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事件記者の目

「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」10周年記念ウェビナー

ロッキード事件、バブル経済事件、福島原発事故と検察

AJ10年記念ウェビナー③

村山 治(むらやま・おさむ)

 2020年は検察と政治の関係が厳しく問われ、国民の関心事となった年として歴史に刻まれるかもしれない。安倍晋三首相(当時)の政治団体の政治資金規正法違反容疑が検察の捜査対象となった上、安倍首相と菅義偉官房長官(現首相)ら官邸による2016年以来4年間の検察人事への介入が極まり、「安倍・菅政権」は、介入をより容易にする法案まで策定して国会を通そうとしたからだ。その経緯を「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」(AJ)で克明に報じてきたジャーナリストの村山治氏と、AJの編集人を務める朝日新聞編集委員の奥山俊宏が、AJ10周年を記念し、7月20日夜、ズームのウェビナーを利用して読者の前で対談した。その一問一答を編集・加筆の上で4回に分けて紹介する。その第3回となる本稿では、ロッキード事件、福島第一原発事故、バブル経済事件と検察を考える。

 ■ロッキード事件

拡大逮捕され、東京地検から東京拘置所に向かう際の田中角栄元首相(中央)=1976年7月27日、東京・霞が関
 奥山: ちょっと話を変えたいと思います。さきほどらい何回か話題に出てますけれども、ロッキード事件は政治と検察の関係を際立たせた出来事の一つです。ロッキード事件について「法と経済のジャーナル」では当初から、私、奥山のほうでアメリカの公文書をもとにした記事を連載いたしました。村山さんのほうでは、NHKの司法キャップを務めた小俣一平さん、朝日新聞の司法キャップを務めた松本正さんとの対談を長期にわたって連載しました。いずれもその後、単行本になりました。『秘密解除 ロッキード事件』(岩波書店)と『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と特捜検察「栄光」の裏側』(朝日新聞出版)です。ロッキード事件は、「法と経済のジャーナル」にとっては重要なテーマの一つです。そして、特捜検察にとってロッキード事件はまさに重要な事件なんだと思います。

拡大2016年7月刊行の『秘密解除 ロッキード事件』
拡大2016年7月刊行の『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と特捜検察「栄光」の裏側』
 村山氏: いやー、大事な事件ですよね。特捜検察にとってもある種の「原点」になった事件と言えると思います。私が東京で検察を担当した1985年ごろの法務省・検察の中堅幹部の多くは、ロッキード事件の捜査や公判にかかわっていました。法務省刑事課長の原田明夫さんは、駐米大使館の一等書記官として司法省と関係資料の受け渡し交渉を担当しました。特捜部の副部長だった石川達紘さんは特捜検事としてロッキード事件の全日空ルートの捜査に参加していました。特に、石川さんらにとって、特捜部副部長としてロッキード事件の捜査を指揮した吉永祐介さんは「捜査の神様」のような存在でした。石川さんらの次の世代、例えば、佐渡賢一さんらもロッキード事件のような事件の捜査にかかわりたくて特捜部を目指し、横浜地検などで独自捜査を手掛けていました。
 その検察を取材する当時のマスコミ各社の社会部の幹部の多くはロッキード事件取材にかかわっていました。彼らの検察観の原点は間違いなく、ロッキード事件での田中角栄元首相逮捕にありました。ほぼマスコミの誰も田中逮捕の着手日を正確には取材できないまま1976年7月27日朝の逮捕を迎えました。田中逮捕は彼らにとって青天の霹靂で、それが彼らに「特捜部というのは、とんでもないことをやる捜査機関」として刷り込まれていました。
 そういう経験をした先輩から取材の苦労話や手柄話を日常的に聞いていた記憶があります。ちなみに田中逮捕当日の毎日新聞朝刊1面トップの「検察重大決意」の記事の筆者である高尾義彦さんは当時、検察担当で、逮捕から10年後に私が毎日新聞の東京の司法記者クラブに在籍した当時のキャップでした。
 私たちが検察を回った80年代半ばには、ロッキード事件の余韻というか、熱気というか、そういうものが、特捜検事と事件記者の間にエーテルのように漂っていました。特捜検察がロッキード事件の摘発を自らの金字塔と位置付け、供述調書で事件を構成するその捜査スタイルを理想としたのはもちろんですが、私を含む同世代の事件記者にとっても、ロッキード事件報道は、いわゆる「調査報道」のはしりであり、権力犯罪と戦う原点になっている感じはありますね。

 奥山: ロッキード事件は、検察が国民の支持を背中に受けて政治権力と闘うという、これは私ども記者にとっては、ある種の美しい物語といいますか、あるべき特捜検察の姿を国民に分かりやすい形で現出させた事件でもあったと言えると思います。

 村山氏: 田中角栄さんが逮捕された頃というのは、たしか僕は(毎日新聞の)地方の支局にいて直接は捜査の取材をしてないです。だから「すごい事件だな」「東京地検特捜部ってすごいな」っていうイメージは新聞を読んでつくり、その後書かれた山本祐司さん(元毎日新聞記者)の本だとかああいうもので、若干刷り込みが入って、そういう目で検察とロッキード事件を見ていました。しかし、東京に転勤してきて、東京の特捜部を実際に取材してみて「あ、違うな」っていうふうに思ったんですね。石川達紘さんらの捜査を見て、権力犯罪を摘発するのは、講談のように快刀乱麻でできるものではないと知った。同時に、官僚組織特有のいやらしさ、保身、上昇志向。政界との関係も単純でないことがわかった。やっぱりだからよく見てみないといけないなと思って、それからずっと検察をそういうふうな目で見てるわけです。
 事件全体を見ると、ロッキード事件というのは、アメリカの軍需産業が世界中に航空機、軍用機・民間機を売り込むために起こした巨大な贈収賄事件なんですよね。そのうちのほんの氷山の一角が、東京地検が摘発した田中さんの全日空に対する旅客機売り込みの口利きですよね。それで5億円渡されたっていう話になってるわけですけれども。ロッキード事件の全体としては全然、真相解明も全容解明もしてないと思うんです。それでも元首相で「闇将軍」と言われた本当の政界の実力者を逮捕するというのは大変なことなので、それはそれですごいとしか言いようがないんですけどね。やっぱり全体像を見ると、特に軍用機の売り込み、対潜哨戒機P3Cを防衛省に100機も売り込んだ経緯も、児玉誉士夫(戦後政界に絶大な影響力を誇った右翼)に21億円が渡ったその使途も解明してない。米国議会などが突き止めた贈収賄の事実を、資料をもらって、供述調書でなぞって起訴した。もちろん、田中角栄という強大な政治権力を被告人にするわけですから、周辺の容疑固めの捜査は生易しいものでなかったことは認めますが、まあ捜査としては、こんなこと言うと怒られますけど、大したことねえなって話ですよね。僕らが望むのは全容解明・真相解明ですから。

拡大児玉誉士夫氏=1968年5月12日、東京都世田谷区等々力の自宅
 ただね、検察と国税、警察が三位一体となって、おそらくはじめて本気になって捜査したことは間違いない。法律上、外国にある証拠は触れないわけですから、こういうふうになるのはしょうがないんです。先ほど「大したことない」と言いましたけれども、それでも大した側面があります。角さん(田中角栄)もそうだし、児玉誉士夫、小佐野賢治(国際興業グループ創業者)もそうですが、敗戦後にのし上がった、成り上がりの権力者たちが戦後の闇の部分をつくってきたわけですけれども、そこを一掃しました。検察と国税と警察が寄ってたかって、それにマスメディアもね、調査報道のはしりの頃ですけれども、みんなで寄ってたかって、事件としては九牛の一毛――巨大な牛の毛を触っただけかもしれないけれども、そういう作業をすることによって、そういう戦後の闇の部分を清算することができたんじゃないかって感じなんですね。これが最大のこの事件の功績じゃないかって感じはしてます。

 奥山: 私は2009年にアメリカに半年いたときに、村山さんのご指示で、この事件についてアメリカ側の公文書を探し、ワシントンに存命の人がいれば取材するという作業を行い、本にもしました。ロッキード事件について私が受けた印象の一つとして、あのとき1976年、このロッキード事件が世の中に暴露されたのは、あのときのアメリカの、あの瞬間の政治情勢があったからなんだ、ということです。
 米議会上院のチャーチ小委員会(多国籍企業小委員会)は1972年に発足し、それから3~4年を経た75~76年にロッキード社から外国政府高官への不明朗な支払いを暴露した。それはなぜできたかというと、その当時の政治情勢があった。すなわち、ニクソン大統領がウォーターゲート事件を暴かれて、犯罪の嫌疑をかけられ、大統領の座を追われたのが1974年8月でした。田中角栄さんも同じ年の12月に、金脈の問題で総理大臣の地位を追われました。このような行政府のトップによる権限濫用や腐敗への嫌悪、そんな汚い政治じゃだめだ、政治をきれいにしなきゃいけないという世論の風、そういうのがアメリカでも日本でも、あの瞬間吹いていました。あの瞬間でなければ大統領や総理大臣に対する責任追及はできなかったんじゃないかなと感じています。

 村山氏: それはたしかにありますね。ニクソン・共和党政権は、ベトナム反戦運動を抑さえ込むために国民を盗聴し、政権を追われました。司法省による捜査の過程で、航空機メーカーからニクソン政権への不正献金が発覚し、民主党議員のフランク・チャーチが委員長を務める上院の小委員会が追及に乗り出し、芋づる式にロッキード社の不正を暴いたのですよね。
 それともう一つ要素があるとすると、アメリカでSEC(証券取引委員会)が強い権限を持つようになり、情報開示義務違反を厳しく摘発するようになったことを指摘できます。航空各社が次々に不正を告白した背景には、企業会計の開示義務を厳しくするSECの方針変更があったと思います。当時、米国による冷戦下の世界経済統治(ブレトン・ウッズ体制)は事実上破綻し、ドルは変動相場制に移行しました。あわせて、ケインズ型の経済政策から小さな政府へと市場メカニズムにもとづく政策への大転換が行われ、市場統治では、情報公開と自己責任原則が強調されました。SECの不正経理摘発強化はその一環でした。それによって、SECからいい資料が出てくるんですよね。

 奥山: SECというのはアメリカ政府の証券取引委員会、Securities and Exchange Commissionですね。SECの規制強化で、企業は違法な政治献金をみずから調べて公表することを義務づけられます。資本市場に円滑に適正に投資家の資金が供給される、そういう投資のための環境をつくる必要性があり、企業の情報開示が強化された。その延長線上でSECはロッキード事件を暴きました。
 証券取引委員会は政府機関ですけれども、それに加えて、議会の各種の委員会もそれぞれの権限を行使して、ロッキードなど企業の違法献金疑惑を追いかけました。それがなぜあの瞬間できたのかっていうと、先ほど申し上げました事情があります。すなわち、企業の情報開示が強く求められるようになった背景には、経済をうまく回すためという事情もさることながら、政府上層部の権限濫用や腐敗への嫌悪が極まったからだったという事情もあるように思います。

 村山氏: それはもう間違いないですね。そして当時は、ロッキード社などの巨大企業や多国籍企業の横暴に対する国際的な批判がありました。ロッキード社は、現地の政府高官に贈賄して航空機などの商品を売り込む「不適切な営業活動」を展開し、それは全世界に及んでいました。イタリアやオランダ、ドイツ、インドなどでも秘密代理人を使った売り込み工作で巨額のリベートが支払われていました。日本で摘発された贈賄は、その断片を切り取ったものにすぎません。
 ライバルのボーイングやダグラス、グラマン、ノースロップなどの巨大航空機メーカーも軒並み、ロッキード社と同様、秘密代理人を使って各国の政府高官に売り込み工作をし、リベートをばらまく商法を展開していました。米国では、ベトナム敗戦に伴う戦略の見直しで軍事予算が急減し、米航空機メーカー各社は、過剰生産ラインが生み出す軍・民用機を世界各国に売り込むことにしのぎを削っていたのですね。
 ボーイング、ダグラス、グラマン社が、日本に対する旅客機や軍用機の売り込みでロッキードと競争していたことは、政官業界では周知の事実でした。米国では、それらの企業に対しても、追及を続け、公聴会などで日本工作に関する重要証言も出ていました。
 グラマン社の軍用機の日本への売り込み工作疑惑はSECの公表で79年に発覚し、ダグラス、ボーイングも含めた不透明な商戦の実態解明が期待されましたが、時効の問題や関係者の自殺を理由に、捜査が尻すぼみに終わりました。

 奥山: ニクソン大統領の後任はフォードさんで「癒やし」がキーワードでした。1976年秋には大統領選が迫っていて、フォードさんとしては、米国内の世論の影響を受けやすく、政治腐敗への対決姿勢をある程度は示さざるを得ず、日本の検察に協力せざるを得ない立場でした。一方、日本では、田中さんの金脈の問題の逆風をかいくぐるために、自民党は、クリーンと言われていた三木武夫さんを総理・総裁にした。その三木さんの下だからこそ、あの田中さんを逮捕できたという側面があります。

 村山氏: まあその通りじゃないですかね。

 奥山: 田中さんを逮捕して起訴したことがもし正義なんだとすれば、そういう正義がなされるということが、あの瞬間ではなく、ふだんの検察にはできたのだろうか、できなかったのかもしれない、そういう疑問を抱かざるをえないかなという感じはします。実際、1979年のダグラス・グラマン事件の捜査では政治家は逮捕されませんでした。

拡大2020年11月刊行の新著『安倍・菅政権vs検察庁』
 村山氏: そうですね。歴代の保守政権は、政治的混乱につながる与党の大物政治家の逮捕、起訴には消極的でした。1954年の造船疑獄では、特捜部が第三者収賄の疑いで佐藤栄作自由党幹事長(のちに首相)に対する逮捕状を請求すべく犬養健法相に請訓を上げたら、吉田首相の意を受けた犬養法相が指揮権を発動して佐藤氏の逮捕を止め、捜査が尻すぼみになったことがあります。
 田中さんは現職の首相ではありませんでしたが、自民党有力派閥の領袖で政界で大きな権力を持っていました。三木政権は、田中首相が金権疑惑で退陣した後、自民党の後継争いの中でフロックで生まれた政権でした。金権政治から脱するための政治資金規正法改正などに取り組みました。党内基盤が弱い中で政権を維持するため、田中さんを排除する計算もあったのでないかと思います。三木政権以外の政権だったとすれば、検察が田中逮捕の請訓を法相に上げた段階で逮捕見送りの指揮権発動をした可能性がなきにしもあらず、だったと思います。
 一方、摘発された田中さんには、政治権力を握れば司法はコントロールできるという考えがあったように思います。それは、三権分立と法の支配の否定につながる。検察としては絶対譲れないところです。その田中さんの思想は、小沢一郎さんら田中チルドレンといわれた政治家にも脈々と流れているように思います。ロッキード事件以降の特捜検察は、そういう政治勢力との戦いを続けてきた。自公政権から民主党政権への政権交代が確実視されていた2009年春に、民主党代表だった小沢さんの政治団体を舞台にゼネコンからの献金不正で秘書を逮捕し自民党への利益誘導だと批判されましたが、ベースには、小沢さんに対する強い警戒心があったと思います。
 ロッキード事件は、先ほども申し上げた検察の供述調書中心の捜査モデルを完成させました。ロッキード事件の捜査では、一部の検事が問題のある取り調べをしたともいわれていますが、元首相の権力犯罪の摘発という成果に国民の喝采が集まって、さほど検察部内でも問題にならず、法廷で裁判所が指弾することもありませんでした。その成功体験が、取り調べで事件を構築するという、ある意味、前近代的な手法への過信を生み、「供述調書至上主義」が特捜検察の「伝統」となっていったのです。

 奥山: 私ども、取材で接してきた検察官は、このロッキード事件の捜査・公判を一つの金字塔としてとても意識し、お手本として捉えていました。そういった意味では、今後、ロッキード事件の「栄光」がその時代その時代の現役検察官に与える影響がだんだん薄れ、金メッキが剥がれ落ちていったときに何が残るのかなっていうのはちょっと心配です。

 村山氏: そうですね。2010年の大阪地検特捜部の不祥事が状況を大きく変えましたね。厚生労働省局長の村木厚子さんの共犯と見立てた部下の官僚に対する供述の誘導などずさんな捜査で村木さんが無罪判決を受けただけでなく、主任検事が無理筋の供述調書に整合するよう証拠のフロッピーディスクの内容を改竄していました。この不祥事を受け、検察は、供述調書至上主義からの脱却を目指すことになり、黒川さんや林さんら法務官僚が中心になって刑事手続き改革を行うのですが、法務省幹部の一人は「(ロ事件摘発で捜査の神様といわれた)吉永さんは、いまや検察にとって反面教師になった」と話していました。そこまでいうか、と思いましたね。

 ■福島第一原発事故

拡大2011年6月刊行の『ルポ東京電力 原発危機1カ月』
 奥山: ちょっと話を変えまして、東京電力福島第一原子力発電所の事故について取り上げたいと思います。この事故は、「法と経済のジャーナル」が始まった翌年、2011年に発生いたしました。まもなく来年の3月で10年が経とうとしています。この事故については、「法と経済のジャーナル」でも当時リアルタイムで東電本店リポートを連載しました。それは6月に朝日新書『ルポ 東京電力 原発危機1カ月』になっています。この事故の刑事裁判について、村山さんのほうで昨年9月、一審無罪の判決が出た直後に、原稿を出していただきました。村山さんは主に検察の側からこの事故を見ておられたのかもしれないんですけれども、この事故、あるいはこの事故に対する検察の対応についてどんな印象を持っておられますでしょうか。

 村山氏: うーん、おそらく不起訴になるだろうと、検察は不起訴という選択をするだろうとみていました。こういうたぐいの巨大な事故について、事故の全体像を解明し、それにもとづいて責任を問う、という作業を、個人の刑事責任を問うことを本務とする刑事手続きで行うのはなかなか難しいところがあります。捜査の対象になった関係者は供述すれば不利になることを恐れ、刑事手続きで保障されている黙秘権などを行使して供述を拒むことが多い。拒まれると真相解明は難しくなるわけです。そのことを法務・検察は本当はよく分かってて、こういう過失事件みたいなことについてはできるだけ触らないように逃げるといいますかね……、でもこういうふうに起きてしまうと仕方がないので、捜査するけれども、公判維持が難しいから、さっき申し上げた起訴基準で落としてしまう(不起訴にしてしまう)っていうことの繰り返し。だから今度もそうなるのではないかと予測し、実際そうなっちゃったわけですけれども。でもおそらくその起訴基準は庶民が持ってる起訴基準とは違っているのですね。だから検察審査会による強制起訴というかたちになり、裁判にかかったわけですけれども、やっぱり裁判所は検察の考え方のほうに寄ってしまう。そういう結果かなという感じですね。

 奥山: 検察審査会の議決に基づく指定弁護士の起訴によって公判が開かれ、その記録がいろいろな民事訴訟――東京電力の元役員が被告となっている株主代表訴訟、あるいは国や東電が被告となっている避難者民事訴訟――で刑事訴訟の記録が送付嘱託で取り寄せられ、そこで刑事事件の証拠が開示されています。私も東京地裁の閲覧室に通って多くの記録を閲覧したんですけれども、それを見ると、検察は一時期まではかなり本気で捜査やったんだなという印象を受けました。

拡大事故発生10日目の福島第一原発1~4号機=東京電力ホールディングスが2020年12月22日に公表した2011年3月20日撮影の写真

 村山氏: 検察は決して手を抜いてるわけじゃないですよね。最後の起訴基準での判断、これは検察首脳を含め最終判断することになるのですが、そこにいくまでに、事実捜査についてはこれはかなり一所懸命やったと思いますよ。起訴、不起訴の結論をあらかじめ決めているわけではない。特に、今回の事故の場合、国民の注目度が高い。もしかすると検察首脳が、世間の風を読んで起訴基準をちょっと下げて、起訴っていう方向を選ぶかもしれません。そのときは、公判で有罪を獲得すべく、犯罪構成要件に沿って綿密な捜査をしておく必要がある。逆に、不起訴になると、あとで必ず検察審査会で審査される。おざなりの捜査をしていると、その捜査内容が審査員の市民や補助の弁護士さんにわかってしまうので、それは手抜きできないわけです。そういうことで、現場の検事たちは、基礎捜査といいますかね、事実捜査はきちんとやっておこうと意識していたと思いますよ。

 奥山: 村山さんの原稿によれば、優秀な検事も入れて、これ東京地検の公安部と福島地検の合同捜査っていうかたちで捜査態勢が組まれたんですけれども、東京のほうの捜査のラインは基本的には特捜部出身の人たちが担った。経済事件と似たような手法で捜査していったということになるのかなと。

 村山氏: しかも公安系のグループにはオウム事件なんかをやった人たちも入ってましたからね。オウム事件の被疑者たちは、死刑覚悟の一種の確信犯で、検察側のストーリーに沿って供述を促す特捜流のスタイルは通じない。彼らから供述を引き出すには時間をかけて人間関係を作り、徐々に本音を聞くスタイルがふさわしい。オウム捜査を担当した公安系の検事はそれをやってきて、公判で有罪を獲得した。ある意味でいうと、一番強力な軍団をつくったんですよね。

 奥山: 被害者側の、この福島の事故で搬送途中に亡くなられた人たちとか、そういう事故の被害者の代理人として法廷に立ち会った海渡雄一弁護士が、このあいだ出た「判例時報」にこのように書いておられます。

 検察庁は、異例なことに不起訴の理由について告訴人らに対する説明会を複数回開催した。(中略)この説明会で、検察官が「私たちは起訴できるように全力で捜査(を)尽くしたのです。でも、どうしても起訴には至りませんでした。」と説明しながら、私たちの目の前で涙を見せたことがあった。(中略)長かった公判を振り返ると、検察官による捜査の過程で、細かな論点まで、きちんと拾い上げて綿密な捜査がなされていたことがわかってきた。(中略)あの時検察官が見せた涙は、実は本当の悔し涙だったのではないか。
 (中略)
 刑事事件の記録の中には、起訴方向で証拠を収集していたと思われる時期の証拠と不起訴方向に捜査方針が転換したと思われる時期の後に作られた証拠の2種類の証拠があった。
 (海渡雄一弁護士、「東電刑事無罪判決に書かれなかったこと ──被害者参加代理人として法廷に立ち会って──」、判例時報2020年3月11・21日号68~69頁)

 私も、この事件の記録を読んで同じように感じました。たとえば、福島原発事故の5~6年前に原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課で審査班長を務めた小野祐二さんという人の供述調書がありました。捜査が始まったばかりの2012年10月16日に小野さんが東京地検で被疑者として取り調べられた際の供述調書を見ると、次のように書いてありました。

 平成18年1月30日、第1回内部溢水、外部溢水勉強会が開かれました。その冒頭、私は電力事業者に対して、

 津波PSA(確率論的安全評価)の確立を待っていたら前に進みません。
 ですから、その結果を待たずに対策を打てるところから早急に対策を打ってもらいたい。
 規制は遅れ遅れになりがちですから、自主的にやっていくようにしてください。

などと要望を出しました。

(中略)
 私は、内部溢水、外部溢水勉強会の場だったと記憶していますが、何度も、

女川だって基準地震動を超えました。
自分たちの知見だけでは分からないことがあるのです。
自主的に対策を打っていかないとだめです。

などと主張しました。しかし、電力事業者は動こうとしませんでした。

(東京電力株主代表訴訟の甲354号証、刑事裁判では甲B75号証)

 この調書だけを読むと、これはもう電力会社がここまで行政から強く指導されていたのになんで津波対策に動かなかったんだろうということを考えざるをえない。これは過失を超えて、不作為の故意犯を構成してもいいぐらいの感じに見えてしまうんですけれども、その2年後の2014年12月16日に作成された、これは参考人として取り調べられた際の同じ小野さんの供述調書を見ると、別の内容が書かれています。

 裕度の乏しい原子力発電所について、自主的に対策を講じるように促すに当たって、敷地を越える津波の想定により得た結果を引き合いに出して

 溢水した場合は重要機器に影響が及ぶことが明らかとなった以上、裕度の乏しい原子力発電所は、自主的に対策を講じるのが望ましい

などと言及することはありましたが、敷地を越える津波自体を想定すべきであるとか、敷地を越える津波に向けた対策を取るべきと言っていた訳ではありませんでした。
 (中略)
 電力事業者に自主的な対応を促すにしても、電力事業者が納得する合理的根拠、つまりは確立した津波PSA(確率論的安全評価)が必要であり、AM策(過酷事故対応策)を本格的に検討するのは、津波PSAが確立してからの課題だと思っていました。

(株主代表訴訟の乙B118号証、刑事裁判では弁16号証)

 同一人物について2012年に作成された調書と2014年に作成された調書とで、内容の方向性は真逆です。前者は指定弁護士から公判廷に出され、後者は弁護人から出されました。まぁ細かく見れば辻褄が完全に食い違っているわけではないように工夫して作成されてるようには見えるんですけれども。2014年の捜査の際は不起訴ありきだったのでしょうが、ちょっとこういう調書をつくるのはいかがなもんなのかなというふうに私は感じましたね。不起訴にするために相当無理をしているように見えます。

 村山氏: 確かに、そう見えます。それは、検察が捜査している事件を不起訴にするときに、行う手口ですね。特捜部が手掛けたある大型経済事件で十分な証拠がそろわず、事件の核心部分を不起訴で処理することになった。キーマンの取り調べを担当し、立件方向で調書をとっていた検事が調書のとり直しに消極的だったため、特捜部長自らが不起訴用の調書をとったという話もあります。もちろん捜査の途中では、積極証拠と消極証拠、その両方を集めるってのが鉄則ですからね、そういう両方を持って、おそらく捜査の最初のころは起訴できるように積極証拠をつくるわけですよね。「つくる」っていうとおかしいけれども、そういう方向性で調書を積み重ねていく。そして、ある程度全体像が見えてきて検察としては不起訴の結論に収斂する見通しになると、不起訴方向で調書を作成していく。これは検察がごく普通にやってることですよ。

 奥山: なるほど。小野さんは、業務上過失致死傷の被疑者として取り調べられていて、場合によっては身柄拘束され逮捕されるかもしれないとか、自分の職場に家宅捜索、強制捜査が入るかもしれないっていう恐怖を内心に抱えながら調べを受けていて、そうすると、どうしても取調官に迎合的な内容の調書になりがちであるということもまた事実なんでしょう。それが「調書至上主義」として特捜検察が批判を浴びる原因となっているところでもあります。

 村山氏: これは裁判で小野さんは証言に出たんですか?

 奥山: 小野さんは証人としては出てなかったです。

 村山氏: 出てないんですか。

 奥山: これは結局、積極、消極、双方の供述調書が証拠として採用されたということは、証人尋問は行われなかった、ということです。起訴事実の中核になったのは、小野さんが関わったところではなく、それより後の別の場面でしたので、小野さんを法廷に呼ぶほどのことはない、という判断だったのでしょう。あの、完全にこっちの事実とこっちの事実が相矛盾してるっていうわけではなくて、方向性が真逆ではあるんですけれども、言ってる内容は嘘というか、完全に食い違ってることを言ってるわけではないです。
 保安院が東電を含む電力各社に「津波対策を自主的にやっていくようにしてください」というふうに行政指導したということは、供述調書に依拠しなくても、客観的な証拠に残っていまして、ただし、その行政指導の心が「望ましい」という程度だったのか、「やれ」という強い指示だったのかというのは小野さんの主観面の話なので、本当は証人として話を聞きたかったところではあります。小野さんの言動とは別に、保安院が組織としてどうしようとしたのか、というところには別の問題もあったと思いますから、小野さんの調書だけで全てを語るのはもちろん難しいです。
 とはいえ、いろんなことを考えさせられる、特捜検察の良いところ悪いところを考えさせられた事件・事故だったという感じがいたしました。もっとアグレッシブにやってほしかったっていうのが、私個人の意見です。

 ■バブル経済事件

拡大2019年4月刊行の『バブル経済事件の深層』
 奥山: 昨年春、私と村山さんとで共著として『バブル経済事件の深層』(岩波新書)という本を出しました。この本の元になった原稿の相当部分は「法と経済のジャーナル(AJ)」に掲載されたものです。バブル崩壊は平成の30年ずっと取材してきたテーマでした。私がAJを始めたいと思った動機の一つが実は、バブル崩壊を検証する原稿を連載したい、というものでした。村山さん、バブル崩壊について、どういうふうな感慨をお持ちでしょうか。

 村山氏: そうですねえ…。先ほど、「護送船団」とバブル崩壊と連動した「護送船団崩壊」、そして「ポスト護送船団」という3つの時代に分けられると言いましたけれども、私が毎日新聞から朝日新聞に移った1991年から2000年のはじめくらいまでがちょうど「崩壊」の時期だったのだろうと思います。バブル崩壊に由来する大型経済事件のラッシュになりました。大型経済事件は、政治経済の構造の歪みや矛盾に起因するものが多く、それは我々、告発型の調査報道記者にとって、格好の取材対象ですよね。同時に、護送船団体制の崩壊で、大蔵省とともにその体制のコアを支えた検察も、大きく傷つくわけです。そういうドラスティックな変化、ドラマが眼前で起きました。経済事件と検察の捜査、そして検察自体の変容を追いかけました。だからまあ、忙しかったですね、ずっと(笑)。92年からずっとだもんね。

 奥山: バブル経済事件の多くについて、国策として捜査が行われたということについて、批判的な見方も含め、いろいろな意見がありますけれども、そこはどういうふうにご覧になってますか。

 村山氏: 「国策捜査」という言葉そのものが、定義からして私の定義と他の人たちの定義が違うのかもしれませんけれども、基本的に特捜検察というのは、警察と違って捜査対象を選んで捜査するわけです。少ない人数と限られた予算で年に何件かを捜査します。ですから捜査対象を絞り込み、摘発する政策的意味付けをして、事件に着手するんですよね。それがうまくいけば、それこそ新聞にも大々的に報道される。検察幹部たちは、そういう事件については、政策的な意図についてそれを敷衍するようなことを書いてほしいと思っていましたね。もともと特捜検察の捜査っていうのはそういうものであって、その意味では、まあすべて国策を意識した捜査なんですよね。だから国策捜査が特捜検察にとってはふつうの捜査と僕らは思ってるんですけどね。

 奥山: この本『バブル経済事件の深層』の中で、日本債券信用銀行の元会長の窪田さん、元頭取の東郷さんらが粉飾決算の罪で逮捕・起訴されて、10年に及ぶ裁判を闘った揚げ句、最高裁で有罪判決が取り消され、東京高等裁判所で無罪判決が下されて事件としては決着したといういきさつを物語として書きました。私はその中で、この捜査は行われるべきではなかった、彼らは起訴されるべきではなかった、というふうに書いたつもりはまったくなかったのですけれども、――むしろ私は実は今でもあの事件はやっぱり事件として捜査・訴追されるべきだったと思ってるんですけれど――、ただそれを読んだ多くの読者は、国策捜査は良くなかったとか、窪田さん、東郷さんをああいうふうに逮捕して起訴した国策捜査はやりすぎだったとか、特捜検察はバカだとか、そういうふうに思ったようでした。
 私の考えでは、あの捜査・訴追は「時代のけじめ」として必要だったと思います。不良債権の損失の大きさを覆い隠した決算書が長銀や日債銀から公表された事実は動かせません。ほかの銀行でも同じことをやっている、というような言い訳は、それが事実だとしても、通りません。金融機関に公的資金を投入するからには、けじめをつけさせる必要がある。ちゃんとした責任は取ってもらう必要がある。そのためには国策捜査も必要だというのが私の考えなんですけれども、本の中ではそうした意見は出さず、客観的事実でストーリーを構築しました。その結果、著者の本心とは違って、特捜検察、すなわち国策捜査は、あの本の読者にはあんまり共感を持たれなかったようでした。

 村山氏: それはね、やっぱり後処理を罪に問うたからですね。本当に不良債権をつくっちゃった、たとえば日債銀でいえば東郷さん、窪田さんたちの前までの頭取、経営責任者、そのあたりに本当の責任があり、公訴時効になっていなければ、背任罪で摘発されておかしくないわけです。しかし、時効が完成して刑事訴追することはできない。そういう人たちがやったことの後始末を、しかも気の毒に窪田さん、東郷さんは頼まれて――本当に善良な人たちだったと思いますけれども――、頼まれて後処理のために銀行に入って、情報開示義務違反っていう彼らが若いころには想定していなかったような罪状に問われた。「俺は何の罪で何のためにやられてるのか分からない」っていうような、きっとおそらくそういう感じだったと思うんですよね。これはだから検察が、「あなたはこんな悪いことしたんですよ」と、「情報開示義務違反はこんなに悪いことなんですよ」と教え込んで、「ああそうなんだ」っていうんで供述調書にサインをさせたっていうような事件です。それは普通の感覚から言って、やっぱり変だよと受け取るでしょうね。
 奥山君が言ってたように、やっぱり不良債権処理は金融失政なわけですよね。早くキャッチして情報開示して、国民に頭を下げて公的資金を早くつぎ込んで、早く処理しておけば出血は少なくて済んだのに、役人がさぼってたのか、別の要素だったのか、なかなか処理をやらなかったですよね。それによって傷口を深くした。それはおそらく大蔵省が絡む。政治も絡むんでしょう。財界も絡むんでしょう。そういう話なわけで、そこに血税が何兆円もつぎ込まれちゃうわけですから、これは本来、検察が息せき切って旗立てて捜査しなきゃいけない事件ですよ。その結果、背任容疑で立件できないんだったらできないで僕は構わないと思うんですけど、「できませんでした」ってちゃんと答えを出せばいいわけだから。だから法律を改正して、「もうちょっと背任罪の時効を延ばしてください」って言うべきだったかもしれないし、「別の新しい犯罪類型をつくってください」ってことになったかもしれない。そうせずに、情報開示義務違反という、世間的には、まだこなれてない話で立件したため、みんなが「変だね、変だね」と思っちゃったんでしょう。情報開示義務違反で立件したことは、全然おかしくないと思いますよ。ただいわゆる出口のところで、やっぱり庶民感覚からすると、検察の従来の起訴基準からするとね、「どうなの?」っていう話であったことは間違いないよね。

 奥山: バブルをつくった人たち、乱脈融資をした人たちも悪いと思いますけれども、そのバブルの崩壊の処理を長引かせたことが日本の最大の失敗でした。失われた10年、失われた20年、あるいは失われた30年と呼ばれるほどに長引いたのはなぜかというと、これは、不良債権の損失を処理せず、会計上の損失として計上しなかったこと、まさに情報開示義務違反のところにあるわけです。そういう「処理を長引かせた人たち」という意味で考えると、非常に気の毒ではあるんですけれども、日本債券信用銀行の会長だった窪田さん、頭取だった東郷さんにも、まったく責任がないとはちょっと言いづらいです。1997年以前は、先送りし、長引かせ、生きながらえることが「正義」であり、彼らはその現場、末端でその「正義」の実現をやらされた人たち、その「正義」を一生懸命やった人たちでした。で、彼らと二人三脚でそういう絵を描き、バブル崩壊の処理を長引かせたのは誰なのかっていうと、それは大蔵省ですね。ある意味でそれもまた国策だったといえると思いますが、だからこそその国策を裁いたのは後世のためにはとてもよかった。だからそういった意味では、ふつうの刑事事件としてはあんまり筋がいい事件ではなかったとは思うんですけれども、だからこそ、情報開示義務違反で切り取ることの意義は大きいと私は今でも思っています。

拡大村山治氏(左)と奥山俊宏=2020年7月20日夜、ズーム上

 村山氏: 実際に特捜検察のエースと言われた人たちが、あの事件は絶対やっちゃいけなかったといまだに言ってますよね。特に、歴代の特捜系の幹部は、国税庁長官だった窪田さんには世話になっていますから。人情からしても起訴したくなかった。特捜系の人たちは事件については概ね、アグレッシブな方だと思いますけれども、やっぱり「ちょっと違ったな」っていう感じはいまだに持ってるようですね。

 奥山: それはその人たちが情報開示義務違反を罪に問うことそのものに違和感を持っている、ということですね。伝統的な特捜検察の価値観からすると、虚偽記載とか情報開示義務違反は形式犯ですし、証券取引法(金融商品取引法)や政治資金規正法の開示規制の部分は「ざる法」ですからね。

 村山氏: 長銀、日債銀事件当時、法務・検察で改革派といわれた法務省幹部の一人が「従来の起訴基準では、起訴、不起訴の境界事件だが、時代は、グローバル化、市場化で情報開示義務違反の厳格適用を求めている。その流れを確かなものにするため、無罪覚悟で立件すべきではないか」との趣旨の話をしていましたね。

 奥山: それは正しい意見ですね。「国策」をよく分かっている。
 ところで、さきほど村山さんがおっしゃられたように、バブルの崩壊にともなう国策捜査が始まったのは1995年ですけれども、その時点で背任罪の公訴時効をもっと延ばしておくべきだったなと思いますね。なぜそれを当時しなかったのかなっていうのは、いまから振り返ると不思議なぐらいです。

 村山氏: おそらく立法としては難しかったんでしょう。

 奥山: ただ、その後、殺人罪の時効なんかは実際に延ばしてますから、立法論としてはありうるのかなと。

 村山氏: いやいやでも、経済界が黙ってないでしょ、それやると。

 奥山: それは本当の「経済界」ではなくて、財界人とか経営者だとかの私益を追う人たちのグループの言うことですよね。株主だとか債権者だとかステークホルダーの立場を考えれば、会社に損害を与えた人をきちんと処罰するのは、経済界の真の利益になるはずですからね。ただ、とはいえ、開示義務違反の罰則が重くなったので、結果的に時効は延びてきているとは思うんですけれども、ただ、そうしたやり方ではバブル期に遡ることはできない。時効を延ばせば遡れたのに。

 村山氏: まだしかし10年になってないでしょ。7年のままじゃないですか。

 奥山: はい。たとえば、有価証券報告書虚偽記載の罪については、以前は3年以下の懲役で時効も3年でしたが、その後、5年以下の懲役になり、時効も5年になり、やがて、10年以下の懲役となり、時効は7年になりました。特別背任の罪についても以前は5年以下の懲役でしたが、10年以下の懲役になり、時効も7年になりました。バブル崩壊後、1995年に国策捜査が始まったころは、虚偽記載が3年で時効、特別背任罪が5年で時効だったのですから、隔世の感があります。とはいえ、今も時効は7年のままで、10年にはなっていませんね。
 その話でいま思い出したんですが、ロッキード事件があったときに司法取引をちゃんと法制度化しとくべきだったのに、それをせずに無理矢理、最高裁の裁判官会議の宣明書というかたちで刑事免責をアメリカ側の証人に与えるという、相当筋悪なことをやった。本来ならばあそこで刑事免責をちゃんと立法して制度化していればよかったのに、それが実際になされたのは最近のことですね。

 村山氏: 2016年だよね。

 奥山: そのあたり、課題はまだまだあるのかなという感じはいたします。

 村山氏: おそらく堀田力さんだとかですね、その当時の最前線にいた人たちがアメリカでフェアネスの精神を学んできて、どうせならばこういう調書をつくるっていうよりも、司法取引とか刑事免責にしましょうよっていう提案をしてるはずなんですけどね。でもね、あまりにも斬新すぎたんですよね。その当時は前例もないし、裁判所そのものが職権主義でね。従来の調書、精密司法と職権主義で有罪認定していくっていう、それしかなかった時代ですから、あまりにも斬新すぎて、聞く耳はなかったんじゃないでしょうかね。あの当時はね。

 奥山: 与えられた武器で検察官を戦うしかないともいいますけれども、ただ法務省を通して、刑罰法令に関しては政府の一員として提案していくっていうこともできるはずですので。

 村山氏: そうなんです。その通りです。

 奥山: そういうことが、司法取引については今は実現しています。背任罪や贈収賄罪の構成要件が日本は厳しすぎるとかそういう声もずいぶん聞くので、そのあたりは捜査・訴追で無理するのではなく、立法で考えていったほうがいいのかなと思います。共謀罪に賄賂罪とか、不正競争防止法の外国公務員贈賄だとか、そういう経済事件についても入れ込んでいったほうがいいと思います。いろんな意見はありうるところなのかなと思います。
 ここで、今日ご参加なさっておられます皆様からのご質問をお受けしたいと思います。Q&Aという機能がZoomのウェビナーにはあるんですけれども、そこに書き込んでいただければありがたいと思います。いかがでしょうか。(次回につづく

村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル」(文藝春秋)、「市場検察」(同)、「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)、「バブル経済事件の深層」(岩波新書)。

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