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深掘り

震災法廷

ガス漏れ警報が鳴ったのに、繰り返された死亡事故

 震災発生から間もなく鳴り始めたガス漏れ警報の原因を突き止めることができず、警報器の電源を切ったところ、十数時間後、ガスで死亡事故が発生した――、そんな事態が大震災のたびに繰り返されていた。

▽筆者: 松本龍三郎、奥山俊宏

▽この記事は2015年1月18日の朝日新聞岩手版に掲載された原稿に加筆したものです。

▽関連資料: 中三デパート盛岡店ガス爆発事故に関する科警研の鑑定書

▽関連資料: 中三デパート盛岡店ガス爆発事故に関する消防の原因判定書

▽関連記事: 震災が関連する訴訟の事例 阪神・淡路の経験

 

 警察庁の二人の技官の名義で作成されたその文書は次のように書き起こされている。

 岩手県警察本部長から下記の鑑定を嘱託されたので、科学警察研究所において次のように鑑定した。

  1.  事件名 業務上過失致死傷被疑事件
  2.  犯罪の年月日 平成23年3月14日午前7時55分ころ
  3.  犯罪の場所 岩手県盛岡市中ノ橋通一丁目6番8号 株式会社中三盛岡店

    ◆   ◆

拡大爆発間もなくの「中三」南側入り口。割れたガラスが散乱し、警察官、消防隊員が駆けつけていた=2011年3月14日午前、盛岡市
 東日本大震災発生から3日がたとうとしていたその朝、盛岡市の市街地にあるデパート「中三」地下1階の食品・日用雑貨品売り場で爆発が起き、テナントの焼き鳥店の店長(当時44)が亡くなった。消防が火災として調査し、警察が犯罪として捜査した。が、検察が2013年に不起訴としたため、公判廷で記録が表に出ることはなかった。

 そんな中で、都市ガスの供給会社、盛岡ガスを相手取って遺族や中三が盛岡地裁に損害賠償請求訴訟を起こした。消防と警察の記録は一昨年から昨年にかけてその民事法廷に提出され、初めて明るみに出た。そこには、東日本大震災発生から事故に至るまでの2日半の出来事が克明につづられていた。

    ◆   ◆

 2011年3月11日、午後2時46分に地震が発生して間もなく、見回りのため外に出ていた中三の男性社員は、警備室から連絡を受けて地下1階に向かった。ガス漏れ警報器が鳴っていた。

 「漂白剤の塩素系のにおいだけでガスのにおいはしませんでした」と中三社員は後に消防に答えた。警察の調べによれば、午後3時10分ごろにかけて、「誤報」を発したとして、二つの警報器が相次いで取り外された。

 翌12日。一度退社した中三社員は「停電が復旧した」との知らせを受け、午後6時半ごろにかけつけた。前の日に外した警報器のうち片方を取り付けた。すると、すぐに警報が鳴った。別の警報器に付け替えても結果は同じ。「警報器の故障ではない」と思い、午後8時55分、盛岡ガスに電話した。

 20分後、盛岡ガスの社員ら2人が現場に到着した。排水溝や配管、ガス器具周りを調べた。異常はなかった。注目したのは床にあったバケツだった。そこには漂白剤が入っていた。ガス検知器を近づけると反応した。「漂白剤で警報器が鳴った」と盛岡ガス社員は思った。警報器を付け直すと、鳴らなかった。「ガス漏れはない」と判断し、「警報器の近くに塩素系漂白剤を置かないように」と言い残して、午後9時50分に引きあげた。

 2人が帰ってまもなく、警報器は再び鳴り始めた。中三社員は警報器を外して退社した。

 翌13日、中三は震災後では初めて店内営業を始めた。開店前、中三社員は「警報器が時々鳴る」との連絡を受けたが、地下1階の現場に行くと、警報は鳴りやんでいた。「流し台の下に漂白剤がたまっていて、それが人の移動などで浮遊して反応するのでは」。そう店側に説明した。

 その後も警報は時々鳴った。午後、店から「異常がないのであれば止めてほしい」と頼まれた。ガス臭はなく、中三社員はまたしても警報器を外した。

 14日に爆発事故が起きた後、消防が調べると、ガス警報器を取り付ける先の端子に損傷はなかった。警報器は事故当時も外されたままだったと判断された。

 県警は2013年2月、警報器を外した中三社員と、点検にあたった盛岡ガス社員ら2人を業務上過失致死傷容疑で書類送検した。同年12月、盛岡地検は3人を嫌疑不十分で不起訴にした。

    ◆   ◆

 震災直後のガス漏れ死亡事故は20年前の阪神・淡路大震災でも起きていた。

 阪神大震災発生の翌朝、つまり、1995年1月18日朝、兵庫県洲本市の住宅で、一家5人のうち、夫(当時46)、妻(同45)、三女(同10)が死亡し、長女(当時14)と次女(同12)が意識不明の重体となっているのが見つかった。夫婦ら3人は居間で電気こたつの前に座り、テレビを見ていた様子だった。意識不明の二人は2階で就寝していた。5人は一酸化炭素中毒で、長女は2月12日に亡くなった。

 生き残った次女と遺族は、洲本市の都市ガス供給会社、洲本ガスを相手取って訴訟を起こした。その訴訟記録によれば、事故発覚の前日、震災発生の4時間ほど後から、現場の近隣では相次いでガス警報器が鳴っていた。プロパンガス業者が点検したが、異常は見つからなかった。その近隣ではほとんどの家庭で、都市ガスではなく、プロパンガスを使っていたため、洲本ガスではなく、プロパンガス業者に連絡が寄せられていた。ガスの臭いはなかった。プロパンガス業者の担当者は警報器の故障かもしれないと考えて、新しい警報器に取り換えたが、それでも鳴りやまなかった。担当者は「明日また見にくる」と言い、警報器の電源を切って引き上げた。事故が発覚したのはその翌朝だった。

   ◆   ◆

 阪神・淡路大震災発生の翌日に発覚した中毒死事故と東日本大震災発生の3日後に起きた爆発事故。いずれも事故前、ガス漏れ警報が鳴り、業者が呼ばれ、異常の有無を点検した。にもかかわらず、誤報と考えられ、ガス警報器は電源を断たれた。事前の警報があったのに防ぐことができず、人命が奪われる、そんな悲劇が二つの大震災の直後に繰り返されていた。(次回につづく

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