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西村あさひのリーガル・アウトルック

「アーンアウト」とは何か? 企業M&Aの価格を決める新たな手法

 企業や事業の買収(M&A)の際にステークホルダーの多くが納得できる売買価格を決めるのは簡単ではない。価格の合意ができなかったがために買収そのものが頓挫することも珍しくない。そこに「アーンアウト」という手法を用いるメリットがあるという。アメリカではすでにしばしば用いられているというが、日本では、専門家の間でも耳新しく、わずかな実例しか知られていない「アーンアウト」。それについて松浪信也弁護士が解説した。(ここまでの文責はAJ編集部)

アメリカにおけるアーンアウトの最新の利用状況と日本における価格交渉

 

西村あさひ法律事務所
弁護士  松浪 信也

 

松浪 信也(まつなみ・のぶや)弁護士拡大松浪 信也(まつなみ・のぶや)
 1996年、東京大学法学部卒業。司法修習の後、2000年に西村総合法律事務所(現西村あさひ法律事務所)入所。2005年、ノースウェスタン大学ロースクール卒業(LL.M.)。2005~2006年、シュルティ・ロス・アンド・ゼイベル法律事務所(ニューヨーク)勤務。2006年にニューヨーク州弁護士登録。2009年より成蹊大学法科大学院非常勤講師(M&A関連法担当)。現在、M&A及び企業法務を専門とする。西村あさひ法律事務所パートナー。
 The Walt Disney Companyは2010年7月27日、ソーシャルゲームメーカーであるPlaydom Inc.を買収すると発表した。買収額は5億6320万ドルで、さらにPlaydomの業績に応じて最高2億ドルが支払われることとされている。本取引において使用されているのがアーンアウト(Earnout)といわれるものである。

 一般に物品の売買では、売主と買主との間で価格が折り合わないと取引が成立しないのが通常である。例えば、中古品のセールで「もう少し値段が安ければ買うのになあ。でも使ってみないと分からないし」との思いをした経験のある読者も少なくないのではないだろうか。しかし、企業全体や企業が営む事業を売買の対象とするM&A取引では、M&A取引の対象となる事業に関する売主と買主の価格評価に大きな差異がある場合においても、アーンアウト条項を利用することによりM&A取引の成立が可能となることがある。ABA(アメリカ法曹協会・American Bar Association)が公表した2009 Private Target M&A Deal Points Studyによると、2008年にアメリカで実施され、買収契約書が公開された非公開会社を対象会社とする106件のM&Aのうち、実に29パーセントの案件においてアーンアウト条項が含まれており、これは2006年の19パーセントと比較して50パーセント以上の増加となっている。アメリカにおけるデータは取引金額が数十億円を超える中規模から大規模な取引をサンプルとするものであるものの、日本ではアーンアウト条項はそこまで利用されていない。なぜ、アメリカにおいてアーンアウト条項がこれほど頻繁に採用されるのか? 以下のとおり、この点に日本とアメリカのM&A環境の差異を垣間見ることができる。

 ■アーンアウトとは?

 アーンアウトとは、M&A契約において一部の対価の支払いを一定の条件が成立したことを条件に行う売主及び買主の合意をいう。売主が言うとおり対象事業が業績を上げることが確認できるまで、買主はそれに見合った対価を支払いませんと約束するイメージを持ってもらえばよい。アーンアウト条項が採用されるのは、売却の対象となる会社が非公開会社である場合である。多数の株主を有する上場会社等を対象会社とするM&Aにおいては、通常アーンアウトが採用されることはない。例えば、2005年11月に行われたeBay Inc.によるSkype Technologies S.A.(非上場のルクセンブルク法人)の買収事案においてアーンアウト条項が使用されており、当時、Skypeの株主に対する当初の支払額は合計約26億ドル(但し、対価は現金とeBayの株式)であり、買収後のSkypeの業績に基づき支払われる可能性のあるアーンアウト条項に基づく支払いの上限額は、約15億ドルとされていた。

 M&Aの対象となる会社の事業は、その将来の業績見込みや保有財産などをもとにその価値が評価される。そして、価格交渉もそのような対象事業の将来の業績見込みを念頭において実施されることとなる(但し、事業評価に関する事項は機密事項であるので、当事者が事業評価の詳細について相手方に開示するか否かは別論である)。しかし、事業の業績見込みについては、売主と買主との間で評価に大きな差異が生じることもしばしば見受けられる。自らの事業を熟知する売主による将来の業績予測は、投資の効率性を慎重に評価する買主からは楽観的に見えることは珍しくはない。逆に、買主の慎重な業績評価を見て、自らの事業の価値が正当に評価されていないと感じる売主は珍しくはないであろう。そのような認識の相違は、M&Aの対象となる事業が将来どのような業績を達成することができるのかについての評価の違いから生じている。そこで、アーンアウト条項においては、対象事業の価値評価の鍵となる指標を特定し、対象事業の売却後における一定の期間(1年から3年程度が多い)において、対象事業が一定の業績を上げた場合には、売主は買主に対してそれに見合った支払いを行うと約束するのである。すなわち、案件成立か、それとも価格について歩み寄ることができなければ案件不成立かの場面において、売主及び買主が、売却の対象となる事業が将来一定の期間に定められた業績(典型的には売上高やEBITDA等)を達成した場合には、買主は売主に対して所定の金額を支払う、と合意することにより売主と買主間の価格評価に関するギャップを埋め、M&A取引を成立させることを可能とするのである。

 このような合意により、買主は、買収の対象となる事業が所定の業績を達成しなかった場合、更なる対価を支払う必要はなく、高い買い物をする危険を避けることができる。また、売主は、売却の対象となる事業が実際に所定の業績を上げた場合には、それに見合った対価を取得することとなり、受領する買収対価を売却事業の価値に見合ったものにすることが可能となる。

 なお、アーンアウト条項においては、買収取引完了後の対象会社の業績が買主が売主に対して支払う対価の額に影響を与えることになるため、1998年に経営破たんし一時国有化された日本長期信用銀行(現在の新生銀行)が売却された際に採用された瑕疵担保条項を想起した読者もいるのではないだろうか。当時の瑕疵担保条項は、旧長銀の貸し出し債権について3年間に20パーセント以上の減価が認められた場合に、買主が預金保険機構に対して当該債権を譲渡時の価格で買取ることを請求できるというものであった。アーンアウト条項と瑕疵担保条項は、資産の売却後一定期間内に判明した当該資産の価値が考慮されるという意味では共通であるが、アーンアウト条項では、買主は事業の買収後に追加の対価を支払う可能性があるのに対し、瑕疵担保条項では、資産価値が悪化した場合に、買主が当該資産の買取りを請求できるという点において異なっている。

 ■日本におけるアーンアウトの現状

 日本において、大小あわせて毎年2,000件以上のM&A取引が実施されている。しかし、アメリカと異なりM&Aにおける買収契約書の開示は一般には要求されておらず、M&Aに関する契約の内容が公開されることは、合併契約書や会社分割契約書等、法律又は金融商品取引所の規則に従い開示が要求される場合を除いて殆どない。従って、日本における非公開会社を対象会社とするM&A案件において、どの程度アーンアウト条項が利用されているかを知ることは難しい。日本においては数年前からアーンアウト条項に関する交渉が行われる例が散見されるようになったが、一方当事者が海外の企業であるいわゆるクロスボーダー案件か、取引金額が大きい事案が大多数であり、その割合はアメリカの29パーセントには遠く及ばないであろう。

 それでは、日本においてアーンアウト条項がアメリカほど利用されていない理由はどこにあるのであろうか。

 第一に、アーンアウト条項がM&A取引における利用可能な選択肢の一つとして、当事者に広く認識されていない現状がある。日本においてアーンアウト条項が交渉されるのは、前述のように一方当事者が海外の企業であるいわゆるクロスボーダー案件か、取引金額が大きいものが多いが、これはそのような傾向を裏付けるものと思われる。売主としては、想定よりも低い価格でないと取引が成立しないという状況下においてアーンアウト条項を検討しなかったため、売却の必要性が高ければその時点において売却し、そうでなければその取引を中止するという決定を行うという二者択一を迫られることもあるものと思われる。また、買主としても、買収価格について折り合えなかったために断念したが、アーンアウト条項が使用できれば、買収価格に関して納得して対象事業を取得できた可能性のある取引も存在したのではないかと思われる。

 第二に、企業価値評価が極めて一般的に行われ、かつ複雑な契約を交渉することを厭わないアメリカとの交渉慣例の相違も、日本においてアーンアウトが使用されていない理由として挙げられるであろう。企業価値評価は日本において一般的に実施されているが、多数のMBA取得者(経営学修士)を擁するアメリカとの比較において浸透度は高くはなく、また、日本企業のM&A担当者もアーンアウトの使用を検討していない場合が多いのが現状であろう。専門のアドバイザーのみならず会社のM&A担当者がアーンアウトに関する認識を高めれば、M&A取引において自らの会社の利益をより高めることが可能となるかもしれない。

 第三に、アメリカの例では、買収後においても対象会社の株主でもあった旧経営陣が引き続き経営に参画する場合が見受けられる。この場合、買主としては売主に対象事業の経営を委ねる必要性が高く、売主としては一定程度アーンアウトの条件成就に関与できるため、売主及び買主双方の合意が得られやすい、という事情があるのかもしれない。

 ■アーンアウト条項における留意点

 売主と買主の事業の価値評価に差異がある場合において、アーンアウト条項は有効であるが万能薬ではない。アーンアウト条項を採用する場合に留意すべき典型的な事項は以下のとおりである。

 アーンアウトにおける指標の選択: 売主及び買主の双方の利益を適切に調整するアーンアウト条項を作成するためには、適切な業績指標を選択し、合意することが必要となる。そのような指標は、売上げやEBITDAといった財務指標であることが多い。しかし、アーンアウト契約所定の財務目標が達成されるのは、対象事業の売却が完了し、買主が支配権を取得した後である。アーンアウト条項に基づく支払いの条件は、買収完了後一定期間において対象事業が所定の財務目標を達成できるか否かであることが多いが、買収完了後、買主には、アーンアウト条項に基づく支払いをなくし、又は支払額を低下させようとするインセンティブが働く。そこで、売主は、財務目標の達成の可否が買主により操作されることを防ぐことが必要になる。買主を信頼することができる状況であれば、買収契約に特段何も規定しないという選択肢もありうるが、買主は、アーンアウトの評価期間中はこれまでの慣例に従い事業を運営するとか、売主のアーンアウトの権利を侵害することを目的とする行為は一切行えない、という趣旨の規定がおかれることもある。逆に買主としては、対象事業を自由に運営する権利を明確に確保できるかが課題となる。これは、買主が対象事業の支配権を取得したとしても、契約上、対象事業の経営に関する買主の権利が制限されたり、売主が買収後も対象事業の経営に参画する場合において相当程度の経営権を確保していれば、買主は、買収完了後において対象事業を自由に経営できなくなるためである。

 これに対して、財務指標は採用せず一定の事実の発生をアーンアウト条項に基づく支払いの条件とすることがある。例えば、対象事業が医薬品の開発に従事している場合に新薬の認可の取得をアーンアウトの条件とする場合である。M&Aの対象となる事業において、このようにアーンアウトの条件として適切な事象が存在しない場合もあるものの、存在する場合には、アーンアウト条項を簡潔でありかつ当事者双方の期待にかなったものとすることも可能である。

 アーンアウトの評価期間: アーンアウトの評価期間が長くなればなるほど、売買契約の交渉時点では予測していなかった事情が発生する可能性が高まることになる。そこで、アーンアウト期間は適度に短く設定する必要がある。アメリカにおける2008年の例では、アーンアウトの評価期間を3年以内としている例が全体の69.5パーセントを占めている。

 事業売却の場合の処理: 予めアーンアウト条項の中で手当てをしておかなければ、アーンアウトの評価期間中に買主が対象事業を売却することは困難になる可能性がある。これは、仮に売主の同意なく買主が対象事業を売却した場合、買主の下でアーンアウトの支払い条件が満たされたか評価が不可能になり、売主のアーンアウト条項に基づく支払いを受ける権利を侵害することになるためである。従って、アーンアウトの評価期間中に対象事業を売却する可能性がある場合、買主は、売主のアーンアウトに関する権利を対価の支払いにより消滅させることができる権利を確保するなど、予め契約上の手当てを行う必要があることになろう。

 ■まとめ

 アーンアウト条項は、M&A取引における売主と買主の事業価値評価に差異がある場合に検討に値する。しかし、アーンアウト条項はともすれば複雑となり、交渉が煩雑となるおそれもあり、また、規定の仕方によっては、取引完了後の買主による経営体制にも影響を及ぼす。このようにアーンアウト条項に関する交渉コストや取引完了後の経営コストが上昇する場合、一定の規模のある取引でないとアーンアウト条項を利用する実益がないこともある。従って、

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