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事件記者の目

関西電力元副社長・内藤千百里の証言

関電元副社長の語る大物右翼との親密、暴力団幹部との会合

村山 治(むらやま・おさむ)

 関西電力の役員ら20人が、高浜原発が立地する福井県高浜町の森山栄治元助役(19年死去)から計約3億2千万円分の金品を受領していた問題。関電側は、生命線である原発事業に影響力を持つ森山の機嫌を損ねるのを恐れ、仕方なく受け取った、などと「被害者」の立場を強調するが、果たして、そうか。筆者は朝日新聞記者時代の2014年、関電の政官財の裏工作をかつて取り仕切った元副社長の内藤千百里(18年死去)から地下経済も交差する関電の裏面史を聞いた。森山と関電の関係もその中に登場した。この連載では改めて、内藤証言を軸に「関電の闇」の深層に迫る。3回目の本稿では、元大物右翼、豊田一夫と関電の関係に関する内藤の話を紹介する。(敬称略)

 ●初代社長からのつながり

拡大内藤千百里・元関西電力副社長=2014年6月2日、大阪市北区、竹花徹朗撮影
 「人間性が本当に純粋で、よく勉強している」「この人との思い出話は一冊の本になるわ」

 豊田一夫について、内藤はこう語った。

拡大右翼団体「殉国青年隊」隊員のけいこを見守る豊田一夫隊長(左)=1953年、東京都品川区滝王子町
 豊田の自叙伝「夢のまた夢」(1982年、真龍社)によると、豊田は1927年(昭和2年)、栃木県生まれ。高等小学校卒業後、馬術家を目指して上京。陸軍省軍馬補充部に在籍した。終戦後、故郷に帰り、馬の売買などに携わったが、47年(昭和22年)に上京し、一種の自警団である「銀座警察」に加わった。52年(昭和27年)には、反共運動に目覚めて、戦前の大物右翼・頭山秀三の指導で「殉国青年隊」を結成した。

 高度成長期、「反共」「反労組」の実力闘争で保守政界や財界人から頼りにされたが、銃刀法違反などの容疑で逮捕されたり、大物右翼、児玉誉士夫とのトラブルから銃撃を受けて重傷を負ったりしたことがある。元労相の山口敏夫によると、山口本人や元首相の海部俊樹、元参院議員の浦田勝らが政治家をめざす学生だったとき、豊田を慕って豊田の下に集まったという。

 東京地検特捜部が1986年に摘発した平和相互銀行事件にからみ、同相銀が事実上支配していた鹿児島県の離島、馬毛島を防衛庁(現防衛省)にレーダー基地用地として売り込むため、同相銀から20億円の融資を受け政界に配ったと特捜部に供述したと報道されたこともある。

 内藤が豊田と知り合うきっかけを作ったのは、関電の初代社長で会長も務めた太田垣士郎だった。

 内藤: 太田垣さんが友達のアラセキの社長から豊田さんを紹介された。太田垣さんはそのとき、会長になっていましたんでね、芦原さんに、「こういうことだから豊田君を使ってくれ」と言い、芦原さんが受けるわけ。芦原さんは豊田さんに関電の警備を任せた。○電も、○○○さんが豊田さんを本社の警備に使うと決めた。いまだに任しています。○電はだいぶ、他が入ってきたが、関電は相変わらず、ごっついシェア持ってますな。(14年7月7日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)

拡大太田垣士郎・関西電力会長(1963年当時)
 「太田垣さん」というのは、関電初代社長の太田垣士郎のことで、太田垣は1959年に会長になり、64年に死去した。「芦原さん」というのは太田垣の後任の関電社長の芦原義重のことで、内藤は長くその秘書を務めた。「○○○」は○電会長である。「○電」は、関電ではない別の電力会社で、内藤は同社の実名を同社の首脳の苗字とともに挙げたが、それはおそらく伝聞の話であろうと推測でき、また、筆者として事実関係の裏付けを得ているわけではないため、本稿では伏せた。〇電広報室は「当社として承知しておらず、回答できるものはございません」と答えた。

 「アラセキ」はアラスカパルプの間違い。豊田は自伝「夢のまた夢」で「太田垣会長を紹介して下さったのは、故笹山忠夫アラスカパルプ会長(当時アラスカパルプ設立中)であり、笹山会長には、日本が生んだ巨人、三浦義一先生が紹介して下さった」と明記している。

 笹山は日本興業銀行理事から戦後、内閣総理大臣の下に置かれた特殊法人、持株整理委員会の委員長を務めた大物経済人。アラスカパルプは戦後、国内の木材資源の枯渇緩和のため、繊維メーカーや商社が1953年に設立。日米両国の支援を受けたナショナルプロジェクトとして、米・アラスカ州でパルプ工場を営んだが、米政府の伐採規制のあおりを受け経営不振となり、2004年に解散した。

 三浦義一は、戦前からの右翼で、戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)ともつながり、政財界に影響力を持ったといわれる。

 ――豊田さんは、戦後の東京で「銀座警察」として名を馳せ、その後、右翼活動家になった強面の人ですね。

 内藤: 若いときは暴力団に近かった。銀座で、白い着物を着て、日本刀で切りまくるぐらいですから、素人ではできない。戦後まもなくの時、児玉機関まで影響する話だが、上海陸戦隊が、終戦になって、上海に集めた財宝の一部を上海の海に投げて帰った。それはごく一部の人しか知らない。当時、日本は占領されていたので進駐軍にばれれば没収される。豊田さんはその筋で情報を得て、部下を連れて、捨てたという港まで引き揚げにいくわけ。そのときに、万が一を考えて、沖には台湾の潜水艦を待機させた。だけど結局、上陸してフェンスを越えたら、犬が飛んできて中に入れなくて引き上げた。「いや内藤さん、ドーベルマンに負けたよ」って。ロマンあふれる男だよ。すべて本当の話。最終的には、中国のヤクザに引き揚げてもらったらしい。(14年2月27日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)

 「銀座警察」は、豊田の著書「夢のまた夢」によれば、敗戦で警察機能が弱体化する中、日本国籍を失った中国人や朝鮮人の一部が「密造酒を強制的に売りつけるばかりでなく、土地や家屋を不法に占拠したり、商店などに嫌がらせをするなどして繁華街をのさばり歩き、一般市民に恐怖を与え、警察が(略)手出しできないのをよいことに、横暴をきわめた」のに対抗して、豊田らが実力をもって「力で対決した」というグループを指す。リーダー格のメンバーは、広域暴力団住吉会の有力幹部になったとされる。

拡大巣鴨プリズンで撮影され、米陸軍に保管されていた児玉誉士夫の写真=2015年12月、米メリーランド州の米国立公文書館で撮影
 「児玉機関」は、右翼の児玉誉士夫が、太平洋戦争で海軍航空本部の委嘱を受けて戦略物資の買い付けを行った際に作った組織。中国大陸で調達に奔走、巨額の富を築いた。児玉はA級戦犯容疑で逮捕されたが、不起訴となり、政治活動を再開。鳩山一郎を総裁とする日本自由党創設の際、児玉機関で蓄えた資金を提供したとされる。戦後の政財官界の裏側で利権調整をする「フィクサー」と呼ばれたが、1976年のロッキード事件でロ社の日本への航空機売り込みを担う秘密代理人であることが発覚。脱税の罪で起訴されたが、公判中に病死した。

 ●政財界との深い関係

 戦前、戦中、一部の右翼は政権と一体化していた。その代表格が鈴木貫太郎首相の秘書で事実上のボディガードだった四元義隆だ。四元は戦後、歴代首相の指南役といわれ、日本興業銀行など財界中枢にも影響力を持った。四元の元側近は、豊田が上海の財宝引き上げのため、台湾の潜水艦を待機させていたとの内藤の話について「四元さんらは戦前から、日本と台湾、朝鮮の優秀な人材を集めて国粋教育をし、台湾や東南アジアに送り出していた。彼らが出身地の軍の幹部になっていてもおかしくない。豊田さんあたりが、その伝手で台湾の軍とコネクションを持つことは十分あり得る」と話した。

 豊田は、笹山、太田垣を通じて財界に人脈を広げた。豊田の著書「夢のまた夢」はその様子を以下のように記す。

 太田垣会長のお陰によって今日の自分がある、と私は思っている。(略)会長の御紹介によって我が国財界のトップの方々を知ることができ、(略)わが国財界の重鎮である関西電力の芦原会長を私に引き合わせ、推挙して下さった(略)。私は現在もなお、芦原会長の御指導と御支援を受け、健在で活動が出来る(略)太田垣会長からは、関西財界では、当時住友銀行の堀田庄三頭取、大阪商工会議所の杉道助会頭、日立造船の松原与三松社長を(略)東京では、東京電力の木川田一隆会長(当時副社長)を紹介され、その御縁で現在の平岩外四社長からも引き続き御指導を得ている(略)また中京地区では、中部電力の横山通夫会長(現相談役、当時社長)を紹介されて、これまた現在もなお御指導を得ている。

 そうそうたる顔ぶれだ。そして、豊田は「私はこの方々に対して、己の最善を尽くし、誠を捧げ、命を賭けてきた。(略)この方々が存命するかぎり、この方々の為に命を賭け、自分の真心を捧げる覚悟である」と「夢のまた夢」で決意表明している。

 内藤: 海部俊樹は、豊田さんの部下でっせ。海部には、豊田さんの紹介で銀座の料理屋で会った。豊田さんと飯を食っているところに海部が来て、廊下に手をついて、海部が「入ってよろしゅうございますか」と。豊田さんが「ああ」と言い、海部が部屋に来た。「内藤さん、これが海部です。よろしく」(と)。あんなに偉くなるとは思っていなかった。自民党の山口もそうだ。(14年2月27日、同)

 海部

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村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)、「バブル経済事件の深層」(岩波新書)。

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