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事件記者の目

事件記者の目

黒川検事長辞職 安倍政権の人事介入が招いた不幸な結末

村山 治(むらやま・おさむ)

 あっけない幕切れだった。検事総長の座を目前にしていた黒川弘務・東京高検検事長が「賭け麻雀」報道を受けて辞職。7月末に定年で退官するとみられていた林真琴・名古屋高検検事長が急きょ、次期検事総長含みで黒川氏の後任になった。黒川氏の定年延長や検察庁法改正案に野党・マスコミばかりか「身内」の検察OBからも筵旗が立つ中での交代だった。林氏を次の検事総長にする人事は法務省がかねて構想したシナリオだ。大騒ぎの末、元に戻った格好だが、一連の騒動で浮上した「検察人事の政治からの独立」と「検察に対する民主的チェック」のバランスをどうとるか、という重い課題は残されたままだ。

 ●ツイッターの威力

拡大国会前でプラカードを上げて検察庁法改正案に抗議する男性=2020年5月15日午後7時3分、東京都千代田区、恵原弘太郎撮影
 芸能人らを含む市民が、ツイッターに次々と「#検察庁法改正案に抗議します」付きの投稿をしたのが、同改正案の今国会成立を阻止する狼煙となった。5月9日夜から11日夜までに投稿の数は680万件を超えたと報道された。コロナ禍で多くの国民が外出できず、自宅でネットを見る時間が増えたとはいえ、異例の数字だった。

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 問題となった検察庁法改正法案は、検察官の定年を、現行65歳の検事総長を除き、63歳から65歳に段階的に引き上げるというものだ。63歳で幹部ポストから退く「役職定年」を設け、さらに、内閣や法相が「特別の事情」を考慮して必要と認めた幹部については、最長で3年間の勤務延長を可能にする特例規定が盛り込まれた。

 改正案の審議が4月16日、衆院で始まると、この特例規定が問題になった。政府側は「恣意的な人事にはつながらない」と強調したが、検察の捜査で、与党の有力者に収賄や政治資金規正法違反などの容疑が浮かんだとき、首相ら内閣は、捜査に消極的な検事を検事総長や検事長など決裁ラインの要職に残すことが理屈の上では可能になる。与党や政府を相手にした捜査に積極的だった検事については、その勤務延長を認めないことで報復することも可能になる。それは捜査を歪めることにつながる恐れがあった。

 5月8日、野党側は森雅子法相出席のもとでの衆院内閣委・法務委の連合審査を求めたが、与党が応じなかったことなどに反発。衆院内閣委の審議を欠席した。ツイッターの投稿が始まったのはこの後だ。ツイッター投稿の爆発的な拡大に力を得た野党は「政権の意向で検事総長ら検察幹部の恣意的な人事が可能になる」と一層、批判を強めた。さらに、黒川氏の定年延長人事を「違法な解釈変更による違法人事」とし、それを後付けで正当化するための立法ではないか、と厳しく追及した。

 ■ロッキード検事らの反旗

拡大記者会見する松尾邦弘・元検事総長(右)と清水勇男・元最高検検事=2020年5月15日午後3時50分、東京・霞が関、代表撮影
 15日には、田中角栄元首相らを1976年に逮捕・起訴したロッキード事件の捜査を担当した検察OBが立ち上がった。松尾邦弘元検事総長ら14人の連名で、検察庁法改正案に反対する意見書を法務省に提出。法改正について「検察人事への政治権力の介入を正当化し、政権の意に沿わない動きを封じて、検察の力をそごうと意図している」と批判し、検察幹部の定年延長を認める規定の撤回を求めた。黒川氏の定年延長の閣議決定を「違法」とし、改正案はこれを「後追いで容認するものだ」とも指摘した。

 18日には、東京地検特捜部長、副部長経験者らも後に続いた。熊崎勝彦弁護士らOB有志38人が「検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼が損なわれかねない」として、改正案の再考を求める意見書を法務省に提出した。

 有力検察OBらが抗議の反乱を起こした形だった。検察OBの中には「検察独立を絶対命題にするのはよくない。検察は、大阪地検特捜部の村木事件のように暴走することがある。それを忘れてはいけない」と同調を拒否する元検察幹部もいたが、マスコミ各社は、松尾氏らの動きを大きく報じた。

 ■「撤退」

 劣勢の安倍首相は、松尾氏が抗議した15日、ジャーナリスト・桜井よしこ氏のネット番組「言論テレビ」の緊急特番「日本は必ず国難に勝つ! 安倍首相に『検察官定年延長問題』を聞く」に出演。以下のように桜井氏に答えた。

 桜井氏:実は政府高官にいろいろ取材して聞いたところ、黒川さんの定年延長の問題も、全部、検察、つまり法務省の側から持ってきたものを官邸がただ了承しただけ、と聞いたんですが、それはほんとですか?

 安倍氏:それは全くそのとおりですね。まさに検察庁も含めて法務省がこういう考え方でいきたいという人事案をもってきてこられてですね、それをわれわれが承認をするということなんです。

 桜井氏:もうひとつですね、黒川さんの定年延長問題について法務省の官房長が官邸に持ってきて頼んだと、そしてその、今の検事総長の稲田さんがお辞めにならないから、黒川さんの定年延長ということを、お願いをしたというふうに推測されるのですが、法務省の官房長が官邸に持ってきて頼んだということも、これは本当ですか?

 安倍氏:わたしも、あの、詳細については承知をしていないんですが、基本的にですね、検察庁の人事については検察のトップも含めた総意で、ですね、こういう人事でいくということを持ってこられて、それをそのままだいたいわれわれは承認をしているということなんですね。

 桜井氏:官邸が介入をしてそれを変えるとかいうことは?

 安倍氏:それはもうあり得ないですね。

 これまでもこのコラムで伝えてきたように、黒川氏の定年延長人事の背景には、黒川氏を次期検事総長にしたい官邸の意向があった。その意を受けた法務省が検事総長の了解をとり「検察の総意」として法相に閣議請議を要請。官邸が認めたものだ。法務省が勝手に忖度し定年延長という苦し紛れの愚策を発案したのは事実だ。しかし、そもそも官邸が黒川氏を検事総長にと望んだ政治的判断が法務省の行動のおおもとにあった。安倍首相は官邸の主としてその責任を自覚するべきだ。他人ごとではないのだ。

 ■文春報道の衝撃

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 週刊文春の取材班が、黒川氏に対する直当たり取材を試みたのはその2日後の5月17日の日曜日。新型コロナウイルスの感染防止のため、外出自粛と「3密」を避けることが強く要請されていた5月中に、黒川氏が2回にわたり旧知の産経新聞の社会部記者のマンションで同記者や朝日新聞社経営企画室勤務の社員と賭け麻雀に興じていた、という見立ての話だった。

 取材班は告発情報をもとに、そのマンション前に張り込み、黒川氏が出入りしている事実を把握していた。黒川氏は、すぐ辻裕教法務事務次官に取材があったことを報告したようだ。

 黒川氏は、定年延長問題で「焦点の人」となり、野党やマスコミの一部、法務省の有力OBらから「自ら辞職すべきだ」との声も出ていた。しかも、政府が新型コロナ禍対策で緊急事態を宣言し、国民に不要不急の外出や「三密接触」の自粛を要請している最中。報道されれば、国会での政府追及に、火に油を注ぐことが予想された。

 官邸が法務省からその報告を受け、報道される前にダメージコントロールを狙ったのかどうか定かではないが、官邸は、報道が出る2日前の翌18日、今国会での検察庁法改正案の成立を見送った。20日、文春オンラインが一報を伝えると、永田町と霞が関は大騒ぎとなった。

 ■さっさと辞職

 法務省の調査では、黒川氏らは、1千点を100円に換算する「点ピン」と呼ばれるレートで、1万~2万円程度の現金をやり取りしていた。賭け麻雀は賭博罪に問われることもある違法行為だ。法の番人である検察最高幹部として申し開きの余地のない不祥事だった。

 黒川氏は報道後、安倍首相あてに辞職願を提出。21日には「この度報道された内容は一部事実と異なる部分もありますが、緊急事態宣言下における私の行動は緊張感に欠け、軽率にすぎるものであり、猛省しています。このまま検事長の職にとどまることは相当でないと判断し、辞職を願い出たものです」とのコメントを出した。

 検察ナンバー2の東京高検検事長が不祥事の責任を取って辞職するのは、1999年に女性問題で則定衛検事長が辞職して以来のことだった。

 黒川氏をよく知る元検察首脳は「黒川氏は、定年延長人事で晒し者になったあげく、自らの定年延長問題などで国会が紛糾した責任を感じていた。早く辞めたいと思っていたのではないか」という。黒川氏にとって不祥事を報道されるのは不名誉ではあるが、渡りに船、と思った面があったかもしれない。

 ■林氏の復活

拡大取材に応じる安倍晋三首相=2020年5月21日午後6時5分、首相官邸、岩下毅撮影
 法務省は、稲田氏の次の検事総長含みで名古屋高検検事長の林氏を黒川氏の後任に充てることにし、官邸も了解した。林氏が検事の定年を迎える7月30日までに稲田氏が辞めれば、林氏の検事総長就任は可能になった。

 法務省は、黒川氏の定年延長人事が閣議決定された1月31日の時点で林氏を検事総長候補から外した形だった。それに代わる処遇として林氏を、検察出身の最高裁判事の退官後の後任に推す方向での調整も密かに進んでいたとみられる。

 そのため、黒川氏の辞任表明直後には、黒川氏の後任として、黒川、林両氏の1期下の、堺徹・最高検次長検事、榊原一夫・大阪高検検事長、甲斐行夫・高松高検検事長の起用も検討されたが、最終的に、稲田氏が当初、希望した形に戻すことで決着した。

 ■四分五裂

 一連の騒動で、検察部内の意見は四分五裂した。松尾氏らの法務省に対する抗議について「よく我々の声を代弁してくれた」とエールを贈る声もあれば、逆に、冷めた声もあった。

 黒川氏が辞職し、林氏の復活が報じられた翌日の23日、中堅の検察幹部はこう語った。

 「先の見えないジェットコースターのような1週間だった。長年、国家に貢献されてきた黒川さんが、長年問題にされていなかった行状で、最後はあっという間に切られた。稲田さんに矛先が向かうのかどうか…。我が検察は、OBだけが持ち上げられて、組織自体は転落の一途だ。あとは林さんに頑張ってもらうしかないですね。開き直って、好きなようにやっていただけばいい」

 黒川氏の定年延長や検察庁法改正案に対する検察OBらの対応も二分されている。存命中の東京地検特捜部長経験者で、反対の意見書に賛同し名を連ねたのは、五十嵐紀男(司法修習18期)、熊崎勝彦(同24期)、中井憲治(同)、井内顕策(30期)、大鶴基成(31期)、八木宏幸(33期)、佐久間達哉(35期)の7人。

 松田昇(15期)、石川達紘(17期)、宗像紀夫(20期)、上田広一(21期)、笠間治雄(26期)、伊藤鉄男(27期)、岩村修二(28期)の名はなかった。

 ■「検察人事独立」が必要な理由

 名を連ねなかった人の事情はそれぞれ違うとみられるが、その中のひとりはこう語る。

 「検察がいつも正しい保証はない。暴走しだしたらどうしようもない。そういう検察にいた者が、人事の自治権をくれ、と自分でいうのはおこがましい。そういう検察ではあっても人事の独立が必要だ、と思ってくれる人に意見を言っていただければいい」

 ジャーナリストの江川紹子さんは5月22日の中日新聞朝刊に掲載されたインタビュー記事で「法案に対しては、検事総長経験者ら検察OBが反対の意見書を公表した。確かに格調高い文章で、『独立』を訴えたOBらを英雄視する向きもある。ただ彼らは、厚生労働省局長だった村木厚子氏の冤罪を生んだ大阪地検特捜部の証拠改ざん事件に代表される検察の独善体質をはぐくんだ当事者たちだという点も、忘れてはならない」と述べた。

 確かに、国民は、10年前に発覚した村木事件での特捜部の暴走を忘れていない。その点は同感だ。ただ、やはり、検察人事独立の慣例は守られるべきだと私は考える。検察権行使の独立と人事の独立はもろに絡み合っているからだ。その慣例が崩れると、政治がおおっぴらに検察首脳人事に介入できることになり、国民は検察を信用しなくなる。

 信用を失った検察が委縮し、本来摘発すべき事件にも消極的になる。それは、村木事件の後遺症としてつい数年前まで検察で実際に起きていたことだ。人事介入を許すと回りまわって国民が損をすることになるのだ。

 ■「一強政権」のおごり?

 そもそも、今回の一連の騒動は、官邸が、法務・検察の人事には介入しないという従来の慣例を無視したことから起きた。

 2012年暮れに発足した第二次安倍政権は、政治主導を強調し、内閣法制局長官、日銀総裁をはじめ、厚労省や海上保安庁で強引ともいえる人事を次々に行ってきた。その行き着いた先が、法務・検察だった。

 検察は明治以来、政治とカネの不正を摘発する機関として国民の期待を担ってきた。その期待に応えるには、検察が検察権行使や人事で政治から独立していなければならない。戦後の1947年に制定された検察庁法は、個別の事件について捜査現場に対する法相の指揮権を認めず、また、検察官に手厚い身分保障を与え、定年を明記して人事権の行使に一定の制約を加え、検察の独立に配慮した。が、検察幹部の任免が内閣(政治家)の専権事項となっているのも事実だ。

 政治家側は、その人事権や一般的な監督権を背景に、政界事件が起きると、捜査にあれこれ注文をつけたり、首脳の交代期には人事に口をはさもうとしたりしてきた。そうした中、政治腐敗を許さない世論の意をていした報道機関や野党が、それらの動きを厳しく監視し、政権側が、検察の捜査や、法務・検察首脳の人事に口出しできない雰囲気を作ってきたのが「検察独立」の実態だ。

 法務省はこうした世論を背景に、法務・検察幹部の人事で波風が立たないよう周到な根回しをし、時の政権は概ね、法務・検察の人事や仕事に対する介入については謙抑的な姿勢を貫いてきた。

 安倍政権の強引な官僚グリップの結果、官僚の間には官邸に「忖度」する空気が蔓延した。委縮と保身。「モリカケ」(森友・加計学園)問題でその病理が疑われ、そして、今回の検事総長人事にからむ一連の騒動だ。政権にとって最後のアンタッチャブルである検察首脳の人事に手を突っ込もうとして、国民の強い反発を招き、挫折した。

 ■悪女の深情け?

 若いころの捜査検事としての黒川氏をよく知り、黒川氏を「特捜部長にしたかった」という元検事総長はこう評した。

 「向こう(官邸)には向こうの意図があるんだろうけど、(黒川氏は)悪女の深情けで身を滅ぼした旦那みたいになってしまった」

 政権がなぜ、これほど黒川検事総長にこだわったのか、が筆者にはよくわからない。官邸は、政府のリーガルアドバイザーとして政権の安定に貢献した黒川氏への論功行賞として検事総長昇格を考えていたのだろうか。しかし、検事総長にごり押しすれば、黒川氏が集中砲火を浴びて傷つくことは分かっていたはずだ。褒美どころではない。

 野党やネット世論などが指摘しているように、安倍政権が、自らにダメージとなる事件、例えば、河井克行前法相が妻の案里参院議員の選挙で地元の議員らを現金買収したとの疑いで広島地検が捜査している事件、あるいは、「桜を見る会」前夜の夕食会参加者に飲食代を提供したことが公選法違反(寄付行為)などに当たるとして首相が全国の弁護士や学者ら約660人から告発状を出された事件で、検事総長が穏便に済ませてくれることを期待していたのだろうか。

 それなら、わかりやすい。

 ■桜を見る会の告発の行方

 検察には、検事の独走を防ぎ、かつ、捜査や起訴の判断基準や精密さなど「品質」に違いがないようにするため、現場が上層部に報告を上げ、それを上層部が承認する「決裁」制度がある。この決裁を通じて、現場が収集、作成した証拠と法律解釈、可罰的違法性などについて厳重にチェックする仕組みがある。

 一方、検察は、ときに世論が求めるのとは逆の判断をすることがある。典型例が森友事件だ。学校法人森友学園への国有地売却をめぐり財務省幹部らが背任、虚偽公文書作成などの罪で告発された事件に対する検察の結論は不起訴だった。法律上、証拠上の問題があったとされているが、現職検事の一部には「公文書毀損は特に悪質。示しをつける意味でも起訴すべき。すれば有罪になる」との意見もあった。

 その結論の是非は歴史の評価に委ねるしかないが、それらの不起訴の結論は、検事総長が一存で決めたり、強引に現場の捜査方針をねじ曲げたりしたものではなかった。検察組織が、決裁を通じて証拠を吟味し、法令解釈を煮詰める中で、検察の総意として決めたものだ。もし、検事総長が最初から不起訴の結論を決めて現場に押し付けたり、その合意形成に向けて根回しなどをしたりしたら、反乱がおきていただろう。

 もし、安倍首相らが、野党などが指摘するように、黒川氏を検事総長にして、捜査をコントロールしてくれるよう期待していたとしても、それは難しかったのではないか。

 ただ、「桜を見る会」問題で、神戸学院大学法学部の上脇博之教授ら13人が提出した安倍首相らに対する告発を、東京地検は「代理人による告発は認められない」として「返戻」としたようだ。告発は受理するのが原則だ。口頭での告発も受理しなければならない。代理人を介した手続きに不足があるというのなら、検察官は電話をかけるなり呼び出すなりして告発人の意思を確認し、さっさと受理し、粛々と捜査を尽くすべきである。

 政権に忖度して国会が閉会するまでの時間稼ぎをしていると世間に受け取られかねないことを、検察は理解しているのだろうか。

 ■介入の原点

拡大黒川弘務東京高検事長(右、当時)と林真琴・名古屋高検検事長(前列左、当時)=2020年2月19日、東京・霞が関の法務省
 今回の人事介入劇では法務・検察の方にも問題があった。重大なミスといっていいだろう。それを説明するには、稲田、黒川、林の3氏がからむ法務・検察の人事の経緯を振り返らねばならない。すべては、16年9月の法務事務次官人事から始まった。

 検事総長の座を争うことになった黒川氏と林氏は若いころから、法務・検察内では実績・能力とも双璧と評価されてきた。しかし2016年ごろには、政界ロビーイングを担当する官房秘書課長や官房長を歴任し、「政治に近い」イメージが定着した黒川氏でなく、官房人事課長や刑事局長を歴任し、法務・検察の基盤整備に尽力した林氏を、西川克行氏(16年9月検事総長就任)、稲田伸夫氏(18年7月就任)に続く検事総長候補にすることでほぼ法務・検察首脳の間の意思統一ができていた。

 2016年夏、法務省は、仙台高検に転出する稲田法務事務次官の後任に刑事局長の林氏を昇格させ、法務省官房長だった黒川氏を地方の高検検事長に転出させる人事原案を固め、官邸側と折衝した。

 ところが、官邸側は、林氏でなく黒川氏を次官に起用するよう求めた。すんなり官邸が林氏の昇格を認めると思い込んでいた法務省側は狼狽。結局、官邸に押し切られる形で、黒川氏を次官に起用することを承知した。林氏は刑事局長にとどめた。

 法務・検察首脳らが抵抗せずに官邸側の要求を飲んだのは、官邸側と折衝した稲田氏が、官邸から「黒川次官の任期は1年で、来夏には林氏に交代させる」との「約束」をとりつけた、と受け止めたからだ。

 翌17年夏、この「約束」は反故となり、官邸側は黒川氏の続投を強く希望した。稲田氏はすでに仙台高検検事長に転出していた。黒川次官は、法務・検察の総意として、半年後の18年1月の異動では、間違いなく、自らが地方の検事長に転出し、林氏を事務次官に昇格させることで官邸側と折衝。話がついたとされる。

 しかし、当時の上川陽子法相が林氏の次官昇格に反対。法務省はそれに応じ、林氏を18年1月、「二階級特進」で名古屋高検検事長に異動させた。黒川氏は次官に留任した。上川氏は、国際仲裁センターの日本誘致をめぐる方針の違いから林氏と衝突したとされるが、真偽は不明のままだ。

 ■定年延長の奇策

拡大稲田伸夫・検事総長(左)と森雅子法相=2020年2月19日、東京・霞が関の法務省
 翌19年1月、内閣は、黒川氏を検察ナンバー2の東京高検検事長に起用した。検事総長は18年7月から稲田氏が務めていた。官邸はこの人事で、法務・検察内では黒川氏を次期検事総長とする合意形成ができたと受け止めた。

 検事長人事は、検察の最高責任者である検事総長が法務省の人事原案を了承し、「検察の総意」として法相に閣議請議を要請し、閣議決定を経て内閣が任命する。黒川東京高検検事長もその手順を踏んで決まったからだ。

 ところが、稲田氏は、林氏を後継とすることを望んだ。その意を受けた辻裕教法務事務次官が19年秋、官邸に黒川氏を定年退官させ、林氏を次期検事総長含みで後任とする人事案を打診すると、官邸は驚き、黒川氏の昇格を強く求めた。

 辻次官は、官邸の意思が固いことから、稲田氏に黒川氏を後継にするしかない、と報告。黒川氏の20年2月8日の定年までに検事総長の椅子を黒川氏に譲るよう稲田氏に求めたが、稲田氏は拒絶。法務省は、黒川氏の定年延長という奇策をとった。

 黒川氏の次期検事総長含みの定年延長人事を稲田氏も了解したうえで、森法相は1月29日、内閣にこの人事案を議題とする閣議請議を要請。31日の閣議で決定された。その後の大混乱は、すでに報じたとおりだ。

 ■法務省の失敗

 従来、法務・検察は、政治の側による検事総長人事への介入を防ぐため、検事総長候補を早くから1人に絞り込み、官房人事課長―法務省官房長―刑事局長―法務事務次官―東京高検検事長という出世のゴールデンコースを歩ませることで「彼こそが検事総長候補のプリンス」と政官界を含む検察内外に周知してきた。

 そうしておけば、いざ政権が、「プリンス」以外のお気に入りの検察幹部を検事総長にしたい、と考えても、要所の関係者から不自然な人事と受け取られるため、無理押ししにくくなる。もし、政権がその幹部を総長にしたいと希望を伝えてきても、法務省は「彼しかいません。無理すると、大騒ぎになりますよ」といなせるのだ。

 本来なら、林氏が2008年1月に人事課長に就任したころから黒川氏と徐々に人事で差をつけるのが従来の手法だった。しかし、黒川氏の政界に対するロビーイング能力は図抜けており、当時の法務・検察首脳は、黒川氏を人事課長と「同格」の官房審議官に起用。予算や法案の根回しなどに縦横に使った。

 目先の懸案解決のため、黒川氏を便利使いしたのだ。2011年8月には、さらに政界ロビーイングを本格化させるため、人事課長から地方の検事正を経て昇格するのが普通の法務省事務方ナンバー3の官房長に抜擢。黒川氏は以後16年9月まで5年以上も、その職にとどまった。5年も在職すれば「政界と近い」との風評が立つのは目に見えていた。

 その間、林氏は、人事課長から最高検総務部長、仙台高検検事正を歴任。14年1月、法務省事務方ナンバー2の刑事局長に就任した。これは、法務・検察が、林氏を黒川氏より序列上位の刑事局長に据えることで検事総長の最右翼候補と考えていることを示すものだ。

 しかし、政官界で黒川氏は実力官房長として名を馳せ、「法務省に黒川あり」と認知されていた。そのため、本来、格上ポストである刑事局長の林氏と格下の官房長の黒川氏が、法務・検察部内でも政界でも同格と見られるようになったのだ。

 これは、人事権を持つ政権に、検察のリーダーをどっちにするか「選んでください」といっているのに等しい。政権は、検察に対して人事権を行使できるめったにないチャンスと受け止めたのではないか。

 16年9月の法務事務次官人事は、法務・検察として、検事総長候補を林氏に絞り込む最後のチャンスだった。官邸側から「黒川氏で」と注文がついたとき、稲田氏は法務事務次官の職を賭して、要求をはねつけ、林氏の次官昇格を求めるべきだった。

 当時の検察首脳らも、稲田氏から「1年後には間違いない」との感触を伝えられて「なら、いいか」と納得するのでなく、「検察の総意」として「林氏で」と押し返すべきだった。そうしていれば、今回のような顛末にはいたらなかっただろう。

 そして、「結界」は破れた。その後の事務次官人事、東京高検検事長人事と法務・検察は政治に一瀉千里で押し込まれた。検察は隙を見せてはいけなかった。法務・検察には苦い教訓となった。

 ■「公正らしさを保つ」と林氏が会見

拡大就任の記者会見をする東京高検の林真琴検事長=2020年5月27日午後4時1分、東京・霞が関、高橋雄大撮影
 稲田氏の後を受けて検事総長になることが確実視される林氏は愛知県豊橋市出身。東大法学部卒。東京地検、甲府地検支部などを経て91年4月から3年余、在仏日本大使館一等書記官。東京地検特捜部が摘発したリクルート事件、第一勧業銀行の総会屋に対する利益供与事件の捜査を担当。その後法務省に移り、黒川氏とともに司法制度改革や検察の危機管理にかかわった。

 02年に発覚した名古屋刑務所の受刑者虐待事件を機に法務省矯正局総務課長に就任。100年に一度といわれる監獄法の全面改正をなしとげた。人事課長として大阪地検特捜部の証拠改ざん事件の内部処理にかかわり、最高検の検察改革室長として「検察の理念」をまとめた。

 5月27日夕、林氏は東京高検検事長として初の記者会見に臨んだ。

 黒川氏の賭け麻雀辞職について「誠に不適切で、検察の基盤である国民の信頼を揺るがす深刻な事態であると受け止めており、東京高検の検事長として国民の皆様に改めておわび申し上げます」と謝罪。

 黒川氏への思いを問われると、「いろんな仕事を一緒にやってきた。同期でもあるし、こういう形での辞職は、非常に残念」と答えた。

 政治との距離感についての質問に対しては、「検察官という形で言えば、それは政治との一定の距離を保って職務を遂行すべきと私は思う。距離感が近くなると政治におもねる、癒着するという形になるからではなく、やはり距離が近くなると、国民から何か関係あるんじゃないか、癒着があるのではないか、と公正らしさが疑われる可能性がある。極力、公正らしさは保っていかないと、検察権の行使ができなくなる。国民の信頼がなくなると考えます」と答えた。

 週刊誌の編集者からは「新聞記者と検事長の癒着があります。どのように取り組むのか」との質問が出た。

 それに対し、林氏は「刑事司法のほか、広く国民の意見に目を向けていく必要がある。そういう意味では、検察官と記者との一定の関係は、まったく絶つべきであるとは考えていない。一方、検察官は記者からすれば取材対象。癒着という言葉を言われましたが、癒着がなくても、癒着と周囲に思われることは、検察権行使に極めて大きな影響。公正らしさが損なわれる。そこは、極めて慎重に。検察官からも癒着とみられる危険性があるということを認識して、関係を保っていく必要があると思います」と答えた。

 不祥事に対する国民の厳しい視線がある中、この難局をどう乗り切るか、との質問には「検察が検察権の行使を適切に行うには、国民の信頼が必要だが、結局、国民の信頼は、検察権の適切な行使で国民の信頼は強まっていく。私としては、本日の着任にあたっては、職員に、いまやるべきことは、ひとつひとつの仕事を地道に誠実に、丁寧に行うことに尽きると訓示しました」と述べた。

 定年延長の是非については「勤務延長は、閣議決定されたもの。私の所感を申し述べる立場にはない」。検察庁法改正案については「国会に提出中の法案で、私からはお答えを差し控えたい」。また、次期検事総長とみられていることについては「私のお答えする立場にはない。感想も述べる立場にはない」と語った。

 ■新たな結界の構築を

 黒川、林両氏をよく知る元検事長は今回の騒動をこう総括した。

 「連日、大きく報道されたのは、コロナで貯まっていたストレスのマグマが定年延長、麻雀賭博に向かって噴火した観がある。でも、所詮は空騒ぎ。意見書を出したOBたちが『俺たちが検察の独立を守った』と思うのは勘違い。『検察人事の独立性』と『暴走チェック』のバランスの在り方という大きな課題は残った」

 林氏に望みたいことがある。

拡大就任の記者会見をする東京高検の林真琴検事長=2020年5月27日午後4時2分、東京・霞が関、高橋雄大撮影
 検事総長になった暁にはまず、検察現場を回り、検事や事務官に親しく声をかけ、士気を鼓舞してほしい。検察で働く人々にとって検事総長の言葉は重い。そのうえで適正手続きを守りつつ政治腐敗摘発など国民の期待に応える検察権行使を実現してほしい。それが国民の信頼回復の唯一の道だからだ。

 そして、二度と、今回のような政治の人事介入を許さないために、介入から検察を守る新たな「結界」の構築に取り組んでほしい。検察人事の独立を守ることが、結果として、国民の利益につながることは、戦後の歴史が証明している。

村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル」(文藝春秋)、「市場検察」(同)、「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)、「バブル経済事件の深層」(岩波新書)。

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