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深掘り

臨床研究の不祥事はなぜなくならないのか

人工心臓エバハートで胃に穴、被験者の女性患者が死亡

東京女子医大病院「補助人工心臓治験訴訟」①

出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)

 より有効な病気の治療法を開発するために人の体を使って行う臨床研究は被験者の保護とデータの信頼性確保が欠かせないが、日本では近年明らかになったディオバン事件にみられるように、臨床研究をめぐる不祥事が絶えない。この連載の第2部では、患者の人権軽視が問題になった具体的な事例を検証する。その第4シリーズとして取り上げるのは、2007年に補助人工心臓の臨床試験の被験者となり、その後死亡した患者の遺族が臨床試験の実施計画書(プロトコール)違反を理由に東京女子医科大学に損害賠償を求めた訴訟である。この連載では、薬や医療機器の製造販売承認を得るために行う臨床試験(治験)だけを法的に管理し、それ以外の臨床試験に対しては強制力のない行政指針で対応してきた厚生労働省の政策の問題点を繰り返し指摘してきたが、東京女子医科大学病院で行われた臨床試験は、医療機器の製造販売承認申請のためのデータ収集を目的に行われた「治験」だった。薬事法に基づき厳格に管理されているはずの治験をめぐる訴訟で何が明らかになったのか。第1回では、週刊誌報道をきっかけに、プロトコールで定められた被験者の「除外基準」に該当していたのではないかとの疑問を抱いて事実関係の確認を求めた遺族に対し、東京女子医科大学がどのように応じたかを見ていく。

拡大東京女子医科大学病院
 2005年5月25日、東京女子医科大学は新たに開発した補助人工心臓について記者会見を開き、臨床試験(治験)の第1例目となった患者の体内への植え込み手術とその後の経過を説明した。その発表を伝える朝日新聞の記事は翌26日付朝刊の1面に「国産人工心臓 初の手術 こぶし大・420グラム・体内装着 子供への応用も視野 東京女子医大」という見出しで掲載された。

拡大東京女子医科大学が開発した補助人工心臓について報じた2005年5月26日付朝日新聞朝刊の記事
 東京女子医大心臓血管外科(黒澤博身教授)は25日、「新たに開発した小型の補助人工心臓エバハートを、重い心不全の男性患者(46)の胸部に今月7日に埋め込み、順調に経過している」と発表した。海外製の従来品に比べポンプ部分の容積が約4分の1(こぶし大)、重さは半分の420グラムと、子どもへの応用も期待できる小ささで、在宅で日常生活を送ることを視野に置く。長期に使えれば、心臓移植とは別の選択肢に育つ可能性もある。

 この次世代型人工心臓は、東京女子医大と早稲田大理工学部、米ピッツバーグ大、サンメディカル技術研究所(長野県諏訪市)が共同開発した。国産でポンプを体内に埋め込む型の補助人工心臓の臨床試験(治験)は、国内初。連続2年の使用が当面の目標だ。

 手術前はベッドで絶対安静だった男性は、歩行訓練を始められるまで回復している。順調なら半年後には退院し、さらに半年間在宅で経過をみながら日常生活復帰を目指すという。

 次世代型は、男性の残された心臓から大動脈に血液を送り出す働きの大部分を、ロータリーポンプで肩代わりする。制御部やバッテリーなどはA4判程度で重さ約4キロの体外装置に収められ、ポンプと冷却用純水の管や回線などで結ばれている。

 従来型の埋め込み型人工心臓は体重が70キロ程度はないと使えず、小柄な人や子どもは使えなかった。次世代型は体重40キロほどでも使える見通しで、子どもへの応用も視野にあるという。

 人工心臓では、手術後の感染症や、血液の塊(血栓)ができて血管をふさぐなどの合併症が問題になる。エバハートは脈を打たない無拍動型で人工弁がないため、血栓を生じにくいことが実験で確認されており、材料もチタンなど、より耐久性の高いものを採用しているという。

 東京女子医大と国立循環器病センター(大阪府吹田市)で計4人に装着し、それぞれ3カ月目に外部の専門家も加えた評価委員会で効果や安全性を検討。その後、大阪大と埼玉医大も加えた4施設で、20例の治験データを集める。

 開発者の山崎健二・東京女子医大講師は「5年、10年の使用に耐えることを目標に設計しており、まずは2年の連続使用を目指したい」という。

 この記事につけられた解説記事は「一時的な心不全からの回復や心臓移植までの『つなぎ』」として開発されてきた補助人工心臓だが、信頼性や耐久性の向上で、将来的には移植に代わる選択肢に育つ期待もある。何よりも装着した患者の回復がどれだけ長く続くかで、真価が問われる」と課題を指摘したうえで、大阪大学医学部附属病院の福嶌教偉(のりひで)移植医療部副部長(現・国立循環器病研究センター移植医療部長)の次のようなコメントを紹介した。

 「これまでの補助人工心臓は、小柄な日本人女性には使えなかった。新型が使えるようになり、自宅に帰れたり、運動ができたりするようになれば、移植手術までに体力が回復し、移植の成功率も高くなる可能性がある」

 この補助人工心臓エバハート(※筆者注=本文では製品名として基本的に「エバハート」を用いるが、文献や資料などを引用する場合には「エヴァハート」「EVAHEART」を用いることもある)の開発者である山崎健二医師(※筆者注=本文では基本的に「山崎」と表記するが、文献や資料などを引用する場合には「山嵜」を用いることもある)がのちに2008年発行の専門誌「循環制御」(第29巻第1号)に掲載した総説「本邦発の次世代型補助人工心臓EVAHEART」によると、エバハートの治験は「パイロット・スタディとピボタル・スタディ(※筆者注=有効性、安全性を評価するための臨床試験)の2相に分けて実施」され、「不可逆性の末期重症心不全患者で、心臓移植の適応がある」「年齢は18歳以上65歳未満(パイロットでは20歳以上60歳未満)」「血管拡張薬・利尿薬・β遮断薬等の内科的治療を試みたにも拘わらず回復しない心不全で、現在強心薬の持続点滴を受けている」などの条件を満たす患者が対象とされた。

 上記の総説で山崎医師はエバハートについて、「直径40mmの羽根車をモータにより毎分約2000回転で駆動し、発生する遠心力により、血液を左心室より吸引し人工血管を介して上行大動脈へ駆出する。EVAHEARTは、(1)小型・高効率、(2)高流量・拍動流補助が可能、(3)低騒音・低振動・低発熱、(4)人工弁が不要、(5)長寿命、(6)退院、外来管理が可能、等多くの利点を持っている」と書いている。

 のちにエバハートの治験の被験者となり、2007年に東京女子医大病院で補助人工心臓の植え込み手術(※筆者注=本文では基本的に「植え込み」という言葉を用いるが、文献・資料を引用する際には「植込み」「埋め込み」などの語を用いる場合もある)を受けることになる女性(以下、T子さんと言う)は1967年生まれで、20代後半だった1995年ころから歩行時に息切れを感じることがあった。2003年の暮れころには息切れを感じる頻度が週1~2回に増え、2005年9月に背中の痛みを訴えて受診した帝京大学医学部附属病院で心電図異常を指摘され、画像検査で狭心症を疑わせる所見が認められた。その後、東京女子医大病院を受診し、詳しい検査を受けるため2006年2月から3月にかけて入院した。これは、東京女子医大が補助人工心臓の治験について発表した翌年のことだった。

 T子さんは2006年5月21日に急性心筋梗塞を発症し、別の病院で救急処置を受けた後、東京女子医大病院に搬送された。循環器内科での心臓カテーテル検査で左冠動脈主幹部がほぼ完全に閉塞していることがわかり、冠動脈をカテーテルで拡張する治療を受けた。T子さんは入院後、心不全の症状が増悪した。薬物による内科的治療では限界があり、ADL(日常生活動作)を改善するためには心臓移植が望ましく、移植実施までの待機中における補助人工心臓の導入が必要、と判断された。

 T子さんが補助人工心臓の植え込み手術を受けるのは、2007年3月29日。東京女子医大が治験についての記者会見を行ってから1年10カ月後のことだった。

 前述した山崎医師の総説によれば、治験のパイロット・スタディでエバハートの植え込み手術を受けた2人の患者は術後半年が経過した時点から自宅療養トレーニングを開始し、外来への通院管理に移行した。総説には2008年4月2日時点でエバハートを装着した18人の患者の年齢、性別、疾患名、施設名、装着期間、生死が一覧表で掲載されており、山崎医師は「既に10名は退院・自宅療養へ移行した。さらに2名は装置装着状態で一般企業に就労復帰を果たした。また1名は装置装着状態で結婚されるなど、高いQOLが実現されている」と書いていた。

 だが、T子さんの術後の経過は必ずしも順調とは言えなかった。

 のちにT子さんの遺族が東京女子医大を相手取って起こした損害賠償請求訴訟の訴状によると、植え込み手術からほどなく、T子さんは頻繁に腰痛を訴えるようになり、東京女子医大病院のペインクリニック科や整形外科を受診したが、症状は改善しなかった。手術から約6カ月が経過した10月4日、担当医から在宅療法への移行プログラムが進行中であるとの説明を受けた。

 翌2008年2月24日、入浴中にふらつきなどの異常があり、頭部CT検査の結果、一過性脳虚血発作が疑われた。同年5月2日に自宅に戻ったものの、5日後の5月7日に38度台の発熱があり、再び東京女子医大病院に入院した。その後も発熱や白血球上昇などの炎症反応が続いたため、抗生剤治療などを受けた。7月2日に腹部のCT検査が行われ、エバハートのポケット部分に多量の膿瘍があることがわかり、翌7月3日に膿を取り除くための切開排膿ドレナージ術が実施された。その1週間後、創部を洗浄する際に食べ物の残渣のような物が貯まっていることがわかり、胃の内視鏡検査の実施が決定された。胃内視鏡検査は7月11日に行われ、体内に植え込まれたエバハートが胃を穿孔していることがわかった。翌7月12日、T子さんは穿孔部を縫合し、胃ろうなどを設けるための開腹手術を受けた。

 1カ月後の8月10日、T子さんは呂律の回りにくさを感じた。緊急に頭部CT検査が行われた。明らかな異常所見はなかったが、脳梗塞が疑われ、薬による治療が開始された。8月17日、頭痛と嘔吐があり、頭部CT検査で脳内出血がわかった。T子さんはただちに脳内の血腫を取り除く手術を受けたが、状況は好転せず、10月10日に死亡した。病理解剖が実施され、死亡診断書には直接死因は脳出血、その原因は敗血症、敗血症の原因は虚血性心筋症と記載された。

 筆者の取材依頼に対し、2019年2月に文書で応じたT子さんの姉のU子さんは、病理解剖を承諾した理由や、T子さんが亡くなった日のことを次のように回想した。

 妹を看取った日はあまりにも混乱していたため、先生から解剖のお話があったかどうか覚えていませんが、治験に参加した以上、死亡した場合には原因を追究するための解剖は避けて通れないものだと思い込んでいました。妹は、胃穿孔がわかって手術を受けた後の内視鏡検査で食べ物が胃から漏れていることがわかり、おなかの中を洗浄する必要がありました。亡くなるまで、おなかの傷口が大きく開いたままの状態で毎日洗浄されていましたので、「早くその重い人工心臓を取り除いて欲しい」「大きな傷口を塞いで欲しい」という思いが強く、それが結果的に解剖の承諾につながったのかもしれません。

 霊安室には大勢の方がずらりと並んで見送ってくださいました。山崎先生は「お姉さまたちもどうかお体を大切に。妹さんの死を無駄にしないようより良いものを作っていきます」と最後まで穏やかな口調でした。

 諦めきれないものはありましたが、お礼を言って皆さんと別れました。

 治験の被験者になるにあたってT子さんと家族が示された「同意説明文書」には、治験に関するさまざまなリスクや不快症状が約50項目記されていた。その中には、「一過性脳虚血発作・脳梗塞・脳出血」や「消化管等の穿孔」も含まれていた。また、先に紹介した山崎医師の総説で紹介されていたエバハートの被験者18人(2008年4月2日時点)のうち3人が死亡していた。

 ただ、U子さんはT子さんの死後、補助人工心臓に関する説明を受けてから手術の事前準備、植え込み手術の実施まで、病院側から急かされるように日程が決められていったことを思い出し、「もっと時間をかけて考えてあげるべきだった」という後悔が残った。手術後、辛さを訴えるT子さんの気持ちを受け止めてくれなかった医師や一部の看護師に対する憤りもあった。

 それが東京女子医大病院に対する不信感へと転じたのは、T子さんの死から約3カ月後の2009年1月に週刊文春の取材を受け、T子さんの体表面積が治験の除外基準に該当していた可能性などを聞かされたことがきっかけだった。体表面積の問題以外にも、U子さんが初めて聞く話がいくつかあったが、とりわけ、補助人工心臓を考案した山崎医師が装置を開発したサンメディカル技術研究所の役員と血縁関係にあることに強い印象を受けた。

 週刊文春はT子さんの遺族に取材をする直前の2008年12月25日号で、T子さんと同じくエバハートの治験の被験者となり、2008年春に亡くなった10代の男性について記事にしていた。「国立病院のおぞましい『人体実験』」という見出しがつけられた記事は、拡張型心筋症の治療のため国立循環器病センター(大阪府吹田市、現・国立循環器病研究センター)に入院していた男性が2007年春にエバハートの植え込み手術を受けてから亡くなるまでの経過を詳しく伝えていた。記事によれば、男性は植え込み手術から2週間後に容体が急変し、付き添っていた家族が医師を呼んでくれるよう看護師に訴えたものの、エバハートの治験の責任者や主治医はその日の夜まで姿を見せず、医師の到着から間もなく心停止状態となった、翌日未明から緊急手術が行われ、男性は一命を取り留めたものの、心停止による低酸素脳症で脳に障害が残り、植物状態に陥った。それから半年が経過した2007年9月、治験の責任者である臓器移植部長が男性の母親に対し、治験継続の同意書への署名を求めた。記事によれば、同意書には「本人署名欄」と「家族署名欄」があり、部長は「(本人の署名欄には)お母さんが代筆ということで書いてください」と言った。さらに2008年2月にも治験継続の同意書への署名を求められた母親はデータ収集を目的とする治験の継続に納得できず、その思いを同意書に書き込んだ。週刊文春の取材に対し、母親はその時の気持ちを「あの子の命を諦めることはできません。でも、私は治験に同意はできないという意志を伝えたいから(一文を)書きました」と語った。記事には、母親が書き込みをした同意書の写真が添付され、「すべての治験は患者の自発的な同意が求められる。治験実施者は、ルールを逸脱した問題が起きたときは治験の中止や除外症例とすることは常識です」という「移植手術に詳しい心臓外科医」の匿名のコメントが載った。また、エバハートの治験の実施計画書が規定する被験者の「選択基準」の中に「インフォームド・コンセントで、同意書に本人及びその家族の署名が可能な患者」という項目があることも紹介されていた。

 この報道を受けて国立循環器病センターは記者会見を開くとともに、病院長名の見解「メディアに報道があった補助人工心臓に関する記事について」(2008年12月17日付)を公表した。その見解の中で国立循環器病センターは、「記事の内容は事実と異なる所が幾箇所にもあると認識しています」としたうえで、次のような主張を展開した。

  1.  薬事法で定められた方法に則って治験を実施した。
  2.  治験の適応と開始については、患者さんと御家族に主治医が詳細に説明するが、それとは独立に治験担当医や治験コーディネーター(CRC)が、病院とは独立した委員会で審議・承認された説明文書を基に長い時間をかけて説明し、十分に納得いただいたうえで施行した。
  3.  記事にある有害事象は、医療安全推進委員会事例検討会で医療事故ではないと判断した。外部委員が参加した治験審査委員会で検討・検証し、機器の不具合ではないという結論と臨床経過の詳細を治験依頼者と規制当局に報告した。
  4.  記事写真にある治験同意文書の手書き書き込みは、継続実施の同意がご家族からあった時に、気持ちを書きたいと言ってCRCの目の前で書かれたものである。

 男性の遺族の代理人弁護士は翌12月18日、男性に対する診療の経過や治験の適正性に関する調査を国として行うよう、舛添要一厚生労働大臣に

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出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)

 朝日新聞記者。1960年生まれ。92年朝日新聞社入社。社会部などで医療、介護問題を担当。2002~2013年、編集委員。2013~2016年、青森総局長。医療事故や薬害エイズ事件のほか、有料老人ホームや臨床試験について取材。著書「ルポ 医療事故」(朝日新聞出版)で「科学ジャーナリスト賞2009」受賞。近刊の著書に「混合診療」(医薬経済社)、「ルポ 医療犯罪」(朝日新聞出版)など。

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