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事件記者の目
「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」10周年記念ウェビナー
AJ10年記念ウェビナー①
(2020/12/21)
2020年は検察と政治の関係が厳しく問われ、国民の関心事となった年として歴史に刻まれるかもしれない。安倍晋三首相と菅義偉官房長官(現首相)ら官邸による2016年以来4年間の検察人事への介入が極まり、安倍・菅政権は、介入をより容易にする法案まで策定して国会を通そうとしたからだ。その経緯を「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」(AJ)で克明に報じてきたジャーナリストの村山治氏と、AJの編集人を務める朝日新聞編集委員の奥山俊宏が、AJ10周年を記念し、7月20日夜、ズームのウェビナー機能を利用して読者の前で対談した。その一問一答を加筆・修正の上で数回に分けて紹介する。本稿はその第1回。
▽筆者: 村山治、奥山俊宏
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村山氏: 村山治です。よろしくお願いします。
奥山: 村山さんは徳島県出身で、1973年、早稲田大学政治経済学部を卒業したあと、毎日新聞社に入りました。福井支局、京都支局、大阪社会部、東京社会部で活躍し、政治とカネの問題、薬害エイズの疑惑追及で知られた存在となり、1991年(平成3年)、引き抜かれる形で朝日新聞社に入りました。以後、社会部、特別報道部でバブル崩壊後の過程で明るみに出た経済事件、金融機関の破綻などの取材に携わりました。10年前、2010年7月に「法と経済のジャーナル AJ」がスタートする際には、その言い出しっぺの一人として、その企画・運営に携わりました。3年前(2017年11月)に朝日を退職して、フリーランスとして引き続き活躍しておられます。
村山氏: いやもう10年経っちゃったんですね。早いですね。本当に昨日のことのようです。いまはテレビ朝日の役員になってる朝日新聞社の編集担当幹部から、こういうウェブジャーナルをやらないかという話があって、それでさっそく奥山君に声をかけて、いろいろリサーチしましたね。いろんな形ができるんじゃないかって、あれこれ検討しましたけど。まあ最終的にこういう形になった。
奥山: この「法と経済のジャーナル」が始まりました当時は民主党政権で、鳩山由紀夫さんが総理大臣を最初に務め、そのあと菅直人さんに引き継がれてしばらく過ぎた頃でした。鳩山さんは総理大臣でありながら自身に政治資金規正法違反、あるいは相続税法違反の嫌疑をかけられていて、検察がその事件をどう処理するかが一つの焦点となっていました。まさに政治と検察の関係を象徴する非常にきわどいところの事件だったと思います。
さて、本日取り上げようと思っておりますのは、その検察と政治の関係です。
今年は、検察と政治の関係の話題が世間の大きな注目を集めました。政治と検察の関係に多くの皆さんが注目するところとなりました。1月、東京高等検察庁の検事長、すなわち、法務・検察当局ナンバー2の地位にあった黒川弘務さんについて、通常ならば満63歳の定年で退官となるべきところ、安倍内閣は、その定年(勤務)を無理矢理延長いたしました。前代未聞のできごとでした。
さらに、3月13日、安倍内閣は、検察幹部の人事に政治の意向、内閣の意向をより反映しやすくする検察庁法改定を含む国家公務員法改正法案を国会に提出し、5月、それを成立させようとしました。
このように、検察の人事に政府官邸、内閣官房が露骨に手を突っ込んでくるというふうな事態になったことに対して、5月、それに反発する世論の大きなうねりが起き、6月、法案は審議未了で廃案となりました。
一方、渦中の人となってしまった黒川さんは賭け麻雀の問題を週刊文春によって暴露され、辞職しました。その代わりとして、名古屋高等検察庁の検事長だった林真琴さんが東京高検の後任の検事長となり、先週金曜日(7月17日)、検事総長に就任しました。
検察と政治の関係に変化が見える。それを象徴する出来事があった。今(2016)年9月に発令された法務・検察の幹部人事で、法務省が作成した法務事務次官の人事原案が官邸によってひっくり返され、それと連動して検事長の人事も変更されたのだ。1970年代以降半世紀にわたり、時の政権は、検察を抱える法務省の人事については、口をはさむことはなかったとされる。「政治からの独立」という検察の「結界」はついに破れたのか。(https://judiciary.asahi.com/jiken/2016111900001.html)
村山氏: 検察庁という役所について、私は、若い頃は警察と同じような捜査機関の一つと見ていました。しかし、ちょうど東京地検特捜部を記者として担当した1980年代の半ばから、東京の検察、つまり最高検や法務省など法務・検察中枢の実態を見て、これは普通の捜査機関じゃなくて、まあなんといいましょうか、一定の政策的目的をもって捜査権限を行使する、準司法的な、強力な官僚組織、権力機関であると思うようになりました。
新聞記者のときから、どうしてもやりたいなと思ってきたテーマの一つが、国家権力の「はらわた」を見るということでした。そういう意味でいうと、検察というのはまさしく「はらわた」に当たるなというふうな思いをもちまして、以後ずっとそういう観点で検察を見てきました。
私のことを「検察記者」と言う人もいるんですが、実際に司法記者クラブに在籍して検察を取材したのは大阪で1年、東京で1年半ぐらいで、あとはずっといわゆる遊軍の調査報道記者として記者クラブの外から検察を取材対象にしてきました。折に触れて検察幹部から話を聞いたり、検察OBの弁護士さん、はたまた、大蔵・国税など検察と関係が深い人たちから話を聞いてですね、取材メモを残していくわけなんですけども、私はそれらを「検察権力論」という名前のフォルダーに入れています。
奥山: 「検察権力論」?
村山氏: そうです。権力としての検察ですね。検察権力論。私のフォルダーの名前がそうなってまして。そのフォルダーにずっと、日々、検察関係者などから聞いた話、それに対するその当時の私の見方を書き溜めてきてるんですね。それをずっと続けています。これまで何冊か、検察がらみの本を出していますけども、すべてそのフォルダーの記録をベースにして書いています。
奥山: いわゆる司法記者クラブに所属して、そこで検察担当という役割を会社、新聞社から、あるいはテレビ局から割り当てられて、検察庁に出入りして検察官を取材するという仕事を、私も20年あまり前に担当していた時代がありましたけれども、村山さんの場合はそういうわけではなかったということですか?
奥山: 目の前にある事件への検察の対応を日々追いかけるのに汲々としてしまう記者が多い中で、それとは別の観点から検察と向き合ってきた。国家権力の「はらわた」である検察を追いかけてきた。ふつうの記者との、そこが村山さんの違いであり、強さの理由なのかもしれません。
国家権力は日本でもアメリカでも立法・司法・行政の3つの権力に分けてお互いに監視、牽制、抑制しあわせるっていう、そういう統治構造が採られています。検察は、法務省の「特別の機関」として行政府に属しますが、一方で、司法とも密接で、その中軸のプレーヤーであると言って過言ではありません。国家権力の中にあって検察は行政と司法にまたがるユニークな立ち位置にあり、つまり、検察は国家権力の「はらわた」であるといえるのでしょう。
首相官邸もまた権力の「はらわた」になる?
村山氏: もちろん首相官邸も「はらわた」です。検察以上にダイナミックでドロドロの度合いも強い。ただ、記者として全部は見られないので、たまたま、告発型の調査報道記者としてある意味、「親和性」がある検察を入り口にしてきたということですね。先ほども申し上げたように、告発型の調査報道は、どうしても記事の「依り代」として、ターゲットの法令違反みたいなところを追うことになるんですね。検察が事件を探知して内偵する過程とほとんど同じです。ですから、そういう告発型の取材を続けていると、自然、検察や警察、あるいは国税当局や証券取引等監視委員会のような法執行機関が追っている事件と重なることもある。法執行機関は、内偵段階でも、マスコミよりブラッシュアップされた情報を持っていることが多い。だから、調査報道の取材対象としても、法執行機関は外せない。そういう取材からいろんなものが見えてくる。政治や企業社会の裏側も見えてくる。語弊を恐れずにいうと、そこが面白いと思ってきました。
奥山: 辞書によれば、「依代(よりしろ)」には「神霊のよりつくもの」というような意味があるそうですが、村山さんのおっしゃる「依り代」は、記事を出すにあたって依拠すべき規範、よりかかることのできる価値基準というような意味なのだろうと思います。
今回この4年間、法務・検察の人事に政府官邸が口出しをして人事を変更させるということが何度か行われました。それはそれ以前はほとんどなかった。「1970年代以降半世紀にわたり、時の政権は、検察を抱える法務省の人事については、口をはさむことはなかったとされる」と村山さんは原稿に書かれていましたが、変更させようと試みられたことはあった、けど実際に変更されたことはなかった?
村山氏: おそらくですね、変更させる試みというのは日常的にあるのだと思っています。ただそれが表面化することはまずない、人事の話ですのでね。役所に限らず、人事の舞台裏については「墓場まで持っていく」のが、人事担当者の鉄則といわれます。だから、口が堅い。しかし、権力機関の中枢の人事にはだいたい、私たちが知りたい、隠れたドラマがある。しかも、それが検察首脳の人事となると、なおさらです。検察首脳人事では、政治、官邸の側と法務省、検察首脳あたりが、やっぱり水面下でいろんなやりとりをする。そういう作業って外からは見えないんですね。彼らにとって、それが表に出て利益になることはあまりないので、自分たちからは言わないから。結局、外から見てて「あれ? 変だな」と思うことがあっても、字にできるほどの裏が取れない。そういうことが多いんだと思うんです。たまたま、今回、記事にできたのは、法務・検察部内で人事がらみの対立状況が生まれるなど、取材者にとっては運が良かったからだと思います。政治の側による検察への人事介入は多々あると思いますよ。取材していると、実際、そういうことがあったという話はよく聞きますしね。
奥山: 実際に検事総長の人事が変更されたってことは?
村山氏: いままで変更されたというのはないのだけれども、変更しようとしたことはあったんじゃないですか。
奥山: 変更されたということは?
村山氏: 変更されたっていうのはないんじゃないかな。
奥山: それはないということですね。
村山氏: 古い話は知りませんけどね。私が記者としての物心がついた80年代初めぐらいからは、政治によって検察首脳人事が変更されたというのはなかったと思いますけどね。ただ、変更しようとしたことはあるんじゃないですか、何度も。
奥山: 先ほどの2016年11月の原稿の中に、この半世紀、検察人事に政府官邸が手を突っ込んできて実際に変更させたことはなかったという趣旨のことを書いておられましたけど、それはそういうことでよろしいわけですね?
村山氏: そうですね、やろうとしたけども成功しなかったということで、だから、表面化しなかったという趣旨ですね、あれは。
奥山: 検察の人事に政治が手を突っ込んできても跳ね返していたということ?
村山氏: 可能性はありましたね。検事総長には東京高検検事長を経て昇進するのが慣例となっています。伊藤さんは83年12月に次長検事から東京高検検事長になりましたが、東京でなく大阪高検の検事長にそのタイミングで出るとすると、その分、回り道になります。伊藤さんは1925年2月生まれ、藤島さんは伊藤さんより1歳上の1924年1月生まれです。伊藤さんの前任の検事総長である江幡修三さんは85年12月に退官しました。秦野構想に従って85年12月に藤島さんが東京高検検事長から検事総長になり、同時に、伊藤さんが大阪高検検事長から東京高検検事長になったとすると、検事総長の定年は65歳、検事長の定年は63歳ですから、藤島さんが定年まで検事総長を勤め上げれば、伊藤さんは検事総長にはなれないことになります。実際、根来さんは検事総長候補として東京高検検事長に起用されましたが、年齢の近い検事総長の吉永さんが法務省の説得にもかかわらず定年前に勇退しなかったため、根来さんは検事総長にならずに退官しました。
奥山: 結果的に検事総長の人事が変更される。しかも、田中元総理の意を受けたというふうに見られている法務大臣によって変更される。そのような事態を――秦野さんは実際に大臣として人事権を持っている人であるわけなんですけれども、にもかかわらず――法務・検察当局が拒否した?
村山氏: そうですね。秦野さんの介入を見事、押し返したんですね。その当時の藤島法務事務次官は2016年9月当時の稲田伸夫法務事務次官とよく似た状況にいたわけです。稲田次官は、林刑事局長を法務事務次官に昇進させたいとする案を官邸に持っていきましたが、官邸側に「官房長の黒川君にしろ」と強く求められ、断り切れずに、黒川さんを事務次官にする話を受けちゃった。一方、藤島さんらは一歩も引かずはねつけた。1983年の藤島次官は、法務大臣の人事介入を拒絶できたのに、なぜ2016年の稲田次官はできなかったのか。そこのところを私なりに分析して『巨悪は眠らせない 検事総長の回想』の解説の中で書きました。
奥山: やっぱり時代が違ったということなんですか?
村山氏: そうですね。私は戦後の 日本の政治経済社会システムについて、「護送船団行政の時代」と「護送船団が崩壊する時代」、その後の「ポスト護送船団」という3つの時代に分けて考えるようにしています。検察は1976年にロッキード事件を摘発し、その後、田中元首相側と熾烈な公判闘争を戦った。伊藤さんが次長検事のころはその真っ最中であり、そして、護送船団の爛熟期でもあった。その後、護送船団は、船団の中核をなした大蔵省が1990年代後半の不良債権処理を巡る金融失政で国民の信頼を失い、崩壊する。法務・検察が法務事務次官人事で介入を受けた2016年9月というのは、まさにポスト護送船団の時代になっていました。護送船団崩壊は、すなわち、官僚システムに対する国民の信頼の喪失と裏表の関係にある。官僚システムの一員である法務・検察もその流れから逃れることはできず、政治の側に対して相対的に弱くなっていた。そういう背景事情も含めて説明しないと分かりにくいんですが、やっぱり護送船団の時代は、官僚法曹である検察に対する国民の信頼がいまよりはずっと厚くて、なおかつ、国民の期待に応えて政治腐敗に対して検察が立ち向かってる真っ最中なわけですよね。それを国民が当たり前に支持し、背中を押してくれた時代なわけですね。国民が背中を押してくれれば検察は強く出られるんですね。
ところがひるがえって、2016年9月のころの法務・検察はどうかというと、国民が寄せる信頼に翳りが出てきた中で、長年の制度疲労に由来するいろんな不祥事が次から次に起きた。特に、大阪地検特捜部が2009年に摘発した元厚労省局長の村木厚子さんの事件では、裁判所が検察の供述調書は信用できない として翌2010年秋、村木さんに無罪を言い渡した。その直後に、特捜部の主任検事が供述調書の内容に合わせて証拠品のフロッピーディスクの中身を書き換える証拠改竄までしていたことが発覚し、特捜部長以下3人逮捕されてしまうという前代未聞の不祥事に発展しました。これで完全に検察は国民の信頼を失ったんですね。
その8年前にも三井環さんという大阪高検の公安部長が検察の調査活動費の流用疑惑を告発しようとしたら、この三井さんを大阪地検特捜部が微罪で捕まえてしまうということがありました。「検察は、検察権を国民のために使ってるんじゃなくて自分たちの組織防衛のために使ってるんじゃないか」みたいな、そういう疑いまでかけられる中での、証拠改竄事件でした。国民の信用を失うと検察はさらに萎縮する。なおかつ、これもあとで話をしなきゃいけないんですけれども、供述調書中心の捜査モデルも壊れてしまった。
本来、裁判官は、検察、被告との関係では中立でなければいけません。ところが、戦前から続く官僚法曹の仲間意識のせいなのか、裁判所は検察を最初から信用するのが当たり前になっていた。戦後の刑事裁判では、供述調書さえとれれば、あとはそれを支える証拠があれば裁判所が有罪を認めてくれるという、本当に検察にとってはありがたい仕組みが長く続いてきたのです。
ところが、護送船団崩壊を受けた構造改革の一環で司法制度改革が行われ、裁判員裁判が始まって国民が裁判官の隣の席に着くことになると、裁判所のスタンスが目に見えて変わった。裁判員裁判導入決定以降、裁判官は被告側の弁護人の主張に熱心に耳を傾け、逆に検察を厳しい目で見るようになる。そうすると、検察のぼろが次々に見えてくるんです。検察といえども、そんなに簡単に自白調書をとれるわけではありません。法廷で供述内容、供述経緯を子細に調べていくと、これは誘導したんじゃないかとか、無理矢理認めさせたんじゃないかみたいな話になり、どんどん証拠から排除されちゃうような世界になっていく。そうすると、供述調書以外に有力な武器を持たない検察は余計に、もっと裁判所が「うん」と言うようなクリーンな調書を巻けって話になるんです。そういう悪循環に入ってしまった結果、作文調書が当たり前のようになった。それが大阪の事件でした。
当時の検察には、供述調書に代わる有力な武器はありませんでした。供述調書で政界汚職や大企業の絡む経済犯罪の捜査を切り開いてきた検事たちは、無理して供述調書をとって批判されるぐらいなら、リスクをとらなければいい、と考える。だから、政界事件や大企業がからむ権力犯罪の摘発がなくなる。国民からすると「いったいなにやってんだ」となる。そういうことが数年続き、黒川さんや林さんら法務省幹部が尽力して2016年6月に刑事司法改革関連法を成立させ、やっと、新たな武器として司法取引を手に入れた。 稲田さんが官邸に行き、官房長官だった菅さんと対峙して法務事務次官人事の話をしたのはその直後のことです。検察としては、さあこれから、新規まき直しで検察現場をテコ入れしよう 、というとき。まだ、検察現場は沈滞した状態のままで、国民の検察に対する視線は冷たかった。そこで、菅さんに「黒川君を次官にしてくれ」と言われた稲田さんは、「法務・検察の人事計画とは異なるからだめだ」とその申し出を断ることができなかった。稲田さんら法務・検察首脳は、伊藤さん、藤島さんの時代にあった強い「国民の支え」を感じられなかったんだと思います。
奥山: 「護送船団行政」「護送船団型の戦後日本の経済統治システム」という言葉を村山さん、私、よく使うことがあるんですけれども、バブルの崩壊に前後して護送船団体制は機能しなくなった。バブルの崩壊が始まったのは1990年(平成2年)で、2005年(平成17年)ごろまで崩壊の過程が続きましたけれども、そのバブル崩壊が始まるより前まではそういう官僚が統治する護送船団型の行政・経済のシステムがそれなりにうまく回っていた、良くも悪くもそれが機能していた時代だった。ところが、バブル崩壊とともにそれが崩れ去っていき、それが機能しなくなっていった。検察についても、1970年代、80年代は田中元総理を逮捕して、それに対して国民の大きな支持があって、裁判で闘ってそれなりの成果を上げていて、検察に対する国民の信頼がそれなりにあった時代だったのに対して、バブル崩壊後、今世紀に入って以降の、ここ10年、20年はそうした信頼が地に落ちてしまった。だからこそ政治による検察への人事の介入が公然と行われてしまった。そういうふうに整理できます?
村山氏: そうですね。そういうふうに私は見ておりますね。
奥山: よく安倍一強政権と言われますが、安倍官邸が霞が関をいままで以上に人事で牛耳っている。これは検察に限らず他の省庁でもそうなっていて、その一例として検察人事への官邸の介入をとらえることもできるのかなと思ったんですけれども。
村山氏: そういう見方もできますが、私は、検察と他の行政官庁とは根本的に違うと思っています。安倍官邸も、検察については、うかつに手を出すと痛い目に遭う恐れがあることは重々承知していたと思います。それでも、今年1月、無理筋の黒川検事総長実現で突っ走った。そこが問題だと思っています。検察や国民の不評を買ってでも、そうしたい動機、例えば、桜を見る会問題をめぐる刑事処分を念頭に、黒川検事総長なら、穏便に処理してくれるとの期待があったのかもしれませんね。もっとも、報道ベースではありますが、あれだけ証拠がはっきりしていると、誰が検事総長になろうが、従来の検察の起訴基準に沿って処理するしかないと思います。
やはり本質的な問題は、おそらくさっき言った国民の信頼を背中に感じるかどうかってところで、検察がそのために検察権行使で頑張れるかどうかだと思うんですよね。実際、まがりなりに、検察は、ゴーン事件やIR汚職を摘発し、河井元法相夫妻の公選法違反事件の摘発でも奮闘した。だから、そういう政治腐敗や大企業経営者の不正の摘発をする検察に人事介入した政権を国民は許さなかった。検察庁法改正案に対する国民の強力な反対運動が起きたのには、そういう要素もあったと思います。
いま、一強と言われて内閣人事局をつくってですね、たしかに法律にもちゃんと政治が検察官の人事権を持つって書いてますよね。それは昔もそうだったわけでね。本気になってその法律を使って人事権を行使しようとする人たちはいたはずですよ。秦野さんなんかもね、最後まで戦わなかったけれども、それは検察の背後に国民の目を意識したからでしょう。そういうものがあるかなしかが大きいんだろうと思いますね。
奥山: 村山さんの2016年11月の原稿では、2016年9月の法務・検察人事について、
時の政権は概ね、法務・検察の人事や仕事に対する介入については謙抑的な姿勢を貫いてきた。そのバランスがついに壊れた形だ。
(https://judiciary.asahi.com/jiken/2016111900001.html)
というふうに書いておられます。それは、まさにそういうことですよね。
村山氏: そうですね。
奥山: これは国民にとって、政治による検察人事に対するグリップがより強まるということは良いことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。
村山氏: 良いことではないですよね。やっぱり、検察に対する国民の期待は、政治腐敗だとか構造的な不正だとか、世の中を本当に悪くしているものについて、検察権を適正に行使して真相を解明し、それにかかわった人たちを適切に処罰することにあると思います。そして、それを受けて国会や世論の力で世の中をよい方向に変えていく、それが正しい姿だと思います。
やっぱりまず事実として、今の日本には、一部の権力を持つ人たちが政策にからめて税金を貪る巨悪の構造があるように思います。国民はそれを肌で感じていて、ちゃんと検察権を行使して事実を表に出してよ、っていうのがあると思うんですよね。その検察のトップの人事を政権が牛耳るのは、誰が見てもおかしいと思うでしょう。検察は国民の信頼なしでは成り立ちません。政権が法務・検察の意向を無視して任命した検事総長では、たとえ、その検事総長が立派な人で、法と証拠に基づき公正公平な検察権行使をしようと考えたとしても、国民が「政権が作った検事総長では、政権に『捜査をやめろ』と言われたらやめちゃうんじゃないか」と受け止める。それでは、検察現場は仕事にならない。
奥山: 私も同じ意見ではあるんですけれども、とはいえ、さきほど触れておられた、調書至上主義で無理矢理事件の組み立てを筋悪なのにつくろうとする、揚げ句の果ては自分のストーリーに合わせて証拠の変造までやってしまってそれを隠蔽しようとするとか、そういう独善的というか無理な捜査といいますか、そういうことに対してそれを是正させるという政治の機能、民主的なコントロールは必要なのではないか、という意見もありうるところだと思うんですけれども。
村山氏: まさしくそれは必要なことだと思いますよ。戦前の帝人事件のような軍部と連動した検察の暴走は、政治が体を張って止めるべきです。ただその加減が問題なので。それをうまくバランスさせてきたのがこれまでの法務・検察のやり方だった。黒川さんら歴代の法務省幹部や検察首脳らが、検察現場が筋悪の話に突っ込んで暴走しないようチェックしてきた。そうすることによって、政治が捜査に介入する余地がないようにしてきた。それゆえ、あまりいろいろなことが表面化せずにきた面がある。しかし、検察現場からすると、それは「政治に忖度した法務省や検察首脳の介入」に見えることもある。それは不幸なことです。だから本来は、検察捜査が適正かどうかのチェックは裁判所や我々マスコミが行うほうが健全だと思いますが、まあ、これまでの検察権力はそうやって組織を守ってきた。 ただまあ、検察権行使への介入は別にして、人事の面では、それはそれなりに政治の側と検察の側は水面下の足の蹴り合いといいますかね、いっぱいいろんなことがあって、それでも決裂して表面化することをお互いに避けてきた世界ですよね。両方とも必要なんですよね、民主的なチェックも必要だし、独立も必要だっていう。そのバランスをどうとるか、国民的議論をしなければならないところにきているのではないかと私は思います。
奥山: その一方で、捜査すべき事件を捜査しない、起訴すべき人を起訴しないっていう事例が、この10年間多々あったのではないか、という見方もあるかと思うんですけれども、それはいかがお考えでしょうか。(次回につづく)
▽この連載の第2回: 官邸の意向に沿う私的な政治捜査と本当の「国策捜査」、検察幹部の「起訴基準」
▽この連載の第3回: ロッキード事件、バブル経済事件、福島原発事故と検察
▽関連記事: 官邸の注文で覆った法務事務次官人事 検察独立の「結界」は破れたか
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