メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

本サイト「法と経済のジャーナル AJ」が今夏、「論座」傘下に引っ越しへ

深掘り

深掘り再録

福島第一原発事故の現実と認識、その報道、それらのギャップ

取材記者による独自検証・東電原発事故の発表と報道(上)

奥山 俊宏(おくやま・としひろ)

 以下の原稿は、朝日新聞ジャーナリスト学校発行の月刊誌『Journalism』2012年6月号に「取材記者による特別リポート(上)」「福島原発事故 発表と報道を検証する」「2011年3月11日~17日、現場では何が起きていたのか」とのタイトルで掲載された論考である(注1) 。福島原発事故発生10年を迎えるのを機に、その原稿の全文――紙幅の都合で誌面上では一部削った部分も含めた元原稿――を再掲したい。なお、2012年5月の本稿脱稿の後に新たに判明した事実を踏まえ、注1、注21注30を追加した。

 

取材記者による独自検証・東電原発事故の発表と報道(上)
福島第一原発事故の現実と認識、その報道、それらのギャップ

奥山俊宏(朝日新聞記者)

拡大2011年3月12日付朝日新聞朝刊(東京本社最終版)1面
 東京電力福島第一原子力発電所の事故について、東京電力は2011年3月11日以降、さまざまな情報を発信し、それをもとにして、政府は対策をたて、私たち記者は記事を書き、それらの結果が新聞やインターネットなどメディアを通じて世の中に流れた。私は3月12日夜に取材記者として東電本店に入り、以後、それら取材・報道の一端に関与している。

 原発事故をめぐる新聞などマスメディアの報道について、世の中ではさまざまな批判がなされている。「権力側の発表を批判することなく『安全だ』と広報してきた(注2) 」というような「大本営発表報道」批判から、「いたずらに不安を煽るような報道をしてきた(注3) 」という「あおり」批判まで、その内容は両極端に大きく分かれている。が、多数派のだいたいの見方は「社会にパニックを起こしてはいけないという配慮が表現に抑制的な効果をもたらし、原子力発電所の事故を過小評価するメッセージにつながったとみられる」という浜田純一・東京大学学長の発言(注4) に近いのではないかと思われる。

 それら批判の中には、私たち記者や報道機関として真摯に受け止めなければならない指摘がある。が、印象批評の域を出ない批判や、誤った事実を前提にした批判も少なからずある。具体的な事実に基づいて実証的に批判するのではなく、誤った思い込みに基づく批判のための批判、あるいは、まるでスーパーマンに求めるかのような現実離れした「あるべき」論をいくら並べても、将来同じようなことが起きたときに備える教訓にならない。むしろ、このままでは、誤った教訓が導き出されて後世に禍根を残すのではないかと私は心配している。

 東電はどのような認識の下であのような発表をし、記者たちはどのような認識の下であのような報道をしたのか? 報じられた内容に対して、現実はどうだったのか? 東電の発表はウソだったのか? 何が問題なのか? 事故発生から1年を経て徐々に分かってきた事実関係を前提に置き直して、私の視点から当時の発表と報道を具体的に検証してみたい。その上で、報道に対する批判を検討し、将来への教訓の抽出を私なりに試みたい。なお、本文中の日付は特に断らない限り、すべて2011年3月のものである。

 ■1号機 非常用復水器(IC)

 □東電の発表と新聞の報道

拡大東京電力が2011年3月11日夜に発表した福島第一原発1、2号機原子炉の状況
 「1号の場合は水氷タンクがあって、そのなかを(水蒸気を)通して戻してやる、要は、冷たいところを通して蒸気を(水に)戻してあげる、シンプルな系統になってまして、そちらのほうが、まぁ、機能している」

 2011年3月11日午後10時半過ぎ、東京・内幸町にある東京電力本店で、東電の技術者は記者たちにそう説明した。

 東日本大震災が発生したその日の夜、東電は、福島第一原発の「プラント状況」と題するニュースリリース(報道発表文)を2~4時間おきに出した(注5) 。そのうち最初の3つ、すなわち「午後7時現在」「午後9時現在」「午前零時現在」の3つは、1号機について「非常用復水器で原子炉蒸気を冷やしている状況です」と断定的に説明していた。

 炉内で発生した高温の水蒸気が非常用復水器(IC)の水タンクの中のコイル状のパイプを通ることで冷やされ、液体に凝縮され、水となってそれが炉内に戻る、つまり、1号機では炉内の水と燃料の冷却が続いているということをそれらの発表は意味する。

 福島第一原発ではその夜、復旧班が中心となって、構内の大型バスからバッテリーを取り外し、それを中央制御室に運び込み、直列に2個、制御盤の水位計につなぎ込むという、ふだんはやらない慣れない作業を進めていた。そうして午後9時19分、4時間余ぶりに1号機原子炉の水位計を仮復旧させた。そこで読み取れた値は、原子炉圧力容器に縦に収納されている燃料棒の上端より0.20メートル高い水位であることを指し示した。午後9時半に0.45メートル、午後10時に0.55メートル、午後10時20分に0.59メートルへと、その値は変化していったが、いずれも燃料の上端をかろうじて上回る水位であることを示した(注6)

 午後10時半過ぎ、東電の技術者は本店での記者会見で「水位は確認されています」と明らかにした。記者に「十分な余裕がある?」と尋ねられると、その技術者は「燃料は(水面上に)出ていない」と答えた。

 すべての電動の注水設備が停止している中で、このような水位が維持されるということはICが機能しているからだ、と東電の技術者たちは認識していた(注7) 。記者たちに対するその技術者の説明によれば、ICは電気がなくても作動できるという。だから、電源喪失状態の下でもICが最後の頼みの綱となって原子炉を冷却し続けているように当時は見えた。水につかっている限りは燃料が溶けることはない。実際、午後9時過ぎの時点で東電は「炉心は健全である」と考えていた(注8)

拡大東京電力が2011年3月12日早朝に出した発表文
 ところが、そうした状況も翌12日未明に時間切れとなった、ように当時は見えた。12日午前4時15分、東電は「非常用復水器で原子炉蒸気を冷やしておりましたが、現在は停止しています」と発表した。これと軌を一にするかのように、東電が把握する原子炉の水位は午前6時40分過ぎに下がり始めた。

 12日午前零時半から午前6時半にかけて東電が認識していた原子炉水位は燃料棒の上端より1.30メートル高かった。それが午前8時36分に燃料の上端まで下がってゼロとなり、午前11時20分過ぎにマイナス1メートルを超え、午後零時35分にマイナス1.70メートルとなった。燃料棒の長さは約4メートルで、これはすなわち、燃料棒の上のほうは気中に露出する一方で、下のほうは一貫して水に接した状態であることを示す。燃料棒の上端のほうは高温になって溶融しつつあるとみられる一方で、その下のほうは蒸気である程度は冷やされ、また、水につかった部分は損傷することなく形を保っているだろう、というようなイメージが東電の技術者たちの頭に描かれているようだった。

拡大2011年3月12日の朝日新聞朝刊(14版) 5面
拡大2011年3月12日の朝日新聞夕刊最終面(裏フロント)
 朝日新聞は1号機の原子炉について、12日の朝刊で「水位は徐々に低下している」と指摘しながらも、「非常時の復水器が作動し、12日午前零時半現在、ECCS(緊急炉心冷却システム)が作動すべき状態にはなっていない」と報じた。ECCSが作動しなければならないほどまでには炉内の水位は下がっておらず、燃料は水面下にあるというふうにこの記事から読み取れる。そこから半日が経過した後の夕刊では「東電は、燃料の一部が水面から露出したとみており、『燃料の一部が溶けるなど何らかの損傷を受けている可能性が高い』」と報じた。

 これら12日の朝夕刊の記事はいずれも、11日当日は燃料の冷却ができていたが、12日早朝までにICが作動しなくなり、それによって原子炉の水位が下がり始め、燃料棒の上のほうが部分的に溶融した、という筋書きに沿ったものだといえる。13日の紙面でも、一定時間はICが炉内を冷やしていたという筋書きが維持され、「1号機では(中略)原子炉内を冷やしていたが(中略)炉内の温度が過度に上がって核燃料が溶け出す『炉心溶融(メルトダウン)』が起きたおそれが出た」と記述した(注9)

 米国の有力紙ニューヨーク・タイムズは3月12日、「状況は深刻だが、1979年にスリーマイル島原発で起きた一部炉心溶融(partial core meltdown)のような壊滅的な緊急事態には遠く及ばない」という見方を紹介した上で、事故発生20時間の時点(日本時間では12日午前)の福島第一原発の状況として「プラントはバッテリー制御の冷却装置で操作されている」と中面で報じた(注10) 。翌13日には一面トップに扱いを大きくして「日本の当局者たちは、部分的なメルトダウンが起きたと推定していると述べた」と書いた(注11)

 「バッテリー制御の冷却装置」というのは1号機のICや2号機の隔離時冷却系(RCIC)を指すとみられ、3月20日の紙面でもニューヨーク・タイムズは「地震発生から数時間はバッテリーが機能していた」と言い切った(注12) 。また、「全炉心溶融(full meltdown)と一部溶融(partial meltdown)の違いは非常に大きい」と分析した上で「日本の原子炉で疑われているのは一部溶融」と指摘する記事を14日に掲載し(注13) 、16日には、「すでに燃料の一部が溶融していると考えられている」と指摘した上で、「全炉心溶融(full meltdowns)を防ぐために海水注入にあたる50人の作業員」に焦点をあてる記事を一面トップに掲載した(注14) 。以後22日まで、ニューヨーク・タイムズは「一部溶融」と書き続けており、原子炉内の状態について、同紙は日本の新聞各紙とほぼ同じ、あるいは、12日朝刊など一部ではより楽観的な認識で報じたといえる。

 実際には、津波に襲われて以降、1号機と2号機ではバッテリーは水をかぶって満足に機能できず、1号機ではICもほとんど機能しなかったとみられることがその後の調査で少しずつ明らかになってきている(注15) 。津波来襲直後にICがまったく機能しなくなったと仮定した場合、東電の解析によれば(注16、17、18) 、1号機の原子炉の水位は11日午後6時10分ごろに燃料の上端まで下がって、以後はマイナスとなり、午後7時ごろに炉心損傷が始まり、やがて燃料は完全に溶けて圧力容器の底にすべて落ち、翌12日午前1時50分ごろに溶融燃料で圧力容器が破損したとみられる。すなわち「全炉心溶融(full meltdown)」が12日未明までに起こったとみられる。

 事故発生当時、こうした筋書きが現実の事態として朝日新聞やニューヨーク・タイムズで報じられたことはなく、実際に報じられたのは、「全部」ではなく「一部」の核燃料が「11日夜」ではなく「12日午前」に溶融を始めた、という筋書きだった。なぜそうなったか。

 □知覚・伝達が困難な状況に

 福島第一原発1号機では、3月11日午後3時37分、すべての交流電源を失ってステーションブラックアウトに陥った。それだけでなく、ほぼ同じころ、バッテリーの直流電源盤も水をかぶった。このため、1号機の中央制御室では、照明や表示灯の多くが点滅しながら消えていき、薄暗い非常灯のみとなった。それまで鳴り響いていた警報音も聞こえなくなり、室内は静まりかえった(注19) 。3時50分ごろまでに原子炉水位などの数値も読めなくなった。炉内がどうなっているのか、炉心冷却装置が動いているのか、通常の方法では認識し得ない状況となった。

拡大
 現地の緊急時対策本部は、福島第一原発構内の免震重要棟の2階にある緊急時対策室に設けられ、吉田昌郎所長が本部長になった。本店の緊急時対策本部は、東京・内幸町の本店2階にある非常災害対策室に設けられたが、設置の時点で、会長も社長も不在、原子力・立地本部長兼務の副社長も不在で、原子力・立地副本部長の小森明生常務が本部長代行を務めた。

 二つの対策本部は互いに220キロ余も離れているが、テレビ会議システムで結ばれ、リアルタイムで報告の音声を共有した。それぞれの本部では、テレビ会議システムのモニター画面を囲むように机が配置され、それぞれの幹部が席についた。その後ろに広報班や技術班などに分かれて各担当社員が控えた。

拡大福島第一原発の免震重要棟にある対策本部(写真は東京電力提供)
 構内には6つの原子炉があり、1~2号機、3~4号機、5~6号機に付属して合計3つの中央制御室があった。各号機の運転や制御を直接担当する当直長ら運転員がそれぞれの中央制御室にいたが、PHSの携帯電話がしばらくして通じなくなり、免震重要棟との間の連絡や現場同士の連絡は大きく制約された。免震重要棟と各中央制御室の間は直線距離にして数百メートル離れており、主に、免震重要棟の発電班の担当社員と中央制御室の当直長が専用電話(ホットライン)で連絡をとり合った。建屋内など現場と中央制御室の連絡は、一部で無線を使ったほかは、大きな声を出して人から人へと伝言したり、人が行き来したりする方法が使われた。

拡大東電本店1階の記者会見場の様子(2011年3月14日午後5時19分、東京都千代田区で)
 東電と記者との公式の接点は3つあった。内幸町の本店1階の会議室では広報部付の部長や原子力運営管理部付の部長、原子力設備管理部の課長らが記者に対応した。東京・霞が関の原子力安全・保安院、福島市の福島県災害対策本部にも東電の社員が張り付き、それぞれの担当記者に対応した。情報の発信がもっとも早いのは地元の福島事務所で、もっとも遅いのは本店。一方、情報の内容がもっとも充実しているのは本店。このように記者たちから見られた。

 □認識への努力は尽くされたか

 1号機原子炉には、交流電源がない状態で動かすことができる冷却設備として、非常用復水器(IC)と高圧注水系(HPCI)の二つがあった。しかし、いずれも直流電源(バッテリー)がなければ起動できない装置だった。高圧注水系については、津波来襲直後、制御盤の状態表示灯がうっすらと点灯していたが、間もなく消えたため、起動不能と判断できた。一方、ICについては、消灯前の表示を確認できなかった(注20) 。このため、1~2号機の中央制御室では11日夕、ICが起動済みだったのか否か、つまり、ICが機能している可能性があるのか否かが分からなくなった(注21)

 制御盤の表示灯やメーターを見て事実を認識する通常の方法が不可能となり、中央制御室の運転員らは「五感を失っている」ような状況に陥ったが(注22) 、そうであっても、ICの作動状況を認識する方法はいくつかあった。

 一つは、直流電源と交流電源の双方が失われたという事実に過去の経験や知識をあてはめて、論理的に推定

この記事の続きをお読みいただくためには、法と経済のジャーナルのご購読手続きが必要です。

朝日新聞デジタル購読者(フルプラン)の方なら手続き不要

法と経済のジャーナル Asahi Judiciaryは朝日新聞デジタルの一部です。
有料(フルプラン)購読中の方は、ログインするだけでお読みいただけます。

朝日新聞デジタルのお申し込みはこちら

奥山 俊宏(おくやま・としひろ)

 朝日新聞編集委員。
 1966年、岡山県生まれ。1989年、東京大学工学部卒、朝日新聞入社。水戸支局、福島支局、東京社会部、大阪社会部、特別報道部などで記者。『法と経済のジャーナル Asahi Judiciary』の編集も担当。
 著書『秘密解除 ロッキード事件  田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』(岩波書店、2016年7月)で第21回司馬遼太郎賞(2017年度)を受賞。同書に加え、福島第一原発事故やパナマ文書の報道も含め、日本記者クラブ賞(2018年度)を受賞。近刊の共著書に『バブル経済事件の深層』(岩波新書、2019年4月)。
 そのほかの著書として『パラダイス文書 連鎖する内部告発、パナマ文書を経て「調査報道」がいま暴く』(朝日新聞出版、2017年11月)、『ルポ 東京電力 原発危機1カ月』(朝日新書、2011年6月)、『内部告発の力 公益通報者保護法は何を守るのか』(現代人文社、2004年4月)がある。共著に 『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社、2019年4月)、 『検証 東電テレビ会議』(朝日新聞出版、2012年12月)、『ルポ 内部告発 なぜ組織は間違うのか』(同、2008年9月)、『偽装請負』(朝日新書、2007年5月)など。
 ツイッターはhttps://twitter.com/okuyamatoshi
 ご連絡は okuyama-t@protonmail.com、または、okuyamatoshihiro@gmail.comに。メールの内容を暗号化する場合はPGPで。パブリックキーのIDは7D2BAD43550EAD96

Facebookでコメントする

ご感想・ご意見などをお待ちしています。