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深掘り

JR脱線事故裁判・責任のありか

安全と経営のはざまで、JR西・山崎前社長 初公判を前に

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 JR宝塚線脱線事故で起訴されたJR西日本の山崎正夫前社長の公判が21日に始まる。乗客106人の命が失われた「責任のありか」を3回の連載で考える。その第1回。

  ▽この記事は2010年12月14日の朝日新聞夕刊(大阪)に掲載されたものです。

  ▽この連載は沢木香織、千種辰弥、小河雅臣が担当しました。

  ▽敬称・呼称は略しました。

 

 5千キロにも及ぶ線路上を、列車が毎日地球の14周分に当たる54万キロ走行している。そうした状況下でいかに事故を防止するか――。

 2005年4月25日、107人が死亡したJR宝塚線(福知山線)脱線事故。その刑事責任を問う裁判の初公判まで1カ月あまりに迫った11月中旬、被告のJR西日本前社長の山崎正夫(67)は、A4判2枚の書面をまとめた。「事故防止対策の軌跡」。自らが社内で取り組んできた安全対策を整理した。

 技術系の職員として旧国鉄に入り、93年に安全対策室長に就任した。直前には山陽線や神戸線で死傷者が出る事故が相次いでいた。重視したのは現場からの声だった。「安全はね、自然に存在するわけじゃない」「努力なくして安全はないよ」。スーツを脱ぎ、丸い体をゆすって職場内を歩き回り、運転士や車掌一人ひとりに語りかけた。

脱線事故の現場に献花に訪れたJR西日本の山崎正夫前社長。犠牲者の月命日には欠かさず訪れる=11月25日、兵庫県尼崎市拡大脱線事故の現場に献花に訪れたJR西日本の山崎正夫前社長。犠牲者の月命日には欠かさず訪れる=11月25日、兵庫県尼崎市
 社員1600人へのアンケート、職場310カ所の実態調査、420人への面談も実施し、「セーフティー・アクション」の頭文字をとった「SA計画」を練り上げた。これがJR西の今の安全対策の原形にもなった。

 だが、一方でJR西はこの時期、勝負の時を迎えていた。株式上場、京都駅ビル改築、自前の新幹線車両「500系」の開発……。山崎と付き合いの長いOBの一人は、当時の社内の雰囲気を「JR他社に負けじと、背伸びした雰囲気があった」と語る。

 97年3月には東西線開業も控えていた。宝塚線が東西線につながれば輸送力は高まる。尼崎駅で直結させるため、事故現場は96年末、急なカーブに付け替えられた。山崎が安全問題担当の取締役鉄道本部長の時だった。

 このカーブに自動列車停止装置(ATS)を備え

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