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深掘り

臨床研究の不祥事はなぜなくならないのか

「人体実験」と法、患者の人格権を法学部助教授と付属病院講師が探求

金沢大学病院「同意なき臨床試験」(9)

出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)

 より有効な病気の治療法を開発するために人の体を使って行う臨床研究は被験者の保護とデータの信頼性確保が欠かせないが、日本では近年明らかになったディオバン事件にみられるように、臨床研究をめぐる不祥事が絶えない。この連載第1部では、生命倫理研究者の橳島次郎氏と朝日新聞の出河雅彦記者の対談を通して、「医療と研究をきちんと区別する」という、現代の医学倫理の根本が日本に根づいていないことを、不祥事続発の背景事情として指摘した。第2部では、患者の人権軽視が問題になった具体的な事例を検証する。愛知県がんセンターの「治験プロトコールに違反した抗がん剤投与」に続くその第2弾として取り上げるのは、金沢大学病院で行われた抗がん剤の臨床試験で説明を受けないまま被験者にされた女性の遺族が国に損害賠償を求めた「同意なき臨床試験訴訟」である。この訴訟では、新薬の治験ではなく、薬事承認を受け、保険診療が認められていた薬を用いた臨床試験におけるインフォームド・コンセント(informed consent、IC)のあり方が問われた。第9回では、金沢地裁判決を不服とした金沢大学がいかなる理由で控訴したのかを見ていく。

拡大金沢大学病院
 金沢地裁判決を原告側はどう受け止めたか。

 敦賀彰一弁護士(2015年2月に64歳で死去)とともに原告代理人を務めた浅野雅幸弁護士によると、患者(以下、Kさんと言う)が北陸GOGクリニカルトライアルに無断で症例登録されていたことが裁判所に認められるなど、原告側の主張がある程度通ったので控訴はしない、という結論を出した。

 これに対し、被告の国は2003年3月3日に控訴する。控訴翌日の地元紙北國新聞には当時の利波紀久病院長(2002年12月~2004年3月在職)の次のようなコメントが掲載された。

 「女性に施した治療が臨床試験とは異なることを明確にしたい。裁判所は女性が症例登録されていたと認定したが、それも認められない」

 このコメントから読み取れるのは、地裁判決を全面否定しようという意思である。どのような検討を経て、こうした結論に至ったのか。それを知りたいと考えた筆者は2018年3月初め、富山県内の病院の非常勤医師になっていた利波氏に書面で取材を申し入れ、次の点を尋ねた。

  1.  控訴の決定にはどのような関係者がかかわったのか。
  2.  控訴決定の最も大きな要因は何だったのか。
  3.  控訴をせずに判決を受け入れ、北陸GOGクリニカルトライアルの問題点を検証するべきとの意見は、控訴決定に関わった関係者の間でまったくなかったのか。

 しかし、利波氏には取材に応じてもらうことはできなかった。

 金沢地裁が判決を出した2003年2月という時点は、臨床試験の被験者への説明と同意取得を文書で行うよう義務づけることなどが盛り込まれた「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」(いわゆる新GCP)が施行されてから6年、この連載で取り上げた「愛知県がんセンター治験訴訟」で、インフォームド・コンセントがないまま抗がん剤の治験の被験者にされ死亡した患者の遺族が求めた損害賠償を認めた名古屋地裁判決が確定してから3年が経っていた。しかし、新GCPが対象としていたのは、製薬企業が国の製造販売承認を得るためのデータ収集を目的に行う臨床試験(治験)に限られていた。愛知県がんセンター治験訴訟で争点になったのも未承認抗がん剤の有効性、安全性を確かめるための治験における説明、同意取得義務であり、薬事承認され、公的医療保険も適用されていた医薬品を用いた臨床試験における説明、同意取得義務の有無が争点となった、金沢大学病院の訴訟とは異なる面があった。

 治験だけが法令で管理され、それ以外の臨床試験については2018年4月に臨床研究法が施行されるまで、強制力のない行政指針で対応してきたことが日本の臨床研究管理の問題点であったことをこれまで繰り返し述べてきたが、金沢地裁判決が出された2003年2月当時は、その行政指針さえ整備されていなかった。厚生労働省が「臨床研究に関する倫理指針」を定めるのは、金沢地裁判決から5カ月後の2003年7月30日だった。ただし、この倫理指針を策定する準備は前年から始まっており、金沢地裁判決が出されたのは、倫理指針案に対するパブリックコメントの受付期間中だった。

 臨床研究に関する倫理指針は、「臨床研究」を「医療における疾病の予防方法、診断方法及び治療方法の改善、疾病原因及び病態の理解並びに患者の生活の質の向上を目的として実施される医学系研究であって、人を対象とするもの(個人を特定できる人由来の材料及びデータに関する研究を含む。)をいう」と幅広く定義した。その前文で、「医療の進歩は、最終的には臨床研究に依存せざるを得ない場合が多いが、臨床研究においては、被験者の福利に対する配慮が科学的及び社会的利益よりも優先されなければならない」と記したうえで、臨床研究に携わる研究者の責務の一つとして、「臨床研究を実施する場合には、被験者に対し、当該臨床研究の実施に関し必要な事項について十分な説明を行い、文書でインフォームド・コンセントを受けなければならない」ことを定めた。

 患者への説明と同意取得義務を怠ったとして損害賠償を命じられた判決を受け入れるか、控訴するかを検討するに当たって、国の行政機関である厚生労働省がこのような倫理指針を策定しようとしていることを、同じ国が設置する国立大学附属病院が意識しなかったのだろうか。

 この点についても利波氏に聞いたが、前述したように取材には応じてもらえなかった。

 原告側を支援した打出喜義医師は、自分がコピーしたKさんの症例登録票や症例登録一覧表の真偽さえ判断すれば、その後の結論は一つしかないはずで、裁判は早期に終わるだろうと思っていた。その打出医師にとって、判決までに4年近くもの時間がかかったことは意外だった。弁護士に頼まれたときに症例登録票をコピーしなかったら、この裁判は間違いなく負けていたと思うと、背筋が寒くなった。

 打出医師は、地裁判決が出る前から、患者を無断で臨床試験の被験者に登録していた問題に対して大学全体として何らかの責任ある対応をとる必要があるのではないか、と考えていた。しかし、医学部内でそんな考えに同調してくれる人はいなかった。他の学部に協力してくれる人はいないかと思っていた矢先の2002年7月8日、毎日新聞に載った記事が目に留まった。それは、2004年4月に実施されることになる国立大学法人化などをテーマにした同紙の連載記事「大学大変」に対する、大学関係者らの投書の一部を紹介したもので、「目立つ『国立大法人化』への異論」という見出しがついていた。

 この記事では、「禍根残す競争原理の徹底」という打出医師の投書も紹介された。それは以下のような内容で、比較臨床試験をめぐる訴訟を通して感じていたことにも触れていた。

 「先日、大学当局が提出を求めた個人業績調査表は、研究成果の記入欄はたっぷりあったのに、教育についての記入欄は2カ所。診療の欄はなし。大学病院のスタッフを論文の数だけで評価したら、臨床医の育成に必須な教育がおろそかになりかねません。各地の大学病院で医療事故が頻発しているのも、間違った業績主義がまん延し、診療や研修医の教育がおろそかになっているから。国立大法人化で競争原理が徹底されたら、業績を上げるために患者をだしにして研究費を稼ぐ研究者が増え、21世紀の教育、研究に大きな禍根を残すと思います」

 打出医師が目を留めたのは、自分の投書と並んで紹介されていた「『大学教員=教育不熱心』は昔話だ」という見出しのついた、金沢大学法学部の仲正昌樹助教授(のちに教授)の次のような内容の投書だった。

 「大学同士や学内の再編統合はほとんど、何が学生や地域、教員の研究のためになるか示されないまま進められる。金沢大の場合、工学部出身の学長主導で理学、工学部の統合が進められ、それに合わせて文、法、経済学部も統合を検討せよと『要請』が来ている。こうした教育研究の現状を考慮しない高圧的な命令はおかしい。現場を知らない官僚が『改革』を業績にしたいと思い、それをくんだ学長らが意義も分からない改革を押し付けるのだろう。大学教員は教育に不熱心といわれる。確かに教育嫌いの教員も依然として多いが、学力低下の著しい地方の国立大で、勉学意欲がない学生を相手にどうやって教えればいいのか苦慮しない人間は今や極めて少数だ。20~30年前のイメージで語ってほしくない」

 歯に衣着せぬ言葉で、自分が所属する大学における「改革」の進め方を批判する仲正氏の投書を読んだ打出医師は「同じ大学、しかも法学部にこんな先生がいるんだ」と目を見張った。そして、藁にもすがる思いで、社会哲学・比較文学が専門の仲正氏に連絡を取った。

 のちに出版された『「人体実験」と法――金沢大学附属病院無断臨床試験訴訟をめぐって――』(2006年3月、御茶の水書房)の後書きで仲正氏は打出医師との出会いについてこう書いている。

 ……この共同研究もしくは参与観察が始まったきっかけは、二〇〇二年夏にそれまで面識のなかった打出医師から、「附属病院で、ICなしの臨床試験が行われた件で、訴訟が起こっていることをご存じですか」というメールをもらったことである。打出医師から事件の経緯の説明を受けて、「地裁で判決が出る前に、大学全体として何らかの責任ある対応を取るよう法学部の方から働きかけてもらえないでしょうか」と相談された。私自身はもともと法学部出身ではないし、医療問題を専門的に勉強したこともなかったので、学部の有力者やこうした問題の専門家に話をして、後は然るべき人たちに任せてしまうつもりでいたのだが、みな一様に、「それはひどい話ですねえ。日本のインフォームド・コンセントは遅れてますね」と第三者的に納得するものの、あまり積極的に動いてくれない。

拡大打出喜義医師が仲正昌樹氏らと出版した『「人体実験」と法-金沢大学附属病院無断臨床試験訴訟をめぐって-』
 打出医師から話を聞き、いろいろ調べた仲正氏は、患者に無断で人体実験をすること自体を禁止する法律がどこにも見当たらないことに驚き、臨床試験に対する日本の法規制が根本的にいいかげんである、ということを理解する。さらに、北陸GOGクリニカルトライアルをめぐる訴訟には、臨床試験におけるインフォームド・コンセントの法的位置付けの問題以外にも、医局・医学部内部での権力構造の問題、IRB(施設内の審査委員会)や倫理委員会の権限の問題など、「医療と法」をめぐるいくつもの重要問題が絡んでいることがわかった。仲正氏は、法社会学会での知り合いに声をかけた。それに応じた仁木恒夫・久留米大学法学部専任講師(のちに大阪大学法学研究科教授)と打出医師との3人で、金沢地裁判決から3カ月後に『「人体実験」と患者の人格権――金沢大学付属病院無断臨床試験訴訟をめぐって――』(2003年5月、御茶の水書房)を出版する。その後、控訴審判決が出た後に出版したのが、前述した『「人体実験」と法――金沢大学附属病院無断臨床試験訴訟をめぐって――』だった。

 2003年に出した『「人体実験」と患者の人格権』の中で仲正氏は、比較臨床試験をめぐる訴訟で被告の国が薬を用いた臨床研究をいくつかに分類したうえで、北陸GOGクリニカルトライアルについては保険診療の枠内での「比較調査」もしくは「自主研究」であって「比較臨床試験」ではない、と主張してきたことに対して、次のように批判した。

 こうした分類論は一般論としてはもっともでもあるようにも見える。しかし、この事件で問題になっている「クリニカル・トライアル」というのが、「臨床試験」を意味する英語であり、その実験手順を予め定めた「プロトコール」も作成されている以上、「患者」側からすれば、それを「保険適用の診療」なので「被験者へのIC」は不必要であると言い切ってしまうのは、「研究者=医師」の側からのご都合主義的な分類であると思えるのは当然のことだろう。研究者にとっては、〝新しさ〟がないので大したことはないとしても、患者にとっては、新しかろうが古かろうが実験は実験であり、そこにどんな意図が隠されているか分からない。

 前述したように、金沢地裁判決が出た当時、厚生労働省が「臨床研究に関する倫理指針」の策定を進めていた。しかし、この指針は、新薬の治験を対象にした、薬事法に基づく「臨床試験の実施の基準に関する省令」(新GCP)のような強制力がなく、治験とそれ以外の臨床研究(試験)を別々に管理することは問題である、と指摘する意見も出ていた。その点について仲正氏は同じ本の中でこう書いている。

 「新薬治験」と「市販後臨床試験」に関しては、少なくとも形式上は、「被験者に対するIC」が義務付けられたわけだが、今回の場合のような、それ以外の「臨床試験」に対しては、明確な法的規制が存在しない〝無法状態〟が現在も続いている。狭義の「治験」やそれに準ずるものについては、IRBの審査を受けることになっているが、それ以外の「臨床試験」については、どういう基準を満たせばいいのかはっきりしない。しかも、今回のケースの被告側の主張にも見られるように、〝「治験」に準ずるもの〟と単なる〝それ以外の自主研究〟の間の線引き自体が、研究者の側で成されている場合もある。IRBや倫理委員会には、その「線引き」にまで立ち入って審査する包括的権限は付与されていない。「申請」された内容の倫理性について審査するだけであって、申請通りに実施されたかどうか立ち入り監査する権限も、「申請されていない臨床試験」が行われているかどうか調べる権限もないのである。

 また、「薬事法」による「治験」に対する規制が明文化されたため、かえって、「これまで慣習的に行われてきたこと(=被験者に対する明確なIC抜きの臨床試験)のうち、薬事法の規制を受けるに至らなかった部分は、そのまま続けて良いと法的に容認された」、と自分に都合良く解釈してしまう研究者もいる。無論、「薬事法」で「治験」における「被験者に対するIC」が厳格化されるに至った背景を考えれば、「それ以外の臨床試験は容認された」、などという解釈が導き出されるはずはないのだが、「治験以外の臨床試験に対するIC」をめぐる訴訟が起こらないため、そうした解釈も事実上まかり通っているのである。先に述べた通り、患者=被験者側には、〝臨床試験〟についての基本的情報がほとんどないので、訴訟の起こしようがなく、たとえ何らかの形で訴訟を起こしたとしても、臨床試験が「治療」の方針にどの程度の影響を与えたかを立証するのは、専門家の助言があったとしても困難である。

 こうした曖昧な状況を打開すべく厚生労働省は現在、ヒトを対象とした臨床研究全般に関する倫理性・科学性を担保するための「臨床研究に関する倫理指針」の作成を進めている。現在の案では、臨床研究機関に「臨床審査委員会」を設けて、臨床研究計画が指針に適合しているかどうか審査を行うべきこと、被験者及び被験者となるべき者からICを受けるべきことが明記される予定である。「ヘルシンキ宣言」に対応するこの指針によって、GCPではカバーされて来なかった他の臨床試験に対しても一応の基準が示される形になる。ただし、これは法令ではないので、明確な法的拘束力はない。更に言えば、指針で規制の対象となる「臨床研究」が、一般の「治療」とどのように異なるのかはっきり区別しておらず、今回のケースのように、研究者側が、「保険適用診療なので、臨床試験ではない」などと主張して、規制を無視してしまう可能性も残している。

 前述したように、被告側が控訴した際、金沢大学病院の院長は「(ICが必要な)臨床試験とは異なる」ことを控訴理由の一つに挙げた。この点について仲正氏は同じ本の中で、「『被験者に対するIC』の必要性を否定することは、先に言及した厚生労働省が作成中の『指針』と明らかに矛盾する。このことは、中央省庁レベルで決定された『政策』と全く異なる倫理基準を、国の管理する医療機関が持っていること、そしてそうした〝齟齬〟を双方ともさほど重視していないことを示していると言える」と指摘した。

 仲正氏は、インフォームド・コンセントの必要性を認める一方で、北陸GOGクリニカルトライアルが臨床試験であるか否かという、裁判の最大の争点について金沢地裁が判断を示さなかったことに対して、次のように記している。

 「クリニカル・トライアル」の「対象症例」として「登録」しようとした時点で、担当医師がそのことを説明し、本人からの同意を得る義務があったとしている。「クリニカル・トライアル(臨床試験)」としての目的と手順がはっきりと書かれている「プロトコール」があるにもかかわらず、「臨床試験」であることがはっきり認定されなかった点には曖昧さが残るとも言えるが、他事目的に関しては、「治療に対するIC」とは別のレベルでのICが必要になる、という〝当たり前〟のことが認められた点で大きな進歩である。

 被告の国はどのような理由で控訴を決めたのだろうか。

 控訴から3カ月後の2003年6月10日付「控訴理由書」は金沢地裁判決について、北陸GOGクリニカルトライアルの性格を正確に理解しないまま、Kさんが症例登録されたか否かを認定しようとしたため証拠の評価を誤った、と批判した。金沢地裁判決は、北陸GOGクリニカルトライアルが比較臨床試験であるか否かの判断はしなかったものの、クリニカルトライアルという「他事目的」がKさんの具体的な治療につながったのだから、クリニカルトライアルについてのインフォームド・コンセントが必要だった、とした。

 これに対し被告(控訴審では「控訴人」)の国は、「一般に、大学病院は、患者の治療だけでなく臨床医療の研究及び医療関係者の教育をも目的としていることは周知の事実であって、大学病院においては、患者の治療全般に、研究・教育という『他事目的』が存在するといっても過言ではない」と反論した。そして、「他事目的の具体的治療への影響」という表現に対して、「はなはだ抽象的であり、これまで判例等で用いられたこともなく、説明義務の根拠となる基準としては明確性を欠く」と指摘したうえで、「医師から十分に治療についての説明が尽くされ、患者が自発的に同意することにより、治療行為に伴う投薬、手術等の患者の身体への法益侵害行為が正当化されるとの理解からすれば、そもそも説明義務が生じる事項の範囲は、基本的には、患者への法益侵害の有無及びその危険性から判断されるべきであり、本件クリニカルトライアルでは、それ特有の患者への法益侵害の危険性はなかったのであるから、説明義務はない」と主張した。

 国は、北陸GOGクリニカルトライアルの目的、性格、内容については、一審段階と同様の主張を繰り返した。それは、①CAP療法、CP療法は、当時の日本における確立した標準的治療法であり、その選択は医師の裁量の範囲内にあった、②本件クリニカルトライアルは、北陸地方の産婦人科医師に、CAP療法、CP療法の適切な実施方法を周知させることを目的としていた、③プロトコールの内容は、シスプラチン投薬量の適正量を示したものであり、決して「高用量」と評価される内容ではない、④本件クリニカルトライアルに試験的性格はなく、通常診療の結果の比較調査にすぎない――というものであった。

 このような主張を展開する国の臨床研究に対する基本的スタンスを示しているのは、控訴理

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出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)

 朝日新聞記者。1960年生まれ。92年朝日新聞社入社。社会部などで医療、介護問題を担当。2002~2013年、編集委員。2013~2016年、青森総局長。医療事故や薬害エイズ事件のほか、有料老人ホームや臨床試験について取材。著書「ルポ 医療事故」(朝日新聞出版)で「科学ジャーナリスト賞2009」受賞。近刊の著書に「混合診療」(医薬経済社)、「ルポ 医療犯罪」(朝日新聞出版)など。

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