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事件記者の目

事件記者の目

黒川検事長辞職 安倍政権の人事介入が招いた不幸な結末

村山 治(むらやま・おさむ)

 あっけない幕切れだった。検事総長の座を目前にしていた黒川弘務・東京高検検事長が「賭け麻雀」報道を受けて辞職。7月末に定年で退官するとみられていた林真琴・名古屋高検検事長が急きょ、次期検事総長含みで黒川氏の後任になった。黒川氏の定年延長や検察庁法改正案に野党・マスコミばかりか「身内」の検察OBからも筵旗が立つ中での交代だった。林氏を次の検事総長にする人事は法務省がかねて構想したシナリオだ。大騒ぎの末、元に戻った格好だが、一連の騒動で浮上した「検察人事の政治からの独立」と「検察に対する民主的チェック」のバランスをどうとるか、という重い課題は残されたままだ。

 ●ツイッターの威力

拡大国会前でプラカードを上げて検察庁法改正案に抗議する男性=2020年5月15日午後7時3分、東京都千代田区、恵原弘太郎撮影
 芸能人らを含む市民が、ツイッターに次々と「#検察庁法改正案に抗議します」付きの投稿をしたのが、同改正案の今国会成立を阻止する狼煙となった。5月9日夜から11日夜までに投稿の数は680万件を超えたと報道された。コロナ禍で多くの国民が外出できず、自宅でネットを見る時間が増えたとはいえ、異例の数字だった。

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 問題となった検察庁法改正法案は、検察官の定年を、現行65歳の検事総長を除き、63歳から65歳に段階的に引き上げるというものだ。63歳で幹部ポストから退く「役職定年」を設け、さらに、内閣や法相が「特別の事情」を考慮して必要と認めた幹部については、最長で3年間の勤務延長を可能にする特例規定が盛り込まれた。

 改正案の審議が4月16日、衆院で始まると、この特例規定が問題になった。政府側は「恣意的な人事にはつながらない」と強調したが、検察の捜査で、与党の有力者に収賄や政治資金規正法違反などの容疑が浮かんだとき、首相ら内閣は、捜査に消極的な検事を検事総長や検事長など決裁ラインの要職に残すことが理屈の上では可能になる。与党や政府を相手にした捜査に積極的だった検事については、その勤務延長を認めないことで報復することも可能になる。それは捜査を歪めることにつながる恐れがあった。

 5月8日、野党側は森雅子法相出席のもとでの衆院内閣委・法務委の連合審査を求めたが、与党が応じなかったことなどに反発。衆院内閣委の審議を欠席した。ツイッターの投稿が始まったのはこの後だ。ツイッター投稿の爆発的な拡大に力を得た野党は「政権の意向で検事総長ら検察幹部の恣意的な人事が可能になる」と一層、批判を強めた。さらに、黒川氏の定年延長人事を「違法な解釈変更による違法人事」とし、それを後付けで正当化するための立法ではないか、と厳しく追及した。

 ■ロッキード検事らの反旗

拡大記者会見する松尾邦弘・元検事総長(右)と清水勇男・元最高検検事=2020年5月15日午後3時50分、東京・霞が関、代表撮影
 15日には、田中角栄元首相らを1976年に逮捕・起訴したロッキード事件の捜査を担当した検察OBが立ち上がった。松尾邦弘元検事総長ら14人の連名で、検察庁法改正案に反対する意見書を法務省に提出。法改正について「検察人事への政治権力の介入を正当化し、政権の意に沿わない動きを封じて、検察の力をそごうと意図している」と批判し、検察幹部の定年延長を認める規定の撤回を求めた。黒川氏の定年延長の閣議決定を「違法」とし、改正案はこれを「後追いで容認するものだ」とも指摘した。

 18日には、東京地検特捜部長、副部長経験者らも後に続いた。熊崎勝彦弁護士らOB有志38人が「検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼が損なわれかねない」として、改正案の再考を求める意見書を法務省に提出した。

 有力検察OBらが抗議の反乱を起こした形だった。検察OBの中には「検察独立を絶対命題にするのはよくない。検察は、大阪地検特捜部の村木事件のように暴走することがある。それを忘れてはいけない」と同調を拒否する元検察幹部もいたが、マスコミ各社は、松尾氏らの動きを大きく報じた。

 ■「撤退」

 劣勢の安倍首相は、松尾氏が抗議した15日、ジャーナリスト・桜井よしこ氏のネット番組「言論テレビ」の緊急特番「日本は必ず国難に勝つ! 安倍首相に『検察官定年延長問題』を聞く」に出演。以下のように桜井氏に答えた。

 桜井氏:実は政府高官にいろいろ取材して聞いたところ、黒川さんの定年延長の問題も、全部、検察、つまり法務省の側から持ってきたものを官邸がただ了承しただけ、と聞いたんですが、それはほんとですか?

 安倍氏:それは全くそのとおりですね。まさに検察庁も含めて法務省がこういう考え方でいきたいという人事案をもってきてこられてですね、それをわれわれが承認をするということなんです。

 桜井氏:もうひとつですね、黒川さんの定年延長問題について法務省の官房長が官邸に持ってきて頼んだと、そしてその、今の検事総長の稲田さんがお辞めにならないから、黒川さんの定年延長ということを、お願いをしたというふうに推測されるのですが、法務省の官房長が官邸に持ってきて頼んだということも、これは本当ですか?

 安倍氏:わたしも、あの、詳細については承知をしていないんですが、基本的にですね、検察庁の人事については検察のトップも含めた総意で、ですね、こういう人事でいくということを持ってこられて、それをそのままだいたいわれわれは承認をしているということなんですね。

 桜井氏:官邸が介入をしてそれを変えるとかいうことは?

 安倍氏:それはもうあり得ないですね。

 これまでもこのコラムで伝えてきたように、黒川氏の定年延長人事の背景には、黒川氏を次期検事総長にしたい官邸の意向があった。その意を受けた法務省が検事総長の了解をとり「検察の総意」として法相に閣議請議を要請。官邸が認めたものだ。法務省が勝手に忖度し定年延長という苦し紛れの愚策を発案したのは事実だ。しかし、そもそも官邸が黒川氏を検事総長にと望んだ政治的判断が法務省の行動のおおもとにあった。安倍首相は官邸の主としてその責任を自覚するべきだ。他人ごとではないのだ。

 ■文春報道の衝撃

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 週刊文春の取材班が、黒川氏に対する直当たり取材を試みたのはその2日後の5月17日の日曜日。新型コロナウイルスの感染防止のため、外出自粛と「3密」を避けることが強く要請されていた5月中に、黒川氏が2回にわたり旧知の産経新聞の社会部記者のマンションで同記者や朝日新聞社経営企画室勤務の社員と賭け麻雀に興じていた、という見立ての話だった。

 取材班は告発情報をもとに、そのマンション前に張り込み、黒川氏が出入りしている事実を把握していた。黒川氏は、すぐ辻裕教法務事務次官に取材があったことを報告したようだ。

 黒川氏は、定年延長問題で「焦点の人」となり、野党やマスコミの一部、法務省の有力OBらから「自ら辞職すべきだ」との声も出ていた。しかも、政府が新型コロナ禍対策で緊急事態を宣言し、国民に不要不急の外出や「三密接触」の自粛を要請している最中。報道されれば、国会での政府追及に、火に油を注ぐことが予想された。

 官邸が法務省からその報告を受け、報道される前にダメージコントロールを狙ったのかどうか定かではないが、官邸は、報道が出る2日前の翌18日、今国会での検察庁法改正案の成立を見送った。20日、文春オンラインが一報を伝えると、永田町と霞が関は大騒ぎとなった。

 ■さっさと辞職

 法務省の調査では、黒川氏らは、1千点を100円に換算する「点ピン」と呼ばれるレートで、1万~2万円程度の現金をやり取りしていた。賭け麻雀は賭博罪に問われることもある違法行為だ。法の番人である検察最高幹部として申し開きの余地のない不祥事だった。

 黒川氏は報道後、安倍首相あてに辞職願を提出。21日には「この度報道された内容は一部事実と異なる部分もありますが、緊急事態宣言下における私の行動は緊張感に欠け、軽率にすぎるものであり、猛省しています。このまま検事長の職にとどまることは相当でないと判断し、辞職を願い出たものです」とのコメントを出した。

 検察ナンバー2の東京高検検事長が不祥事の責任を取って辞職するのは、1999年に女性問題で則定衛検事長が辞職して以来のことだった。

 黒川氏をよく知る元検察首脳は「黒川氏は、定年延長人事で晒し者になったあげく、自らの定年延長問題などで国会が紛糾した責任を感じていた。早く辞めたいと思っていたのではないか」という。黒川氏にとって不祥事を報道されるのは不名誉ではあるが、渡りに船、と思った面があったかもしれない。

 ■林氏の復活

拡大取材に応じる安倍晋三首相=2020年5月21日午後6時5分、首相官邸、岩下毅撮影
 法務省は、稲田氏の次の検事総長含みで名古屋高検検事長の林氏を黒川氏の後任に充てることにし、官邸も了解した。林氏が検事の定年を迎える7月30日までに稲田氏が辞めれば、林氏の検事総長就任は可能になった。

 法務省は、黒川氏の定年延長人事が閣議決定された1月31日の時点で林氏を検事総長候補から外した形だった。それに代わる処遇として林氏を、検察出身の最高裁判事の退官後の後任に推す方向での調整も密かに進んでいたとみられる。

 そのため、黒川氏の辞任表明直後には、黒川氏の後任として、黒川、林両氏の1期下の、堺徹・最高検次長検事、榊原一夫・大阪高検検事長、甲斐行夫・高松高検検事長の起用も検討されたが、最終的に、稲田氏が当初、希望した形に戻すことで決着した。

 ■四分五裂

 一連の騒動で、検察部内の意見は四分五裂した。松尾氏らの法務省に対する抗議について「よく我々の声を代弁してくれた」とエールを贈る声もあれば、逆に、冷めた声もあった。

 黒川氏が辞職し、林氏の復活が報じられた翌日の23日、中堅の検察幹部はこう語った。

 「先の見えないジェットコースターのような1週間だった。長年、国家に貢献されてきた黒川さんが、長年問題にされていなかった行状で、最後はあっという間に切られた。稲田さんに矛先が向かうのかどうか…。我が検察は、OBだけが持ち上げられて、組織自体は転落の一途だ。あとは林さんに頑張ってもらうしかないですね。開き直って、好きなようにやっていただけばいい」

 黒川氏の定年延長や検察庁法改正案に対する検察OBらの対応も二分されている。存命中の東京地検特捜部長経験者で、反対の意見書に賛同し名を連ねたのは、五十嵐紀男(司法修習18期)、熊崎勝彦(同24期)、中井憲治(同)、井内顕策(30期)、大鶴基成(31期)、八木宏幸(33期)、佐久間達哉(35期)の7人。

 松田昇(15期)、石川達紘(17期)、宗像紀夫(20期)、上田広一(21期)、笠間治雄(26期)、伊藤鉄男(27期)、岩村修二(28期)の名はなかった。

 ■「検察人事独立」が必要な理由

 名を連ねなかった人の事情はそれぞれ違うとみられるが、その中のひとりはこう語る。

 「検察がいつも正しい保証はない。暴走しだしたらどうしようもない。そういう検察にいた者が、人事の自治権をくれ、と自分でいうのはおこがましい。そういう検察ではあっても人事の独立が必要だ、と思ってくれる人に意見を言っていただければいい」

 ジャーナリストの江川紹子さんは5月22日の中日新聞朝刊に掲載されたインタビュー記事で「法案に対しては、検事総長経験者ら検察OBが反対の意見書を公表した。確かに格調高い文章で、『独立』を訴えたOBらを英雄視する向きもある。ただ彼らは、厚生労働省局長だった村木厚子氏の冤罪を生んだ大阪地検特捜部の証拠改ざん事件に代表される検察の独善体質をはぐくんだ当事者たちだという点も、忘れてはならない」と述べた。

 確かに、国民は、10年前に発覚した村木事件での特捜部の暴走を忘れていない。その点は同感だ。ただ、やはり、検察人事独立の慣例は守られるべきだと私は考える。検察権行使の独立と人事の独立はもろに絡み合っているからだ。その慣例が崩れると、政治がおおっぴらに検察首脳人事に介入できることになり、国民は検察を信用しなくなる。

 信用を失った検察が委縮し、本来摘発すべき事件にも消極的になる。それは、村木事件の後遺症としてつい数年前まで検察で実際に起きていたことだ。人事介入を許すと回りまわって国民が損をすることになるのだ。

 ■「一強政権」のおごり?

 そもそも、今回の一連の騒動は、官邸が、法務・検察の人事には介入しないという従来の慣例を無視したことから起きた。

 2012年暮れに発足した第二次安倍政権は、政治主導を強調し、内閣法制局長官、日銀総裁をはじめ、厚労省や海上保安庁で強引ともいえる人事を次々に行ってきた。その行き着いた先が、法務・検察だった。

 検察は明治以来、政治とカネの不正を摘発する機関として国民の期待を担ってきた。その期待に応えるには、検察が検察権行使や人事で政治から独立していなければならない。戦後の1947年に制定された検察庁法は、個別の事件について捜査現場に対する法相の指揮権を認めず、また、検察官に手厚い身分保障を与え、定年を明記して人事権の行使に一定の制約を加え、検察の独立に配慮した。が、検察幹部の任免が内閣(政治家)の専権事項となっているのも事実だ。

 政治家側は、その人事権や一般的な監督権を背景に、政界事件が起きると、捜査にあれこれ注文をつけたり、首脳の交代期には人事に口をはさもうとしたりしてきた。そうした中、政治腐敗を許さない世論の意をていした報道機関や野党が、それらの動きを厳しく監視し、政権側が、検察の捜査や、法務・検察首脳の人事に口出しできない雰囲気を作ってきたのが「検察独立」の実態だ。

 法務省はこうした世論を背景に、法務・検察幹部の人事で波風が立たないよう周到な根回しをし、時の政権は概ね、法務・検察の人事や仕事に対する介入については謙抑的な姿勢を貫いてきた。

 安倍政権の強引な官僚グリップの結果、官僚の間には官邸に「忖度」する空気が蔓延した。委縮と保身。「モリカケ」(森友・加計学園)問題でその病理が疑われ、そして、今回の検事総長人事にからむ一連の騒動だ。政権にとって最後のアンタッチャブルである検察首脳の人事に手を突っ込もうとして、国民の強い反発を招き、挫折した。

 ■悪女の深情け?

 若いころの捜査検事としての黒川氏をよく知り、黒川氏を「特捜部長にしたかった」という元検事総長はこう評した。

 「向こう(官邸)には向こうの意図があるんだろうけど、(黒川氏は)悪女の深情けで身を滅ぼした旦那みたいになってしまった」

 政権がなぜ、これほど黒川検事総長にこだわったのか、が筆者にはよくわからない。官邸は、政府のリーガルアドバイザーとして政権の安定に貢献した黒川氏への論功行賞として検事総長昇格を考えていたのだろうか。しかし、検事総長にごり押しすれば、黒川氏が集中砲火を浴びて傷つくことは分かっていたはずだ。褒美どころではない。

 野党やネット世論などが指摘しているように、安倍政権が、自らにダメージとなる事件、例えば、河井克行前法相が妻の案里参院議員の選挙で地元の議員らを現金買収したとの疑いで広島地検が捜査している事件、あるいは、「桜を見る会」前夜の夕食会参加者に飲食代を提供したことが公選法違反(寄付行為)などに当たるとして首相が全国の弁護士や学者ら約660人から告発状を出された事件で、検事総長が穏便に済ませてくれることを期待していたのだろうか。

 それなら、わかりやすい。

 ■桜を見る会の告発の行方

 検察には、検事の独走を防ぎ、かつ、捜査や起訴の判断基準や精密さなど「品質」に違いがないようにするため、現場が上層部に報告を上げ、それを上層部が承認する「決裁」制度がある。この決裁を通じて、現場が収集、作成した証拠と法律解釈、可罰的違法性などについて厳重にチェックする仕組みがある。

 一方、検察は、ときに世論が求めるのとは逆の判断をすることがある。典型例が森友事件だ。学校法人森友学園への国有地売却をめぐり財務省幹部らが背任、虚偽公文書作成などの罪で告発された事件に対する検察の結論は不起訴だった。法律上、証拠上の問題があったとされているが、現職検事の一部には「公文書毀損は特に悪質。示しをつける意味でも起訴すべき。すれば有罪になる」との意見もあった。

 その結論の是非は歴史の評価に委ねるしかないが、それらの不起訴の結論

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村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)、「バブル経済事件の深層」(岩波新書)。

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