メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

西村あさひのリーガル・アウトルック

知的財産権へのコロナウイルスの影響 強制実施権と遠隔授業

仁木 覚志(にき・さとし)

新型コロナウイルス感染症が知的財産権の行使に及ぼす影響

西村あさひ法律事務所
仁木 覚志

拡大仁木 覚志(にき・さとし)
 1994年大阪大学工学部卒業。1994年から2001年まで石川島播磨重工業株式会社(現・株式会社IHI)に勤務。2006年第二東京弁護士会に登録。2006年から2014年までパナソニック株式会社に勤務。現在は西村あさひ法律事務所のパートナー弁護士。

 1. はじめに

 本稿執筆時点(2020年5月17日)において、依然として新型コロナウイルス感染症が猛威を振るっている。第一波の押さえ込みに成功し、一旦はピークアウトし収束への道筋が見えてきた地域においても第二波の感染拡大が懸念されている。米国・欧州を中心に経済活動再開への動きが見えるなか、新興・途上国においては新規感染者数が急増している。

 このような状況下において、各国の製薬企業や研究機関が新型コロナウイルス感染症のワクチン・医薬品の開発を急いでいるが、ワクチンや治療薬に関する特許権の行使に制限をかけるべきであるとの主張が、新興・途上国の政府や、国境なき医師団等を中心に行われている。

 かかる主張は、特許権を公共の利益のために自由に実施することができる「強制実施権」制度を根拠とするものである。強制実施権制度は新型コロナウイルス感染症の問題が発生する以前から存在するものの、各国ともにその適用には謙抑的であったが、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い実際に強制実施権制度が積極的に適用される可能性が飛躍的に高まったものと思われる。

 強制実施権制度は、新興・途上国にとっては新型コロナウイルス感染症の拡大を押さえ込むための切り札となり得、新興・途上国における新型コロナウイルス感染症の拡大は世界経済のリスクにもなるところ、かかるリスクを低減する効果も期待できるが、他方でワクチンや治療薬の開発について莫大な投資を必要とする製薬企業への影響についても無視することができない。

 以上のような状況を踏まえ、以下では強制実施権制度の概要について、制定から改正に至った経緯を踏まえつつ概説する。

 また、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、遠隔授業等のニーズが格段に高まったことを受けて施行が早められた改正著作権法についても、その概要を紹介する。

 2. 強制実施権について

 (1) TRIPS協定とは

 「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS協定)とは、世界貿易機関(WTO)を設立するマラケシュ協定の付属議定書(附属書1c)であり、国際的な自由貿易秩序維持形成のための知的財産権の十分な保護や権利行使手続の整備を加盟各国に義務付けることを目的としたものである。TRIPS協定は多国間協定であり、加盟各国はTRIPS協定に拘束され、TRIPS協定の内容は各国の法律に反映される。

 TRIPS協定第27条は、医薬品について特許権による保護対象から除外しておらず、加盟国に対して医薬品に関する特許発明を特許権により保護することを義務付けている。他方で、診断方法、治療方法及び外科的方法については特許権の保護対象から除外することが認められている(第27条(3)(a))。

 (2) 医薬品アクセスに関する問題とTRIPS協定における強制実施権制度の概要

 前記のとおり、TRIPS協定の加盟国は、医薬品に関する特許発明を特許権により保護する必要がある。従って、医薬品に関する特許発明であってもその他の特許発明と相違無く、特許権が成立した後は、原則として、特許権者又は特許権者から実施許諾を受けた者のみが実施し得ることになる。

 その結果、特に新興・途上国において医薬品の価格が高価になり、また自由に輸入することが阻害されて医薬品に対するアクセスが困難となり、感染症蔓延の原因になる可能性があるとの指摘がなされていた。

 この医薬品アクセスに関する問題については、TRIPS協定は、第31条において、一定の要件を充足した場合には、加盟国が特許権者の意思に反して強制的に実施許諾を与えることができる旨を定めている。

 もっとも、発展途上国(A国)において感染症が蔓延した場合において、A国に治療薬やワクチンの製造設備が存在しなければ、A国において強制実施権の許諾を受けても無意味であり、製造設備の存在する国(B国)で強制実施許諾を受けて製造のうえ、A国に輸出する必要があるが、TRIPS協定は第31条(f)において、強制実施許諾の要件の一つとして、「主として当該他の使用を許諾する加盟国の国内市場への供給のために許諾される」ことを要件としており、B国においてA国への輸出を目的として強制実施権の許諾を受けることは、TRIPS協定を遵守する限りは許容されないことになる。

 この問題について、WTO発足後、2001年にドーハで開催されたWTO閣僚会議において、加盟国が医薬品アクセスのための措置を講じることが妨げられない旨の宣言を含む「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定及び公衆の健康に関する宣言」(ドーハ宣言)が採択され、2005年12月6日にドーハ宣言を受けて医薬品アクセスに関する問題を解消するためのTRIPS協定に第31条の2及び附属書を追加する旨の改正議定書がWTO一般理事会で採択された。

 上記の改正議定書は、WTO加盟国の3分の2が受諾した時に、受諾した加盟国について効力を生じるものとされ、当初の受諾期限は2007年12月1日とされていたが(日本国は2007年8月31日に受諾済み)、受諾国数が伸び悩み、受諾期限が5回にわたり延長された。その後漸く2017年1月23日になって、全加盟国の3分の2に相当する加盟国が受諾したため、同日TRIPS協定の改正が発効した。

 上記の改正議定書の採択により、TRIPS協定に第31条の2及び附属書が追加され、第31条の2(1)において、附属書の(2)に定める条件に従い、医薬品を生産し、及びそれを輸入する資格を有する加盟国に輸出するために必要な範囲において、当該輸出加盟国が与える強制実施許諾については、第31条の(f)の要件、すなわち「主として当該他の使用を許諾する加盟国の国内市場への供給のために許諾される」との要件を適用しないこととされた。

 また、附属書の(2)においては、輸入する資格を有する加盟国からの通告義務((a))、強制実施許諾に含めるべき条件((b))等が規定されている。

 なお、強制実施権は無償で付与されるものではなく、上記の改正議定書が発効する前から、TRIPS協定第31条(h)には「許諾の経済的価値を考慮し、特許権者は、個々の場合における状況に応じ適当な報酬を受ける。」との規定が存在した。更に、TRIPS協定の改正に伴い、第31条の2の(2)に、第31条の2が適用され第31条(f)の要件が適用されない場合には、輸出加盟国が輸入する資格を有する加盟国にとって有する経済的価値を考慮して第31条(h)の規定に基づく適当な報酬が支払うべきことが併せて規定されるに至った。

 (3) 日本国における強制実施制度

 我が国においても、TRIPS協定第31条及び第31条の2に対応する制度として、裁定制度、すなわち一定の要件が満たされた場合に、特許庁長官又は経済産業大臣の裁定によって、特許発明を、その特許権者等の同意を得ることなく、あるいは意に反して、第三者が実施する権利(強制実施権)を設定することができる制度が存在する。

 日本国の特許法においては、(i)特許発明の実施が継続して3年以上日本国内において実施されていないとき(特許法第83条)、(ii)特許発明について、他の特許発明と第72条に定める利用関係があるとき(第92条)、(iii)特許発明の実施が公共の利益のために特に必要であるとき(第93条)の何れかに該当する場合は、裁定により通常実施権が許諾されることがある。上記の(i)及び(ii)の場合は特許庁長官が裁定を行い、(iii)の場合は経済産業大臣が裁定を行うこととされている。

 上記(iii)の特許法第93条の裁定制度が、TRIPS協定第31条及び第31条の2に相当する制度であるが、本稿執筆時点で実際に裁定により通常実施権が設定された事例はない。

 (4) 新型コロナウイルス感染症拡大に伴う各国の動き

 前記のとおり、医薬品アクセスに関する問題は、主に新興・途上国における問題として議論されてきたが、新型コロナウイルス感染症の影響拡大に伴い、先進国においても、強制実施権の発動を容易にする法整備が進められている。

 例えば、ドイツの特許法(German Patent Act、GPA)においては、公共の利益のために、特許権の行使を制限する制度として、政府の行政命令によって特許権の行使が制限される制限命令(Restriction Order)と、裁判所により付与される強制実施権(Compulsory License)の2つの制度を規定している(それぞれ、GPA第13条、第24条に規定)。もっとも、両制度ともに適用のための要件が厳格であり、過去には実質的には機能していなかったと考えられている。

 これに対し、2020年3月28日に連邦議会は全国的な感染流行に際して国民を保護するための法律(Gesetz zum Schutz der Bevölkerung bei einer epidemischen Lage von nationaler Tragweit)を制定し、公共の福祉のために使用される医薬品、医療機器等について、GPA第13条に従って特許権の行使を制限する命令を発する権限を保健省とその下部機関に与え、このことは、強制実施権の発動ハードルを下げたものと一般に理解されている。

 また、カナダにおいても、カナダ政府の強制実施権付与の権限を拡充するための立法を行っており、今後も各国で同様の立法が行われる可能性がある。

 3. 改正著作権法の施行について

 2018年の著作権法の改正前より、公表された著作物について、学校等の教育機関の授業の過程において、対面授業のために複製することや、対面授業で複製等したものを同時中継の遠隔合同授業等のために公衆送信することは、著作権法第35条により、権利者の許諾を行うことなく可能であった。

 もっとも、上記の態様以外の公衆送信は権利者の許諾を得て行う必要があったところ、教育関係者から逐一許諾を得ることの煩雑さ等を理由として、教育のために必要な著作物の利用が阻害されているとして、著作権法の改正を求める声が強かった。

 そこで、2018年に著作権法第35条が改正され、上記のような遠隔合同授業等のための公衆送信以外の公衆送信についても、権利者に補償金を支払うことにより、権利者の許諾を得ることなく可能とした。同改正により、例えば、(i) 遠隔授業等において教材を送信することや、(ii) 対面授業の予習・復習のために教材を送信することが可能となる。

 もっとも、著作権法第35条関連の改正の施行日は、法律の公布日(2018年5月25日)から3年(2021年5月24日)を超えない範囲内で政令で定める日とされており、文化庁により指定された指定管理団体である授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)は2021年4月からの施行を目途として準備を進めていた。

 ところが、今般、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、遠隔授業等のニーズが格段に高まったことを受け、当初の施行目標から早め、本年(2020年)4月28日から上記の改正を施行するに至った。

 また、SARTRASも2020年度に限って、補償金額を特例的に無償とする旨の申請を文化庁に行い、本年4月24日付けで文化庁長官により認可されたことから、本年度に限って補償金の支払いを要さないこととなった。

 4. 結びにかえて

 前述の強制実施許諾制度とは異なり、企業が新型コロナウイルス対策のために、無償で特許権を開放する動きも

この記事の続きをお読みいただくためには、法と経済のジャーナルのご購読手続きが必要です。

朝日新聞デジタル購読者(フルプラン)の方なら手続き不要

法と経済のジャーナル Asahi Judiciaryは朝日新聞デジタルの一部です。
有料(フルプラン)購読中の方は、ログインするだけでお読みいただけます。

朝日新聞デジタルのお申し込みはこちら

仁木 覚志(にき・さとし)

 1994年大阪大学工学部卒業。1994年から2001年まで石川島播磨重工業株式会社(現・株式会社IHI)に勤務。2006年第二東京弁護士会に登録。2006年から2014年までパナソニック株式会社に勤務。現在は西村あさひ法律事務所のパートナー弁護士。
 新規技術に詳しく、人工知能(AI)の開発・利用における法律のセミナーをいくつも行ってきた実績がある。主な共著として「AIの法律と論点」(商事法務、2018)、「M&A法大全(上)(下)[全訂版]」(商事法務、2019)、「宇宙ビジネス参入の留意点と求められる新技術、新材料」(技術情報協会、2020)などがある。

Facebookでコメントする

ご感想・ご意見などをお待ちしています。