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西村あさひのリーガル・アウトルック

M&Aにおける独占禁止法リスクへの契約上の対処法

山田 浩史(やまだ・ひろし)

 ここ数年、競争法(独占禁止法)当局の「競争制限抵触」などを理由とした反対でM&Aが破談になるケースが散見される。破談による「損害」は小さくない。そのため米国では、独禁法リスクをM&A取引の当事者間で適切に分配・シェアする具体的な契約条項を定める実務が進んでいるという。山田浩史弁護士が、その実務を詳細に紹介する。

M&Aにおける独占禁止法リスクへの契約上の対処法

西村あさひ法律事務所
弁護士 山田浩史

拡大山田 浩史(やまだ・ひろし)
 弁護士(西村あさひ法律事務所)。2007年東京大学法学部卒業、2008年弁護士登録(旧61期)。2015年コロンビア大学ロースクール卒業(LL.M., Harlan Fiske Stone Scholar(成績優秀者))、同年ニューヨーク州司法試験合格。現在、米ワシントンDCのクリアリー・ゴットリーブ・スティーン アンド ハミルトン法律事務所勤務。国際的な独占禁止法・M&A案件を中心に企業法務全般に従事。
 1 はじめに

 市場シェアが高い企業間の経営統合といった近時の大型M&A取引では、日本を含む各国の競争当局に対する独占禁止法(以下「独禁法」)に基づく企業結合規制上の届出を行うと共に、関係する各国競争当局からクリアランス(以下「独禁法クリアランス」)を取得することが必要とされることが多い。

 当該M&A取引が重大な独禁法上の問題を惹起するおそれのある場合、競争当局による企業結合審査は1年を超えて長期化する例もまま見られるところである。実際にも、M&A取引が実行可能か否か及びそのタイミングに関して、企業結合審査の帰趨が決定的な要素となることも多い。その結果、長期間にわたる審査を経て、競争当局が当該M&A取引における独禁法上の懸念(例えば合併によって当事会社による商品の値上げが容易になり消費者の利益が害される等)を払拭できないという結論を採るに至ることとなった場合、当該M&A取引が中断に追い込まれることもあり得、実際に日本企業関連のM&A取引が各国の競争当局の反対により中止された例も見受けられる。
 米国の競争当局である司法省(DOJ)及び連邦取引委員会(FTC)は、M&A取引の企業結合審査に対する積極的な姿勢をとり続けており、米国でも競争当局の独禁法上の懸念から企業結合審査が長期化したり、その結果として、M&A取引が中止に追い込まれるケースが頻発している。そのようなケースの中には、競争当局から提示された独禁法上の問題点を解消するための問題解消措置(一定の資産の売却等)を受け入れた場合には、当該M&Aを実行するビジネス上のメリットが喪失してしまうために案件の続行を中止せざるを得ないケースもあり得る。
 本稿では企業結合審査によりM&Aが遅延・中止され得るリスクをM&A取引における「独禁法リスク」と呼ぶこととする。こうした独禁法リスクによりM&A取引が遅延または中止された場合、当事会社に少なからぬ悪影響を及ぼすことになる。M&A取引実行のために費やされた費用及び時間が無駄になるばかりでなく、M&Aの成功を前提に作成されていた今後の事業計画も再考を迫られることになる。公表済の案件については取引の中止による株価下落のリスクもあろう。とりわけM&A取引の売主側は、M&A契約において契約締結時から取引完了までの間、買収対象会社の価値を維持する観点から事業運営に関して様々な制約が課せられることも多く、加えてM&A取引の公表により顧客や従業員を失う可能性もあり、最終的にM&A取引が中止された場合の売主側に対する悪影響は甚大と言える。
 日本では独禁法リスクに関してM&A契約で具体的な規定を置くことはまだ一般的ではないと思われるが、米国では独禁法リスクをM&A取引の当事者間で適切に分配・シェアするためにM&A契約でより具体的な条項を置く実務が近時多くなってきており、本稿ではその具体的内容を検討していきたい。
 なお、本稿における見解はあくまで筆者の個人的見解であって、筆者が所属する法律事務所の見解ではないことには留意されたい。

 2 努力義務

 (1) M&A契約における独禁法クリアランスの位置づけ

 最初に、M&A契約において一般的に独禁法クリアランスの取得がどのように位置づけられているかを簡単に確認する。
 株式譲渡・合併等のM&A契約ではその合意時から実際に取引が実行される(「クロージング」といわれる)までの間には、取引先からの同意や許認可の取得等のために一定の期間が空けられるのが通常である。そして、許認可の取得等の様々な事項が実現することが、クロージングの実施の前提条件として合意されているのが通例である(これらの前提条件が成就しなければ当事会社はM&A取引から離脱できることとなる)。独禁法クリアランスの取得もその前提条件の一つとして合意されることが一般的である。あわせて、当事会社のクロージング前のM&A契約上の義務(「誓約事項」・「コベナンツ」といわれる)として、クロージングの前提条件を充足するための努力義務や、独禁法クリアランス取得に向けた当事会社間の協力義務に関する定めが契約中に置かれるケースも多い。
 つまり、M&A取引では当事会社は、独禁法クリアランス取得のための努力義務・協力義務を負うことが通常であり、これは日本及び米国の実務でも同様と思われる。しかしながら、このような努力義務・協力義務の具体的意義は明確ではなく、具体的な場面で当事会社にどのような行動が義務付けられるのか決することは容易ではない。そのため米国では以下のように努力義務の内容をより具体化した規定を置くケースが増えている。

 (2) 処分義務 (Divestiture Obligation)

 努力義務の具体化の一つの例が処分義務であり、これは独禁法クリアランスを得るために当事会社がどの程度の事業・資産等の処分を行わなければならないか、M&A契約においてあらかじめ合意しておくものである。
 売主からすると、M&A取引が実際にクロージングにまで至る可能性を高めるため、独禁法クリアランス取得のための問題解消措置を実施することを、買主側の義務として求めたい場合があり得る。即ち、売主と買主双方の市場における地位を考えるとそのままでは企業結合が認められなくても、事業の一部を第三者に売却する等の措置を執ることで独禁法クリアランスを取得できるような場合、売主としては買主に、取引実現のために、あらゆる事業・資産を処分しなければならない義務を負わせたいと考えることも多いと思われる。
 他方で買主としては、処分義務の合意によって努力義務の内容が明確化・限定化されて、実際に買主がどの程度の義務を負担するのかについての予測可能性を得ることができる一方で、(価格調整条項がない限り)独禁法クリアランス取得のために事業・資産を処分した場合、その分だけM&A取引後の統合会社ないし買収対象会社の価値が低下することにもなりかねないだけに、なるべく処分義務の内容は軽くしておきたいと考えるのが通常となる。処分義務の具体的な内容は次の通りである。

 a. 処分義務を負わない旨の合意

 当事会社が独禁法クリアランス取得のために、事業・資産等の処分を行う必要がないことを明確に合意するものであり、これは一般に買主に有利な規定と考えられている。なぜならば、競争当局からM&A取引に対する否定的な見解が示された場合に、買主としては独禁法クリアランス取得のために何らの処分を行わなかったとしても、そうした不作為はM&A契約の違反を構成せず、買主はクロージングの前提条件である独禁法クリアランス取得の未成就を理由に、特段の負担無くM&A取引から離脱することができるからである。
 実務上のセンスとしては、こうした規定は通常設けられることは希であるし、売主としては、このような買主に有利な内容を明記するよりも抽象的な努力義務だけを規定して、買主に曖昧な義務(解釈によって一定の事業・資産の処分義務を含み得る)を負わせる方が好ましいであろう。

 b. 特定の事業・資産の処分義務

 当事会社が事前に競争当局の懸念の内容を高い確度で予想できる場合、問題となりそうな特定の事業・資産の処分義務をM&A契約で合意しておくことが考えられる。
 当事会社(特に買主)にとっては事前に処分リスクの内容を明確化できる点で好ましいが、この規定は競争当局に対して企業結合審査についての「ロードマップ」を与えてしまうおそれがある点には留意が必要である。
 すなわち、企業結合審査ではその資料として、競争当局に対してM&A契約を提出しなければならないのが通常であるが、そのM&A契約上で、当事会社が例えば「アイスクリーム事業に関する資産を処分する準備がある」旨を合意していた場合、競争当局に対してアイスクリーム事業に関して重点的に審査を行えばよいという示唆を与えることになりかねない。これは企業結合審査のスピードアップに寄与する面もあるが、競争当局に対して「そもそも資産の処分は一切不要である」との反論を行うのが難しくなることや、こうした事業の処分について当事会社側にその用意があることを先行して自白してしまう点には留意が必要である。
 実際には、審査を迅速に進めることを最も重視するような取引の場合に、こうした規定が設けられることはあり得るが、それ以外の場合にはあまり使われない規定となろう。

 c. 一定基準以下の事業・資産の処分義務

 この義務は、例えば「買主及び/または売主の前年度売上のXパーセント以内に相当する金額の事業・資産」といった一定の抽象的な基準を設けて、金額的にそれ以下の事業・資産の処分が独禁法クリアランス取得のために必要な場合に、その処分を独禁法クリアランス取得のために義務付けるものである。
 前記のような前年度売上等の経営指標に数パーセントを乗じた基準や固定された金額を用いるもののほか、これに似た形態の規定としては、当該M&A取引に「重大な悪影響」(Material Adverse Effects/Changes。いわゆる「MAE/MAC」)を与えない範囲での事業・資産の処分義務を課すものもある。
 この方法のメリットは一定程度処分義務の内容を具体化できる一方で、競争当局に対して審査の「ロードマップ」を与えてしまうという懸念を軽減することができる点にあり、実務的に使いやすい規定と言える。
 他方で、前記の特定の事業・資産の処分義務ほど具体的な内容を定めるわけではないので企業結合審査が長期化するおそれがあり、また、当事会社(特に処分義務を負担することになる買主)としては金額的基準の妥当性及びMAE/MACの定義について慎重に検討する必要がある。

 d. 必要な全ての事業・資産の処分義務 (Hell or High water)

 これは独禁法クリアランスを取得するために必要となる全ての事業・資産の処分措置をとることを義務付けるものである。M&A取引のクロージング実現の可能性を高めるため売主に著しく有利な一方、買主としてはどの程度の処分義務が課せられるのか予測困難であるため、合意には買主の強い抵抗が予想される条項である。もっとも、こうした規定は、こうした処分の結果M&A対象企業の企業価値が変化した場合に関するM&Aの対価の調整条項次第では、実務的に機能する条項になる可能性もある。

 (3) 争訟義務 (Obligation to Litigate)

 これはM&A取引のクロージングに悪影響を与える競争当局の意見・措置などに対して、当事会社に争う義務を課すものである。特に米国の競争当局であるDOJやFTCはM&A取引に独禁法上の問題点があると考える場合、しばしば裁判所にM&A取引差し止めの訴訟提起をするので、そのような場合でも当該M&A取引のクロージングの実現可能性を高めるためには、努力義務の具体化として当事会社に争訟義務を課す必要性が高い。
 争訟義務がM&A契約に規定されていることで、当事会社が企業結合審査で提示する意見について強い自信を有していることを競争当局に示すことができ、より有利な審査結果を得ることができる可能性がある。
 他方で、米国においても競争当局が訴訟提起をした場合、当事会社が勝利してクロージングを実行できる見込みは必ずしも高くはなく、訴訟には多額の労力・費用・さらには時間が必要となる。そのため、クロージング実現の可能性を高めたい売主としては争訟義務を規定したい一方で、競争当局と争う場合に訴訟を主導することとなる買主としては、争訟義務がないか、争訟義務を当局から初期的な見解が示された時点に限定する(正式な法的措置がとられた場合まで争う必要はない)等の方法で、広範な争訟義務を負担することは避けたいと考えることが多いといえる。
 日本においては、公正取引委員会(以下「公取委」)がM&A取引に対して排除措置命令等の法的措置をとるケースは極めてまれであり、公取委との意見交換の中で独禁法上の問題があるとの見解が示された場合、当事会社が自主的に問題解消措置を検討するか、当該M&A取引を中止することが大半である。そのため、争訟義務として審査の中で公取委に反論を行う義務を課すことはあり得るが、公取委の正式な法的措置に対して争訟義務まで課すかは検討の余地があろう。

 (4) 努力義務の意義:Cooper Tire v. Apollo事件

 a. 事案の概要

 M&A取引における努力義務違反の有無について判断した近時の米国の裁判例であるCooper Tire v. Apollo事件(Cooper Tire & Rubber Company v. Apollo (Mauritius) Holdings Pvt. Ltd, C.A. No. 8980-VCG (Del. Ch. Nov. 8, 2013))は、努力義務の具体化の必要性を再確認させるものとなった。
 事案は複雑だが努力義務に関係する箇所に絞って簡単に説明すると以下の通りである。
 2013年6月、インドのApollo Tyre社(以下「Apollo」)は米国のCooper Tire社(以下「Cooper」)との間で、ApolloがCooperを買収する旨の合意をした。実現すればこれは世界で7番目に大きいタイヤ会社の成立に至る案件であったが、本件買収に関してUnited Steelworkers Union(米国の鉄鋼労働組合。以下「USW」)が仲裁を申し立てた。その申立内容は、CooperはUSWとの間のcollective bargaining agreement(労働協約)において買収の前にこの労働協約の変更に関してUSWと交渉する義務を負担しているにもかかわらず、その義務を履行していないというものであった。当該申し立てに対して仲裁人は、USWとの間で同労働協約に関する交渉・合意がなされない限り本件買収を実行してはならないという判断を下した。
 その後、Apollo・Cooper及びUSWとの間で交渉が実施されたが、Cooperが同席しないでApolloとUSWとの間でのみ交渉が行われた際に、Apolloは買収金額が減額される(つまり、Cooper側がUSWとの交渉に関するコストを負担する)ことを条件にUSWにオファーを行った。
 それを知ったCooperは買収金額の減額について同意せず、クロージング期限日が迫る中でデラウェア州衡平法裁判所に対して、USWとの交渉においてApolloはクロージングを実現させるために合理的な最善の努力(Reasonable Best Efforts)を尽くす義務に違反しているとして、買収金額を減額しない当初の条件でのクロージングの実行を求めて訴えを提起した。

 b. 裁判所の判断

 裁判所は、努力義務違反の有無を検討するには事実関係の詳細な分析が必要であるとした上で、本件事実関係の検討の結果、以下の通り、Apolloが努力義務に違反しているというCooperの主張を退けた。
 まず、裁判所はApolloによって行われた積極的な措置として、Apolloは仲裁判断後、直ちにUSWとの交渉を開始し、必要に応じて専門家の意見も確認しUSWとの間で複数回の交渉をもったことを肯定的に評価する。
 さらに裁判所は、ApolloがUSWの問題を本件買収を遅延させるために利用した証拠はなくApolloは真に本件買収を実現させる意欲を有していたとし、USWとの交渉でCooperを参加させなかったことがあったのもCooperとUSWとの関係が良好ではなかったという正当な理由に基づくものであり、不誠実(bad faith)と評価されるものではないとした。
 そして裁判所は、本件買収契約にはUSWとの交渉を理由として買収金額の減額を求めるApollo側の権利は規定されていないが、こうした事態の展開を受けて買収金額の再交渉を求めるのは契約違反ではなく、また、不誠実と評価されるものでもないとした。

 c. 本件判決の教訓

 本件判決は、独禁法クリアランスの問題を直接取り扱ってはいないが、M&A契約上の「合理的な最大限の努力」(Reasonable Best Efforts)義務の意義が争われている。
 本件では、買主が第三者との間の誠実な(good faith)交渉の結果、当該M&A取引の実行に必要な合意を得るのに追加的な費用が発生した場合、当該費用負担を理由に売主に対して取引金額の減額の再交渉を求めても、かかる要求は「合理的な最大限の努力」義務には反しないとされた。これを独禁法クリアランスの文脈で考えるならば、独禁法クリアランスを得るために買主が一定の事業・資産を売却しなければならない場合、それを理由に売主に対して取引金額の減額を求めて再交渉をしても努力義務違反にはならないということになる。
 逆に、売主サイドで考えるのであれば、売主としては抽象的な努力義務に関する規定に依拠するのではなく、M&A契約であらかじめ買主の処分義務を定めておき、その範囲内の処分であれば、その結果として費用がかさんだり、企業価値に変動が生じたとしても、取引金額が減額されることはないことを明確にしておくことが重要になる。
 なお、日本においては努力義務の具体的な内容に関する裁判例の蓄積は少ないが、一般的には当事者が多大な時間と費用をかけるM&A契約において規定される取引実現のための努力義務について、その法的拘束力を否定するのは不合理と考えられよう。
 他方で近時の裁判例(東京地裁平成25年2月15日判決)では、株主間契約における上場に向けた契約当事者の協力義務に関して、内容の具体性の欠如等を理由にその法的拘束力を否定するものもみられるため、この点からしても努力義務の具体的な内容を明確に規定しておくべき必要性は高いと考えられる。

 3 リバース・ブレークアップ・フィー (Reverse Breakup Fee)

 リバース・ブレークアップ・フィー(リバース・ターミネーション・フィーとも呼ばれる。以下「RBF」)とは一般に、M&A取引が何らかの理由で予定通り実行されなかった場合に買主から売主に対して支払われる金銭のことである。
 独禁法リスクの文脈でとらえた場合、M&A取引が独禁法クリアランスを取得できないことを理由に実行されなかった場合に、買主から売主に支払われる金銭を意味することになる。
 その名称は、米国ではM&A取引が売主側の理由で予定通り実行されなかった場合(例えばFiduciary Outの場合)に、売主から買主に支払われる金銭がBreakup FeeまたはTermination Feeと呼ばれていることに由来し、ここでは逆に買主から売主に金銭が支払われることになるため「リバース(逆)」と呼ばれるようになったと思われる。
 RBFは元々米国ではプライベート・エクイティ取引で用いられてきたが、2011年のGoogleによるMotorola Mobilityの買収や同年のAT&TとT-Mobileとの経営統合といった、独禁法リスクが高い大型M&A取引でも用いられたことで独禁法リスクの適切な分配の観点からも実務上注目を集めている。
 RBFには、M&A取引が独禁法クリアランスを取得できないことを理由に中止された場合に売主側に生じ得る損害、具体的には本稿冒頭で述べたような事業活動への制約、株価・顧客・従業員への影響等から生じる各種損害を填補する役割が期待されている。
 他方でRBFは買主にとっても利点を有する。まず、独禁法リスクを理由にM&A取引に消極的な売主がいる場合、RBFを提案することによって売主にM&A取引の検討・合意を行わせるインセンティブを与えることができる。また、買主としては受け入れがたい事業・資産の処分を強いられることを避けるため、RBFを支払うことでM&A取引から離脱する買主のオプションとして設計することも可能である。この場合は、買主にとっては、M&A取引をクロージングさせるために負担する自身の義務から、金銭の支払いによって離脱できることを事前に明確化できる点で有益と考えられる。
 RBFの典型例としては、その他のクロージングの前提条件は全て満たされているにもかかわらず独禁法クリアランスが一定の期日までに取得できなかった場合に、当事会社にM&A取引の解除権を与え、買主による当該解除権の行使にはRBFの支払が必要と定めるものである。
 当事会社間のRBFに関する主要な交渉の焦点は、RBF支払義務の発生条件及び金額であり、売主は当然高額のRBFの設定を求め、買主としては発生条件の限定及び低額での合意を求めることが通常と言えよう。また、RBFに加えて別途損害賠償請求が可能か等、その他の救済方法との関係も合意しておくことが望ましい。
 各種統計資料によれば、RBFの金額は当該M&A取引の取引金額の5-6パーセント程度が平均的とされるが上下のばらつきも大きく、前記のGoogle・Motorolaの件では取引金額の20パーセント(約25億ドル)、AT&T・T-Mobileの件では15パーセント(約60億ドル。内訳は30億ドルの現金と30億ドル相当の事業上の便益)と非常に高い金額が合意されるケースも存在しており、AT&T・T-Mobileの件ではDOJの反対等により結局案件が中止されたため実際に前記金額が支払われた模様である。
 RBFの金額を決するにあたっては、M&A取引が中止された場合に生じる売主への損害及び独禁法リスクの現実化の可能性が重要となるため、可能な限りM&A取引の初期段階でこれらの要素を検討・評価しておくことが重要となる。

 4 その他の規定

 これまで紹介してきたものの他にも独禁法リスクに関するM&A契約上の規定がある。
 網羅的ではないがそれらを例示すると、まず、M&A取引では解除事由の一つとして、「クロージングの前提条件が充足されないままクロージング期限日が経過したこと」が規定されることが多い。ここで、充足(実現)されていない前提条件が独禁法クリアランスが取得できないことのみである場合、一方当事者が単独で当該クロージング期限日を一定期間延長させることができる旨もしばしば合意される。これは、当初の想定より遅れてはいるが、延長期間内であれば独禁法クリアランスを取得できる見込みがある場合に備えた規定である。
 また、競争当局の審査手続に関連して種々の規定が置かれることがある。具体的には、競争当局に企業結合の届出を行う締め切り(M&A契約の締結日からX日以内等)、競争当局からの追加の情報要求に迅速に対応する義務、競争当局とのコミュニケーションに両当事者を関与させるかそれが不可能な場合はその内容を迅速に他方当事者に知らせる義務、競争当局への提出資料を提出前に両当事者がレビューする権利の確保、一方当事者(多くの場合は買主)が当局対応戦略の最終的な決定権を有する旨の合意等が挙げられる。

 5 おわりに

 以上、M&A契約における独禁法リスクに関する条項を概観してきた。
 日本のM&A実務では、これまであまり深い議論はなかったように思われるが、国際的なM&A取引、特に米国が関係するM&A取引で独禁法リスクが大きい案件であればこれらの条項が交渉上の主要な争点となることは十分に予想される。
 その際に留意すべき点はいくつかあるが、まず、独禁法リスクに関する条項も買収金額その他のM&A取引の条件とあわせて総体として交渉されるべきものであり、交渉の初期段階で争点化することが極めて重要である。
 また、処分義務、争訟義務及びRBFの相互関係を理解して交渉に臨むことも重要である。例えばRBFの合意がないかその金額が低い場合、買主がM&A取引を離脱する際の障害が低いことになるので、売主側としては広範な処分義務・争訟義務を買主側に課してM&A取引実行の可能性を高めたいと考えるであろうし、逆に十分なRBFの支払合意があれば広範な処分義務・争訟義務を規定することまでは不要とも考えられる。
 さらに、買主が広範な処分義務を負うことを拒絶してM&A取引実行の可能性が高くない場合であっても、買主に広範な争訟義務を課すことができればM&A取引実行の可能性を一定程度高めることができるといえよう。
 M&A契約において独禁法リスクの当事者間での適正なアロケーションを行うためには、案件の初期段階で独禁法リスクの検討・評価を行うことが非常に重要である。そのため、M&A取引の初期段階から独禁法を専門とする弁護士とM&Aチームとが緊密に連携しながら案件を進めていくことが、独禁法リスクが大きい大型M&Aを成功させるには必須と言えるだろう。

山田 浩史(やまだ・ひろし)

 弁護士(西村あさひ法律事務所)。2007年東京大学法学部卒業、2008年弁護士登録(旧61期)。2015年コロンビア大学ロースクール卒業(LL.M., Harlan Fiske Stone Scholar(成績優秀者))、同年ニューヨーク州司法試験合格。現在、米ワシントンDCのクリアリー・ゴットリーブ・スティーン アンド ハミルトン法律事務所勤務。国際的な独占禁止法・M&A案件を中心に企業法務全般に従事。

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