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深掘り

深掘り再録

福島原発事故報道への批判への反論 記者はあのときどうするべきだったか

取材記者による独自検証・東電原発事故の発表と報道(下)

奥山 俊宏(おくやま・としひろ)

 以下の原稿は、朝日新聞ジャーナリスト学校発行の月刊誌『Journalism』2012年7月号に「取材記者による特別リポート(下)」「福島原発事故 報道と批判を検証する」「東電原発事故の現実と認識、その報道、そしてギャップ」とのタイトルで掲載された論考である。福島原発事故発生10年を迎えるのを機に、「」に引き続いてその原稿の全文――紙幅の都合で誌面上では一部削った部分も含めた元原稿――を再掲したい。

 

取材記者による独自検証・東電原発事故の発表と報道(下)
福島第一原発事故の現実と認識、その報道、それらのギャップ

奥山俊宏(朝日新聞記者)

 2011年3月11日から15日にかけて東京電力福島第一原発の事故が悪化しつつあったとき、それを取材する記者たちはどう行動すればよかったのだろうか。そして、将来、同じようなことがあったときに、記者たちはどうすればいいのか。福島第一原発事故とその報道からどのような教訓を学び取るべきなのか。

 本稿の「」では、事故発生当初、東電がどのような認識の下にどのような報道発表を行ったか、国内外の新聞はこの事故をどのように伝えたか、それに対して現実はどうだったのか、1号機、2号機の原子炉、4号機の核燃料保管プールの状況に絞って事実関係を検証した。それら検証結果を踏まえて、本稿「下」では、記者たちはあのとき何ができたのかを考え、また、新聞報道への批判を紹介しつつそれらを検討し、そのあと、教訓の抽出を試みたい。

 ■あのとき、どうすればよかったのか

 □1号機冷却不全を見抜くには

拡大東京電力本店3階で記者会見に臨む同社の清水正孝社長ら=2011年3月13日午後8時1分、東京都千代田区内幸町で
 福島第一原発事故の報道でもっとも問題視されているのは、事態を過小評価したケースで、その典型例として1号機に関する報道がある。

 1号機では3月11日午後に津波に襲われた直後に、すべての冷却設備が機能を停止して水位が低下し、同日夜には炉心溶融が始まり、翌未明までに燃料のほぼすべてが溶け落ちて圧力容器の底を破ったとみられることがその後に分かってきている。しかし、2011年3月中旬当時、そのような事態進行の筋書きが新聞で即時に報じられることはなかった。非常用復水器(IC)が12日未明までは機能して炉内の蒸気を冷却したという誤った認識の下で、東電の発表が行われ、国内外の報道も行われた。12日午前に炉心溶融が始まったものの、その後も、燃料の下のほう半分程度は常に水面下にあって溶融を免れていると誤って認識され、それを前提に報じられた。そうした誤認が生じた原因は「」で詳細に分析したが、ならば、あのとき、記者はどうするべきだったのだろうか。

 1号機では、3月11日夕方から12日未明にかけて既に、水位の低下傾向や格納容器の圧力上昇、建屋内の線量上昇などの兆候があったのであり、記者は、それらの詳細を東電から聞き出し、それら間接事実からIC(非常用復水器)の機能不全を疑い、その疑いを記事に盛り込んだり、その原因について東電に問いただしたりするべきだったかもしれない。また、大学教授やメーカー出身の専門家らから、ICの機能不全を疑う見解を引き出すべきだったのかもしれない。

拡大記者会見で頭を下げる東京電力の小森明生常務ら=2011年3月12日午後7時38分、東京都千代田区内幸町の東電本店3階
 しかし、それは、記者たちに対して、当事者である東電の技術者たちよりも豊かな知識と深い思考を要求するものだ。ICや原子炉について、東電本店の小森明生常務を上回る知識を持ち、小森常務を上回る思考ができて、それは可能となる。小森常務は、コミュニケーション不全の当事者であり、誤った認識を是正できずに事故対処を誤った責任者であるが、一方で、福島第一原発の所長や原子力・立地本部の幹部を歴任した技術者でもある。ICは、日本国内では福島第一原発1号機と日本原電敦賀原発1号機の2つの原子炉にしか備えられていない非常に珍しい装置で、小森常務は、少なくともICに関する知識についてはほとんどの記者や外部専門家を上回っていたはずだ。その小森常務が見抜けなかったICの機能不全を喝破するのは、不可能ではないが、現実にはかなり難しかったと思われる。

 原子炉水位の計測値に目を奪われず、もっとそれを疑い、水位計の仕組みを調べてみる、ということも必要だったかもしれない。

 しかし、3月12日午前までの早い段階のあの場で実際に水位計測値を疑うのはやはりかなり難しかったと思われる。原子炉水位の計測値は、人間の作為なく客観的に導き出されたものであり、3月12日の昼くらいまでは、あたかも本当の値であるかのような変動を示した。東電本店の記者会見で、水位計の仕組みに関する質問にも一応の説明がなされた。

 当初3月中は取材や分析に充てることのできる時間が極めて限られており、その点からも、ICや水位計の機能不全を見抜くのは困難だったといえる。

 「新聞はもっと情報収集手段を多様化し、個別の情報源から距離を置いて独自の観察と判断を磨いていく必要がある」という意見がある(注1) 。これはまさしくその通りで、私も同意見だ。しかし、それがその通り理想的に実現していたとして、3月11日から12日にかけて、実際と異なる、より良い報道ができたのであろうか。私は疑問に思う。

 □吉田所長への取材は?

 福島第一原発の現場に赴き、直接、責任者に取材するべきだったという見解もあり得る。テレビ会議システムや電話を用いて現場の責任者に直接取材する、あるいは、そのような取材が可能となるように東電に強く求めるべきだったという見解もある。

拡大福島第一原発の免震重要棟で記者の質問に答える吉田昌郎所長=2011年11月12日午後1時7分、福島県大熊町で
 たしかに、福島第一原発の免震重要棟にいる吉田昌郎所長に直接問いただすことができれば、12日午前零時ごろに、「ICが正常に機能していない」と疑っているという話を聞くことができただろう。1号機の中央制御室に足を運び、運転員や当直長から話を聞くことができれば、もっと早く、11日午後6時過ぎにICの停止を把握できただろう。一方、東京にいる小森常務やその周辺にいくら取材しても、彼ら自身が12日午前3時過ぎに至ってもなお「ICは作動している」と思い込んでいたというのだから、それに反する見解を引き出すことは不可能だった。したがって、なおさら、現場に近い人物に直接取材することの大切さが浮かび上がる。東電の副社長で原子力・立地本部長だった武藤栄氏も「やはり現場に一番近いところにいる人間が現場のことというのは一番よく分かってやっている」と認めている(注2)

 しかし、当直長や運転員への直接取材は現実には無理だったと私は思う。彼らはその当時、事故への対応に全力を挙げるべき責務を負っており、記者への対応に時間を割かれたり、注意が向けられたりするべきではなかったからだ。一方、所長ら免震重要棟にいた東電幹部については、テレビ会議システムを使って短時間であっても記者会見を開くように強く要求するべきだったと私は振り返って思う。

 米国ペンシルバニア州スリーマイル島の原発で1979年に発生した事故に関する米政府の調査報告書でも、「責任者が、気を散らされることなく重要な仕事に集中できるようにすることの必要性」(the need of disaster managers to concentrate on their vital tasks without distractions)と「公衆の知る権利」(the public's right to know)の「衝突」(natural conflict)を指摘し、「簡単な解決方法はない」と認めた上で(注3) 、「記者への説明にあたる人々は情報源に直接アクセスできる人でなければならない」との結論を導いている(注4)

 福島第一原発事故の場合、「情報源に直接アクセスできる人」というのは、第一原発構内の免震重要棟にいた吉田所長ら東電幹部社員だったということになる。この事故で主な「情報源」だったのは各号機の中央制御室であり、そこに直接、疑問点を問いただし、分かっていることと分かっていないことをはっきりさせることができたのは吉田所長ら免震重要棟の幹部社員だったからだ。中央制御室の当直長ら運転員はそのような問い合わせによって「気を散らされ」ることになったかもしれないが、それは、吉田所長ら東電が事態に対処する上でも必要なことだった。そのような問い合わせが足りなかったことによって、ICの不作動を長時間にわたって把握することができず、被害を拡大させた疑いがあるということは、「」で詳述した通りだ。

 危機管理広報(クライシス・コミュニケーション)の専門家によれば、工場で事故があったときには、工場の責任者が現場から情報を発信するのが基本だと考えられているという。現場と記者の間に本社を挟んで、本社が伝聞の情報を発信すると、事実が伝わりづらくなり、錯誤が生じる危険性が高まるからだ。

 東電でもそれを意識してか、原子力・立地本部長である武藤栄副社長が3月11日、地震発生直後に福島に向かい、12日未明、福島第一原発から4.7キロほどの場所にある大熊町役場で記者会見を開いたという。しかし、東電によれば、地元の記者たちの多くは連絡がとれたかどうかがはっきりせず、会見の場に集まったのは福島民報とNHKの3人だけで、また、その会見の結果が報じられた形跡はないという。次の記者会見の日時がその場で設定されたが、結局、それ以降、大熊町で記者会見が開かれることはなかった。12日早朝には、福島第一原発の周囲10キロが避難指示の対象になり、大熊町役場に記者を集めて会見を開くことはもはや不可能となった。

 振り返って考えるに、津波による人的被害の取材に記者の多くが動員され、さらに、交通が地震で寸断され、道路が渋滞する状況にあった12日未明に、記者の配置がもともと手薄な福島県の相双地区で記者会見を開いても、その内容が多くの国民に伝わることはないだろうと予想することは十分に可能だったのではないかと思われる。現場から4.7キロ離れた町役場で、状況を即時に把握しているとは思われない副社長が記者会見を開くよりも、やはり、現場である福島第一原発構内で、現場の責任者が記者会見に応じるべきだったし、記者側からも東電にそのように強く要求するべきだった。テレビ会議システムのモニター画面と音声スピーカーを本店の記者会見室に置いて、免震重要棟にいる吉田所長が直接、政府や国民も含めた外部に事態を説明し、記者たちの質疑に応答したほうが、コミュニケーションはスムーズだっただろうと考えられる。放射線防護や核物質防護の制約もなく、また、現地の環境に左右されずに、多くの記者が記者会見に参加することができただろう。

 もちろん、記者の求めがあったとしても、このような場を設定するかどうかを決めるのは東電であり、記者会見に応じるかどうかを決めるのは吉田所長自身である。その後、最悪の時期を脱した後も8カ月、東電は吉田所長の記者会見を開いておらず、個別の記者の取材申し込みにも大部分は応じなかった。こうした事後の経過から推すと、福島第一原発事故では、吉田所長の記者会見が事故発生当初に開かれることは、いずれにせよ、なかったかもしれない。しかし、将来への教訓としては、テレビ会議システムを用いた発電所幹部の記者会見を検討する必要がある。

 □発生から数日を経た後に

 このように3月12日までの立ち上がりの段階では、実際以上の報道はかなり難しかったと思われるが、3月13日以降はどうだろうか。

 3月12日夜以降は、水位計の値に疑義があることは東電の記者会見でも説明されていた。1号機原子炉建屋の爆発などの兆候が新たに表れ、従来からあった格納容器圧力上昇などの兆候と合わせて考えれば、ICに関する東電の説明を疑うことは可能だったと思われる。その疑いを追究する取材に取り組めば、もっと早く本当の実態を推定し、認識を改めることができたかもしれない。

 「上」で指摘したように、東電には、兆候を知覚しようという努力が十分に尽くされたとは言い得ないような状況があった。知識・経験をもとに兆候から間接事実を導きだし、合理的な推論を加えて能動的に事実を認識しようという発想が現場にも本店にも足りなかった。各号機の中央制御室から免震重要棟へ、あるいは、本店へという情報の流れも目詰まりを起こし、東電の組織内にコミュニケーション不全があった。このうち、知覚・判断・認識に関する欠如は、3月13日以降の1号機の状況に限れば、東電だけでなく、報道機関や記者たちの側の問題としても指摘できる。

 しかし、実際の状況にあてはめて考えると、それは、現場の記者には酷な指摘だと言わざるを得ない。3月13日以降、焦点は3号機や2号機、4号機に移り、1号機はしばらく置き忘れられた状態となったが、報道の上でも事態対処の上でも防災対策の上でも、1号機に比べ、2~4号機のほうが事態の危険性、切迫性がはるかに大きかったのだから、それは致し方ないことといえる。むしろ、健康にただちに影響が出るレベルの放射性物質が2~4号機から放出される恐れがある中で、その恐れが相対的に低くなっていた1号機の状況の検証に、東電社員や現場記者たちの注意や時間が割かれるべきではなかったといえる。

 複合同時多発災害だったことに由来する限界は、記者や報道機関の能力や意欲にとどまらず、たとえば、紙幅や放送枠の広さ、東電側の対応能力などにもあった。収束した事故を検証するのとは異なり、進行中の事故を即時に報じる場合には、現場の記者たちの活動の力点は、いままさに起こっている事態の把握とその報道に置かれるべきだ。ものごとには優先順位があるのであり、過去の検証ではなく、切迫する目の前の危険への対応を最優先するのは当然だ。

拡大福島第一原発事故の背景を検証的に報じた朝日新聞2011年3月30日付朝刊
 とはいえ、そのような優先順位にとらわれない別動の取材チームによる別の観点の取材が並行してなされていてもよかったかもしれない。日々、新たに発生した事象をニュースとして追いかけるのに集中する現場の取材班とは別に、一歩引いたところで、冷静な目で事態の全体像を俯瞰し、足りないところがないか探し出そうとする別動の取材チームを事故発生当初からもっと充実させておけば、実態をもっと早く解明して読者に示すことができたかもしれない。非常用復水器を備えたもう一つの原子炉である日本原電敦賀原発1号機の関係者にあたるなど別の取材方法を探ったり、原子炉の圧力や水位、放射線量など東電から提供されるデータをグラフ化してそのトレンドを分析したり、原子力安全に関する過去の文献にあたったり、水位計の仕組みを調べたりすることもできただろう。振り返って後知恵を用いれば、そのように考えることができる。

 □過大に報じたことの是非は

 2号機や4号機については、1号機とは対照的に、一時期、現実に起こっている事態を過大に評価して報道する結果となった。

 3月11日夜に東電や政府がもっとも危機感をもっていたのは1号機ではなく2号機であり、3月15日に東電や政府がもっとも危機感をもっていたのは3号機ではなく4号機のプールだった。

 いずれもその翌日には、2号機ではなく1号機のほうが炉心溶融を起こす状況にあり、4号機のプールではなく3号機のプールのほうがより早い注水を必要としていると認識された。事態認識がそっくり逆転したのだ。

 2号機については、3月11日夜、すべての注水設備が作動を停止したと発表された。実際には注水は続いており、その夜の2号機の状況に限れば、東電は事態を過大評価していた。しかし、その一方で、2号機ではなく、1号機において、冷却停止の事実があったことが後に明らかになっている。結果論ではあるが、3月12日の朝刊紙面の上では、1号機に関する過小評価報道と、2号機に関する過大評価報道とが混在しており、紙面全体の印象を見たときに、事態はほぼ等身大に報じられていた、と言えないこともない。

拡大「原発 いったい何が」「足りぬ情報 広がる不安」と見出しがついた朝日新聞2011年3月15日付夕刊社会面
 4号機については、新聞報道は一時、使用済み燃料プールに水が足りなくなり、燃料が過熱して、水素ガスが発生して爆発した、という筋書きに偏り、現実以上に事態が悪化しているかのような印象を世の中に与えた。特に読売新聞の15日夕刊1面トップは「超高濃度放射能が拡散」という大見出しの下に「福島第一・4号機『身体に影響の数値』」という見出しを添えており、まるで4号機から大量の放射性物質が放出されたかのような印象を与える紙面づくりとなった。実際にはプールに水は十分にあって、燃料の過熱はなく、4号機からの放射性物質放出はなかったとみられることがその後に分かってきている。

拡大爆発1時間あまり後の福島第一原発4号機原子炉建屋=2011年3月15日朝、東京電力社員が撮影し、翌16日午前に同社が記者団に提供した画像をトリミング
 とはいえ、2011年3月15日当時、4号機の建屋が爆発した原因が不明で、もっとも可能性が高かったのはプール内の燃料の過熱だった。そうした筋書きを前提に、4号機プールが「最悪シナリオ」に通じる危機に陥っているものとして日米政府関係者らの一部に認識されたのは事実だった。その認識は事実に反していたが、致し方のない誤りであり、むしろ、そのように報じられるべきだったとさえ私は思う。そうした危機意識の高まりそのものが歴史的事実であり、今後の議論の素材になりうるもので、したがって、それはニュースとして取り上げ、記録として残すに値する事実だったと私は思う。

 3月15日、記者会見での東電側の説明は非常に慎重で、プールの中の水の有無や建屋爆発の原因について、重みづけをすることなく、複数の可能性を並べ、それぞれの根拠を説明した。使用済み燃料が水面上に露出して過熱した可能性もその説明の中に含まれていたが、特定の結論に導くような説明はしなかった。この点については、情報が限られていた中では、東電の発表に非の打ちどころはなかったといえる。

拡大2011年3月17日のニューヨーク・タイムズの1面
 ただし、4号機プールの水の存在を確認した事実に関する東電の発表は、あまりに遅く、また、不十分で、その結果、ニューヨーク・タイムズの17日の報道が行き過ぎたものとなった可能性がある。水の存在が確認されたのは16日午後4時ごろだったのだから、東電は、その日のうちに明確な言葉でそれを発表しておくべきだった。また、最大の焦点である4号機プールの水が確認されたのだから、それをもっと大きな扱いで報道するべきだったという意見はあり得るところだろう。それらの発表や報道が米政府やニューヨーク・タイムズにはっきりと伝わっていれば、米政府当局者が米国時間の16日に「4号機のプールに水がない」と発言することはなく、17日のニューヨーク・タイムズの報道はまったく異なるものとなった可能性が高い。

 3月11日から17日にかけて、記者たちはどう行動すれば、より良かったのか。実際とは異なる取材・報道があり得たのか。現実離れした机上の空論を唱えるのは容易だが、実際には、考えれば考えるほど、答えを見いだすのは難しい。振り返って2011年3月の状況を見たときに、ほかにどのような取材・報道のやりようがあったのだろうかと私は考え込まざるを得ない。

 ■原発事故報道に対する批判

 □「大本営」から「あおり」まで

 福島第一原発事故に関するマスメディアの報道にはさまざまな批判がなされている。「権力側の発表を批判することなく『安全だ』と広報してきた(注5) 」というような「大本営発表報道」批判から、「いたずらに不安を煽るような報道をしてきた(注6) 」という「あおり」批判まで、その内容は両極端に大きく分かれている。

 もっとも多くなされているのは「大本営発表報道」批判だ。

 「問題は(中略)、政府や東電の発表をチェックし、市民の側にたって監視するのがメディアの本来の役割だという認識を、報道の側がどれだけ持っていたかだろう。それが欠けてしまえば、メディアは、政府発表を垂れ流すだけの広報機関になってしまう。まさに戦時中の大本営発表と同じである」(篠田博之・創編集長(注7)

 「取材が真相に迫っていない」との批判も多い。

 「日本のマスメディアは原発事件に関する真実に全く迫っていない。これほどメディアが市民に不信感を持たれたことはないのではないか」(浅野健一・同志社大学教授(注8)

 「原発事故についての報道は、いまだに肝心の情報は隠されているのではないか、どの情報を信用したらいいのだろうかなど、新聞の読者もテレビの視聴者も、満足できる状況になっていない。そうした状況が続いていること自体、本来、メディアの責任ではないことなのですが、メディアに跳ね返っているのではないか」(柴田鉄治・元朝日新聞科学部長(注9)

 報道を意図的に抑えたのではないかという見方もある。

 「社会にパニックを起こしてはいけないという配慮が表現に抑制的な効果をもたらし、原子力発電所の事故を過小評価するメッセージにつながったとみられる」(浜田純一・東京大学学長(注10)

 「福島原発災害に関して、政府や一部の研究者・マスメディア・団体・企業などが情報制限をおこない、その理由について『パニックを防止するため』と説明した」(小山真人・静岡大学防災総合センター教授(注11)

 「事故直後は(中略)『最悪事態に備えた最適化戦略』の見通しが示されないことに、多くの市民が苛立ちを覚えていた」「これは(中略)『パニックを起こさせないため』というようなパターナリズムにもとづいた情報統制の動機もまったくなかったとは言いきれないのではないだろうか」(石村源生・北海道大学高等教育機能開発総合センター科学技術コミュニケーション教育研究部特任准教授(注12) )。

 「テレビや新聞は、東電や政府の広告・広報活動を通じての原発推進と安全神話に呪縛されていたこともあり、その発表をベースに安全・安心を強調する正常化のバイアスのかかった報道、解説が多かった」(平塚千尋・立正大学非常勤講師(注13)

 これらとはまったく逆の観点からの批判もある。

 「軽水炉燃料の濃縮率からしてありえない再臨界やそこからの核暴走を、あたかも今すぐに起きることのように書いて、恐怖心に訴えるような新聞記事がいかに多かったことか」「臨界条件が揃うことがかなり稀であることを知っていれば再臨界は起きないと考えるのが普通だが、それでも敢えて再臨界の危険があると報じるだけの根拠をその新聞記事を書いた記者は持っていたのか。そうではないと思う」(ジャーナリストの武田徹氏(注14)

 「怖い問題ばかり取り上げるのは、メディアの習性です。特に民放や新聞なんかは、怖いという話を取り上げた方が売れるわけですから」「日本のメディアの情報が、あまりにも『危ない、危ない』の方向に偏り過ぎです」(経済学者の池田信夫氏(注15)

 □「情報統制」はなかった

拡大東京電力の清水社長の記者会見の会場は記者でいっぱいになり、モニターで会見の様子を見ることのできる別室が用意された=2011年4月13日午後4時53分、東京都千代田区内幸町の東電本店3階
 2011年3月中旬の原発事故報道の多くが「発表ジャーナリズム」であったことは間違いない。

 調査報道には時間がかかる。事態が刻々と動く初動の段階にリアルタイムで調査報道の結果を発信するべきだと考えるのには、そもそも無理がある。原発構内で起きていることについて一次情報を持っていたのは東電だけだったのだから、東電に真相を発表させることに記者の努力が傾けられたのは必然だといえる。

 東電が隠している事実があるのならば、それを探り出すことが可能だったかもしれないが、事態推移の核心について東電そのものが誤った認識を持っていたケースがあり、真相を見抜くにあたって越えなければならない壁はとても高かったといえる。

 東電が広告主であることへの配慮やパニック回避のための配慮から来る「情報統制」があったのではないかと指摘する声が世間には多いが、取材記者として東電本店にいた私の実感からすると、少なくとも報道機関の側にそのような情報統制や情報制限の意図があったとはまったく思えない。

拡大2011年3月15日の朝日新聞朝刊1面
 「福島第一 制御困難」「最悪の事態に備えを」との見出しを1面に掲げた3月15日の朝日新聞夕刊紙面について、編集の責任者だった朝日新聞の杉浦信之・ゼネラルエディターは後に「パニックが起こる恐れを感じなかったわけではないが、それを恐れて真実を国民に知らせないということはあり得ないと考えた」と振り返っており(注16) 、これは私の実感に符合する。

拡大2011年3月15日の朝日新聞夕刊1面
拡大2011年3月16日の朝日新聞朝刊1面
 広告主への配慮を疑う声も多いが、事故の進展を目の前にして「電力業界や政府から広告費を受け取っているから」というような意識で記事に手心を加えようなどと考える記者や編集者がいたとは私には信じられない。少なくとも2011年3月11日以降、福島第一原発事故が進行しているさなかには、そのような配慮はあり得ないと私は思う。広告主への配慮を裏付ける具体的な事実があるのならば、私はそれを見てみたいし、記者として取材してみたいと思う。

 京都大学などの研究者が震災報道に携わった個々の記者たちに着目して2012年春にアンケートした結果をまとめた報告書によれば(注17) 、「できあがった報道には、あなたが現場で得た事実や感じた雰囲気が、十分に反映されたと感じますか」という問いかけに対し、8割を超える回答者が「よく反映されていた」「ある程度反映されていた」と答え、この回答傾向は、原発事故報道についても一般震災報道についても大きな違いがなかったという。一方、「あなたが関わった報道は、事実にかなり忠実なものになりましたか、それとも事実を描ききれなかったと感じる部分がありましたか」という質問に対しては、一般震災報道に携わった人の約8割が「忠実だった」と回答したのに対し、原発事故報道については「事実を描ききれないところがあった」という回答が35%に達したという。

 この調査結果は、取材内容を反映した記事を世の中に送り出したつもりではあるものの、取材内容そのものに誤りが含まれていたために、結果として、記事の中に「事実を描ききれないところがあった」という多くの報道関係者の認識を表している。広告主への配慮やパニック回避への配慮から報道を控えたり事実を曲げたりしたという指摘が、多くの報道関係者の意識と乖離していることも裏付けている。報道の現場では、さまざまな努力が尽くされ、全体としては実態に見合った紙面がつくられたが、意図せざる結果として、事実に反する記事がいくつかあったのは前述した通りで、それがこのアンケート結果に反映されているのではないかと思われる。

 多くの記者や編集者は、できるだけ正確に事実をつかみ、過大評価もせず、過小評価もせず、等身大に報じることに努力したと私は思う。その際に「誤報を出さない」「あやふやなことは書かない」という態度で臨んだが、これは、今回の事故に限ったことではなく、従来からある基準である。これについては後に「分からないことは『分からない』と書くべきだった」あるいは「はっきりしないことでも、可能性があるのならば、その旨の注釈をつけて書くべきだった」との反省の声があり、それは、将来への教訓としては有効だろうが、2011年3月にどうするべきだったかという観点からすれば、後知恵であって、正当な批判とは言えない。

 □海外メディアにあおられた人々

拡大「米、自国民へ避難勧告」「独自基準、80キロ圏内」と報じる朝日新聞2011年3月17日付夕刊
 海外のマスメディアと比較して、日本のマスメディアは事態を楽観視しすぎていたのではないかとの批判もあった。この批判は大きな影響力を持った。

 財務省所管の一般社団法人・金融財政事情研究会が発行する週刊の専門誌「金融財政事情」は事故発生から間もない2011年4月11日号で、「原発に関する政府発表・マスコミ報道に不信を募らせる外国人従業員」という題で、外資系証券会社の東京事務所の様子を描いている。

 「外国メディアは、東京電力と日本政府が情報を正しく開示していないのではないかと疑っている。その原因になったのは、3月16日に米国務省が発表した『福島第一原発から半径80キロ内に住む在日米国人の退避勧告』だった」

 「社内の外国人従業員から『日本は、政府も東電もマスコミも皆グルなのか』と聞かれることが多い。筆者は『日本のメディアは、真実を明らかにするよりも、国民を安心させるほうに力点を置いている(後略)』と答えることにしている」

 実際には、多くの日本メディアは、事故の真相を明らかにすることに力を注いだし、危機的状況にあることを伝えていた。しかし、事実に反すると思われる外国の報道を積極的に否定することもなかった。それをやるほどまでには何が真相なのかが当時は明確ではなかったし、記者の時間にも紙幅にもそれほどの余裕があるようには思えなかったからだ。

 3月17日、ニューヨーク・タイムズで4号機の燃料プールに水がほとんどないという米政府の見方が大きく報道され、それが日本に伝わってきたとき、東電本店にいた私は「なにを今ごろそんなことを言っているんだろう」と不思議に思った。たしかに3月15日に4号機が爆発してからしばらくは、そうした疑いがあったが、その後、3月16日、水の存在は確認された。ニューヨーク・タイムズの記事はその確認の後に出た。このため、これは誤報ではないか、と私は考えた。しかし、当時は、ニューヨーク・タイムズの報道のもとになった米政府の発表がどのような証拠に基づいているのかが分からない以上、私たちの手元にそれを否定する材料もなかった。

 当時、私は知人から尋ねられれば、「現段階では東京から避難する必要はないし、今後もし仮にその必要が出てくるようなことがあったとしても、時間的余裕はある」と答えた。また、外資系証券会社の中にも、専門家の意見を聞いて事態を的確に把握し、東京から避難させなかったところもあるという。いま振り返ってみれば、その返答や判断は正しかったと思う。

 にもかかわらず、当事者への直接取材の手薄な海外の報道を信じ込む人たちの間で、日本のマスメディアは真相を隠しているという見方が蔓延し、それにあおられて、東京から避難する人まで出てくる結果となった。

 □事実に基づかない批判

拡大福島第一原発の1号機(左端)、2号機、3号機、4号機(右端)=2011年3月15日午前7時33分、免震重要棟のある高台で東京電力社員が撮影し、翌16日午前に同社が記者団に提供した画像
 原発事故報道をめぐって、事実に反するセンセーショナルなマスメディア批判がまかり通り、多くの人が真に受けている実情もある。

 自由報道協会代表の上杉隆氏は、日本の新聞などマスメディアによる事故報道について「権力側の発表を批判することなく『安全だ』と広報してきた」と非難する論客の急先鋒だ。

 上杉氏の著書『大手メディアが隠す ニュースにならなかったあぶない真実』には、朝日新聞やNHKなど新聞・テレビは「放射能が外に出ることはありません」という報道を朝から晩まで繰り返していた、と明記されている(注18) 。原発事故が発生してから1カ月、「放射能は出ていない」と報道をし続けてしまった、とも明記されている(注19) 。上杉氏によれば、「当初、日本の新聞は政府同様、20キロ、30キロ圏外へは放射能は飛ばないと主張してい」たという(注20)

 「日本のメディアだけは、政権並びに東京電力のスピンコントロール、いわば発表にそのまま無批判に乗っかり、『放射能が外に出ることはありません。安全です。安心です』という報道をずっと行ってきたわけです(注21) 」。明治大学での講義で、上杉氏はこのように述べた。

 「3・11以降、既存メディアは、『安全です。放射能は出ていません』と繰り返しました。しかし、それは国民が被曝してしまった後になって、実はウソであったということが明らかになりました」(注22)

 上杉氏は著書の中で次のように書いている。

 「新聞記者、テレビの記者はみんな3月の段階から知っていました。だから自分たちの家族だけは逃がしたり、自分たちだけ引っ越したり、自分たちだけ安全なところにいたわけです。そして読者や視聴者にはその事実を伝えなかった。これは記者以前に人間として大きな罪を犯したといえるでしょう」(注23)

 雑誌「SIGHT」の2011年夏号のインタビューでも(注24) 、上杉氏は「既存メディアは会見に出ていたわけですから、その時点で放射能漏れに気づいていたんです」と述べ、次のように批判を展開している。「今さらそれを報道しても、もう遅いですよね。その間に、大勢の人が被爆しているんですから。既存メディアはもはや共犯者ですよ」

拡大「放射能放出」の大見出しを掲げた2011年3月12日の朝日新聞夕刊
 実際には、たとえば、朝日新聞の3月12日の朝刊の見出しは「放射能放出も」であり、12日夕刊の見出しは「放射能放出 5万人避難」である。「放射能が外に出ることはありません」という報道を「朝から晩まで繰り返し」た事実はなく、第一報ですでに「放射能が外に出る」ということを強調した見出しを立てている。

 その後も、たとえば、毎日新聞は3月14日朝刊の1面トップで「放射性物質 県外に」と報じ、読売新聞は3月15日夕刊の1面トップに「超高濃度放射能が拡散」という大見出しを掲げ、「『身体に影響の数値』 2号機も大量漏出か」と報じた。毎日新聞の16日の朝刊は「福島第一原発から出た放射性物質が風に乗って関東地方に飛散したとみられる」と報じた(注25) 。朝日新聞は3月15日夕刊の1面に「放射能大量飛散の恐れ」という見出しを掲げ、「福島第一原発の事故で飛散したとみられる放射性物質が15日午前、風に乗って全国各地で観測されている」と指摘した。この記事の「各地」の中には東京都も含まれている。

 これら3月中旬の新聞各紙の紙面を示しての私の取材に対し、上杉氏は「3月下旬以降、放射能が出ているのに、それが止まったかのように後退して報じたじゃないかということを指摘した。報道にそういう傾向があったのは事実」と反論した。しかし、実際には3月下旬以降も、たとえば、4月13日の朝日新聞朝刊は「今も放出は続き、長期化が懸念される」と指摘している(注26)

拡大東京電力本店3階で清水正孝社長らの記者会見を取材する記者たち=2011年3月13日午後8時3分、東京都千代田区内幸町で
 上杉氏は、東電本店での記者会見の様子について「テレビ・新聞は、全く質問もしません」とマスメディアの記者たちを批判している。

 「東京電力という、電事連のいわゆるスポンサーに気を遣って何一つ質問しないで、結果として半ば大本営発表のように、情報の出てくるのを止める、妨害するような状況になっています」

 2011年4月6日に鳩山由紀夫元首相が主催して開かれた勉強会で、上杉氏はこのように述べた。

 「どういうことかというと、たとえばプルトニウムの問題がありました。(中略)なんと2週間、これはたまたま私だったんですが、私が質問するまで『プルトニウム』という単語を記者会見で聞いた記者は一人もいませんでした」

 「そして、聞いたところ東電の発表は『プルトニウムを測っていない』と、さらに『測る計器を持っていない』と言ったわけです。これは(3月)26日です」(注27)

 しかし、実際には、上杉氏が3月26日に質問するより先に、プルトニウムに関する質問は出ていた。たとえば、朝日新聞経済部の記者が3月22日深夜の記者会見で、「プルトニウムの測定はする必要はないんですか?」「定量的にデータを測定して説明するべきではないんですか?」と執拗に質問し、この質問がきっかけの一つとなって、東電は、構内で採取した土を外部の検査機関に送り、プルトニウムの含有量を調べると翌23日に表明。その結果を28日に発表した。

 これについて、上杉氏は私の取材に対して「取材というのは、アウトプット、すなわち、記事にすることも含めての話」と説明した。3月22日の記者会見でのプルトニウムに関するやりとりは朝日新聞の紙面で記事になっておらず、上杉氏は「取材の結果を読者に伝えないと、仕事をしたことにならない」と考え、そういう趣旨で「全く質問もしません」と発言したという。

 とはいえ、「プルトニウム」という単語を記者会見で聞いた新聞記者が本当に一人もいなかったと誤解される恐れがある。その点について尋ねられると、上杉氏は「講演なので言葉が強くなっている」と弁解した。

 この勉強会の模様はビデオ撮影されて、ユーチューブにアップされている。また、その発言の書き起こしは上杉氏のウェブサイトに掲載され、それは2012年6月初旬の時点でなお訂正されていない(注28)

拡大東京電力が本店で記者団に配布した福島第一原発1~3号機の計測値の資料のうち、2011年3月16日午後11時48分に配布されたもの。上杉氏が言及した2号機炉圧の数値について、AJ編集部において黄色い色でハイライトした
 同じ講演の質疑応答で、上杉氏は東電の資料を手に次のようにも述べている(注29)

 「3月14日、2号炉の炉圧なんですが、3月14日17時、炉圧7.403。7といったらもう爆発してもおかしくない数字です。4で危ないですから。そして、その2時間後、3月14日19時、0.63。大気圧以下なんです。これをずっと『説明してくれ』と、この日から言ってんです。東電も政府も『通常の下がり方です』と言うんです。爆発以外の何ものでもないですよね。ところが、テレビ、新聞、載せません、1回も」

 上杉氏は、原子炉の圧力容器の内部の圧力について、4メガパスカルで「危ない」と言い、7メガパスカルで「爆発してもおかしくない」と述べているが、これらは事実に反する。7メガパスカルは通常運転中の原子炉の圧力と同等であり、最高使用圧力を大きく下回る。上杉氏はまた、0.63メガパスカルを「大気圧以下」と述べているが、これも事実に反する。上杉氏が手にしている東電の資料の中で、炉圧は、大気圧との差である「ゲージ圧」で表されており、大気圧ならばその値はゼロであり、大気圧未満ならばマイナスとなる。大気圧の絶対値は約0.10メガパスカルであり、0.63メガパスカル(ゲージ圧)は大気圧の7倍余もある。「0.63が大気圧以下」というのは桁違いの完全な誤りである。さらに、3月14日夕方に2号機の炉圧が7.4メガパスカルから0.63メガパスカルに下がったことをとらえて、上杉氏は「爆発」があったと言い、それを報じないとして新聞やテレビを批判しているが、これは爆発ではない。炉内に水を押し込むために、原子炉の逃し安全弁を開けて、あえて圧力を下げようとしたもので、その経緯は「圧力容器から外側の格納容器に通じる二つの弁を開放」などと翌15日の新聞で報じられている(注30)

 上杉氏は私の取材に対し、0.63メガパスカルを「大気圧以下」と述べたことについてこの講演の後に指摘を受けて訂正したと述べた。また、逃し安全弁の開放について、上杉氏自身は東電から説明を受けていない、という。「爆発以外の何ものでもない」という見解については、上杉氏は「ソース(情報源)があって言っている」と強調し、逃し安全弁を開放したのか爆発があったのか「どっちが正しいかは分からない」とも述べた。

 □禍根を残さないために

 的外れの批判が幅をきかせ

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奥山 俊宏(おくやま・としひろ)

 朝日新聞編集委員。
 1966年、岡山県生まれ。1989年、東京大学工学部卒、朝日新聞入社。水戸支局、福島支局、東京社会部、大阪社会部、特別報道部などで記者。『法と経済のジャーナル Asahi Judiciary』の編集も担当。
 著書『秘密解除 ロッキード事件  田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』(岩波書店、2016年7月)で第21回司馬遼太郎賞(2017年度)を受賞。同書に加え、福島第一原発事故やパナマ文書の報道も含め、日本記者クラブ賞(2018年度)を受賞。近刊の共著書に『バブル経済事件の深層』(岩波新書、2019年4月)。
 そのほかの著書として『パラダイス文書 連鎖する内部告発、パナマ文書を経て「調査報道」がいま暴く』(朝日新聞出版、2017年11月)、『ルポ 東京電力 原発危機1カ月』(朝日新書、2011年6月)、『内部告発の力 公益通報者保護法は何を守るのか』(現代人文社、2004年4月)がある。共著に 『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社、2019年4月)、 『検証 東電テレビ会議』(朝日新聞出版、2012年12月)、『ルポ 内部告発 なぜ組織は間違うのか』(同、2008年9月)、『偽装請負』(朝日新書、2007年5月)など。
 ツイッターはhttps://twitter.com/okuyamatoshi
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