契約書が日本の契約書のスタイル以上に合理的だと納得感を持って受け入れられているという面もあるように思う。

 例えば、売買目的物について第三者の知的財産権の侵害がないことについての補償条項のようなものを考えてみる。日本風には、「売主は、目的物に関し、第三者との間で知的財産権侵害を理由とする紛争が生じた場合、自己の費用と責任でこれを解決し、買主に一切の迷惑をかけない。」というように短く規定するのが、よく見かける規定の例である。

 ところが、英文契約で同じような規定を設けることを考えると、「迷惑をかけない」という部分は英文にしてみるとなんだか間が抜けているようにも思えてくるし、規定としてもかなり緩いようにも感じられる。英文契約であれば、防御をするのは、売主の義務なのか、権利であり義務なのかという点や、被補償者の協力義務、補償を求める際の売主から買主への通知などの補償の手続き、和解にあたり補償義務者である売主の同意を得るなどについて規定し、数ページにわたる文言になるのが典型的である。

 なお、日本風とした掲げた補償条項の文言と類似した条項について争われた事例では、「[補償義務者]が負う具体的な義務の内容は、・・・第三者による侵害の主張の態様やその内容、[被補償者]との協議等の具体的事情により決まる」とした裁判例がある(知財高判平成27年12月24日・判タ1425号146頁とその原審の東京地判平成27年3月27日・平成24年(ワ)第21128号)。具体的事情により義務の内容が決まる(=事前にはよく分からない)というのではなく、当事者として義務をあらかじめ特定したいのであれば、日本語の契約としても、契約にしっかりと具体的な義務を規定すべし、ということになる。

 上の例のように、英文契約のスタイルに慣れてしまうと、日本語の契約は何か言葉足らずで物足らないもののように思うことが時々ある。もう少し丁寧に規定したほうがよいのではないかと思われるようなときには、私は、英文の契約から類似の条項を見つけてきて、それを日本語の契約に入れ込んだりすることもしている。

 英文契約は、英米法を背景に発展してきたもので、例えば「補償」とか「防御」とかの概念をいきなり日本の契約に持ち込むのは乱暴であるような気もするのだが、明確性、網羅性において米国スタイルの契約に比較優位な点があることは否定しがたく、米国の契約実務の優位(と感じるもの)を通じて、英文契約による和文契約の契約実務の蚕食に加担しているように感じる。

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 さて、英文契約について、日本の実務ではどのように理解されているのだろうか。「表明保証」などの規定については、英米法を前提した概念であり、日本ではいくつか裁判例でも争われた事例があるが、数は少なく、先例の蓄積は乏しい。

 先ほどの補償条項の例でいえば、「補償」や「防御」の概念については、少なくともアメリカでは保険契約やその他の契約の補償条項の解釈を通じて、また一部は補償の制限等に関する制定法の解釈という形で多くの裁判例の蓄積があるが、日本法の下では、仮に争われた場合に、補償条項がどのように解釈されるのか、不透明な点があるように思う。

 このような先例の乏しさにもかかわらず、なぜあえて日本法とは異質の概念をベースにした契約のスタイルが実務で広く受け入れられているのか、確たるところはわからないが、私自身を振り返ってみると、契約は、準拠法を問わず、文言どおりに解釈されるはずだという信頼があり、それを下敷きに、基本的にどこの法域の法を準拠法としたとしても大きく影響を受けないように、契約に必要な事項を書き切ってしまおうというのが基本的な態度のように思える。

 実務上は、ニューヨーク州法準拠の契約であるから必ずニューヨーク州の弁護士資格を持った弁護士に見てもらおうというようなことはしておらず、例えば競業避止など典型的に問題となるようなところについて必要に応じて現地の弁護士から意見をもらうとか、強行法規に関する点がないかという点から現地の弁護士にネガティブチェックをしてもらうだけ、ということも多いように思う。そもそも、契約交渉の最初の段階では、準拠法をどこの法域の方とするかについても合意がないことが多い。このような実務も、少なくとも基本的なところでは、契約はどこの法域であっても基本的に書かれてあるとおりに解釈、適用されるという信頼があってのことに思う。

 契約の解釈という意味では、「完全合意条項」が契約にあるときは、契約締結までの経緯にかかわらず、契約内容は、専ら契約書に記載されたとおりに解釈されるとして、そのように契約を解釈して判断をした事例がある(東京地判平成31年2月27日・金融法務事情2138号100頁)。外在的な証拠に依拠せず、もっぱら契約書の文言のみによって契約を解釈するのは、英米法で広く採用されているルール(内容は同一ではないが、Four Corners Ruleとか、Parol Evidence Ruleいわれている。)だが、日本法の下でも、完全合意条項を置けば、そのように解釈されるというのである。

 そうであれば、契約書は文言どおり解釈されるということを前提として契約実務が回っている以上、和文、英文を問わず、契約書には完全合意条項を置くべし、ということになると思われるし、完全合意条項に基づく契約解釈という形で、そのような英文契約のスタイルとその基礎となっている契約解釈における英米法の考え方に、日本法上の裏付けが与えられているともいえる。

 契約の解釈について、民法(債権関係)の改正に関する中間試案では、当事者の「共通の理解」に従って解釈する、共通の理解が明らかではないときは、「当事者が用いた文言その他の表現の通常の意味のほか,当該契約に関する一切の事情」を考慮するという規定を設けることが提案されていた。これに対しては、契約の文言の通常の意味を重視する立場で実務家から異論が出るなどして、結局中間試案にあった契約解釈についての規定は、債権法改正に盛り込まれなかった。このことも、実務における、より英米風の、契約文言の重視への傾倒を表すもののようにも思える。

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 さて、今年の4月1日から債権法の改正が施行されている。

 債権法改正については、改正の目的の一つして、契約ルールの透明性を高める、ということが言われていた。
 内田貴『民法改正のいま:中間試案ガイド』(商事法務、2013年)では、この点に関して、「市場が共通化すれば、そこに適用される契約法も共通化していく」として、「国際的に普遍性の高い民法がめざされるべき」であるとしている。いわく、ヨーロッパの民法は、「裁判官の国民性や特別な資質に左右されないルール」であることから国際取引紛争にも準拠法として適用されており、日本の民法についても、日本人ではない裁判官が適用する可能性も踏まえた上で、できるだけ裁判実務で形成された契約ルールを法典化すべきだというのである。

 当初想定されていたよりもだいぶこぢんまりとした改正になったこともあり、ルールの透明性を高める、国際的に普遍性の高いルールを採用するという債権法改正の目的が達成されたかは私には判断がつかない。ただ、英文契約かぶれの一弁護士としては、契約というのは、上に述べたとおり、その文言どおりの効力が与えられることを前提に合意事項を網羅的に記載したもので、合意そのものである以上、契約書はそこに書かれているとおりに解釈されるということを確立するのが透明性を高めたりすることの第一段階ではないかと思う。その意味では、完全合意条項について紹介した裁判例や、契約解釈の準則をめぐる債権法改正の過程における議論は、同じ方向を向いたものであるように思うし、債権法改正として法制化されたところとは別のレベルにおいて、透明性を高める方向への動きが表れているように思える。

 また、弁護士としては、契約に必要な事項を規定しつくそうという英文契約のスタイルを踏まえると、裁判所が具体的事情を踏まえて適切な義務を定めてくれればよいという態度(「迷惑をかけない」)ではなく、契約上定めるべきものは細かく規定しておくことが要請されているように思え、契約書のドラフト担当者の責任はより重く、自分自身、身が引き締まる思いである。

白根 信人(しらね・のぶと)

 2000年に早稲田大学法学部を卒業。2000年から2006年までNECソフト株式会社に勤務。2009年東京大学法科大学院(法務博士 (専門職))を卒業。2010年、司法修習を経て第二東京弁護士会に登録。2011年アンダーソン・毛利・友常法律事務所に入所。2016年から2017年までコロンビア・ロー・スクール(LL.M., Harlan Fiske Stone Scholar)。2017年から2018年までBarnes & Thornburg法律事務所に勤務。2018年アンダーソン・毛利・友常法律事務所に復帰。2019年1月、ニューヨーク州弁護士登録。2020年1月、同事務所パートナー就任。
 特許、商標、ノウハウ等のライセンス、共同開発などの知財取引に係る契約案件や特許侵害訴訟等の知財紛争を取り扱っている。また、弁護士登録前の職務経験を生かし、ITシステムの開発等にかかる紛争解決、ソフトウェアのライセンス等の案件にも関わる。

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