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事件記者の目

「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」10周年記念ウェビナー

検察に対する民主的統制どうする? 情報開示が足りない最近の検察

AJ10年記念ウェビナー④(完)

村山 治(むらやま・おさむ)

 2020年は検察と政治の関係が厳しく問われ、国民の関心事となった年として歴史に刻まれるかもしれない。安倍晋三首相(当時)の政治団体の政治資金規正法違反容疑が検察の捜査対象となった上、安倍首相と菅義偉官房長官(現首相)ら官邸による2016年以来4年間の検察人事への介入が極まり、「安倍・菅政権」は、介入をより容易にする法案まで策定して国会を通そうとしたからだ。その経緯を「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」(AJ)で克明に報じてきたジャーナリストの村山治氏と、AJの編集人を務める朝日新聞編集委員の奥山俊宏が、AJ創刊10周年を記念し、2020年7月20日夜、ズームのウェビナーを利用して読者の前で対談した。その一問一答を編集・加筆の上で4回に分けて紹介する。その最終回となる本稿では、読者との質疑を紹介する。

拡大2020年11月刊行の村山氏の新著『安倍・菅政権vs検察庁』
 奥山: 一つ目の質問です。「検察に対する民主的コントロールについての枠組みとして、幹部検察官についての国会同意人事(の制度化)をどう考えるか」という質問が来てます。
 アメリカでは司法長官(Attorney General)、司法副長官(Deputy Attorney General)、各地検の検事正(United States Attorney)など検察幹部に加えて、連邦捜査局(FBI)長官も、大統領の指名だけでなく議会上院の承認が必要な人事になってます。日本でも、検察出身者の就任が慣例となっている証券取引等監視委員会の委員長が衆参両院の同意が必要な人事になってます。
 日本の検察幹部についてもそれと同様にすればいいのではないかというアイデアですが、それについてどう考えるか。

 村山氏: 国会同意人事の対象になるのは、一定の中立性が求められる行政や経済関係の公的機関のトップが多いようです。監視委委員長以外にも公正取引委員会の委員長(委員も)や原子力委員会委員長(委員)、日本銀行総裁などがそうです。国会同意人事は、官職への「政治任用」と裏腹の関係にあるのではないか、と思います。治安系の組織である検察庁や警察庁ははじめから行政の一部だから、そのトップは対象にならない仕組みです。
 日本の検察官の大半は、司法試験に合格し司法修習が終わった人の中から採用されて任官し、一回も選挙の洗礼といいますか、民主的なチェックが一回も無いまま、人によっては検事総長までのぼりつめるわけです。
 検察官は国家公務員であり、その人事権は政府にある。特に、検事総長、次長検事、検事長という天皇の認証官の任命権は政府が握っている。これは検察庁法で明記されています。ところが、国民は、その検察に政治家の権力犯罪摘発を期待してきた。憲法にも検察庁法にもそんな規定はありませんが、検察庁は戦後長い間、国民の期待に応えて政治腐敗にメスを入れてきました。もちろん、人間のやることですから、検察官だって間違うことがある。捜査で暴走し、社会システムに対して害になることもあるかもしれない。その場合には、政治がその間違いをただし、暴走を止めなければならないのですが、検察の間違いや暴走が誰が見ても明白な場合はそれでいいが、評価が分かれるようなときは難しい。
 米国では、もちろん、司法省に日本の特捜部のような組織があり、政官界の汚職も摘発するのですが、大統領府が絡むような構造的な不正の摘発は、官僚検察ではなく、政府から独立した「特別検察官」が行う。これだと、政治と検察のバランスに気を遣う必要がない。これは、わかりやすくていいな、と思いましたね。
 私は2002年に半年ほぼワシントンD.C.のシンクタンクに籍を置き、米国の司法の現場を見る機会がありました。その際、そのシンクタンクのカンファレンスで、日本の特捜検察について講義させられたのですが、特捜検察の仕組みをいくら説明しても、受講者に全然伝わらない。私の英語力が貧弱なこともあるのですが、米国人には官僚検察、なかんずく地方の検察庁の一部門の組織が政界の要人を次々にとっ捕まえるということが理解できない。あれには困りましたね。外国の、しかも政府や議会の職員らそこそこの知識レベルの外国人に理解してもらえないような制度はやはり根本的に変えたほうがいいんじゃないかなと思いましたね。
 ただ、検察や警察など治安にかかわる制度は、その国の国柄というか、歴史や社会に根差してできているので、アメリカの司法制度が日本でうまく機能するとは思いません。アメリカ司法制度はアメリカの国柄に対応して出来上がったものです。刑事司法でも、日本はまず真相解明ありきなのに対して、米国は真相はさておき、司法取引で折り合ったところで結論出しちゃえばいい、みたいなところがある。それってやはり日本には向かないのではないかと思ったりします。
 検察に対するチェック&バランスの問題とは直接の関係はありませんが、日本は伝統的に「官僚立国」意識が強く、霞が関の中央官僚に政府の重要情報が独占的に蓄積され、事実上政府の独占的シンクタンクとなっている。一方、米国にはリボルビングドアという官民にまたがる人事システムがあり、政府と議会、弁護士事務所、シンクタンク、大学、企業などの間で人材が頻繁に移動します。司法省で大企業の会計不正の抜け穴規制を担当していた検事が次の年には、その大企業の顧問弁護士事務所に高給で移籍するような変なことも起きるのですが、政府の情報が各部門にシェアされ、社会全般を活性化する原動力になっています。
 それを可能にするのは、国柄の違いと同時に、政府情報の管理と開示のルールが徹底しているからで、日本の官僚組織にリボルビングドアをとり入れるにはまず、そこから直さなければならない。そこのところを絡めての話になるので、非常に難しい議論になります。司法制度改革のときにその議論が起こりかかったんですが、そのままになってしまったですよね。整理して議論したほうがいいんですけどね。

拡大村山治氏(左)と奥山俊宏=2020年7月20日夜、ズーム上

 奥山: 米国の特別検察官の制度はぜひ日本にも採り入れるべきだと私も考えていますが、ただ、その特別検察官も完全に政府から独立しているわけではありません。特別検察官に権限を託すのは司法長官であり、その人事も司法省に握られており、ひいては、大統領に握られています。ウォーターゲート事件の特別検察官を解任するため、ニクソン大統領が司法長官、司法副長官を次々と辞職させた「土曜日の夜の虐殺」は有名です。ニクソン大統領から見れば「検察の暴走」そのものだったから特別検察官を解任したのでしょうが、米国民は検察を支持し、ニクソン大統領の落ち目がこの「虐殺」で決定的になりました。
 日本の特捜部にあたる組織として、アメリカ司法省の刑事局に公務廉潔部門(Public Integrity Section)があり、連邦公務員の汚職や選挙違反を専門に捜査しています。司法省の中でもエリートと言われる検事が集まっているところです。2008年に与党・共和党の大物上院議員(Ted Stevens)を起訴して有罪判決を勝ち取ったのですが、2009年に、無罪の根拠になり得る証拠を隠していたことが内部告発で発覚し、有罪は取り消されました。アメリカの特捜部は日本の特捜検察より1年早く捜査の暴走で社会の信用を失ったとも言えます。そのころ私はアメリカにいて、この経緯の報道に接していたのですが、ひとごととは思えなかったです。裁判所による検察へのチェックが重要だとも感じました。
 検察に対する民主的コントロールについてなんですけれども、「法と経済のジャーナル」に五十嵐紀男さん(元東京地検特捜部長)が「検察権は司法や国民による日常的なチェックにより適正に行使されている」という原稿を寄せてくださっています。
 それを読んで私なりに理解したところによれば、検察官は民主的な統制に十二分に服している。すなわち、検察官に与えられている武器は法律しかないわけで、その法律はまさに民主的に制定されています。かつ、検察権限の行使にあたっては、節目節目で裁判所のチェックを受けていて、その裁判所によるチェックの方法を定めた刑事訴訟法とかそういう法律は国会によって民主的に制定されている。不起訴については検察審査会のチェックを受ける。
 ここから先は私の考えですが、もし仮に検察官がよっぽどおかしなことをすれば、たとえば、国民の目から見てこれは明らかに非違行為にあたるというおかしなことをする、おかしな訴追の判断をする、というふうなことがあった場合は、そのときこそ政府、内閣、あるいは法務大臣の人事権が発動されるべきなんだろう、そういうときこそ民主的なコントロールというのを働かせるべきなんだろうなと思います。他方、一見して検察が普通にやるべき仕事を、与えられた法律を使って与えられた権限の範囲で、国民の期待・要請に応えるかたちで行っている場合には、そこに人事権を行使して「この人を外す」とか、そういうことはやっぱり行われるべきではない。

 村山氏: 当然そういうことですよね。

 奥山: これはぼくたちの伝統的な考え方だと思ってます。安倍政権より前の歴代の政権はこれをおおむね守ってきた、一つの慣習なんだというふうに思っています。検察幹部の任命を国会同意人事にするのは一案だとは思いますが、議院内閣制の日本では検察に対する政治の側の力を強めるばかりに終わるような気がします。

 村山氏: 政治と検察の関係は、冒頭の、国会同意人事との関係の時にも触れましたが、検察の政治からの独立と、検察に対する民主的なチェックをどうバランスするか、が極めて難しい構造になっている。
 検察官の人事権は政治の側が握っていますから、特捜検察が政界事件を摘発すると、その人事権や一般的な指揮・監督権を背景に、政治家側――多くは政権与党の政治家たちは、捜査にあれこれ注文をつけ、ときには、検察首脳人事に口を挟もうとしてきました。そうした中で、政治腐敗を許さない国民の意を受けた報道機関や野党が、それらの動きを厳しくチェックし、牽制をしてきました。
 そういう環境、状況の中で、法務省、具体的にいうと、次官、刑事局長、官房長、審議官ら要職を占める検察エリートは、法務・検察の幹部人事で政治と検察の間で波風が立たないよう、官邸や与党の幹部に周到な根回しをし、政権与党側も概ねそれを受け入れて、検察人事については、謙抑的な姿勢、つまり、口を出さないようにしてきたのです。今回の政権による検察首脳人事への介入は、そのバランスが崩れたから起きたともいえるのですね。
 バランスが崩れた原因については、政治の側と検察の側双方の変質にあるとみていますが、今回の「黒川・林騒動」を機に、それについての私なりの考察をまとめ、書籍にする作業中です。

 奥山: 次の質問です。「検察取材のあり方について、村山さんが考える問題点、今の検察取材の問題点はなんでしょうか。メディアは変わることができるでしょうか」という質問が来ています。

 村山氏: うーん、難しいですね。検察取材の在り方を語るには、まず、検察取材の実態を語らねば、問題点が判明しません。その問題点について、私なりに考えることは多いのですが、その前提になる取材の実態を語るのが難しい。
 なぜかというと、検察官や事務官は公安系の国家公務員です。彼らは、捜査や公判など検察権行使にかかわる情報について、厳しい守秘義務を課されています。検察を取材する記者は、検察の広報責任者に対し税金を使って知りえた情報は可能な限り国民に適時開示すべきだ、などの理屈で情報開示を迫ります。それで報道に必要な情報が出てくることもなくはありませんが、そういう取材だけでは、なかなか、いわゆる特ダネはとれません。
 検察関係の特ダネの中でインパクトが強いものの多くは、守秘義務の対象になる恐れのある情報が含まれています。そういう情報を得る取材は常に、国家公務員法違反の危険と背中合わせといえます。私自身は検察取材で違法行為、つまり、当局の資料を盗む、公務員に贈賄して対価として情報をもらう、公務員の弱みを掴んで恫喝して情報をとる、などをしたことは一度もありませんが、検察でどういう取材をしているのかを語ると、協力してくれた取材先に迷惑がかかる恐れがあります。だから、具体的な話は一切できない。話の内容が守秘義務に触れないものでも、検察は、内部の情報が記者に漏れるのを嫌うのです。これまで、検察関係の本を何冊か上梓してきましたが、取材の過程については、よほど必要がない限り、書いていません。
 私にとって、検察取材というのは、ある意味、きわめて個人的な営み、つまり、自己流であり、新聞社という組織のために行うものではありませんでした。得た情報は、新聞社から頂く報酬に見合うと自分が考える範囲で新聞社に開示し、後は、自分の関心である「検察権力論」の考察フォルダーに情報を蓄積してきました。
 そもそも、エリート記者ではないので、新聞社から事件取材、検察・警察取材の基礎教育を受けていない。受けたかもしれませんが、その記憶がない。全部自己流なんです。ただ、私は、検察取材も、いわゆる調査報道の取材も、一般の政策官庁取材なども、皆同じだと思っています。核心の情報をとり、裏付けをして自分の責任で発表する。その核心情報の入手先が、検察か、政治家か行政官庁、あるいは民間かだけの違いだと考えています。
 関心のあるテーマでどうやって核心の情報をとるか、最適解を求めて今も答えを探してますけどなかなか見つかりません。だから記者をやめられない。
 検察のような権力機関の取材の在り方を論じるとしたら、私のような個人ベースの取材者の話より、記者クラブの取材を論じる方が意味があるのでしょうね。権力チェックはやはり、マスコミが集団でやった方がはるかに効果が大きい。そのためには、いろいろ批判はあるが、現行の記者クラブをもっと活性化し有効活用しなければいけないのではないか、と考えています。
 ただ、私はこれまで記者クラブの存在価値をあんまり認めてきませんでした。取材記者としては記者クラブは制約が多いので、検察を取材する場合でも記者クラブに入らないように、意図してずっと遊軍の立場を貫いてきました。そのほうが取材しやすかったのですね。そのへんのところの議論は、松本正さん(元朝日新聞司法キャップ)、小俣一平さん(元NHK司法キャップ)と3人での対談のときにもやりましたけれども、それもなんといいますか、情報を取れるか取れないかっていう力関係みたいなところで決まってくる、えも言われぬ世界があってですね、簡単に一言では言えない、その時代時代、それから取材対象との関係というのもあって、一般論ではなかなか語りにくい世界でありますね。
 2002年に半年間、アメリカのシンクタンクにいたときに、アメリカの調査報道の仕方っていうのを、アラン・ミラーさんっていう、ロサンゼルス・タイムズでピュリツァー賞をその次の年にとった人なんですけど、その彼と日本の調査報道とアメリカの調査報道の違いみたいなところを議論して「えっ」と思ったことがありました。アメリカの場合は、政府の公にしているウェブサイトで情報がいっぱい公開されてるんですね。だから弁護士資格のある、法律の素養のあるITの専門家のような人を雇って、あるテーマ、そのピュリツァー賞を取ったのはたしか垂直離着陸機が百何十機も墜落していっぱい人が死んでるっていうのを特ダネで書いた話だったと思いますが、そういう専門家に、墜落事故について、日時場所、搭乗者、墜落原因などのデータを集めたいというふうに希望を出す。そうしたらその弁護士資格を持った専門のスタッフがデータを集めてきて、それによってほとんど事故の様子が分かってしまう、リストがぜんぶできてしまう。被害者、墜落して死んだ人の名前までぜんぶ出ちゃう。だからあとはもう、直当たりをして、さらに関係官庁に行ってですね、これはどういうことなんだって聞けば終わりだと。そういう取材をしているんだよと言われました。
 日本の場合はそういうことはまずできない。第一、墜落関係の資料がウェブサイトに載っていない。だから役所に行って、公務員から直接話聞くか、資料をもらうしかない。その、役所が溜め込んだ、政府にとって不利になると考えて隠している情報そのものをとるのが、日本の取材で一番、肝心なところ、一番難しい力技になるわけですよね。アメリカの場合は、そういう無駄なことをする必要ないんですよね、公開されてるわけだから。その違いですよね。
 これはもう社会システムの違いというか、文化の違いというか。まあでも日本もね、少しずつ政府のサイトにいろんな情報が出るようになり、非公開の情報も、情報公開法を使ってとれるようになってきた。これはいい傾向です。奥山君がやってるような情報開示請求で入手した情報をもとに取材を深め広げていくっていうのも一つの方法ですし。そういう方向になればいいんじゃないですかね。

 奥山: アメリカでは検察が逮捕・起訴を発表した場合は、その起訴状とか逮捕状とか、そういうのをそのままPDFファイルにして検察庁のウェブサイトに載せて公表しています。一方、日本ではそういうことをまったくやっていません。これはいまだにやっていないです。
 アメリカでは、起訴したらその後の書面のやり取りを裁判所のウェブサイト上で、――これは有料でして、クレジットカードを登録する必要はあるんですけれども――、インターネット上で検察側、被告人側の双方の書面をPDFファイルで入手することができます。日本ではそういうことはまったく不可能です。
 被告人が自分の事件の書面をブログに載せたという出来事がありましたが、それも刑事訴訟法の規制が掛けられて、難しい側面があるようです。裁判は公開が原則なのですが、日本ではそれと真逆の規制をかけています。
 そういうところがあるので、どうしても弁護人あるいは検察官に、「起訴状を見せてください」とか「あの書面を見せてください」とか、いちいち記者は頭を下げて頼まなきゃいけない。そこのところで力関係が記者のほうがどうしても下になってしまう。それによって、書面を提供してくれた側に報道の内容がどうしても寄っていく。本来、報道は客観的で、記者は独立しているべきなんですが、記者にとって情報源は神様みたいなものです。職業倫理上も、記者にとって情報源は守るべき対象です。記者はおそらく「親切にも書面をご提供してくださった」と心の底から感謝し、その記者の原稿は情報提供者寄りの影響を無意識に受けるでしょうね。これは本当によくないなと思います。はなから開示や閲覧が制度化されていれば、そのような弊害はなくなります。
 私が記者になりたてだった1989年ごろは、夕方、検察庁に行くと、「きょうの起訴状」ということで、その日に裁判所に提出された何通かの起訴状がファイルに綴じられて総務課長だったかの机の前のソファーセットのテーブルの上に置いてあって、コピーはダメだったんですが、勝手にそれを書き写すことができました。90年代後半に東京地検を取材していたころはそういう状況はもうなくて、起訴状の要旨しか発表されなかったですね。大事な細かなところを知るためには「起訴状をください」とか、いちいち関係者に頼まなきゃいけないとか、そういう状況でしたね。これはいまだに日本の司法が遅れているところなので、これは一刻も早く直してほしいなと思います。
 さきほど、村山さんのほうから守秘義務の話がありました。検察関係の特ダネの多くは国家公務員法違反の守秘義務違反と背中合わせといえる、というお話ですが、私の考えでは、それは違いますね。その情報の中には、もともと公開されるべきであって、実際、アメリカならば当然に公開されるような情報が多々含まれています。しかも、公開されないとしても、「秘密」に当たるわけではない。国家公務員法上の「秘密」というのは厳格な要件があって、「実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるものをいい、国家機関が単にある事項につき形式的に秘扱の指定をしただけでは足りない」というのが確立した判例になっています。守秘義務違反に当たるかどうかは、漏洩された情報の実質的な内容や漏洩の方法・態様を総合して判断するべきことで、公共の関心事に関する公益目的の報道のために情報を提供することが守秘義務違反に当たるはずがありません。現に戦後、記者への情報提供で起訴された国家公務員は一人しかいませんし、その一人も、記者と男女の関係にあるという例外的な状況での情報提供を罪に問われたものでした。にもかかわらず、一部の政治家やその取り巻きの人たちが守秘義務違反だと言い張って記者や検察官を攻撃するのは、公務員から記者に対する正当な情報提供や記者による正当な報道を萎縮させようとする意図があるからだと思います。
 ついでに申し上げますと、刑事訴訟法47条は次のように定めていますが、これはあくまでも「書類」の公開を律した規定であって、起訴内容や捜査結果を公にしてはならない、と言っているわけではありません。

 訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合は、この限りでない。

 報道の多くは公益目的で行われていて、これについては判例や幾多の裁判例でもそのように認められてきている実績があります。公益目的の報道のために訴訟に関する書類を公にするのは何の問題もありませんし、守秘義務違反に当たるはずがありません。現に、警察や海保など多くの法執行機関は押収した証拠品を当たり前のように記者に開示していて、世の中でもそれが是認されています。たとえば、常習窃盗容疑者を逮捕したときに窃盗された商品のコレクションを警察署内の道場に並べた写真を公にしたりしています。特に起訴前については、刑法230条の2で、「公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす」と明文で規定されています。
 当局者がたまに刑事訴訟法47条を持ち出して情報公開を逃れようとすることがあります。たしかに、公開が原則となっている公判と違って、公判開廷前は検察官に裁量権があるのはその通りです。ですが、検察に対する民主的統制を絵に描いた餅にしないためには情報開示が必要です。なので、バランスを考える必要があります。そこまで当局者が比較考量しているかが疑わしい現実がありますし、公判前整理手続きが制度化されて初公判が長期にわたって開かれない現実が恒常化していますので、刑事訴訟法47条は改正したほうがいいと私は思います。
 アメリカでは逮捕や起訴の際に令状請求添付の捜査官陳述書なんかも逮捕状や起訴状と一緒に公開されるのですが、それが本当に生々しくて詳細です。アメリカの記者たちはそれを何の苦労もなしに入手できて、それを所与の前提として、その先にさらに突っ込んで取材するわけです。そうすると、その結果である記事は自然と深みのあるものになりますし、より正確になりますし、より客観的になります。それは読者、ひいては国民にとっての利益です。捜査や裁判に対する外部の目での監視・牽制にもなり、ひいては、捜査や裁判への国民の信頼を培うことにもつながります。そういう趣旨で裁判公開の原則はあるわけです。日本もアメリカと同様、裁判公開の原則の下でやってるわけですから、おかしなところは早く直すべきだと思います。

 村山氏: そうそう。それは、その通りです。さて、さきほどの「守秘義務」問題ですが、私も、奥山君が指摘するように、国家が秘密指定したから即、守秘義務が発生するものではないと思います。私が先ほど申し上げた「守秘義務」で、イメージしているのは、表に出にくい捜査の内容に関するようなものについてです。もちろん、公益目的の報道のための情報提供であれば、守秘義務違反にはならないと思いますが、情報提供の中身によってはきわどいケースもあるのかな、と思っています。具体的な事実で話をできないので、皆さんには話が見えず、雲をつかむような話になって申し訳ありません。この問題は、機会を見て改めて議論したいと思います。

 奥山: 村山さんについて申し上げると、私、司法記者クラブに昔いたので、記者クラブの記者がどんな取材をしているのかはだいたい分かってるつもりなんですけれども、村山さんはたぶんそれとはまったく異なるアプローチで

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村山 治(むらやま・おさむ)

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル」(文藝春秋)、「市場検察」(同)、「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)、「バブル経済事件の深層」(岩波新書)。

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