メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

事件記者の目

関西電力元副社長・内藤千百里の証言

関西電力元副社長が語った中曽根、福田ら元首相への「盆暮れ」は漢方薬

村山 治(むらやま・おさむ)

 関西電力の役員ら20人が、高浜原発が立地する福井県高浜町の森山栄治元助役(19年死去)から計約3億2千万円分の金品を受領していた問題。関電側は、生命線である原発事業に影響力を持つ森山の機嫌を損ねるのを恐れ、仕方なく受け取った、などと「被害者」の立場を強調するが、果たして、そうか。筆者は朝日新聞記者時代の2014年、関電の政官財の裏工作を取り仕切ってきた内藤千百里・元副社長(18年死去)から地下経済も交差する関電の裏面史を聞いた。森山と関電の関係もその中に登場した。今回、改めて、内藤証言を軸に「関電の闇」の深層に迫る。第7回の本稿では、前回に続き関電の政界コネクションについて考察する。(敬称略)

 ●中曽根コネクション

拡大中曽根康弘首相(右)とレーガン米大統領=1986年4月13日、米ホワイトハウス写真事務所撮影、レーガン大統領図書館所蔵写真
 関西電力名誉会長だった芦原義重とその側近だった内藤が盆暮れのカネを届けた歴代首相の中で、最も原発政策に関心が深かったのは中曽根康弘だろう。改進党代議士時代の1954年、原子力研究開発予算を国会に提出して成立させ、鳩山内閣で初代科技庁長官になった正力松太郎とともに原子力政策推進の両輪となった。岸内閣に科技庁長官として入閣。原子力委員会委員長に就任した。また、田中内閣の通産相時代には電源三法を成立させた。内藤は、中曽根本人や大物秘書といわれた上和田義彦と昵懇の関係だった。

 ――中曽根さんへの盆暮れは。

 内藤: 事務所や。秘書はごっつ多かった。上和田なんていうのは秘書の一番トップですからね、その下で若い…そこをやって国会議員になったのが数人おりますよ。所定の10分前ぐらいにいけば、上和田先生がちゃんと迎えてくれて「上さん来たで。お願いします」「お待ちしておりました。どうぞ」と(中曽根の部屋に)案内される。

 (芦原と中曽根は2人で)結構、話をしていますよ。せやね、20~30分は雑談していますわな。(その間は)電話はかかってもつながない。人によって手をたたいて秘書を呼ぶ人もいるが、中曽根は自分で送ってくるタイプではない。部屋からベルを押して秘書を呼んで「お帰りになる」と。中でお送りして。

 ――中曽根さんは、原発を熱心に推進した。

 内藤:もともと、理想論の強い人。夢が大きければ大きいほど、ほころび方も大きい。彼のやったことは素晴らしい面と全くなっていない面とがある。おそらくは日本の原発は正力松太郎が米国から輸入した。正力は中曽根と近かったと思う。あの当時、正力が若い中曽根を呼んだと思う。(14年5月22日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)

 中曽根も三木同様、自民党の中では傍流の小派閥の領袖だった。政権をとるまで、政界で変わり身早く立ち回り、「風見鶏」と揶揄された。中曽根本人は、その評判を気にしていた。内藤は、中曽根からその悩みを聞き、励ましのアドバイスをしたという。

 内藤:(店は)若林かな。私がよく使った赤坂の。向こうがぜひ会いたいと言うから、若林を取っておきましょうと。二人だけで、形ぐらいの食事で、話をした。「どうしたらいいんやろ」と。「風見鶏は何も悪い意味じゃないんですから、時代の先取りと解釈できるわけだからご自分の方から言った方がマスコミが言わなくなるんちゃいますか」とね。

 ――首相になる前?

 内藤:うん。上和田が頼むから、それやったら話しましょうと。夜10時からかな、派閥で会議があったらしいんです。私は知らなかったけど。私は「若林」で話をして、(中曽根を)派閥の会に渡した。あの頃は本当に猪突猛進。ねえ。(14年6月6日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)

 ●中曽根取材を記者に勧める

 自民党きっての原発推進派で米国にもパイプがあった中曽根は、日本の原発政策の表裏に通じていたと思われる。その中曽根に、関電や電力業界が何を求め、また中曽根が関電などのために何をしたかについて内藤は一切、語らなかった。しかし、筆者らにこう言って取材を勧めた。

 内藤:日本の原発史。中曽根を取材した方がいい。おっさんが嫌がるのもわかるけど、それを話さなければ日本のためになりませんよ、その事実だけを教えて下さいと。(14年6月2日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)

 内藤が盆暮れの資金提供を明言した首相で当時、存命しているのは中曽根だけだった。筆者は、内藤証言の裏付のため中曽根に事務所を通じて取材を申し入れた。事務所は2014年6月24日、「秘書官は故人で当時をわかる者が事務所にいない。そういうことはなかったと思う。元首相本人は高齢のため確認していない」と回答。筆者はさらに、記事掲載前の同年7月25日まで何度か中曽根本人への取材を事務所に申し入れたが、回答はなかった。内藤には、中曽根側の対応が意外

この記事の続きをお読みいただくためには、法と経済のジャーナルのご購読手続きが必要です。

朝日新聞デジタル購読者(フルプラン)の方なら手続き不要

法と経済のジャーナル Asahi Judiciaryは朝日新聞デジタルの一部です。
有料(フルプラン)購読中の方は、ログインするだけでお読みいただけます。

朝日新聞デジタルのお申し込みはこちら

村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)、「バブル経済事件の深層」(岩波新書)。

Facebookでコメントする

ご感想・ご意見などをお待ちしています。