メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

本サイト「法と経済のジャーナル AJ」が今夏、「論座」傘下に引っ越しへ

西村あさひのリーガル・アウトルック

将来の競合相手となりうるスタートアップを買収するKiller Acquisition

岩崎 卓真(いわさき・たくま)

将来の競合相手となりうるスタートアップを買収するKiller Acquisition
 ― 近時の米国競争法に関する動向を中心に ―

 

西村あさひ法律事務所
弁護士  岩崎 卓真

拡大岩崎 卓真(いわさき・たくま)
 2013年、東京大学法学部卒業、2015年、東京大学法科大学院修了、2016年、弁護士登録。競争法のほか、国際通商法や会社法に関するアドバイスを行う。

 1. はじめに

 将来の競合相手となりうるスタートアップを既存の有力企業が買収する際、売上高等を尺度とする企業結合の届出基準を満たしていない事例であっても、米国の競争当局によって問題視され、最終的に統合の断念に追い込まれた事例が近時相次いでいる。このような買収は、スタートアップによる新規事業の展開を妨げ、又は既存の有力企業のサービスへの取り込みをもたらし、結果として将来の市場競争やイノベーションを減殺してしまうと懸念されており、"Killer Acquisition"とも呼ばれている。

 こうしたKiller Acquisitionがはらむ競争法上の懸念自体は、2018年頃から米国を中心に議論されており、実際にここ数年、いくつかの個別案件においても論点となってきた。ただ、こうした個別案件のうち、従来社会的耳目を集めてきたものは、特にGAFA等のデジタル・プラットフォーム事業者によるスタートアップの買収が中心であったように思われる。

 もっとも、Killer Acquisitionの概念自体は、元来デジタル・プラットフォーム事業者のみに射程を絞ったものではなく、近時、特に米国では、通常の事業会社によるM&Aにおいても論点となっている。そのため、近時の米国における動向を理解することは、Killer Acquisitionの問題の射程の広さを改めて認識する上で重要であると考えられる。

 本稿では、まずKiller Acquisitionの内容を概観した後、この点が問題となった通常の事業会社による昨年(2020年)の米国での企業結合事例を紹介し、最後に日本企業の立場からの留意点を記載する。

 なお、本稿での議論の前提として、日米と欧州の制度の違いにも留意されたい。すなわち、日本と同様、米国では企業結合審査の届出要件に満たないM&A案件でも、競争当局が民事審査請求(CID; Civil Investigation Demand)を発して、職権で企業結合審査を開始することができる。他方で、欧州では、一般的に企業結合審査のための閾値を満たさない企業結合案件について、競争当局に審査権限が認められないとされてきたという違いが見られる。もっとも、ドイツなどでは近時法律改正が行われ、売上高を尺度とする従来の届出基準に満たないM&Aについても企業結合審査を行うため、取引価値に基づく届出基準が新たに導入されている(注1)

 2. 議論の前提

 (1) 背景・問題意識等

 Killer Acquisitionという概念は、Cunningham et al.(注2)の2018年の論文によって指摘されたものであり、既存の有力事業者が将来の競争を減殺することのみを目的として、市場に将来大きなイノベーションをもたらしうるスタートアップを買収する事例が相当数存在すると指摘された。

 各国の企業結合届出基準は基本的に売上高や資産高を尺度としているため、企業結合の時点でまだ事業を展開していない、又は事業を開始したばかりのスタートアップを対象とする買収は、基本的に企業結合審査の対象外となる(注3)。上記論文では、製薬業界における実際のデータを基に、買収対象となったスタートアップのプロジェクトがその後継続されず、将来の競争を減殺することが買収の当初の目的であったと考えられる案件が、特に企業結合審査の届出基準にわずかに満たないものを中心として、多く存在することが示されている。

 このようなKiller Acquisitionに係る競争法上の弊害は、OECD競争委員会での議論においても前提とされている(注4)。そこでは、スタートアップは将来の市場競争の源泉であり、破壊的イノベーションをもたらしうる一方で、既存の有力事業者による排除行為の影響を受けやすく、スタートアップと既存の有力事業者間のLevel Playing Fieldを確保することが重要とされている(注5)。前記のドイツにおける取引価値を尺度に用いた届出基準の導入も、こうした流れに沿った動向と解せられる。

 (2) Killer Acquisitionを巡る競争法上の規律・執行に関する議論

 上記のような競争法上の問題意識を基に、Killer Acquisitionを適切に規律付けるため、個別事案における審査の望ましいフレームワークや審査手法も議論されている(注6)

 例えば、買収対象となるスタートアップが設立から間もなく、審査対象とすべきデータが不足しているため、問題としている買収の潜在的な競争制限効果を競争当局側が実証することは困難であるとの懸念が指摘されている(注7)。そうした懸念を解消する一案としては、買収者が市場で支配的な地位を既に占めている場合に証明責任を転換し、競争当局ではなく、企業結合の当事者側が、問題となっている企業結合が重要な競争上の問題を有さない(又は競争制限効果を上回る競争促進効果を有する)旨を示すように変更すべきとの提案がなされている(注8)

 米国法固有の議論としては、

 ア. 米国における企業結合審査又はシャーマン法2条(独占の不法な維持等)に関する現在の判断枠組みの下でも、Killer Acquisitionに関する規律付けは可能であり

 イ. 従来の先例を前提としても、必ずしも反実仮想分析によって買収対象のスタートアップが将来成功する旨を競争当局側が立証する必要はなく、企業結合によって生じる不利益の期待値計算として、多大な競争制限効果が一定程度(modest)の確率で生じる旨が示されれば足りる

 

との主張もなされている(注9)。また、立法を巡る動きとしては、2020年10月、米国連邦議会下院司法委員会反トラスト法部会において、議会がKiller Acquisitionに関する新たな立法を検討するよう勧告がなされている(注10)

 (3) Killer Acquisitionが問題となったデジタル・プラットフォーム事業者による買収事例

 上記のように、元来Killer Acquisitionに関する競争法上の懸念は、特に個別の業界・市場を前提としたものではない。ただ、同時期にデジタル・プラットフォーム事業者による寡占の問題が並行して取り上げられていたこともあり、特に米国でKiller Acquisitionの点が問題となった事案としては、GAFA等による買収案件が多数を占めていた。

 例えば、Facebookは、当局のクリアランスを得た上で、2012年にInstagram、2014年にメッセージングアプリを提供するWhatsAppの買収を行ったが、これらクロージング済みの案件に関して、FTC(連邦取引委員会)等は当時の社内メール等を根拠に、Facebookが将来の競争を阻害する意図をもって競合相手を買収し、潜在的な競争を減殺したとして、訴訟を提起している(注11)

 その他にも、例えばウェアラブルデバイス開発事業者であるFitbit社(注12)のGoogleによる買収も、Googleによる個人データ獲得の懸念に加え、Killer Acquisitionであるとの懸念も指摘され、クロージングまで長期間の審査を要している(注13)

 3. Killer Acquisitionが論点となった事業会社による買収案件の概要

 もっとも、2020年には、通常の事業会社によるいくつかの買収案件に関しても、米国での企業結合審査においてKiller Acquisitionが問題となり、最終的に当事者が自発的に買収を断念するに至っている。以下では、簡単にそれらの案件の内容及び競争当局の懸念を記載する(注14)

 (1) VisaによるPlaid社の買収計画(注15)

 支払決済サービス大手のVisaは、決済プラットフォームの開発を行うフィンテック企業であるPlaid社(注16)の買収を計画していたが、2020年11月、DOJ(司法省)がその差し止めを求めて提訴した。

 DOJの主張は、Plaid社の既存事業は現在Visaの事業とは直接競合していないものの、上記買収がなければ、

 ア. Plaid社は既存の自社技術等を活用し、デビットカードを介さずに直接銀行口座からの決済を可能とするネットワークを構築することが可能であり、

 イ. Visaによるオンラインデビットサービス市場での独占的地位に対する新たな競争上の脅威となりうる

 
というものであった。また、DOJは、Visaの社内文書に基づき、Visaが自社のデビットサービスに関する脅威を予め排除することを目的としてPlaid社の買収を計画していた旨も併せて主張していた。DOJの上記提訴を受けて、Visaは2021年1月、上記買収計画を断念すると発表した。

 (2) EdgewellによるHarry’s社の買収計画(注17)

 男性用シェービング機器の分野で市場シェア2位のEdgewellは、男性・女性用のシェービング機器に関する消費者直売事業を展開するHarry’s社(注18)の買収を計画していた。

 Harry’s社の市場シェアは2.6%程度であったものの、FTCは、同社がP&GとEdgewellの2社による寡占を打破しうる事業者であり、Edgewellが将来の競争相手を買収することで潜在的競争が減殺されるとして提訴した(注19)。上記FTCの提訴を受け、Edgewellは上記買収計画を断念した。

 (3) P&GによるBillie社の買収計画(注20)

 P&Gは、女性向け美容製品の消費者直売事業を展開するスタートアップであるBillie社(注21)の買収を計画していたが、2020年12月、FTCが差し止めを求めて提訴した。

 Billie社の市場シェアは僅少であったものの、FTCの主張としては、同社は急速に競争力を上昇させているため、将来実店舗での販売にも進出し、現在シェービング市場でトップシェアを占めるP&Gの深刻な脅威となる可能性があるとしている。そのため、P&Gが将来の競合相手であるBillie社を買収することで、予め将来の競争を阻害してしまう懸念があるとしている。上記FTCの提訴を受け、2021年1月、P&G及びBillie社の双方が買収計画の断念を発表した。

 4. 日本企業への影響

 (1) 米国での企業結合審査

 以上見てきたとおり、米国企業の買収や、米国市場に影響のあるM&Aを検討している日本企業にとっては、仮に相手方当事者又は自社の売上高等が少なく届出基準を満たさないとしても、競争や市場の状況次第では、競争当局が職権で介入してKiller Acquisitionに伴う将来の競争制限に関する懸念を表明し、その結果、最終的には統合を断念せざるを得ないことになるリスクも考えられる。また、2021年に成立したバイデン政権下では、Killer Acquisitionに関する競争法上の懸念を重視する姿勢がさらに強化されるのではないかという見立ても存在している(注22)

 そのため、特に既存の有力事業者によるスタートアップの買収案件の際は、売上高(及び資産高)等に着目した届出基準に形式的に該当しないことをもって、競争法上の懸念はないと即断するのではなく、買収による競争上の懸念を競争当局から指摘される可能性がないか、企業結合の当事者双方において、予め実質面から整理しておくことが望ましいと考えられる。

 (2) 日本の公取委による企業結合審査

 米国市場に影響しないM&Aであったとしても、日本でもKiller Acquisitionの点は問題となり得る。公正取引委員会は2019年に企業結合ガイドラインを改正し、届出基準を満たさない案件であっても、買収対価の見込みが400億円以上である等の一定の要件を満たしたものについては、(法令上の義務としてではなく、)任意の相談を事前に同委員会に行うことが望ましいとしている(注23)

 個別の事案としても、エムスリーによる日本アルトマークの買収(注24)や、上記のGoogleによるFitbit社の買収は、日本での

この記事の続きをお読みいただくためには、法と経済のジャーナルのご購読手続きが必要です。

朝日新聞デジタル購読者(フルプラン)の方なら手続き不要

法と経済のジャーナル Asahi Judiciaryは朝日新聞デジタルの一部です。
有料(フルプラン)購読中の方は、ログインするだけでお読みいただけます。

朝日新聞デジタルのお申し込みはこちら

岩崎 卓真(いわさき・たくま)

 2013年、東京大学法学部卒業、2015年、東京大学法科大学院修了、2016年、弁護士登録。
 競争法のほか、国際通商法や会社法に関するアドバイスを行う。競争法に関する論稿としては、「Common Ownershipをめぐる諸問題 - 競争法・コーポレート法制の観点から -」(財経詳報社、2019年)(共著)や「ジェネリック医薬品の参入を阻止するPay-for-Delayに関するEU競争法上の判断基準」(2020年)(共著)がある。また、法と経済学会において、法と経済学に関する研究発表を行った経験も有する。

Facebookでコメントする

ご感想・ご意見などをお待ちしています。